につき纏う発作が家臣団にこれ以上はない衝撃を齎してから数日が過ぎた。
は周囲の心配をよそに通常の執務についていた。
全領土の再建案が再度動き出し、皆が与えられた職務に尽力する。
武田信玄は当初与えられた責務を全うすべく、新たに手にした旧斎藤領に睨みを利かせながら若き君主の元へと戻った。旧斎藤領の扱いは仮にではあるが若き君主預かりという形式が取られていた。
彼の後見人を務めることになっている信玄の下には斎藤家家臣の稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全がつき従っていて、斎藤領平定の補佐を恙無くこなしてくれていた。
お陰で信玄は今、若き君主の命を狙う一派の残党との水面下の戦いに専念出来ている。
兼続と政宗の二人は帰順した国々へと赴き、の発した再建案を恙無く行う為の指導係に落ち着き、浅井長政は旧城へと戻った。彼は妻とともに先の二人が再建した旧伊達・直江・徳川領の復興を担う事になっていた。
結果、城に在留したのは、慶次、三成、左近、幸村、孫市、家康、秀吉で、彼らも日々各地との連携と、城下町周辺の復興に力を注いでいた。
戦の脅威が去り、全ての指令が正常に機能し始めて、更に数週間が過ぎた頃のこと。
の元へ、隣国の主となった松永久秀より一通の書状が届いた。
「懇談会?」
左近が読み上げた書状の内容を噛み砕いて言うのなら、現代で言うところの近い首脳会議に近いものがあった。
近隣諸国を預かる君主同士で当面の間不可侵条約を締結し、友好を深めようではないかというのだ。
ごたごた続きで疲弊しがちな家としては懇談会への招致に厭はない。厭はないのだが、大きな問題が二つあった。
一つは、この懇談会の主催者があの松永久秀である事。
もう一つは、この懇談会に北の軍事大国明智家から、君主の明智光秀が赴いてくるかもしれないというのだ。
に自覚はないが、家臣団としては北の大国がを脅かしているかもしれないという懸念があった。
故にこの申し出を諸手を振って喜ぶわけにはいかなかったのだ。
「松永さん主催の懇談会か…気が乗らないな…。
でも仮病で誤魔化しちゃうのは、きっとまずいよね…。
どう考えても、官位では私が一番下だろうしさ………皆、どう思う?」
が問いかけるように周囲を見渡せば、すぐに三成が顔をしかめて見せた。
「他所の申し出ならまだしも…松永久秀の呼びかけであること自体が不快だ」
歯に衣を着せぬ物言いには苦笑する。
そんなから一番近い右側に座す家康が、困ったような顔を見せて言った。
「気がかりではあります。が、はまだまだ復興に時間がかかります。
かような時に敵を増やすは愚策かと思いますが…」
家康の言葉に三成の視線が鋭さを増した。
慌てて家康の対極に座していた秀吉が二人の間に入る。
「まぁ、まぁ、落ち着くんじゃ…三成」
「……は…」
口先だけ、眼差しは決してギラギラした光を失わぬ三成に対して、家康は懸命に言葉を向けた。
「三成殿の懸念は頷ける。儂とて様の御出席は本意ではありませぬ。しかし…」
彼の言わんとしてる事を悟り、が先を取った。
「それも外交であれば仕方がない、ですか?」
「左様にござる」
家康が頭を下げ、同意を示した。
は「うーん」と唸り、物思いに耽るように瞼を閉じた。
考え事をする時の癖で首を微かにかしげて、顎に指先を寄せる。
そんなに背後から声がかかった。
声の主は彼女の護衛を担う慶次だった。
「さん、行くなら安心しな。俺がついてってちゃんと護ってやるから」
「有り難う、慶次さん。でも…」
思うところがあるのか、は言い澱む。
「さん?」
鈍い反応に対して不快感を示すことがないのは、彼が包容力に秀でる慶次だからだ。
他の者であれば、少なからず不安にもなるだろうし、それを顔に出してしまう事だろう。
だが慶次にはそうした様子がない。
彼のそうした性質を踏まえているからこそだろうか。
は顔色一つ変えることなく、考え続けている。
一分、二分と時は流れて、皆、の言葉を待った。自然と、静寂が室の中に広がった。
やがて心を決めたらしいが視線を上げた。
「分かった。行くよ」
「納得出来ぬ! 慶次と行くとしてもどのような謀があるか分からぬ土地へお前をやる事など了承出来ない」
案の定、三成が否を唱えた。
彼は苛立ちも露に、評議机を扇子で打った。
は視線に「心配しないで」と滲ませて、三成を見やった。
「でもこれはの禄を食む皆が生き残る為には避けて通れない話だわ。
それに…今回はあくまでも"懇談会"なのよ。
余所の君主のメンツにかけても、ごたごたにはならないし、出来ないと思う」
「…くっ」
の言葉に理があると踏んだのか、三成が忌々しげに沈黙した。
「だからね、余計な刺激をしない為にも、慶次さん、幸村さん、左近さん、孫市さんにはに残って貰う事にする」
それはどういう事なのか?! と三成が目を見張り、慶次が眉を動かす。
名が挙がった幸村、左近、孫市も不本意という様子だった。
は評議机の上に広げられた書状を見下ろしながら己の考えを述べ始めた。
「相手はごたごたを起こすつもりはないのよ。きっと。なら、こっちも無駄に刺激しないようにしなくちゃ…。
長期滞在するわけではないんだし、すぐに戻るよ」
「しかし、様…慶次殿や我らを置いて行かれるというのは行き過ぎでは? どうかお考え直し下さい!」
幸村の嘆願を、は緩やかに首を横へと振って退けた。
「駄目よ。余所の君主からしたら私はどうでも良くても、慶次さん、幸村さん、左近さん、孫市さんが来たら
斜に構えるわ。私、皆の実力を過小評価してるわけじゃないのよ?」
「…様…」
「く〜、痺れるねぇ」
の言葉に幸村が感動を噛みしめ、孫市が満足気に笑う。
彼らの反応を確認したは、続けて言った。
「だから今回は外交のプロだけを連れて行くわ」
「なるほど。して誰に白羽の矢を立てますかいの…?」
秀吉が問い、があっけらかんと即答する。
「飴と鞭よ」
「?」
怪訝な顔をした一同の前で指で差し示した。
「今回私と一緒に行くのは、家康様と三成よ」
全員が目を丸くすると、は言った。
それならば自分こそが、と言い出しそうな左近を見ては悪戯っ子のように微笑む。
「左近さんはダーメ。腹に一物なくてもあるように見える人だからね。
それが見えなさそうな人じゃないとね〜。だから、今回一緒に行くのは家康様と三成」
なるほど、と一部の将が頷いたのをいい事に、は続けて言った。
左近が諦めたようにわざとらしく肩を揺らして溜息を吐いた。
彼の反応を受けて、方針が決まったと判じたは、そのまま一言付け加えた。
「後ね、今回は立花さんも連れて行くから」
不穏な影が蠢いているであろう場に、膝を折ったわけでもない者を連れて、少数で赴くとは言った。
少数で赴くことには渋々であっても了承する事は出来た。
だが、膝を折ってもいない者を同伴する事だけは受け入れ難いと、当然周囲は難色を示した。
現在捕虜として預かっている者―――――立花ァ千代を信用するかしないかではなく、備えなくてはならない懸念が一つでも多く増える事への不快感だった。
周囲の諌めを退けて、は室に立花ァ千代を呼んだ。
「…と、いうことで…近々懇談会があるので立花さんにも一緒に来てもらいたいんです」
下座に通された立花ァ千代は、張りつめた表情のままを睨んだ。
に対して私怨を持っているのではなく、敵国に囚われの身となった将の抱え込む緊張の現れといっていい。
彼女は心のままに口を開いた。
「何故、立花が同席せねばなるまい? 立花はの兵ではない」
つっけんどんな物言いに臆することなく、は答えた。
「知ってるわよ、そんなの。でもさ、帰りたいでしょ? 国にいるご家族の事だって心配だろうし…」
「心配? 何を心配する必要がある?」
どうにも話が噛み合わない。
は一度首を傾げて見せて、それから確認するように彼女の前に座す幸村を見やった。
と視線の合った幸村は、静かに一度頷いた。
それだけで察したは、合点が行ったと言わんばかりの様子で頷いた。
「あー、なるほど…そういうことか…」
ギラギラした眼差しのァ千代は、隙あらばすぐにでもの首を撥ねてやると言わんばかりだ。
だがそんなァ千代の殺意を、幸村の座す位置より側へと浸食させないでいるのは、彼女の背後にふんぞり返っている慶次の放つ殺気だった。
慶次だけではない。幸村、左近、孫市、三成とて慶次同様の気迫を全身に迸らせている。
が気がついていないだけで、この場には幾つもの殺気が満ち満ちているのだ。
武芸の経験はあるとは言っても幼い頃に月二日通っていただけのは、その中でも一番強い殺気―――――出所は慶次―――――に守られる形になっているが故に、その事実に気がつかない。
だからだろうか、一人、落ち着き払った様子で口を開いた。
「ええと…その…言い難いんですけれど…」
「なんだ、もったいぶらず言えばいい。立花の首をとるか?」
「いえ、それはちょっと…」
ァ千代の問いかけを受け流し、一息吐いてから、意を決したようには述べた。
「ァ千代さん。あの戦いで毛利は滅びました。でもは、毛利を下してはいない。
私達、貴方方の国へは何一つ、手出しはしていないんです」
「そんな、バカな!!」
軽く掌を上げて、ァ千代の言葉を封じ、更に先を紡ぐ。
「本当です。毛利の所有する領をとったのは、私達ではなくて、貴方方の盟友・松永久秀です。
当家は現在その松永家と友好関係にあります。一応は、ですけど…」
の言葉の意味を脳裏で反芻し理解すると、ァ千代は息を飲んだ。
「だから、貴方はその…旧毛利領へ戻った方が、いいんじゃないかな」
「な、何故…?」
動揺が現れ、ァ千代の声から力が抜ける。
は努めて穏やかな声色で答えた。
「さっきも言ったように、友好国なんです。私達。
毛利は松永家に下った。なら、毛利の禄をはんでいた貴方も、返さなきゃ」
「それに国元に残るご家族の事も心配だろうし…きっと、ご家族も貴方の身を案じていますよ」と付け加える。
「ちょいといいですかね」
そこで左近が話に割って入ってきた。
ァ千代の視線が左近へと向いた。
自然と左近の横に座す三成の姿がァ千代の目につく。
彼はこの提案自体を良しとしていないのが見て取れる面差しで、僅かに開いていた扇の淵を親指でなぞり続けていた。
手持ち無沙汰なのだろう。
この些細な齟齬につけ入る隙はないものかと視線を鋭くすれば、阻むように左近に「ァ千代さん」と、名を呼ばれた。
小さく視線を動かし、左近を睨めば、彼はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
「あんまり勘ぐらないで下さいよ。
としてはまだ復興途中。ァ千代さん、貴方をここに残しといても何の得にもならない。
元はと言えば貴方は毛利の臣、ってことは今となっては建前では松永家の陪臣だ。
毛利が松永久秀と事を構えて、離反したのは周知の事実。
だが、当時家に捕縛されていた貴方はその事には何の関わりもない。
という事は松永久秀が貴方を裁く理由はない。
貴方が彼の元で咲き誇るかどうかは俺達の知った事じゃありません。
に身を寄せて下さるというのであれば話は別ですが?
だが貴方のその様子じゃ、の為に尽力するつもりはないでしょ?
なら、早々にお引き取り願った方がお互いの為だと、姫はそう言ってるんですよ」
「なるほど、そちらの言い分は了承した。では今すぐ縛をとけばいい」
「それはちょっと無理かな」
ァ千代の言葉を一蹴したのはだ。
ァ千代が再び敵意を込めた眼差しでを見やる。
「まー、左近さんの言葉自体、そっくりそのままその通りでもあるんだけど…」
は苦笑しながら、言った。
「一人で帰らせて帰り道に何かあったら、松永家とが事を構える事になりかねない。
だから悪いんですけど、貴方には懇談会の場を通して、帰郷して貰いたいんです。
明日にでも誰かに案内してもらいますが…は既に限界通り越してます。
ようやく切り抜けたばかりなのに、毛利に続いて今度は松永家と合戦なんかしてらんないんですよ。私達。
まずは皆の為にも、災害からの復興が第一だから」
ァ千代はの言葉を聞き、考え込むように押し黙る。
すると左近が言った。
「ま、そういうわけで、暫くは食客として当家に在留してもらいますよ。ァ千代さん。
領内の現状は、明日にでも幸村さんと俺とでお見せしましょう?」
そこで話は終わったとばかりに、三成が僅かに開いていた扇を閉じた。
小気味よい乾いた音が静かな室内に響く。
室の隅に控えていた将兵が立ち上がり、ァ千代の傍に寄って来て彼女の退室を促す。
ここで事を起こしたところで得策にはならないと考えたのかァ千代は無言のまま腰を上げた。
「あんまり、気落ちしないようにね」
気休めにしかならないかもしれないけれど…と表情に滲ませながらが声をかければ、ァ千代が答えた。
社交辞令がありありと見て取れる簡潔さだった。
「配慮に感謝する」
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