暗躍する影

  

 

 無機質な塔が立ち並んでいた。
天高く聳えるその塔と塔の間を繋ぐ回廊の上を、忙しなく歩く一人の中年男性がいた。
中肉中背、技術者とは思えぬがっしりとした体格に不釣り合いな白衣を羽織り、力強く彼は歩く。
彼の手にはプラスチック製のボードが収まり、ボード上では忙しなく情報が現れては消えてを繰り返していた。
白衣の右胸の上にピンで留められたプレートが光を反射して小さく光った。
名は見えない。が、彼が歩く度、出会い頭に多くの白衣を着た人々が足を止め、礼をした。
それだけで彼の地位がこの塔の中では上位にあることが分かる。
 それを裏付けるように、彼は途中でゲートの守備に当たる数名の兵を指先だけで呼びつけた。
呼ばれた兵は合計八名。それぞれが手に銃を携えて、隊列を組み、彼の後を忙しなく歩いた。

「なんということだ、なんということだ!!
 ここまで漕ぎつけた……ようやく、ようやく活路が見出せたはずなのに!!」

 先頭を歩く中年男性が、忌々しげに吐き捨てる。
彼の横顔から、一刻の猶予もない事態が起きている事は、一目瞭然だ。
彼は規則正しい歩みを持って、曲がり角を曲がった。
セキュリティレベル7と書かれた塔のゲートを潜る。
 他の職員が自身の身分証明をするカードを提示してゲートを潜る中、彼と、彼につき従う兵だけが、セキュリティチェックを受けなかった。
 曲がり角の先に続く回廊に填め込まれた窓ガラスが、時折水面の様に揺れる。
そこから眺められた外の景色は、朝までは快晴であったはず。
が、今は様変わりしていて、暗雲が立ち込めつつあった。
その変化を目にして、彼の顔は益々引き攣った。
 彼は先を急ぎ、半ば小走りになりながら目的の研究施設の前へとやってきた。

「何をしている!?」

 三重に折り重なる強固な自動扉が、彼のIDカードを読み解いて、大きく開いた。
開発室と書かれた部屋の中で忙しなく動き回っていた人々が顔を上げて振り返った。

「命令通り、送れと言っただろう!!」

 苛立ちも露に怒鳴る彼の前に、眼鏡をかけた一人の青年が進み出た。
彼はかつてと邂逅し、の元へと数々の物資を送り届けていたあの青年だった。

「お待ち下さい、所長!!」

「君か……」

 彼の諌めでようやく聞く耳を持ったのか、所長と呼ばれた男が声のトーンを下げた。

「報告は聞いた。どういう事だ? 同士との連携が崩れたと?」

「はい……最果ての守護者からそのように通達がありました」

「救世主からの音沙汰はどうなっている?」

 男の問いに、皆が表情を暗くしていた。

「今は…何も……」

「何故だ!!!」

「同士の時代に、"神託の書"があります。その時が消えたのであれば、その書もまた……」

 回答を受けた男は、手にしていたブラッスチック製のボードを床へと叩きつけた。
パネルにひびが入り、電子画面にノイズが走る。
彼は逡巡する間もなく、二人のやり取りを見守っている他の職員へ命令した。

「……構わん、送れ」

「しかし!!」

 と邂逅した青年の背後から、白衣をまとった女性が進み出て来た。

「定めの改変は、救世主にのみ許されている行為です!! 我々が独断で動いては…!!」

「貴様の階級はいくつだ? 誰に口をきいている?!」

「あ……も、申し訳ありませ…」

「待って下さい、所長!! 彼女の言葉には一理あります!!
 それに、まだ最終テストが終わってはいません!!」

 青年が割って入り、後方へ押しやられた女性が、床に走る幾つもの電気ケーブルに足を取られて転倒した。
彼女が顔を上げれば、台座に陳列された二台のマシンのライトが点滅した。

「大丈夫ですか?」

「チーフ、貴方は今冷静さを欠いています」

 同じ声が同時に、別々の言葉を、別々の場所から発する。
それを受け流し、彼は自分の前に立つ青年に迫った。

「いいかね、外をよく見てみたまえ」

 彼が指で指示せば、研究室を覆う壁の一角が色を失い先程の水面の様に揺れる窓へと姿形を変えた。
窓の外の天候は、先程とは比べ物にもならない悪化を辿っていた。
急速に広がりを見せていた暗雲の中に、あれから数分と時間は経っていないはずなのに稲光が迸っている。

「同士の世界が消えた、ならば次はどこだ?! 我々の世界ではないのか!?」

「そ、それは…」

 所長の指摘を受けて、後方で立ち尽くしていた数名の研究者がバタバタと動き出した。
彼らは自分の分かる範囲でシステムを起動させ始めた。

「待て、勝手な事をするな!!」

「黙れ!! 今この時、この瞬間に、救世主の身に危機が迫っているかもしれないじゃないか!!」

「俺は嫌だ!! もう消えたくない!!」

 次々と電子パネルに光が入り、鎮座していた二台のマシンにデータが、エネルギーが流れ込んで行く。

「待て、止めろ!!」

 青年が慌てて同僚の元へと駆け寄る。
二台のマシンが鎮座する円形の台座が動き出し、巨大な機械がマシンに照準を当てる。

「君こそ、動くな!!」

 一喝した所長の手の中には、部下からもぎ取った銃が光る。

「所長!!」

 皆が動揺し、固唾を呑めば、銃口を向けられた青年が寂しげな眼差しを彼へと向けた。

「私を、本気で撃つおつもりですか?」

「お前こそ、私に撃たせるのか」

 落ち着いたトーンで、彼は言葉を紡いだ。

「目的を見失うな……息子よ。何の為の、マシンだ?」

「それは…救世主の為の…」

「そうだ。その為の、マシンだ。ならば、手遅れになる前に届ける。それが私達の仕事だ」

 青年が唇の端を噛み締め、同僚の腕にかけていた手を降ろした。

「データ転送完了!!」

「エネルギー、充填完了!!」

「システム、オールグリーン!!」

「いけますっ!!」

 銃を構えたまま、所長が二台のマシンに向い言った。

「我が息子達よ。古の世界にいる救世主を探し出し、必ず、必ず、守りぬくのだ」

 命令が書き換えられたのか、左に鎮座する赤いマシンがライトを点滅させて答えた。

「Atomic Industry Omega. 任務了解。迅速にを探し出し、保護します」

 右に鎮座する黒いマシンが同じくライトを点滅させる。

「Atomic Industry Zero. 任務遂行の為、バックアップに着任」

 満足そうに頷いた所長は、研究室の中を横切り、転送装置を稼働させるべく暗証番号を入力し始めた。
巨大な機械が動き始め、鎮座するマシン二台の質量を計測し始める。
前回送った場所へ、違わぬようにと、時空軸の計算が始まる。
 次の瞬間、彼らが怖れていた事が現実になった。

「!!」

 大地が震撼し、稲光が宙をよぎった。
水面の様に揺れていたガラスが、一気に砕け散り、破片が宙を舞った。
屋内に迸った雷鳴はあらゆるシステムに干渉し、データを狂わせる。
所長が慌てて入力を止めて、キーの差し込み口にキーを入れ、回した。
転送装置の起動ボタンを守護するガラスパネルが開く。

「……だめだ…だめだよ、父さん……やっぱり、こんなの間違ってる!!」

 雷に撃たれ、マシンを据え置いている台座からケーブルが外れて宙を舞った。
高圧電流に撃たれて、何人もの研究員がショック死を起こした。
その中に、先程転んだ女性研究員の姿もあった。
宙を舞ったガラス片が人々を傷つける。
研究室の中には阿鼻叫喚が木霊する。
その様を見ていながらにして、青年は尚も否を唱え駆け出した。

「これを見てもまだいうか?!」

「分かってる!! 次はこの時代だ、でも……救世主が望んでいないかもしれない事だ!!
 勝手をすれば、彼女に負担がかかる!!」

 所長は小さく首を横に振り、

「かもしれない。だが、待てない。この子達は、その為に生まれたのだ」

「父さん!! 止めてくれ!!」

 彼は息子の嘆願を退けて、スイッチを力強く拳で押した。
転送装置が動き出し、一台、また一台と、マシンを送り出す。
呆然とする青年の背後で、小さく呻き声が上がった。
彼が振り返って目にしたもの…それは…彼の父が飛んできた破片に撃ち抜かれて絶命する瞬間。
そしてそれは同時に、彼自身の世界の崩壊の時でもあった。

 

 

 赤と黒、二台のマシンは彼らの生まれた世界の消失の最中に、時空の狭間へと放り出された。
膨大なエネルギーを必要とするこの時空転移は、世界の崩壊という想定外の横槍を受けて、誰もが想定しなかった影響をマシンに与えていた。

"Mission:救世主の保護"

 時空に生じた歪みの中からあの黒い液体が溢れ出す。
ざわざわ蠢き、波打っていた液体は黒い瘴気に姿を変えて、マシンへと後方から迫った。
瘴気は赤いマシンを選定し、覆い尽くさんとする。

"Mission:救―世主―の保―護"

 赤いマシンが瘴気を振り解こうと自身の周囲に電磁波を張り巡らした。
それが呼び水にでもなったかのように無数の雷が轟き始めた。
縦横無尽に迸る雷は瘴気に触れて、浸食でもされたかのように先行する赤いマシンだけを執拗に追いかけた。
絡みつくように走る黒い雷が、何度となく赤いマシンを叩く。
赤いマシンは辿るべき経路から外れぬようにと懸命に踏み留まろうとする。

"Mission:救―主の保―"

 度重なる落雷に、マシンの周囲を覆い尽くす幕が剥がれ落ちる。

"Mission:救世―主――護"

 赤いマシンは執拗な攻撃に耐えながらも目標を追い、授けられた使命を厳守しようとした。

"Mission:―世主―保護"

 一際大きな雷が赤いマシンを打った。

"――――――――"

 赤いマシンが沈黙し、時空のうねりに浚われかける。
後を追う黒いマシンが、ライトを点滅させて呼びかけた。

「Omega、応答を」

 ほどなく、赤いマシンが再び始動した。
ヘッドライトが点灯し、後続の兄弟機に無事を伝える。
言葉を交わす余裕はないのか、マシンは襲いくる稲光から逃れようと懸命に足掻き続ける。

"Mission:―主――――導"

「Omega?」

 漏電しているのか、赤いマシンのあちこちで小さな光が散った。

"Mission:救―主――――乱世――守護―"

「Omega」

"Mission:――――世主――乱――天に――導く―"

 もう兄弟機の呼びかけに答える余裕すらない。
今はただこの時空を超えて、目標を忘れずに、託された願いを全うするのみだと、赤いマシンの人工知能は考えた。
 徐々に赤と黒、2台のマシンの距離が開く。
赤いマシンの孤独な闘いは続き、合間を縫うように黒いマシンは時空の波に流されてゆく。
 そして、ついに時空を泳ぐ二台のマシンは双方別々の時空へと転移した。

"Mission:救世主を――――天下人に導く――"

 黒いマシンは当初の予定通り、領へ。

"Mission:の天下を築く――天下人であればこそ、彼女は安全です―――――"

 赤いマシンの行方は、時空の波に呑まれて、バックアップ機とされる黒いマシンでも追う事が出来なかった。

 

 

- 目次 -