暗躍する影

  

 

 勢が道を開け、明智勢の行列が先に関を潜るべく動きだす。
の兵達は、通達の元一息吐こうかとしていた矢先、今度は関の向こうから否を唱える声が上がった。
否を唱えたのは先に関を潜っていた者―――――松永久秀、その人であった。

「待たれよ。明智殿の御一行は控えられよ」

『え、何? 何事?』

 すっかり供の者達ともども休憩するつもりだったは、出鼻を挫かれたように目を丸くした。
わざわざ篭から降りて姿を現した松永久秀は、歳の頃ならば三十代半ばであろうか。円熟した風格を持つ。
だが一方で、その顔は眉目秀麗。老いを感じさせず、眼差しは理知的且つ穏やかな光を湛えている。
その涼しげな佇まい、優雅な所作からしても、同盟反故や簒奪を考えるような人物とは、到底思えない。

「なんか聞いてたイメージと違うなぁ…」

 がぼそりと呟くと、三成がぎろりと睨む。
慌ててが沈黙すれば、関の向こう側に立つ松永久秀は、達一向に見守るような柔らかい眼差しを向けた。

と我が松永家は盟友にある。根拠のない誹りは聞き捨てならぬな。
 先程そちらの兵が官位がどうとか言っていたような気がするが…確か家も官位は受けているはずだが?」

「くっ……しかし、我らは…!!」

「明智殿…いや、前田殿・柴田殿の御一行…と、呼んだ方がよろしかろうな?
 此度の会に、私は、明智光秀殿を招待した。
 が、そちらは名代を立てたと聞き及んでいる」

 松永久秀の言葉を聞いた三成・家康が顔色を変えた。

「名代を立てた身にあるそなたらが、君主自ら参じたの姫を差し置くとは、何事か。恥を知れ。
 の姫は慈悲深気お方と聞くが……主催を預かる私は、捨て置けぬ所業よ。
 本来ならば、その兵の首をもって非礼を詫びねばならぬ立場ではないのか?」

 段々と話が物騒な事になって来たと、が顔色を変えた。

「いや、その…」

 行列に戻っていた利家が横やりに対する不快感も露に眉を寄せる。
輿の傍へと戻っていたもまた居心地が悪そうに強張った面差しだ。

「それとも、貴殿らは我が盟友を格下とでもお思いか?」

 松永久秀は穏やかでありながら、どこか冷たいと感じさせる眼差しを明智の行列へと向けて、問い詰め続けた。

「ンな事は思っちゃいねーけどよ」

「では、どういうおつもりか?」

「あ、あの!」

 堪らなくなったのか、が挙手した。

「ひ、姫様は別に気にしてないって言ってます」

 松永久秀が馬上にあるへと視線を移した。
蕩けるように甘く、優しい眼差しを向けて、目を細めて微笑む。
その穏やかな面差し、醸し出す温かな気風に、思わず流されそうになる。

「お嬢さん、推察するに…の姫君の"御学友"ですかな?」

「は、はい」

「そうですか。では、しばし私にこの場を預からせて頂けないだろうか?」

「え、あ…はぁ…」

 だがそれではいけないと考え直して、視線で三成・家康に救いを求めた。
が、二人は静かに事の成り行きを見守り、動こうとはしない。
松永久秀は改めて明智の一行へと視線を向けた。

「此度の非礼、見過ごすわけには参らぬ。
 我らは盟友となるべく集った。ならば上下などあろうはずがない。
 だが先程の明智殿御一行の所業は、その意を持たぬ者の所業と存ずるが、如何か?」

『どうしよう、三成…家康様…なんか、いきなりヤバイことになってるよ?』

『放っておけ』

『エエッ?! で、でも…そんな……』

 おろおろし始める達の横を掠めるようにして別の騎馬が前へと進み出た。

「柴田…勝家だ…」

「…鬼柴田だぞ…」

 兵達の間でざわざわと声が上がる。
後方から進み出て来た騎馬は、松永久秀との行列の間に立った。
馬上にいた武士が下馬し、一礼する。

「申し訳ござらぬ、平にお許し願いたい」

「叔父貴!!」

 利家が屈辱だと言わんばかりに奥歯を噛み締めれば、礼をした武士がゆっくりと顔を上げた。
松永久秀と真っ向から睨み合う。
 その瞬間の双方の様子を見て、家康が悟ったとばかりに動いた。

「まぁ、まぁ、もう宜しいではありませぬか。松永殿も柴田殿も」

 家康は努めて穏やかに、朗らかな笑みを顔に貼りつけて、二人の間へと進み出た。

「折角の懇談の場。今から遺恨を作っては意味を成しませぬ。
 松永殿のご配慮、当家の姫もいたく感じ入っておりましょう。
 柴田殿、当家の姫は万民に慈愛を惜しみなく与えるお方、気にされる事はありませぬ」

 家康はそこであえて言葉を区切り、一呼吸おいてずばり核心を告げた。

「それよりも、ここで血が流れようものならば、深い悲しみに顔を濡らす事になりましょう。
 女の身であればこそ、血が流れる事は好まぬお方故……」

「…そうでしたな。失礼した」

「いえいえ、あの長き戦でも松永殿が仲裁して下さり助かり申した。感謝の言葉もありませぬ」

「よいのですよ。か弱きご婦人と苦境にある大地を護ってこそ、武士と言える」

「おお、おお、有り難きお言葉にござる」

 家康は松永久秀に一礼すると、自らも下馬し、柴田勝家の前へ行くと、彼の馬の手綱を取った。

「ささ、柴田殿も…馬上に戻って下され」

「ぬぅ…」

「ささ」

「徳川殿、失礼した。我らが後に関を潜ろうぞ」

「左様ですか。ではそのように…」

 家康が顔を三成の方へ向ければ、三成が頷き、無言のまま手を掲げて出立の合図を出した。
それを受けて、立ち止っていたの列が動き出す。
 姫の輿が関を潜る際、気を利かせたくのいちがの声色を真似て輿の中から松永久秀に礼を言った。

「宜しいのですよ。それでは、また後日」

 松永久秀は相変わらず穏やかな笑みを絶やさずに行列を見送った。
出遅れて馬を走らせたは、関を潜る前に馬を止めると、何か言いたげな眼差して利家・勝家を見て一つ会釈した。
利家は怪訝な顔でその様子を見ていたが、柴田勝家は小さく眉を動かし、すぐに納得したように頷いた。

 

 

「…叔父貴…なんで俺らがあんな事言われなきゃなんねーんだ?! 
 の姫さんには話通してあったんたぜ? それをあの野郎、台無しにしやがって……。気に入らねぇな」

「…利家、控えよ。此度の会にわざわざ我らを差し向けたことには、意味がある。
 全ては明智殿の御意志だ。儂らがふいにするわけにはゆかぬ」

「…だけどよ…」

 の行列を見送る二人が元の列に戻り会話する。

「それよりも利家」

「んだよ」

「あの娘をどう思う?」

「あ? どうもこうも…輿から出てこなかったしな」

 利家が頬を掻けば、勝家はぎろりと強く睨んだ。
利家が慄く。

「わぬしの目は節穴か。馬の上にいたが、誠の姫よ」

「えっ、な、何いッ?!」

 目を丸くした利家に対して、勝家は「おそらくな」とだけ付け加えて、自らの持ち場へと戻って行った。

 

 

 用意されていた寄宿舎に入ることになった家の一行は、懇談会参加為の準備に余念がなかった。
先だって方々への挨拶回りに出ているのは家康。
今日のような綱渡りをされては困ると、段取りの伝達がてら室に訪れて説教しているのが三成だった。
 三成の小言を、は縁側に足を投げ出して大の字になり聞いていた。女だてらにどうしょうもない格好だとは思うが、長時間の乗馬に疲れ果てていて、こうして足を投げ出し、伸びをせずにはいられなかったのだ。
 三成からの説教が一段落した頃、が心のままに胸に抱いていた疑問を口にした。

「ねぇ、ねぇ。松永さんってさ、意外にいい人?」

「どうだろうな」

「そう? なんか、優しそうだったじゃん」

「能天気な女だな。そう見えたのか?」

「違うの?」

 三成が茶を立てながら、言った。

「俺には先の非礼に託けて、前田利家・柴田勝家のどちらかの首を撥ねようとしているようにしか見えなかったがな」

「えっ、そんな、まさか!」

「その"まさか"が起こる……いや、起す男だろう、あの男は」

 立て終わった茶碗を、の横へと差し出せば、が身を起こした。

「考え過ぎじゃなくて?」

「………家康にも後で聞いてみろ。十中八九、同じ感想のはずだ」

 体裁を整えてから茶碗を取り上げたに対して、室の隅から声がかかった。

「立花にも、そう見えた」

「ァ千代さん? そっか、ァ千代さんにもそう見えたんだ…。なら気をつけた方がいい?」

「ああ」

「そうだな」

 立場の違う二人からの諌めを受けたは、茶碗を三回回してから口元に運びつつボヤいた。

「あーあー。なんか面倒なところに来ちゃったな〜。
 折角加賀百万石に会えたのに、握手すら出来なかったし…」

 また意味の分からない事を言い出したとばかりに三成が顔を顰める。
彼の反応を受け流したが、ふと、思いついたように茶碗を降ろした。

「ねえ、ァ千代さん」

「なんだ」

 険しい面差しのァ千代に向いは言った。

「もしさ、松永さんのところへ行きたくないなら、言ってね。返還の話、上手く誤魔化すからさ」

の兵にはならぬ」

「うん、知ってる。だから一度さ、に再就職するって事にして、そっから放逐してあげるよ。
 まぁ、でもその方法だと、ご家族との再会とかが大変な事になりそうだけどね…。
 その辺は根性と気合とでどうにかしてくれると助かるかな」

「……気合と根性でどうにかなるものなのか?」

 呆れたような面差しのァ千代の問いかけに、は再び茶碗を傾けつつ答えた。

「んー、なる時はなるし、ならない時はならないかも。
 まー、でもやらないよりは、いいんじゃないかな、うん。
 迷った時は、飛んでみるといいよ。落ちた先で新しい展開とか必ずあるからさ」

 ァ千代は茶菓子の支度をしている三成を眺め、視線で問うた。

『貴様の君主は、どうなっている?』

 三成は口の端を吊り上げて薄く笑った。

『変わってはいるが、慈悲深いいい女だ。他意はない』

 

 

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