もう一つの選択 - 孫市編 |
床の上に横になって考え続けた。 『気持ちは嬉しい……でも……それは受け入れられない…』 寝返りを打ちながら瞼を閉じれば、かつて時空の狭間で支援者達が紡いだ言葉が、耳に生々しく蘇った。 "一つの時空が刻んだ巨大な歴史の前では、その中に生を持つ者では抗う事が出来なかったのだろう" そうだ。孫市はまだ知らない。 『それを叶えられるのは……秀吉様や家康様じゃない……私だ』 自身が起こした功績により、失われた未来に戻った命がある。 "ああ、怖がらないで。大丈夫だよ、僕達は君の味方だ" "色々と辛いだろうけど、頑張って。そして忘れないで、君には僕達がついてるからね"
その命は、自分の利益ではなく、最果てで待つ結末を厭い、使命の完遂を望んだ。 『いいでしょう、死にましょう!! 様が必要と言うならば、必要なのでしょうな』 『様、大丈夫じゃ。わしが引き受けた。もう大丈夫じゃ』 『いいんだ、さん。あんたが無事なら、俺はそれでいい』 『いいえ、貴方を護れた。身に余る栄誉です。私は、貴方が生きていて下されば、それでいいのです』 『男、俺の目が黒い内はこの女に手出し出来るとは思わぬ事だ』 『は必ず勝ちます。だから、泣かずに、笑っていて下さい。俺は、姫の笑ってる顔の方が好きですよ』 『もう一つ、選択肢を提案するぜ。魅惑的な姫は、彼女の恋人が救うって選択肢だ』 帰る事は容易いことかもしれない。 『でも………それで、本当にいいの? 自問自答は続く。 "この世界は、既に変わりつつある世界。そこにお前の求める者はいない" "…他の者ではだめだった、歴史を変える事は出来なかった…" "一つの時空が刻んだ巨大な歴史の前では、その中に生を持つ者では抗う事が出来なかったのだろう"
"外から来たお前は…この時空への干渉は出来ても、この時空からの干渉を受け付けない。 それは同時に、に一つの現実を突きつけた。
『……私が帰れば……私の背負った苦痛を…恐怖を……誰かが代わりに背負うことになる。 薄々気が付いていた。分かっていた。体感してきた経験に基づく事実。 「…で、こんな事私に言ってくれる人は……初めて……だから、ちょっと揺らいじゃったんだな、きっと」 閉じていた瞼を開いたは、自嘲的な微笑みを浮かべると掌で目元を覆い隠した。 「……ごめんね…孫市さん……私には、その選択肢は、選べないよ」
翌朝。 「孫市さん」 脱出策の詰めに追われる孫市の元へとがやって来た。 「お、今日も綺麗だね。その瞳で見つめられるとくらくらするぜ」 毎度毎度お馴染みのリップサービスをさらりと受け流して、は「少し、歩かない?」と言った。 「いいぜ? で、どこまでお供すればいいんだ?」 「あの狼を帰す時に行った岩山とかどうかな?」 「了解」 頷いて二人で獣道を辿った。 「おいおい、分かってんのか? 一応、ここ戦場で、今は朝だぜ?」 「大丈夫だよ、孫市さん一緒だし。護ってくれるんでしょ?」 「はいはい、誠心誠意努めますよ…本当、貴方には敵わないなぁ」 楽観的に笑うには勝てなくて、孫市は「やれやれ」と首を振ると後に続いて岩山へと手をかけた。 「んー、筋肉痛の時に登るとは思わなかった〜」 岩場に腰を掛けて、投げだした足をぶらぶらと風に遊ばせる。 「でもまー、どうにかなったね」 そよ風に髪を遊ばせて、遠目に見える大地を、本陣とそれを護るように展開している将兵が作る陣容を眺める。 「…何が言いたい?」 敏い孫市が「ただの気分転換ではないだろう?」と視線で問えば、は静かに一つ頷いた。 「この山登りと同じなの。どんなに困難な事でも、やってみると意外とどうにかなったりする」 「天下はそんなに安くないぜ」 「うん。でも…私、天下が欲しい訳じゃないから」 怪訝な顔をした孫市を、は真っ直ぐに見上げた。 「貴方が私を護りたいと言ってくれたように、私にも…譲れない、護りたいものがあるの」 「…妬けるね、俺以上に大切な奴がいるとはな…」 孫市の心底がっかりしたような声を受けて、は苦笑した。 「そんなんじゃないのよ」 小さく首を横へと振ってから、微笑んだ。 「誰か特定の人を好きとか、その人の為に…とか、そんな話じゃないの。 「分かるか?」と視線に滲ませて、は言った。 「全てを皆に押しつけて、逃れた先で…私が本当に幸せに生きられると思う?」 「…! こ、ここよりゃ、普通にマシだろ?」 珍しく孫市が動揺した。 「貴方の言った通り、私は平和な世界からやって来た。だからこそ、戻ったら、ここでの事ばかり思い出す」 「ッ!」 「こんなにね、刺激的な出来事は私の生活にはなかったの。 「それは、そうかもしれないが…」 「孫市さん」 は視線を遙か彼方、戦地の向こうへと流す。
「どんな結末が待つとしても、一度関わってしまった事からは、それが終わるまでは逃げられない。 「……はぁ、全く……俺のお姫様は、本当に負けん気が強くて、博愛主義で、高望みだな」 孫市が盛大に溜息を吐いた。 「そうなのよ。私、結構、しぶといの」 「…分かったよ、俺の負けだ」 「うん」 の隣に腰を降ろした孫市は、の頭を片腕で抱き寄せた。 「……この前の提案はなしだ。だから、そんな…何もかもを諦めた、みたいな目は止めてくれ」 「!」 が驚いて息を呑めば、孫市は真摯な眼差しで言った。 「お前が腹を括ってやるって言うなら、俺が命がけで護ってやるよ。だから、そんな目は止めろよな?」 は苦笑し、何度となく頷いた。 「うん、お願いね。女はしたたかにならなきゃ、ダメなんだもんね?」 「ああ。そうだぜ〜。 かつて紡いだ言葉を、再び孫市は紡いだ。 「考慮しときます」 「つれないねぇ」
「私は一足先に、国元に戻るけど…皆が元気に戻って来ること、信じて待ってるから……。 「ああ、分かってるよ。これ以上、奴らの好きにはさせないさ」 「うん。信じてる」 は瞬きを一つだけすると、その場にそのままゆっくりと立ち上がった。 「帰ろう。皆の為にも、まずは私がここから生きて国元に戻らなくちゃ…何も始められない」 「露払いなら、任せろよ。例え鬼の突進でも、止めて見せるぜ」 「うん、ありがとう」 それから程無くして二人は陣中へと戻った。 『…死ぬつもりかよ? そんなことは、俺が許さない…』
第六勘なのか、それとも人の生死を掌って来たからこそなのか、孫市が感じ取った懸念は正しい。 『…なぁ、知ってるか? ……傷は、時が癒してくれることもあるんだぜ?』 帰さなくてはならない、元の世界へ。 「やるなら、意識のない内に…だな」 孫市は独白し、 「まずは情報を把握しないとな。それに相方が必要だ。なら、普通に秀吉だろ」 陣中にあるはずの秀吉の姿を求めて歩きだした。
"遠い未来との約束---第六部" 了
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彼女の決意と彼の決意。(2011.05.04.) |