折れぬ槍 - 幸村編

 

 

「…士であれば潔くなられよ。関はもう落ちている」

 視線だけで土煙の上がる関を見てみろと、幸村は促す。

「無駄に血を流す事はない」

「真田……幸村……何が…一体、何がお前をそこまでさせる?」

 ァ千代を押さえられたことにより、苦心の抵抗を続けていた関が、一瞬の内に鎮まった。

「…お嬢……」

「どうする? おい、なぁ…どうするよ?」

「皆動くな、儂らはァ千代様の兵…毛利に恩顧はない…ァ千代様が捕らえられては…戦は続けられぬ」

 投石隊を預かる老齢の将が攻撃の手を休めるように言うと、幸村は無表情のまま紅交龍牙を翻した。
斬っ先ではなく柄でァ千代の腹部を打ちつける。

「くぅ!!」

「お嬢!!!」

 狼狽するァ千代の部下の前で、ァ千代は雷切を取り落とし、その場に崩れた。
意識を失ったァ千代を片手で俵でも持つように抱えた幸村は、後続兵に彼女の扱いを一任した。
ァ千代を捕縛するという戦功を上げながら、幸村の顔には優越はなく、寧ろ焦燥の色が刻一刻と色濃く浮いて行く。

「毛利の兵よ、本隊に伝えよ!! 第三の関は落ちた、と!!
 島津でも長宗我部でも、誰であろうとも構わぬ、ここへ連れてくるがいい!!
 私の槍が、打ち崩して見せよう!!!」

 幸村の言葉に関に詰める兵はごくりと喉を鳴らす。

『そうだ…ここを死地とする事で、様は生き延びる!!! ならば、それこそが我が本望!!
 私は、天に選ばれた。他の誰でもない、ただ一人、様の為に……。
 ならば、様が負うべき死は、私が背負う!!!!』

「道を開けよ!!! 関は落ちた!!」

 一喝し、関に詰めている兵を退けた幸村は、騎馬に跨り紅交龍牙を掲げた。

「毛利本国まで、駆けに駆けよ!!! 神速を持って、敵を打ち滅ぼす!!!
 吼えよ、武田騎馬!!!」

 鼓舞された騎馬隊が決死の覚悟と共に大地を駆ける。
若武者達の咆哮が恐怖を呼び起こし、大地さえ呑みこむような錯覚を呼び起こした。
押し寄せる紅蓮の騎馬隊の襲来に怯えた第四の関の守備隊は、ァ千代が敵に捕縛されていると知ると、抵抗もそこそこに、関の守護を放り出して逃げだす始末であった。
 第四の関を落として一昼夜、休むことなく駆け続けた騎馬の先端が、第五の関を捉えた。

「見えた!!!」

 先を競う兵が叫び、幸村も吼えた。

「真田幸村、一番槍貰った!!!」

 だが、第五の関は、今までの関とは様子が異なっていた。
攻め寄せた武田勢が攻撃を開始する前に、白旗が振られたのだ。

「!?」

 何の策だと、怪訝な眼差しで関を見やれば、第五の関が開いた。
がらんどうのように人気のない関の奥から身奇麗な武士が一人現れた。
男は毛利とは異なる家門の旗を掲げ、一通の書状を手に、先頭に立つ幸村・兼続の前へと進み出て来た。

「真田幸村殿、直江兼続殿と御見受けする。これを、信玄殿へお届け願いたい」

 槍で書状を取り、兼続へと受け流す。
殺気はそのままに、正面を見据える幸村の横で兼続が書の中を改めると顔色を変えた。

「……毛利が……滅んだ?」

「馬鹿な!!!」

 兼続が驚嘆の声を上げれば、幸村もまた目を大きく見開いた。
兵力差を考えても、今のが毛利を併呑出来るとは到底思えない。
では、何がどうして、こうなったのか? 皆目見当がつかなかった。
 二人が硬直し対応に苦慮していると、信玄が後方から出て来た。

「ふはははは、はーはっはっはっはっはー」

「お舘様?」

「なるほどのぅ、そういうことかね」

 ずっとずっと自分が感じていた違和感の正体はこれだったのか。
ようやく納得したと信玄は高らかに笑う。
だがその声には、沸々とした怒りが満ち溢れていた。
 信玄は兼続から受け取った書状を改めてから、顔を上げた。

「…おことは…松永殿の代理でよいのかの?」

「はっ」

 一礼をした武士は丁重な言葉遣いで理路整然と述べた。

「我らの主に本土への侵攻の意志はございません。
 只今同盟の儀を結ぶよう調停中と聞き及んでおります。
 皆様方も長期の戦でお疲れでしょう。
 同盟が成るまでこの関を明け渡し、皆様には自由に使って頂くようにと…主・松永久秀より言いつかっております。
 ささ、湯の支度も夕餉の支度も済んでおります。どうぞお入り下さい」

「……いや、儂らは第四の関に戻り、そこで様子を見させてもらうとしよう」

「左様にございますか。ではそのように…」

 下がろうとした武士を幸村が呼び止めた。

「お待ち下さい、何が狙いなのですか? 松永殿は毛利と旧知の仲のはず…。
 それが、毛利を捨ててと好を結ぶなどと合点がゆきません」

 顔を上げた武士はとぼけた様子で、それからすぐに思い当たる事はあるとばかりに答えた。

「主のお考えは私には計り知る事は出来ませぬ……が、そうですな。思い当たるとすれば一つでしょうか」

「それは?」

の姫に、大層ご興味がおありのようです。"君主"としてではなく、"一人の女性"として」

 息を呑んだ幸村の前で、将は白々しく告げた。

「当然でしょう? 慈愛の美しき姫となれば、数多の男が心を動かして不思議はないのでは?
 それではこれにて失礼させて頂きます」

 武士は再び礼を一つし、先に関の中へと戻って行った。
彼が入っても門が閉じることはなく、信玄の手の中に残った書面の意味だけが強く強調された形だった。

「松永殿が……様を…?」

 あの武士が口にした言葉は、幸村の胸に一滴の染みを作った。
地位、名声、教養、政治力、所領数、何をとっても斎藤龍興よりずっとずっと格上の相手だ。
見染められたというのが真実であれば、本来は栄誉のはず。
だが、この話は到底諸手を振って喜べぬ話だと思った。
自身がに懸想しているからではない。
幸村の第六勘が、これはただ事では済まないと、告げていたのだ。

 

 

 立花ァ千代を虜囚としたまま、第四の関で六日過ごした。
七日の朝、本国から届いた同盟締結の正式決定を経て、武田勢の戦はようやく終わりを告げた。
送られてきた正式決定の書には、から幸村に宛てた私信が入っていた。

"幸村さん、どこで何してんの? 早く帰って来て。あのバカのせいで治安が大変なのよ!!"

 直筆の書を受けた幸村は、らしい文面を一目見ると、頬を綻ばせた。
離れ離れになっていた約三年の間に、何もかもが変わってしまっていたらどうしようかと、無意識の内に抱え込んでいた不安と焦燥を、はたった一行で一蹴した。
自身がこれまで背負ってきた苦難を思えば激昂して不思議はない文であるはず。
なのに幸村にはそんな感情は微塵も生まれなかった。

『…あの戦火の中にあって……様は、何も変わっていらっしゃらない……良かった…』

 幸村は、信玄の意思を汲もうと視線を動かした。
すると信玄は一度頷いて、彼の帰参を快諾してくれた。
領を追われて、初めて幸村が安堵に満ちた顔で頷き、一礼する。

『やっと、元に戻ったのぅ』

 これならば安心だと信玄は頷く。
そんな信玄の前で、幸村はすぐに返事を認めると飛脚へと預けた。
 馬を駆って向かう城までの道程にある宿場で、二人は何度となく文を交わした。

"最近気がついたんだけどね。大通りにあった豆大福屋さんに城壁が落っこちちゃってて、建物全面倒壊してんのよ。
 それで営業中止してて、復旧の見込みもないのよ! 信じられる? あれから約三年も経ってるってのに、
 店舗の確保が出来なきゃ、どうにもならないなんて…。
 もー、まいちゃっうよね〜。私の唯一の娯楽だったのに…"

"職人が負傷していなければ、城の台所を使わせれば宜しいかと"

"そっか、さすが幸村さん。着眼点が違うなぁ。
 三成なんか、同じ話したらなんて言ったと思う?
  「どうせなら断食しろ」だって。それってどういう意味なのよ!!"

"ははは、相変わらずですね。
 ですが様、戦の後は気持ちも高ぶりますし、疲労感も知らず知らずの内に抱え込むものです。
 どうか無理はなさらず、ゆっくりと静養して下さいますよう…"

"うん、その為にも早く帰って来てね"

 内容は他愛無いものばかりで、特にからの手紙には愚痴や日常の出来事に関する記述ばかりが多く見てとれた。
幸村にはそれが何よりも嬉しかった。

「御意に」

 最後の文は、本国の城門を潜ろうとしていた矢先、今発とうとしていた飛脚に手渡された。
その場で中を確認し、小さく呟いた幸村は、晴れ晴れとした顔をして、城へと凱旋した。
復興に明け暮れる人々の合間を縫って城への道を辿れば、城下町の小道から不審な動き丸出しで、が現れた。
大方城に括りつけられ続ける日々に音を上げて、城下町に降りて来てしまったのだろう。

「どこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 長屋を一本挟んだ向こうの路地で、三成の怒り狂った声が上がっている。

『やれやれ』

「やっばー。今出てったら絶対に殺される…」

 消火用の貯水樽の陰に身を潜めるの独白についついおかしくなってしまって、幸村は下馬してから声をかけた。

「見つかる前に帰ればよろしいのでは?」

「うーん…それはそうなんだけどさー。今日は孫市さんが物資調達だし、慶次さんは復興に出てんだよね……。
 目晦まししてくれそうな人って誰もいなくって…」

「そうですか。そのような状態で一人歩きをしているんですね?」

「うん、でもまー。今気にしなきゃならないのは三成だけだしさー。
 幸村さんが帰ってきたら更に巻かなきゃならなくて大変だし……今しかないかなーって思ってさー」

「そうは仰いますが、確か治安が悪かったのでは?」

「うん、あんまり良くないよねー。
 全くあのバカ、よりによって幸村さん放逐とかしてくれちゃって、どうしてくれんのよ!!!

 戻ってくれる意志があるからいいけどさ、余所に仕えてたりしてたらもう会えなくなるところじゃん!!!
 そんな事になったら、あのバカ絶対に許さない」

「と、仰いますと…?」

「釘バットで慶次さんに渾身の力を込めて20回殴って貰う」

 だから、それは死刑だろう。
喉元まで出かかった突っ込みを呑みこんで、幸村は顔を顰めて笑った。

「全く…仕方のない方だ」

「ん?」

 伸ばされた手がの肩に触れ、腰を捕まえる。
三成の動向にだけ気を取られて、振り返ることすらなく話していたはそのまま幸村の腕で軽々と抱き上げられた。

「へっ、えっ、えっ…?!」

 奇声を上げそうになる所を掌で押さえた幸村は、悪戯っ子の様に笑った。

「今回だけは、手を貸しましょう。さ、共に城へ…」

 たった三年。されど三年。
離れ離れでいる間に精悍さの増した幸村の顔を見たは、破顔し、往来である事も忘れて思わず強く抱き締めた。

「幸村さ……お帰りなさい!!」

 よっぽど嬉しかったのか、ぽろぽろと大粒の涙を流して生還を喜ぶを連れて、幸村は騎馬へと向かう。
その間に見ていた人々の口から三成の元へと二人の居場所が伝わる。

「おい、知ってるか? なんか路地の一本向こうで、姫様が若武者と熱い抱擁交わしてるってよ」

「往来で何をしているーッ!!!!」

 更に激怒した三成が往来に踏み込むと同時に、を馬に乗せた幸村は、城を目指して馬を駆った。

「…ん…? なんだ、幸村だったのか…………今日の所は、幸村に免じて許してやるか…」

 小さくなってゆく背中に六文銭の文様を認めた三成が独白する。
とはいえ、まだ沸々としているのか、三成の全身からは負のオーラが迸り続けている。
それに人々が脅えて往来から逃げ出すが、その原因がどこにあるのか自覚がないのは本人だけだ。
何時もの光景、何時もの出来事。それを久々に体感したと、幸村は懐かしさを噛み締める。
 長きに渡る戦を乗り越えて、ようやく領は束の間の平穏を取り戻した。 

 

"遠い未来との約束---第六部"

 

- 目次
本編で数行にまとめられた突貫攻撃の裏事情。(11.05.04)