鬼軍師の涙 - 左近編

 

 

 一度身を放して、も自ら膝をついた。
まっすぐに左近を見上げて再び両手で彼の大きな体を抱きしめる。

「左近さんが犯した罪は、背負った命は、無駄にはなってない!
 こうして、ちゃんと私達に生きる道を与えてくれた。

 何よりも……本来なら私が背負わなきゃならない事のはず」

「姫、それは先にも話した通り…」

 両肩を掴んで距離をとれば、が腕を振り払って左近の胸の中に身を投じた。

「お願い、私の声を聞いてよ!!」

「聞いてますよ、何時も、何時でも…ずっとずっと聞いてます」

「違う!! 左近さんが今聞いてるのは、左近さん自身の声!! 私の声じゃない!!」

 ぴしゃりと否定されて、息を呑めば、は縋るように己の掌に力を込めた。
左近の背で陣羽織がくしゃくしゃになる。

「お願いだから…諦めないで。自分を追い詰めないで…左近さんは、死なないで…」

「…姫…俺は、死にませんよ」

 首を横にぶんぶんと振り、

「私には他にどうしていいか分からないから。こうして縋るしか出来ないから…」

「…姫…」

「だから……お願い、戻って来て」

「何言ってんですか、俺はここにずっとずっといますよ。姫の傍から離れたりしませんよ」

「でも、心が離れてゆくの…感じるの!」

 「これは勘違いなのか?」と、重なった視線が問いかける。
左近が息を呑んで視線を逸らせば、再び胸板に強い震動を感じた。
の額が胸板に重なったのだ。

「どうして? 離れていかないでよ……。なんでよ? 自分ばっかり……カッコつけないで」

 泣いているのだろう、声が詰まっている。

「姫…当然、なんですよ」

 左近が声のトーンを落とし、語る。

「聖女の軍に、鬼軍師は似つかわしくない」

「馬鹿じゃないの!? 私は聖女じゃない!! ただの鍼灸師よ!!」

 金切り声が上がり、左近は苦笑した。
幼子の我がままのようなこの弁が、世に通用するはずもないことは、にだって分かっているはず。
けれども他に言葉を思いつかないのだろう。
懸命に思いつく限りの稚拙な言葉で、無茶な行動で、自分の固めた覚悟を崩そうとしている。
その姿がなんともらしくて愛おしい。

「全く…困ったお嬢さんだ…そんな無茶な話…」

「無茶だからなんだって言うのよ!! 私が破天荒なのは今に始まった話じゃないじゃない!!
 私の国で一番偉いのは私なのよ? その私が、いいって言ってるの!!
 自分の軍師くらい、自分で決めさせてよ!! 

 今回の事で、誰にも文句なんか言わせない!! 文句があるって言うなら………」

「どうすると?」

「決まってんでしょ!! 全て捨てて夜逃げしてやるわよ!!
 私がいいって言ってるのに、それが駄目だって言うなら、その人にとって"いい"場所へ勝手に行けばいい!!」

 無茶苦茶な論理を展開しているのは、自分でもよく分かっているのだろう。
ただ今のには他に方法は思いつけなくて、それだけに必死で、他のものが見えなくなっているだけだ。

「あの戦で、私は多くを失った。そして沢山沢山、皆に守られた。
 私が変わらないでいられたのは、他でもない皆のお陰。
 だからね……皆にも、あの戦がきっかけで変わって欲しくはないの…。
 我がままで、無茶苦茶なこと言ってるんだろうけど、でも……だけど!
 昔のまま、今までのままでいられないなら、本当の意味で、あの戦で礎になってしまった人達の思いに
 応えられなくなる…そんな気がして……悲しい…」

 溢れだす感情を包み隠さず、言葉を尽して、左近へと懸命に思いを訴えた。

「………だから…左近さんも…変わらずにいてほしい………お願いよ、戻って来て……皆から、離れていかないで…」

 顔を上げたの円らな瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
そんなを見て、左近も堪らなくなったように肩を落とした。

「…許されると…本気で、思ってるんですか?」

「私達は、神様じゃないの。誰にも、どうにもできない事は必ずあるの」

「分かってますよ、だから俺は…潔く…諦めようと…。
 …せめて…役に立つだけ立って役目を終えようと…決めたんだ」

「…それは、誰のため? 私の為だなんて言わないでよね? だってその選択じゃ、私の心は救われない」

 痛いところを突いてくるものだと左近は顔を顰める。

「お願いだから…左近さんまで…私の事、祭り上げないで…。
 …「貴方は鍼灸師だっ」て、「そのままでいていいんだ」…って、何時ものように言ってよ…」

「…姫…」

 堪らなくなったのか、強く強く左近がを抱きしめた。

「そんなこと…言ったら駄目でしょう…。
 …男ってのは馬鹿な生き物だ…そんな事言われたら…期待して…思いあがって……本当に止まらなくなりますよ?」

「…戻って来てくれるなら、それでいい…」

 懸命に涙を呑みこんで、は言う。

「…あの状況で、に活路を与えられたのは…左近さんの決断力なのよ。悲しいし、苦しいけど…それが現実なの。
 許されるとか、許されないじゃなくて……戦は、多くの理不尽を生む。時として、人を悪魔にもしてしまう。
 だけどその悪魔に心がないんじゃなくて……守りたい者を多く抱えていて…他に方法がないから…。
 心を殺して、決断した……誰も彼もがその選択を理解出来ないと叫んでも……私が肯定するわ!」

 驚いて左近がを引き離し、真っ直ぐに見やった。
が懸命に訴える。

「貴方の選択を、誰かが責めても。私だけは、否定しない。絶対に!
 失われたものは大きくて、とても重たくて、苦しいけど……そうでもしなければ、もっと多くの命が失われていた。
 大丈夫、皆…本当は、どこかで分かってる……ただ、今は……自分の感情を巧く消化できなくて……。
 怒りの矛先を向けられる場所を探してるだけ……お願い、左近さん…皆を信じて」

「あ…え…? なんですって?」

「左近さんが考えてる事は高潔よ。
 でもね、今の左近さんが考えてる事は、同時に皆に失望して、心を閉ざす事と同じなの。
 心ない人や、現実を知らない人は酷い事を言うかもしれない。敵視するかもしれない。
 でも、きちんと分かってくれる人もいるから……だから、皆から…離れていかないで……」

 人は彼女を慈愛の人という。
その通りなのかもしれないと、改めて痛感した。
こんなにも深く物事を考えて、物事を呑みこんで、受け止めようとするのか。
小さな体で、繊細な心で、精一杯、受け止められるだけ何もかもを受けとめて、自身の中で消化する。
そして道を踏み外そうとする迷い子には、誰であろうと分け隔てることなく温情を掛けて、正しい道へ導こうとする。

『そうか……だから……天は、貴方を選んだんだろう……。
 あの戦禍に身を置いて、多くの困難に見舞われて、命すら脅かされて、尚、貴方は慈悲を忘れない。
 芯が強いだけじゃない…寛大な女性だ……己には厳しいくせに…こうして…俺に温かい手を差し伸べる…』

「お願い、皆の事信じて、戻って来て。一緒に、生きて、生き続けて、最後は皆で笑おう?」

「……それが俺にも許されると?」

 こくこくと何度もが頷く。

「平治にもね、軍師は必要なのよ? 何よりもね、皆が左近さんを責めちゃ駄目って…言ってくれたんだよ?
 礎になってくれた人達の気持ちを、忘れないで……ね?」

 差し出された掌は白く、小さくて、華奢で、特別な力は何一つ、持たない。
だがその掌の中には、人の心を動かす最大の武器が詰まっている。
 それに惹かれるように、自然と左近の掌がの掌と重なった。

「敵いませんねぇ…本当に姫は…大したもんだ」

 苦笑し、左近がの掌を引き寄せる。
しっかりと握りしめた掌にゆっくりと唇を寄せて、一度だけ口付けた。

「誓いましょう…もう、見失ったりはしませんよ…」

「本当?」

「ええ、貴方が許してくれる限りは、ね」

「うん」

 向けられた左近の眼差しから、言葉に嘘偽りはないと悟ったのか、が安堵の溜息を吐く。
気が抜けたようにが左近の腕の中に再び身を寄せれば、身を隠して警護していた二人の前に半蔵が降りて来た。

「…続きは、城でした方がいい」

「!」

 言葉に驚いてが顔を上げ、左近が半蔵の示す方向を見やる。

「あ…あの……て、撤去作業……終わり…ました」

 居心地が悪そうな顔をして報告をする兵の後方には、興味深々という様子の兵の目が、山とあった。

「あー、なんだ。用は済んだ、出立するとしますか」

 真っ赤になったを抱き上げて、自分の胸に顔を埋めさせることでデバガメの目から守る。
左近が動くと同時に、蜘蛛の子を散らすように兵達は自分の持ち場へと戻った。
誰一人として口にはしていないが、帰郷し、解散したら誰も彼もが口々に在らぬ想像を現実として口にするだろう。
 たとえば、

「なんか左近様に姫様がすがっててさー。あれ、別れ話しでもしてたのかね?」

「えっ、そうなの? 姫様じゃなくて左近様がフったのかよ!? それって凄くね?!」

「それ、俺が聞いた話と違うなぁ…。
 俺は左近様が二人きりなのにカコつけて茂みに連れ込んでヤッちまったって聞いてるんだけど?」

「あー、堪えられなかったのかー」

「「有り得るな、うん、あり得る」」

「だから石田様と幸村様が荒れてんだなー」

「おいおい、慶次さんや孫市さんだって今回の件ではキレてるよ。二人して武器手入れしてたしな」

「しっかし左近様、相変わらず、女に対しては酷いよな…まさか姫様までかよ〜」

「出来ねぇよなぁ…普通……茂みに連れ込んでヤった上に振っちゃうなんてよ〜」

「え。振ったの? ただの痴話ゲンカってのが真相じゃないの? 瓦版の特集記事に載ってたけど?」

「なんてッ!?」

「呉服問屋に二人で買い物に来てて、仲睦まじかったて…目撃情報が…」

「なんだ、ならやっぱただの痴話ゲンカ?」

「それ単に姫様が着物で丸めこまれてるだけなんじゃねぇか。だってあの左近様だぜ?」

「「「「「ソレダ!!」」」」」

 といった具合だ。
それが帰郷する前から分かってしまうから、は輿の中で真っ赤になって己の頭を抱えて唸るより他になかった。

「失敗した……焦らずにもっとよく考えてから……場所選んで話せば良かった……」

「ははははは〜」

「……恥ずかしい……きっと全ッッッッッ部、見られてた……きっと聞かれてた……」

「いやー、まー、ねー、人間長生きしてると、色々ありますしねー」

 自分と違い、外界にいるから周囲の目を集めまくりのはずなのに、左近は少しも気にしていないようだ。

「…うああああ!! 穴があったら入りたーい!!」

「ははは〜、まぁ、姫あれですよ。気恥かしさは青春の香辛料って言いましてねぇ〜」

「青春って年じゃねー!!!」

 すっかり何時もの調子を取り戻した主従の帰郷は、それから半日と経たずに適った。
以後飛び交う噂に頭を抱える事にはなりそうだが、が抱えた懸念について悩む必要は、もうなさそうだ。

 

"遠い未来との約束---第六部"

 

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噂って怖いですね。そんなつもりはなくてもこんな感じできっと広がっていくんですよー。(11.05.04)