鬼軍師の涙 - 左近編 |
「同盟締約、無事に済みましたよ」 松永家の家紋入りの誓約書を持って帰って来た左近が言う。 「なんだ?」
三成が怪訝な面持ちで問えば、左近は「失礼」と掌を見せて追及に待ったをかけた。 「向こうはもうとっくに引き上げる支度を済ませてたもんでね。おかしくなっちまったんですよ」 「ふむ、計略ではないという事ですか」 竹中半兵衛が微かに眉を動かし独白する。 「ええ。松永家は本気でと同盟するつもりみたいだ」 左近は頷いて答え、を見やった。 「ということで、こっちも無駄に刺激しないようにサクサク帰りましょ?」 「そうだね、支度しようか」 の一声を受けて、まず第一に井伊直政が身を引いた。
本国への帰郷を決めて、が誰よりも先に本陣を後にする日。 「俺ですか? しなきゃならない事、山程あるんですけどね?」
今までであったなら、一も二もなく快諾しているであろう男の弁に、周囲は驚きを隠せない。 「分かりました。しっかり御守り致しましょう?」 「うん、宜しくね」 「はい」 抱えていた雑務を長政に引き継いだ左近は馬を引き、と共に本陣を後にした。 「疲れませんか?」 数多の兵が安全を確認した道中を、を乗せた輿は一路、本拠地を目指して進み続けた。 「左近様! 道が土砂で塞がっております!」 「どかせるか?」 「はい!」 「そうか。前衛の半数で迅速に退かしてくれ。後衛は輿の周りを固めろ!! 不測の事態に備える」 「ハッ!」 左近の命を受けて、兵が駆ける。 『まぁ、あれだけの領地を手に入れたらそっちの統治に忙しくて俺らになんか構ってられないってところかね』 かの勢力が巧い事、毛利・北条の残党を抑えつけているのだろう。 「少し、足動かしますか?」 「そうだね、ずーっと座ってたら、腰痛くなってきたかも」 輿の中で「んー」と声を上げて、が伸びをする。 「姫、降りてきて平気ですよ」 「はーい」 「俺の傍から離れないで下さいね」
気分転換とは言え、完全に安全ではないかもしれないからと左近が暗に示唆する。 「鎖帷子着こんでるから大丈夫だとは思うけど…」 支度された草鞋をはき、半日ぶりの大地を踏みしめて、街道の際に立つ。 「随分、本陣から離れたね」 「そうですね。だが城にはその分近づきましたからねぇ。心配する事ないですよ」
二人の視線の先、くねる山道の向こうに長い間身を置いていた陣と砦が見えた。 「ねぇ、左近さん」 「はい?」 「城に戻る前に、一度話しておきたい事がある」 「俺に?」 「うん」 横眼での顔を見やれば、表情を読む事は出来なかった。 「いいかな?」 「え…ええ」 その時見せた何もかもを見通したような眼差しに、思わず息を詰めた。 「構いませんよ。なんなら今伺いましょうか?」 「んー、それはちょっと。あの林の中とかで二人きりになれない?」 親指を立てて横に動かす。 「半蔵さん、ちょっと護衛に伊賀忍貸してくれる?」 「御意」 姿を消していた半蔵がすぐさま二人の背に現れる。 「これで、安心でしょ?」 「はい」 先手を打たれて左近としては両手を上げるしかない。 「分かりました、あちらで伺いましょう」
左近の承諾を得て、は頷くと先に身を翻した。 「で、お話とは?」 左近が両腕を組んで問いかける。 「膝、ついて」 『ああ、首を所望しているのか』 なんとなくそう思った。 『まぁ、どちらでもいいでしょ。姫が無事な事に変わりはない』 慈愛の姫が築く治世。その中にあってはならない者、それが自分だ。 『やった事は巡り巡って自分に帰ってくる…それだけの話か』 諦めなのか、納得なのか、左近が素直にその場に膝をついた。 「…どうしました? 遠慮はいらない、この首一つで丸く収まるんでしょ? なら安いもんだ」 「遠慮? 安い? 何言ってるのよ! もう、本当にバカなんだから!」 左近の弁を受けて、が怒った。 「え…? あ……へっ?」 理解が及ばす、瞬きを繰り返す左近の耳に、の苦しげな声が響く。 「…やっぱり…思ってた通りだ……この前の…夜から……左近さん、何か変わった」 「!」 「気のせいとか言わないで。女には第六勘があるんだから…誤魔化したり出来ないんだからね?」 「いや、でも…しかし…」 言い淀む左近を、は強く強く抱きしめる。
「左近さんが何を考えているのか、とか。どんな理由で心境が変化したのか、とか。 「…何を、ですか?」 ひゅうひゅうと、の喉が鳴る。 「姫? 何を、感じておいでで?」 「このままの左近さん…放っておいたら……きっと私達の為にいけないこと沢山沢山して、それで…最後は…」 「最後は?」 「全て一人で背負って死んじゃいそうで……それが、怖いの……」 「!」 言い当てられた。 「お願いだから、そんなこと考えないで」 「…姫…」
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