暗躍する影

 

 

 廃屋と化した日本家屋の奥で、数名の武士が密談を交わしていた。

「…では、計画通りに…」

「ああ。この日を待ちわびた……必ず、必ずや首を上げるのだ」

 蝋燭の薄明かりの下に広げられているのは、松永久秀が主催した懇談会の日程表と、それにまつわる書面だ。
その横に、一枚の紙が広げられている。
武士達は一人、また一人と署名捺印してゆく。血判状だ。

「…我が国を滅ぼした悪鬼に、今度こそ、天の裁きを……」

 行燈に入っていた火が吹き消された。
刻一刻と形成されてゆく謀の存在に、まだ達は気がついてはいなかった。

 

 

 時は過ぎて、ある日の領、城門前。

「さて、それじゃいっこか」

 あっけらかんと述べたは女官の衣装を身に纏っていた。
輿に乗っているのは、伊賀のくのいちだ。
慶次、幸村、左近、孫市を置き去りにして不穏な大地へ赴くとあっては、こちらも相応の準備をするべきだとの意見が、方針が固まった後も絶えず家臣の口からは漏れた。
 こういう時、三成は流石キレ者と言っていい献策をする。
の身代わりを立てる事を考えたのだ。
当初、とてその案に乗り気ではなかった。
が、そこは流石彼女の習い事の師と言うべきか。は三成のたった一言で折れた。

「ほう…一刻以上正座出来ぬお前が、懇談の場で長時間の正座に耐えられるというのか? それは見物だな」

「う…!!」

 三成の指摘を受けたは、先のことを想像して押し黙った。

「女官であれば、足の一つや二つ、崩していても馬鹿にされる事はあっても咎められる事はないと思うがな?」

「で、でも…身代わりなんでしょ? 何かあったら…」

「伊賀のくのいちを舐めるな。己の責務くらい、熟知していよう」

 それは、にとっては正座などものともしないという意味。
だが周囲にしてみれば、影武者として、死を受けようとも悔いはないという意味を持つ。
その差異に気がつかなかったは、三成にちくちくと攻め立てられると、自身で正座に取り組む道よりも、女官に扮して、姫の代弁者という立場で懇談会に参加する事を承諾した。
彼女の入れ替わりの光景を、同伴する立花ァ千代も見ていた。
ァ千代としては、敵方の武将である自分にこうした謀を丸ごと見せてしまうの姿勢に疑問を禁じ得なかったようだが、や三成達にしてみれば、見たところで何も変わらないという見解が強かった。
ァ千代は懇談会でと松永久秀が会話し、意思疎通を計った上で返還する事になっている。
博愛主義のとしては、松永久秀が毛利の家臣であった立花ァ千代に対して心ない処遇をするつもりであれば、その時は返還の打診自体をするつもりがなかったのだ。
 そうしたの気質を知らぬァ千代は、自分の前を闊歩する馬の上で物見遊山気分丸出しの状態にあるを見ると呆れ果てて言葉を失っていた。

「いいか、

「ん?」

「これからお前は下女だ。余計な事はあまり喋るなよ」

「はーい」

「関所や、敵領に入ってからの雑事も、俺と家康でやる。お前は常に、"姫"につき従い目立つな」

「はーい」

「…本当に分かっているのか?」

「なんでよ?」

「返事が棒読みで不快だ」

 三成の言葉にが膨れ面になれば、家康が小さく笑った。

「何がおかしい?」

「三成殿、その調子ですぞ。敵領に入って、その調子でおれば、誰も様が様であろうと思いますまい」

「……む……分かっている」

 一事が万事この調子で進む行列に随伴する事になったァ千代一人が、やりづらそうに表情を歪めていた。

 

 

 十日かけての道程は、生半可なものではなかった。
そもそも領とに吸収された隣国は、まだ災害の爪痕を多くあちこちに残している。
雑賀衆に事前に集めてもらっていた情報を元に、害のない道程を選んで隣国へと向かうとしても、長距離の移動だ。
相応の苦労がある。

 特にの初めての領外への移動は、人心に少なからず影響を呼んだ。
人々は領から出る事を、極端に嫌がっていた。
そのきらいは、領土の中心から離れれば離れる程、強くなった。
には自覚がないが、"北条、自然災害、毛利との千日戦争を女の身で退けた"という功績が、大きく影響していた。
 首都から離れれば離れる程、を神聖視する人々は増えた。
故に人々はが領地から出ることは、天の慈悲を失う事と同じと考えた。
人々は道々へ出ては平伏し、希い続けた。
目に見える物を乞うのではない。
に慈悲を、天の加護を願った。
彼らは精神的な支えをの存在そのものに求めていた。
そうしていなくては、まだまだ続く復興に従事する事は苦しかったのかもしれない。
人々の思いを尻目に見ながら連なる山々を越えて、深い谷に掛る木製の橋を越えて、他人の領土へ赴く。
 自領と異なる空気を纏う大地に足を踏み入れた時、自ずと緊張がの身を包んだ。
気を紛らわせようと、紅葉が始まった山々を見やる。

「今からそれでは持たぬぞ」

 馬を傍に寄せて来た三成に指摘され、それもそうかと苦笑する。
それから悠然と進む供者達の姿を見、自分は一人で敵地に赴くのではないと言い聞かせた。
 常に傍にいてくれた慶次の姿を思わずそこに探してしまう。
が、自分が残してきた以上、当然この場にいるはずもない。不安が競り上がりそうになる。

「…落ち着け、俺がいる」

 不安が瞳に浮かび上がっていたのだろうか。
三成がの手を握り締めた。
強く、強く一度握り、掌をぽむぽむと軽く撫でつける。

「…三成…」

 黙って強く頷いた三成の背後には馬を駆る家康の姿。
は安堵したように、一度強く頷いて正面を見た。
遠目に懇談会の地とされる隣国の関が見えてくる。
 「あれを潜り、君主としての務めを全うするのだ」と改めて覚悟を決めた時、皆の身に纏う空気が色を変えた。
どういう巡り合わせなのか、坂を登って来た達の一行は、山を下って来た余所の君主の一行と鉢合わせしたのだ。
山を下って来た一行が掲げる旗には、桔梗の文様がはっきりと見てとれた。

「…明智!!」

 それを見るやいなや、三成は鋭い殺気を全身に纏った。

"面倒な話じゃが、北の君主にそのつもりはあるまいよ。そこが厄介じゃ"

 かつて武田信玄はそう言った。
だが群雄割拠のこの時代。武で勢力を拡大してきた大名に、一人の姫の身を護る為に天下を諦めてほしいと願い出たところで誰が承諾するだろうか。
は知らずとも、明智との関係は、の命を思えば、敵対の道を辿るしかないのだ。

「三成殿」

 家康が三成の全身から迸る殺気を諌めるべく声をかけた。
呼ばれた三成は、不本意そうに顔を歪めながらも小さく頷いた。

『今は、まだ…時ではない……分かっている……だが、俺は…… 』

 視線の端にの横顔を留めて、喉を鳴らした。
乾きを飲み下し、腹の底から湧きあがる苛立ちを、憎悪を抑え込まんと奥歯を噛んだ。
 時期尚早。全ては、守るべき女の為だ。
機を窺う冷静さを取り戻せ。時は必ず巡りくる、必ず、と彼は自身に言い聞かせた。

『必ず……この手でを救ってみせる……』

 三成が自身の感情を制御したのと、略時を同じくしてそれぞれの行列の先頭が辿り着いた。
そこでちょっとした揉め事が起きた。
どちらが先に関を潜るかで、先頭を預かる武士同士が反目したのだ。

「どうしたの?」

 輿の傍につけていた馬上からが声をかける。
すると先頭を預かっている兵の一人がの元へと駆け寄ってきた。
彼は大地に膝をつき、頭を垂れると、簡潔に報告した。
 明智の行列にもざわめきが起きていて、列の中程を預かる屈強な武士の一人が馬を駆ってやって来た。
その間にも、戦闘を預かる双方の武士は譲り合わずに、やれどちらの官位が上だの、先についたのはどちらだと揉め続けている。

「おいおい、一体何の騒ぎだよ? 困るぜ、こんな調子じゃ…」

 明智側の武士が馬上から声をかける。

「こ、これは、利家様…そ、その、こやつが割り込みを…」

「何を言うか!! 我らの方が先についていたのに、貴様が横入りしたのであろう!!」

「何を!!!」

 互いに一歩も譲らずに、抜刀沙汰も止むなし…という空気の中、利家と呼ばれた武将は困ったように顔を顰める。

「はいはいはい。そこまで、そこまで」

「ッ!」

 馬上で掌を打ち鳴らし、間に入ったのは女官に扮しているだった。

「こ、これは……服部様」

 替え玉という事がばれてはまずいと、は当面の間の名を語ることになっていた。
命令厳守のの兵達は、の事を見上げると、すぐさま膝をついた。

「別にいいじゃん。順番くらい」

「は、し、しかし…」

「いいよ、いいよ。皆も歩き通しで疲れてるでしょ? 今日中につけばきっと姫様も文句言わないと思うよ?」

「…は、はぁ…」

 君主自らの言葉に反意を示せる者はいない。
が、一応念の為とばかりに、膝を折った兵達は三成・家康に視線を向ける。二人はの言葉を尊重するとばかりに、一度輿に身を寄せて、それからすぐに馬首を返すと、命に従うように告げた。

「ふん」

 競り勝ったと言わんばかりに明智方の兵が得意満面の顔で鼻を鳴らす。
すると利家が馬上からその兵に怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎! 譲ってもらったのはこっちだ。こんなん勝ち負けじゃねぇ。誇ってんじゃねぇよ」

 彼は呻く部下を余所に、すぐさま馬首を変えると三成・家康が固める輿の前へと馬を走らせてきた。

「何のつもりか」

 三成が前へ進み出れば、利家は馬を止めて、声を張り上げた。

「俺は明智家武将、前田利家!! の姫よ、慈悲に感謝する」

 彼はそれだけ言うと、一礼し、己の行列へ戻ろうとした。

「ちょっと待ったー!!」

 それを阻んだのは、何を隠そう馬の上にいっぱなしのだ。

「ん、なんだ?」

「あ、あの、あの、あの!!」

 は自分の跨る馬をせっせと操り、利家の元へと寄って行く。

「貴方、本当にあの槍の又左さんですか!?」

 興奮も露に、が目をきらきらとさせている。
妙な気迫のお供衆もいたものだと、利家が目を瞬かせる中、はそろそろと手を差し出した。

「すみません、良かったら握手してもらえませんか?」

「ハァ!?」

 目を丸くする利家の前で、は期待に満ちた眼差しを向け続いている。
そんなの背後に、冷徹な気配が差し迫った。
振り上げられた扇がの後頭部を打つ。

「自重せよ。貴様は何様だ? 友人の立場とは言え、調子に乗るな。姫の名に傷が付く」

 三成の目は、怒りに満ち溢れていた。

「ヒィ!」

 がびくつき馬の手綱を強く握り締めると、馬が一度嘶いた。
利家は調子が狂うとばかりに首を傾げていたが、

「失礼した、先を急いで頂こう。当家も本日中には関を潜りたい」

「あ、ああ…そうだな」

 三成が取り成すと、己の行列へと戻って行った。

 

 

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