暗躍する影 |
廃屋と化した日本家屋の奥で、数名の武士が密談を交わしていた。 「…では、計画通りに…」 「ああ。この日を待ちわびた……必ず、必ずや首を上げるのだ」
蝋燭の薄明かりの下に広げられているのは、松永久秀が主催した懇談会の日程表と、それにまつわる書面だ。 「…我が国を滅ぼした悪鬼に、今度こそ、天の裁きを……」 行燈に入っていた火が吹き消された。
時は過ぎて、ある日の領、城門前。 「さて、それじゃいっこか」 あっけらかんと述べたは女官の衣装を身に纏っていた。 「ほう…一刻以上正座出来ぬお前が、懇談の場で長時間の正座に耐えられるというのか? それは見物だな」 「う…!!」 三成の指摘を受けたは、先のことを想像して押し黙った。 「女官であれば、足の一つや二つ、崩していても馬鹿にされる事はあっても咎められる事はないと思うがな?」 「で、でも…身代わりなんでしょ? 何かあったら…」 「伊賀のくのいちを舐めるな。己の責務くらい、熟知していよう」 それは、にとっては正座などものともしないという意味。 「いいか、」 「ん?」 「これからお前は下女だ。余計な事はあまり喋るなよ」 「はーい」 「関所や、敵領に入ってからの雑事も、俺と家康でやる。お前は常に、"姫"につき従い目立つな」 「はーい」 「…本当に分かっているのか?」 「なんでよ?」 「返事が棒読みで不快だ」 三成の言葉にが膨れ面になれば、家康が小さく笑った。 「何がおかしい?」 「三成殿、その調子ですぞ。敵領に入って、その調子でおれば、誰も様が様であろうと思いますまい」 「……む……分かっている」 一事が万事この調子で進む行列に随伴する事になったァ千代一人が、やりづらそうに表情を歪めていた。
十日かけての道程は、生半可なものではなかった。 「今からそれでは持たぬぞ」 馬を傍に寄せて来た三成に指摘され、それもそうかと苦笑する。 「…落ち着け、俺がいる」 不安が瞳に浮かび上がっていたのだろうか。 「…三成…」 黙って強く頷いた三成の背後には馬を駆る家康の姿。 「…明智!!」 それを見るやいなや、三成は鋭い殺気を全身に纏った。 "面倒な話じゃが、北の君主にそのつもりはあるまいよ。そこが厄介じゃ" かつて武田信玄はそう言った。 「三成殿」 家康が三成の全身から迸る殺気を諌めるべく声をかけた。 『今は、まだ…時ではない……分かっている……だが、俺は…… 』 視線の端にの横顔を留めて、喉を鳴らした。 『必ず……この手でを救ってみせる……』
三成が自身の感情を制御したのと、略時を同じくしてそれぞれの行列の先頭が辿り着いた。 「どうしたの?」 輿の傍につけていた馬上からが声をかける。 「おいおい、一体何の騒ぎだよ? 困るぜ、こんな調子じゃ…」 明智側の武士が馬上から声をかける。 「こ、これは、利家様…そ、その、こやつが割り込みを…」 「何を言うか!! 我らの方が先についていたのに、貴様が横入りしたのであろう!!」 「何を!!!」 互いに一歩も譲らずに、抜刀沙汰も止むなし…という空気の中、利家と呼ばれた武将は困ったように顔を顰める。 「はいはいはい。そこまで、そこまで」 「ッ!」 馬上で掌を打ち鳴らし、間に入ったのは女官に扮しているだった。 「こ、これは……服部様」 替え玉という事がばれてはまずいと、は当面の間の名を語ることになっていた。 「別にいいじゃん。順番くらい」 「は、し、しかし…」 「いいよ、いいよ。皆も歩き通しで疲れてるでしょ? 今日中につけばきっと姫様も文句言わないと思うよ?」 「…は、はぁ…」 君主自らの言葉に反意を示せる者はいない。 「ふん」 競り勝ったと言わんばかりに明智方の兵が得意満面の顔で鼻を鳴らす。 「馬鹿野郎! 譲ってもらったのはこっちだ。こんなん勝ち負けじゃねぇ。誇ってんじゃねぇよ」 彼は呻く部下を余所に、すぐさま馬首を変えると三成・家康が固める輿の前へと馬を走らせてきた。 「何のつもりか」 三成が前へ進み出れば、利家は馬を止めて、声を張り上げた。 「俺は明智家武将、前田利家!! の姫よ、慈悲に感謝する」 彼はそれだけ言うと、一礼し、己の行列へ戻ろうとした。 「ちょっと待ったー!!」 それを阻んだのは、何を隠そう馬の上にいっぱなしのだ。 「ん、なんだ?」 「あ、あの、あの、あの!!」 は自分の跨る馬をせっせと操り、利家の元へと寄って行く。 「貴方、本当にあの槍の又左さんですか!?」 興奮も露に、が目をきらきらとさせている。 「すみません、良かったら握手してもらえませんか?」 「ハァ!?」 目を丸くする利家の前で、は期待に満ちた眼差しを向け続いている。 「自重せよ。貴様は何様だ? 友人の立場とは言え、調子に乗るな。姫の名に傷が付く」 三成の目は、怒りに満ち溢れていた。 「ヒィ!」 がびくつき馬の手綱を強く握り締めると、馬が一度嘶いた。 「失礼した、先を急いで頂こう。当家も本日中には関を潜りたい」 「あ、ああ…そうだな」 三成が取り成すと、己の行列へと戻って行った。
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