もう一つの選択 - 孫市編 |
島左近、石田三成が本陣への奇襲を退けたとの報は、瞬く間に戦地に行き渡った。
"天の加護をもつ美姫は、奇襲にあっても、その身を害されることはない"
戦地の隅々まで轟いたこの報は、案の定、三成が機転を利かせてはなった偽報でしかなかった。 「お帰りなさい、二人とも……ごめんね、こんな姿で…」 慶次共々すっ飛んで帰って来た孫市を待っていたのは、臥せった状態のだった。 「女神、ちょっといいか?」 「あ。はい、どうぞ」 三成と慶次を巻き込んでの治療を終えて、撤退案をも受け入れたの天幕へと孫市がやってくる。 「何かな? 変更でも出ました?」 茶づつを手に取ろうとするの動きは緩慢で、筋肉痛が齎した後遺症だけが原因ではないように思えた。 「…いや、ちょっと気になった事があってね。話せるか?」 円らな瞳を瞬かせたの手の中から茶づつを取り上げて、孫市はを席へと促す。 「孫市さんでも、この戦は辛いんだね」 「…あ?」 ぼそりとが独白すれば、孫市が茶づつから急須に茶葉を移す手を止めて振り返った。 「ご、ごめん。そうだよね、誰だってこんな戦……辛いし、嫌だよね…。 おろおろするの前で、孫市は茶づつの蓋に乗せた茶葉を茶つづへと戻し、蓋を締めた。 「あのな。俺が今日来たのは、この戦の話がしたいからじゃないぜ?」 「え…?」 「聞きたい事があるんだよ」 「何?」 「自分に話せる事ならいいのだけれど…」と表情で語るの向かいに孫市は座った。 「前に俺にこう言ったよな? "この世界を導く役目を命を対価にして引き受けた"って」 「え、ええ…そうですけど…」
この時代の人間からしたら、やはり自分では期待通りの働きは出来ていないのだろうか? と、恐縮するの前で、孫市は「そうではない」と首を横に振る。 「連絡はどうやって取ってる?」 「へ?」 「お前にその使命を託して、好き勝手な間で助けに来る頼りない同士とやらとは、どうやって連絡取ってるんだ?」 予想外の問いかけを受けて、返答に詰まった。 「?」 孫市に、初めて名前を呼ばれた。 「答えろ、」 真摯な眼差しで、それでいて柔らかい声色であの孫市に名を呼ばれ続ける。 「連絡、取ってんだろ? どうやって取ってる?」 「…えと…その……実は……取れてるような…取れていないような?」 「ああ?」 は観念したように自身の膝の上の着物をぎゅっと強く掴みながら言った。 「あの発作の時に、向こうから現れるの。私からは呼び出すことは出来なくて…」 「一方通行なのか?」 「に、近いかもしれない…」 「近い?」
「うん。説明は出来ないんだけど、ある方法を使って、私の意思を伝えることは出来るの。 「なるほどな」 「あ、あの…」 「ん?」 「それが何か? この戦に関係あるの?」 が問えば、孫市は頭を掻きながら答えた。 「いや、お前さんから連絡がつくならな」 「援軍頼むとか?」 「いいや、そうじゃなくてな」 「うん」 孫市は「ふう」と一息吐いてから、言った。 「…お前のこと、元の世界に帰してやれって言うつもりだった」 が驚愕し、息を呑む中、孫市は言う。 「俺としちゃ、根本的には天下ももどうでもいいんだよな」 「え…?」 「俺はお前に惚れてここにいるわけだ。 それはそうなのかもしれない。 「率直に言わせてもらうぜ」 孫市は怜悧な眼差しで淡々と言った。 「お前を取り巻く契約には、もう一つ、道がある」 「み…ち?」 「ああ。全て投げ出す、って道だ」 「ちょ、ちょっと待ってよ!! 孫市さん、自分か何言ってるか…!!」 思わず机に両手を突いて立ち上がれば、孫市は大きな掌での肩を掴んで無理やり着席させた。 「重々俺は分かってる。分かってて言ってる。いいか、」 孫市の真剣な眼差しの奥には有無を言わせない強さがあった。 「お前の理念は、もう既に、多くの人間に根付いてる。 その通りだと相槌を打てば、孫市もまた相槌を打った。 「だが、それももう終わりだ」 「終わり?」 「ああ。お前の意志は、秀吉が、家康が継ぐ」 衝撃で何も言えなくなったを真っ直ぐに見据え、孫市は言いきった。 「の禄を食んだ男で、天下を狙える大器はあいつら二人の内どちらかだ。 何か言わなくては、言葉を発しなくては、と思うのに巧く言葉が出てはこなかった。 「あいつらなら、お前の望んだ世界をちゃんと作れる」 『分かってる…その通りだと、私は知ってる……でも、でも!!』
「天下取りは女の仕事じゃない。もう帰れ。これ以上は、拾った命を失うことになる。 「何…を?」 「後継者に全てを託す、と」 「それで、私は?」 「帰ればいい、元の世界へ。その算段を整えろ」 返す言葉もなく息を呑んでいると、孫市はの額に一つ口付けを落としてから身を起こした。
「そんな顔すんなよ…前にも言ったように俺はお前のことが好きなんだよ。本気でな。 の返事を待たずして、孫市は天幕を後にした。
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