天使の休息 - 慶次編

 

 

「………そんな…そんなことが…」

「あるんだよ。女子殿、あんたがその人にとり憑けたのは、あんたの無念と、その人の無念が同じだからさ」

「おな…じ? あたいと…姫の嘆きが?」

 慶次が一歩ずつ距離を縮めながら頷く。

「ああ。あんたのいい人を失った無念さと、その人の、数多の将兵・民を失った無念さが通じたんだろうさ」

「………………」

 思うところがあったのか、亡霊が項垂れた。

「なあ、あんたが憑く前、その人は泣いていなかったかい? 一人でひっそりと、泣いてたんじゃないのかい?」

「ああ……ああ…そうだよ…この姫は……戦が終わってから……ずっとずっとここで泣いていた」

 思い返すように亡霊は視線を彷徨わせた。
彼女の脳裏には、とり憑いた女と出会った瞬間に交わした言葉が生々しく蘇っていた。

『こんばんは。寝苦しい夜ですね』

『あたいが怖くはないのかい?』

『ええ…だって貴方、泣いているもの』

『あんただって泣いてるよ』

『そうですね…泣いても泣いても、嘆いても…取り戻せはしない事ばかりで…後悔が尽きません。
 だけどこんなことに慣れたくはないの。"仕方がなかった"とか"戦だから"とか、そんな言葉で、負った痛みを、
 失ってしまった命への無念さを…誤魔化したくないの』

『そう…』

『ええ、私には何もできなかったけれど、せめて…せめてね、嘆くくらいは…。
 …この国の為に散った全ての命の為に懺悔して泣くくらいは…していたいの…』

『あたいと同じたね…あの人を失って泣く、あたいと…同じだね』

『そうですね…誰かに話す事で気が紛れるのであれば、貴方の悲しみを私に聞かせて?
 納得するまで…私はちゃんと聞くから……貴方が伝えたかった思いを…私でよかったら、聞かせて下さい』

「あたいの話を聞いてくれた…あたいの無念を……理解したいと…言ってくれた…」

 女子がぼそぼそと独白する。
心の揺らぎを見逃さず、慶次が問いかける。

「…連れて、逝くのかい? 一人は寂しいからと、あんたはその女を連れて逝くつもりなのかい?」

 問われた女子は困ったように眉きつく寄せた。
慶次は責めるのではなく、諭すように語りかけた。

「もしあんたの心に、まだ一片の良心でも、人の心でもいい…残っているのなら…この町を見るといい。
 あの戦を耐えて、再び立ち上がろうとしている者達の姿がそこかしこにあるはずだ」

「だから、なんだというの?」

「あんたのいい人が命がけで護ろうとした姫の作った、国の姿だよ?
 国は一人では作れない。民とお上と全ての人々が手を取り合って作るもんだ。
 いい国を作るには、いい君主が必要で、よく働く民が必要だ。
 あんたが連れて逝こうとしているのは、いい国を作れる君主だ。それでも、連れて逝くのかい?」

「いい君主だとどうして分かる? 先の戦では勝てなかったじゃないか!」

「いいや。先の戦は、勝てる見込みのない戦だ。
 凌ぎ続け、保守しただけでも誉れだよ。
 何よりね、この国がいい国でないというのなら、あんたのいい人は、なんでこの国に命を張ったんだい?」

 女子が息を呑んだ。
言葉を探すように、「それは……それは…」と繰り返す。
慶次は畳みかけるように、言った。

「俺は戦場の最前線にいた。多くの敵を斬り、この国の為に死んだ奴の背も嫌という程、この目で見て来た。
 死んでいった奴らはね、あんたがとり憑いている姫を護ろうとしたんじゃない。
 その人が創る国を守ろうとした。その国の中で生きる、自分の大切な物の為に命を賭したんだ。
 あんたのいい人も、例外じゃないはずだぜ」

「だけど…でも……だって…」

「手柄が欲しいなら、出世をしたいなら、あの戦でにつくより毛利についた方が近道さ。
 だがあんたのいい人はについたんだろう? なら、あんたのいい人が望んだことはただ一つ…」

「なんだというの?」

「この国の中で、女子殿、あんたに幸せに生きて欲しかった…そういうことさ」

 慶次の言葉に心打たれたように、女子は天を仰いだ。
彼女の頬に数多の涙が伝った。

「あたいは愚かだね…知っていたのに…分かっていたのに……。
 我慢できなかった…あの人のいないこの国で…生きる勇気がなかったんだよ……。
 ああ…あああ…なんて……なんて、あたいは莫迦なんだろう。
 折角、折角あの人が命がけで護ってくれたのに……」

 嘆く女の体からしゅうしゅうと陽炎のようなものが揺らめいて立ち昇る。
それは無念を抱いた女の最後の瞬間でもあり、とり憑かれた女が解放された瞬間でもあった。
 体にまといついていた揺らめきが、微弱な光が掻き消える。
それと同時に、立っていた女の体から力が抜けてその場に崩れ落ちそうになった。
慌てて慶次が手を伸ばし、彼女を受け止める。

「…ん…」

 慶次に支えられて我に返ったのか、彼女は何度か瞬きを繰り返した後、小さく息を吐いた。

「ダメだよ、さん。
 同情するのも、共に嘆くのもいいが、流石にとり憑かれるのまで許しちゃダメだ」

「…!」

 声をかければが驚いたように小さく息を詰めた。

「ご、ごめん…やっぱり、とり憑かれてた?」

「やっぱりって、自覚あったのかい?」

「夜の記憶があやふやだったからもしかしたら…って思って…」

 やれやれという様子で慶次がを抱えたまま移動して、縁側に腰を下ろした。

「全く……さんは…本ッッッッ当に、バカが付く程のお人よしだねぇ…」

「…ごめん…だって、なんだか……見過ごせなかったんだもん…」

「分かってるよ、あんたは人の悲しみに敏感だ。放っておける性質じゃない」

 慶次の言葉に対する反論はなかった。
二人の間で、会話が途切れた。こんな風に途切れるのは、初めてのことだった。
 夜の静けさが、寒さが身にしみる。
慶次はに風邪をひかせまいと身を縮め、抱かれるは慶次の温もりを甘受しようと寄り添う。

「悪いな…松風で走れりゃ良かったんだろうが…あいつも少しは休ませてやらないとね…」

 珍しく控えめな慶次の弁に、はゆっくりと首を横に振って答えた。

「このままで、充分だよ」

「そうかい? その割に、すぐに泣きついて来てはくれなかっただろう?」

 多少なりとも、「寂しいもんだ」と言葉尻に匂わせれば、は微笑んだ。

「整理してた。自分の中で…上手く、整理できると…思っていた…だけど…」

「無理だった、か?」

 こくんと小さく頷いてから、は慶次の胸板に頭部を寄せた。
言葉は独白のように小さく、か細いものだった。

「あの戦は皆から色んな物を奪った…だけど、全てが終わったんだから…お城に戻って、何時もの生活に戻ったら、
 なんとか…自分で上手く整理して、昇華出来ると思っていた…」

 中庭に夜風が一つ吹き込む。
慶次は己の羽織を脱いで、の背にかけた。
再び、を抱き寄せて言葉の先を促す。
はそれには何も反応を示さずに、話続けた。

「…だけど、違った……戦って、そんなに生易しい物じゃない…。それを実感したの」

「城に戻ってからかい?」

「ええ…戦で人が死んでしまうのは何度も見た。
 慣れることなんてやっぱり出来ないけど…国に戻れば、城に入れば、全て終わったことに…なるはずだった。
 けれど街に戻ってみて初めて思い知った。何時も街にいた年老いた職人さん、元気だった魚屋のおじさん…
 うんん、沢山の人の姿が…今の城下町にはないの……どこを見渡しても…知っていた顔が減ってる…。
 戦を避けて、どこかへ流れたのならばまだいいんだけど……ご遺族は街にいて、復興の為に懸命に働いている。
 そこにないのは…彼らがあの戦で…命を落としたからで、逃げたわけじゃない…」

 つうっとの頬に涙が伝う。

「お上は皆の日常を守る為にあるはず…だけど…力が足りなくて…ままならない…。
 この世界では、上に立つ者の力量が、人の命に直結する……」

 そこでは己の顔を両手で蔽い隠した。

「……私では……皆を守れない………」

 それは何よりも重たい実感であり、現実だ。 

『俺は…根無し草の風来坊…俺の言葉じゃ今のさんは癒せないのかもしれないねぇ…』

 時として人には裏打ちされた言葉が必要だ。
だが慶次が自覚しているように、今の慶次には、決定的に足りないものがある。
それは戦人として生きて来た自分と、国主として生きるしかなかったの背景の差異である。
埋めようにもこればかりは埋められない。
 彼にもそうした重責が圧し掛かりかけた事はあった。
だがそれは、ひょんな事をきっかけに、彼の背から叔父の肩へと移った。
が今背負う重みの実態を、彼は実質的には何も知らないのだ。
 そんな自分が言葉を弄して何になるのだろう。
そう考える一方で、奇弁であっても何か言葉を発したい。
惚れた女の心を癒し、護りたいとの思いが募った。

「………なぁ、さん。
 確かに命は尊い。尊いには変わりがないが…人には時として他にも尊ぶべきものがあるもんだよ」

「命よりも…大切な、もの?」

「ああ、自尊心だよ。自分はこうありたい、こう生きたい…そういう思いは、命をかける価値を持つと思うがねぇ」

 論法のすり替えにしかなっていないだろうか?
ただの奇弁に終わりはしないだろうか? 
微かな不安が脳裏でちらつく。
けれども今告げている言葉に嘘偽りはない。
国主ではないけれども、戦人と呼ばれ各地を転戦してきた慶次にしか語れぬ言葉がある。
それは人を殺したことなどないに語れるものではない。
形は違えど、互いに思い合っても語るに足りぬ経験があるのならば、発する言葉に込めた思いはきっと届くはず。
他の者であればあやしいところだが、であればこそ…と、慶次は信じた。
 まっすぐにを見つめて、諭す。

「俺は戦人だ。根無し草の風来坊…好き勝手にあちこちふらふら気ままに巡って来たもんだ。
 そんな俺がここに巡り巡って辿りついた。
 しかもずっと居座ってるのには、ちゃんと理由がある」

「理由…」

「ああ、そうさ。この国にはさんがいる! 
 聡明な君主、朗らかな民、台風にやられはしたが、それまでは大地は豊穣に富み、住みやすさは抜群だ!
 何よりも…心で感じた。さんの創る国なら、俺らしく生きていられる、ってね。
 先の戦で命張った連中も、自分らしく、自分が望んだように生きれる場所を探して、に辿り着いた。
 だから護りたいと思った。他の奴に奪われ、壊されまいと願い、命を張ったんだよ」

「でも…死んだら…元も子もないじゃない…」

「いいや。奴さんらが願った通り、国は護られた。
 という国は崩壊することなく、これから先も歴史を紡いでいける。
 あの戦で死んだ者は、"犠牲"じゃない。"礎"になったんだよ」

「どこが違うというの? 生きてないことに変わりはないわ」

 慶次が首を横に振った。

「自分らしく生きれないなら、命を繋いで何になる? それは生きているとは言わないもんだ」

 言葉が響いたのか、が目を見張った。
呑んだのは、言葉かはたまた息なのか定かではない。

「今さんがしなきゃならないことはね、懺悔じゃない。無論、嘆き悲しむ事でもない…」

 視線だけで問いかけて来たに、慶次ははっきりと言った。

「感謝することだ」

「…感謝…」

「ああ。奴らの奮戦があって、犠牲があって国そのものが生き延びた。
 なら言うべき言葉は「ごめんなさい」じゃない。「ありがとう」だ。
 認めてやりな、他人ばかりじゃなく……自分の生き様をね」

 それきり慶次は何も言わなかった。
慶次の言葉を呑みこんで、は黙りこくる。
自信の価値観で感じて来た感情と、彼の言葉が紡いだ異なる事実を照らし合わせて考えているのだろう。
そうこうする内に月は山の裾野へと落ちて、東の空が白んできた。

「…夜が、明けたね…」

 こんなところを見つかれば騒ぎになるかもしれないと、努めて軽妙に告げた慶次の着物の袖をの掌が掴む。

「…もう少し…こうしていたい……気持ちの、整理……慶次さんと一緒にいれば……つけられそうな…気がする…」

「お安い御用さ…」

 「場所を移そう」と、耳元で囁かれて、はこくりと頷く。
を抱え上えたまま慶次は立ち上がり、の私室への道を辿り始めた。
 まだ立ち込める霧は晴れてはいない。
けれども晴れない霧はないのだと、二人の背を照らす太陽が告げていた。

 

"遠い未来との約束---第六部"

 

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前線だけが、彼の領分じゃないんです。(11.05.03.)