折れぬ槍 - 幸村編

 

 

 彼らの戦線に変化が起きたのは、本土の千日戦争が開幕してから半年も過ぎた頃のことだ。
の秘策で後方都市に引っ込んでいた直江兼続・伊達政宗が、補給路を確立したのだ。
現地調達に頼るだけだった食糧と兵の補充が、微々たる速度であっても武田勢の元へと繋がるようになってきた。
特に時節に機敏な政宗は、本土防衛の為に輸送を繰り返すだけではなかった。
本国守護代の竹中半兵衛と足並みを合わせ、毛利を覆う各地へと調略を施した。
彼らは毛利を囲う勢力へ働きかけ、横槍を入れさせようとしたのだ。
それと同時に、斎藤城へも強力な増援が準備されているとの偽報を打った。
 千日戦争開幕から二年と九ヶ月あまり。
政宗、竹中半兵衛の調略は、ついに真価を発揮し始めた。
彼らの調略に乗った各国が毛利本土へと個々に侵攻を開始した。
これに対応するべく毛利・北条連合は、斎藤城への増援を断ち切った。
増援もなくあの武田主従を敵として迎撃しなくてはならなくなった斎藤城の士気は、一気に低下した。
 戦況が大きく動いたその日、斎藤家はついに武田勢に包囲網を突破され、堀と一の廓の陥落を許した。

「直江兼続・義によりて参戦させて頂く!!」

 示し合せているはずもないのに、政宗が流した支援の報を、現実のものとしたのは後方支援を預かる兼続だった。
彼は信玄が派遣された大地へ入ると、若君を保護し、埋伏の毒を焙り出してその一味をあっという間に断罪した。
これによってかの地の実権は再び若君の元へと戻った。
病床の上につきつつも、若君は齢九歳とは思えぬ気丈な振舞いを見せた。
 領内から募った義兵を兼続に預け、斎藤領で死戦を繰り広げる信玄・幸村達の後詰となるように言ったのだ。
若君の意思をくみ取った兼続は、すぐに城を出立。士気の高い兵共々斎藤城へと攻め寄せた。

「ば、ばかな…!! こんな…こんな話、聞いていた話と全然違うぞ!!!」

 戦う将兵を捨て、財を捨て、民を捨てて城から逃げ出そうとする斎藤龍興の行く手を阻んだのは、幸村だった。
意志の力のみで紅交龍牙を揮う幸村の目には、トランス状態にある人間独特の怖気が走るような異質な光が貼りつく。

「ただ一人……あのお方の為……あのお方の為だけに…私の武はある……」

 彼はうわ言の様に繰り返しながら一歩一歩進む。
その度に返り血が滴って大地に染みを作った。

「ひ……あ、あ、ああ……」

「……龍興殿…神妙にされよ…」

「な、何故、そこまで…」

 鬼気迫る幸村の姿に怖れ慄く龍興は及び腰になり、抜刀した刀をむやみやたらに振り回した。
そんな主の姿を見ると情けないとは思う。思うには思うが、主は主だ。警護せねば武将としての立つ瀬がない。
龍興を取り巻く供の武者達が抜刀する。

「魔道に堕ちたか、真田幸村!!」

「な…にを?」

「慈愛の姫と謳われるの姫に仕えていると言いながら、今の貴様の姿はどうだ?!
 全身を紅に染め、嬉々としているではないか!!!」

「人を殺す喜びに溺れる悪鬼よ!! 主を違えたな!! 魔性の姫に誑かされたか!!」

 一度強く瞼を閉じた幸村は、瞼を開くと同時に紅交龍牙を横へと薙いだ。
斬っ先に捉えられた兵の喉元から血が迸り、一瞬の内に屍となる。

「……様への……侮辱は…許さぬ…」

 絶句する龍興へと向かい、歩みを進めながら幸村は言った。

「されど………今の私は、様の臣ではない……貴方に放逐され……お舘様の元に身を置く身……。
 なればこそ、様には厭われるような戦もして見せよう…」

『なんという変貌だ……あの頼りなげな若者に、このような牙が隠れていたというのか…!!』

「ゆ、幸村殿…!! ま、待ってくれ、儂の話を…!!」

 殺されると察した龍興が手にしたいた刀を投げ出し、膝をついた。

「龍興殿……貴方の首級を上げ…戦果とし……私は、様の元へと戻らせて頂く……お覚悟召されよ!!」

 悲鳴を上げて頭を抱えて縮こまった龍興へと槍の切っ先が触れる刹那、紅交龍牙が弾かれた。
横槍を入れたのは兼続で、彼は驚く幸村に視線で後方を見てみろと示した。

「幸村、もうこれ以上は必要ない」

 兼続の示した先には、斎藤龍興の縁者と思しき娘が腰を抜かしていた。
彼女は恐怖に塗れた眼差しで幸村の姿を見据えていた。

「龍興は、丸腰だ」

「しかし…」

 何かに憑かれたような状態の幸村の耳へ、信玄の声が届く。

「幸村」

「…お舘…様…」

 崩れ落ちるように膝をついた幸村に対して信玄は言った。

「龍興殿には生きていてもらわねば困るよ」

 視線で問う幸村の額を、信玄は軍配で小突いた。

「解せんのだよ、この戦。
 何やら……胡散臭い影がちらほらしておるように思えての。
 正体が分かるまでは龍興殿には生きて、色々話してもらわねば困るのじゃ」

 信玄の声を聞いた龍興は顔を上げて何度となく頷いた。
恥も外聞も投げ捨てて、何でも話すとばかりに信玄の背後へと縋りつくように逃げ込もうとする。
信玄の周りを固める武者が龍興を取り押さえると同時に、信玄は体の向きを変えた。
廓の隅に誂えられた植え込みの陰に蹲っている娘に対して、声をかける。

「安心していいよぅ。儂らは無抵抗な者は手にかけぬ。それがの政じゃ」

 信玄は震える少女の手を引いて物陰から引き出し、少女の身柄を丁重に扱うようにと言いおいて、兼続・幸村を伴って斎藤城へと入った。
 斎藤城落城。ようやく北西の千日戦争に決着がついた日。
かの地には流れた多く血を洗い流そうとでもするかのように、天から大雨が降り注いだ。

 

 

「お舘様!! 今一度、今一度お願い致します!!」

 天候の回復を待つ旧斎藤城の天守閣から幸村の声が響いた。
斎藤城を落城させてから一週間が経っていた。
 長雨のせいで身動きが取れぬ我が身を憂う幸村の焦りは、今まさに頂点を振り切ろうとしていた。

「手勢を貸して頂けるとは思いませぬ!! ただ、一人…私だけでよいのです!!
 どうか、どうか私だけでも様の元へと馳せ参じることをお許し下さい!!」

 その為だけに数多の首級を上げたとでもいうのだろうか。
幸村は一番の戦果を上げていながらにして、投降兵の様に数多の将兵の前で床板に額を擦りつけて希った。

「幸村」

「どうか、どうか、お許しを!!!」

 悲壮感が現れる幸村の声には、目に見えぬ恐怖と焦燥と苦痛がありありと滲んでいた。

「幸村、お前は少し休め」

 血を湯で洗い流し、正規の手順で手当てを済ませたといっても、先の戦は年間を通した戦だ。
その中で内包し、蓄積された疲労感は、一週間休んだくらいでは消えてはくれない。
そこを案じて、戦線を共にした将兵は皆幸村に休養を勧めた。当然の配慮だった。
だが兼続の言葉など耳に入らないとでもいうように、幸村は頑として譲らなかった。

「お願いです!! 私の命など、どうでもいい…あの地で、あの方が苦しんでいると思うと……私は……」

 幸村を見下ろしていた信玄がふうと小さく溜息を吐く。

「お舘様!!! どうか、お慈悲を…!!」

 恋い焦がれ、敬愛した主の危機。
儚く、気丈で、朗らかな笑みを持つの心身を脅かすであろう千日戦争。
その地に、は長い間留め置かれている。
それを考えるだけで、彼の胸は裂けんばかりの痛みを覚えた。
 決して同僚を信用しないわけではない。
しないわけではないが、風の噂に聞いた戦況が彼の心を追い詰めた。

「一時は敵の奇襲隊に本陣まで攻め込まれたとも聞き及んでおります!! 
 私は…私は、このような場で休んでなどいられない!!!」

 戦では何時何が、どのように変わるかは、誰にも分らない。
だからこそ、傍にいたい。傍で、ただ一人、のことだけを護りたいのだ。
それが出来ぬ現状が辛い、苦しい。何よりも、を失う事になるのではないと思ってしまう自身の弱さが恐ろしいのだと、幸村は訴えた。

「…幸村…落ち着け」

「その体で、馳せ参じてで何が出来るというのかね?」

 信玄の問いに、幸村は真正面から答えた。

「盾くらいにはなりましょう」

 一寸のぶれもない言葉にやれやれと信玄は軍配で頭を掻く。

「幸村」

「はい」

「おことがしなくてはならないことは、駆け付けることではないよ」

 願いを一蹴された衝撃で言葉を失っている幸村に対し、信玄は小さく首を振って見せる。

「義士よ」

 兼続を呼び、続いて幸村を見、信玄は言った。

「儂らがする事は、かの地へ行くことではない。
 このままこの地から、毛利本国へ突貫してみようかのぅ」

 幸村・兼続が目を見張れば、信玄は不敵に笑った。

「儂の騎馬隊は、神速が売りなんじゃよ。ならば、より近いところを叩くのが道理じゃ。
 これ以上、待っても空は変わるまいよ。ならば、一刻後に発つとするかね」

「信玄殿、後詰は誰が…?」

 安藤守就が問えば、信玄は笑った。

「後詰は政宗にでも任せておけばよい。
 あやつ、内政と調略でそろそろ焦れておる頃じゃろ。呼ばずとも勝手に出てくるよ」

 そこで信玄は軍配を一つぽむと鳴らし、号令を発した。

「ついてこられる者だけでいいよ。武田騎馬隊であるからこそ可能な電光石火の突貫、見せてやろうじゃないかね」

「は、はいっ!!!」

 幸村が感極まるという様子で強く頷き、立ち上がった。
出撃準備に没頭し始めた幸村の背を見て、信玄と兼続は同時に苦笑した。

「あの幸村が我を見失い諸将の前で土下座に告白とは、変われば変わるものだな」

「なぁに、終わった後のいい肴じゃよ」

 

 

 信玄奇策の突貫攻撃は、殊の外利いたようだった。
四日とからずに第一・第二の関を突破して、第三の関へ矛先を向ける頃には、本土を脅かしているはずの立花ァ千代が一軍を率いて防衛に出陣して来たくらいだ。

「ここから先は、立花が行かせぬ!!」

 士気の高い立花軍と、幸村・兼続率いる武田騎馬隊が街道で激突した。

「覚悟召されよ!!!」

「私に負けたら、悔い改めてはくれないか」

「黙れ、下郎が!!」

 ァ千代の雷切が唸る。
天候の理を背景に、彼女が一閃すれば、迸った稲光が多くの将兵の手足を痺れさせた。

「ぐぅ!!」

 兼続が距離を置いて札でごり押ししようとする一方で、幸村は強く大地に足をつけ、吼えた。

「うおおおおおおおおおおお!!!!」

「!」

 ァ千代が放つ雷撃を交わす事ではなく、受け止めて、その上で戦おうとでも言うのだろうか。
幸村は突進し、力でァ千代を抑え込んだ。
塞がり切っていない傷口が開き、再び着物が朱に染まる。
それに気がついたァ千代が目を見張った。

「くっ、ば、馬鹿な…!!」

『私がここで一人でも多く敵を討ち取れば……毛利の戦線が希薄になる!! なればこそ、引きはしない!!!』

「兼続殿、お舘様!! 関をッ!!!」

 ァ千代との攻防を一騎打ちに持ち込んだ幸村は、全身に走る痺れを気合いだけで弾き飛ばした。
ァ千代を山合いの土縁へと追い詰めて行く。

「くっ!! 怯むな!! 陥落を許してはならぬ!!」

 ァ千代が幸村をかわして関の守護に回ろうとするものの、それを幸村が許さない。
二人で打ちあう事十数回。
そうこうしている間に、押し寄せる武田勢の威勢に押し負けた関は、固く閉ざしていた扉を開いた。

「耐えよ!!!」

 ァ千代の一喝と奮戦に応えるように立花軍も煮え湯を掛けたり投石を行ったりと懸命の抵抗を続ける。

「お嬢を救え!!」

「真田幸村、いざ勝負!!」

 ァ千代を救おうと射かけられる弓を巧みな槍術で叩き落し、迫りくる兵を一人、また一人と打ち倒す。
柄で足を払い、横腹を薙ぎ、敵の肩に向けて紅交龍牙を打ち込んだ。

『獲った!!』

 攻めよせた兵との攻防で背を見せた幸村へと雷切を振り下ろそうとァ千代が一歩強く踏み込む。
その音を聞き洩らさず、幸村は身を捩り、紅交龍牙を反転させた。
返さえれた切っ先が、ァ千代の喉仏を脅かした。
振り上げた雷切をそのままに、ァ千代は動きを止めて固唾を呑む。

 

 

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