折れぬ槍 - 幸村編 |
彼らの戦線に変化が起きたのは、本土の千日戦争が開幕してから半年も過ぎた頃のことだ。 「直江兼続・義によりて参戦させて頂く!!」
示し合せているはずもないのに、政宗が流した支援の報を、現実のものとしたのは後方支援を預かる兼続だった。 「ば、ばかな…!! こんな…こんな話、聞いていた話と全然違うぞ!!!」
戦う将兵を捨て、財を捨て、民を捨てて城から逃げ出そうとする斎藤龍興の行く手を阻んだのは、幸村だった。 「ただ一人……あのお方の為……あのお方の為だけに…私の武はある……」 彼はうわ言の様に繰り返しながら一歩一歩進む。 「ひ……あ、あ、ああ……」 「……龍興殿…神妙にされよ…」 「な、何故、そこまで…」
鬼気迫る幸村の姿に怖れ慄く龍興は及び腰になり、抜刀した刀をむやみやたらに振り回した。 「魔道に堕ちたか、真田幸村!!」 「な…にを?」 「慈愛の姫と謳われるの姫に仕えていると言いながら、今の貴様の姿はどうだ?! 「人を殺す喜びに溺れる悪鬼よ!! 主を違えたな!! 魔性の姫に誑かされたか!!」 一度強く瞼を閉じた幸村は、瞼を開くと同時に紅交龍牙を横へと薙いだ。 「……様への……侮辱は…許さぬ…」 絶句する龍興へと向かい、歩みを進めながら幸村は言った。 「されど………今の私は、様の臣ではない……貴方に放逐され……お舘様の元に身を置く身……。 『なんという変貌だ……あの頼りなげな若者に、このような牙が隠れていたというのか…!!』 「ゆ、幸村殿…!! ま、待ってくれ、儂の話を…!!」 殺されると察した龍興が手にしたいた刀を投げ出し、膝をついた。 「龍興殿……貴方の首級を上げ…戦果とし……私は、様の元へと戻らせて頂く……お覚悟召されよ!!」
悲鳴を上げて頭を抱えて縮こまった龍興へと槍の切っ先が触れる刹那、紅交龍牙が弾かれた。 「幸村、もうこれ以上は必要ない」 兼続の示した先には、斎藤龍興の縁者と思しき娘が腰を抜かしていた。 「龍興は、丸腰だ」 「しかし…」 何かに憑かれたような状態の幸村の耳へ、信玄の声が届く。 「幸村」 「…お舘…様…」 崩れ落ちるように膝をついた幸村に対して信玄は言った。 「龍興殿には生きていてもらわねば困るよ」 視線で問う幸村の額を、信玄は軍配で小突いた。 「解せんのだよ、この戦。 信玄の声を聞いた龍興は顔を上げて何度となく頷いた。 「安心していいよぅ。儂らは無抵抗な者は手にかけぬ。それがの政じゃ」
信玄は震える少女の手を引いて物陰から引き出し、少女の身柄を丁重に扱うようにと言いおいて、兼続・幸村を伴って斎藤城へと入った。
「お舘様!! 今一度、今一度お願い致します!!」 天候の回復を待つ旧斎藤城の天守閣から幸村の声が響いた。
「手勢を貸して頂けるとは思いませぬ!! ただ、一人…私だけでよいのです!! その為だけに数多の首級を上げたとでもいうのだろうか。 「幸村」 「どうか、どうか、お許しを!!!」 悲壮感が現れる幸村の声には、目に見えぬ恐怖と焦燥と苦痛がありありと滲んでいた。 「幸村、お前は少し休め」
血を湯で洗い流し、正規の手順で手当てを済ませたといっても、先の戦は年間を通した戦だ。 「お願いです!! 私の命など、どうでもいい…あの地で、あの方が苦しんでいると思うと……私は……」 幸村を見下ろしていた信玄がふうと小さく溜息を吐く。 「お舘様!!! どうか、お慈悲を…!!」 恋い焦がれ、敬愛した主の危機。 「一時は敵の奇襲隊に本陣まで攻め込まれたとも聞き及んでおります!! 戦では何時何が、どのように変わるかは、誰にも分らない。 「…幸村…落ち着け」 「その体で、馳せ参じてで何が出来るというのかね?」 信玄の問いに、幸村は真正面から答えた。 「盾くらいにはなりましょう」 一寸のぶれもない言葉にやれやれと信玄は軍配で頭を掻く。 「幸村」 「はい」 「おことがしなくてはならないことは、駆け付けることではないよ」 願いを一蹴された衝撃で言葉を失っている幸村に対し、信玄は小さく首を振って見せる。 「義士よ」 兼続を呼び、続いて幸村を見、信玄は言った。 「儂らがする事は、かの地へ行くことではない。 幸村・兼続が目を見張れば、信玄は不敵に笑った。
「儂の騎馬隊は、神速が売りなんじゃよ。ならば、より近いところを叩くのが道理じゃ。 「信玄殿、後詰は誰が…?」 安藤守就が問えば、信玄は笑った。 「後詰は政宗にでも任せておけばよい。 そこで信玄は軍配を一つぽむと鳴らし、号令を発した。 「ついてこられる者だけでいいよ。武田騎馬隊であるからこそ可能な電光石火の突貫、見せてやろうじゃないかね」 「は、はいっ!!!」 幸村が感極まるという様子で強く頷き、立ち上がった。 「あの幸村が我を見失い諸将の前で土下座に告白とは、変われば変わるものだな」 「なぁに、終わった後のいい肴じゃよ」
信玄奇策の突貫攻撃は、殊の外利いたようだった。 「ここから先は、立花が行かせぬ!!」 士気の高い立花軍と、幸村・兼続率いる武田騎馬隊が街道で激突した。 「覚悟召されよ!!!」 「私に負けたら、悔い改めてはくれないか」 「黙れ、下郎が!!」 ァ千代の雷切が唸る。 「ぐぅ!!」 兼続が距離を置いて札でごり押ししようとする一方で、幸村は強く大地に足をつけ、吼えた。 「うおおおおおおおおおおお!!!!」 「!」
ァ千代が放つ雷撃を交わす事ではなく、受け止めて、その上で戦おうとでも言うのだろうか。 「くっ、ば、馬鹿な…!!」 『私がここで一人でも多く敵を討ち取れば……毛利の戦線が希薄になる!! なればこそ、引きはしない!!!』 「兼続殿、お舘様!! 関をッ!!!」
ァ千代との攻防を一騎打ちに持ち込んだ幸村は、全身に走る痺れを気合いだけで弾き飛ばした。 「くっ!! 怯むな!! 陥落を許してはならぬ!!」
ァ千代が幸村をかわして関の守護に回ろうとするものの、それを幸村が許さない。 「耐えよ!!!」 ァ千代の一喝と奮戦に応えるように立花軍も煮え湯を掛けたり投石を行ったりと懸命の抵抗を続ける。 「お嬢を救え!!」 「真田幸村、いざ勝負!!」
ァ千代を救おうと射かけられる弓を巧みな槍術で叩き落し、迫りくる兵を一人、また一人と打ち倒す。 『獲った!!』
攻めよせた兵との攻防で背を見せた幸村へと雷切を振り下ろそうとァ千代が一歩強く踏み込む。
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