一方、が旅立って数日が過ぎた領では、不可思議な出来事が起きていた。
領内に何者かが侵入し、動き回っているというのだ。
姿形を捉える事の出来ないそれは、夜の闇に紛れて大通りを中心に徘徊しているという。
酔った勢いで大通りをふらふらと歩いていた町民の何人かがその何かに突き飛ばされたり、暗闇の中から大きな目で威嚇された…などという話が出て、巷を騒がせ始めていた。
が旅路に就いていることから、神聖な力を失った領下に、何か禍々しいものが入り込んだのではないかとの憶測が飛び交い、人々を恐れさせている。
このままこの問題を放置するわけには行かないと、左近、幸村、孫市、慶次は一計を案じた。
陽が落ちる頃合を見計らって、大通りに馬止めを設置し、その何かを袋の鼠にしたのだ。
「…どうなる事やら…」
「民の話じゃ随分とがたいが大きいって話だ。もしもの時は…頼みますよ、慶次さん」
「おやおや、あんたが俺に頼るのかい?」
月明かりの眩しい夜。
姿を隠していた物がどこからともなく足音を忍ばせて、城下町へと入ってくる。
その物は何かを探すようにゆるゆると進み、左近達が一計を案じた路地へと足を踏み入れた。
それと同時に、家屋の軒先に繋いでおいた鈴がけたたましい音を上げた。
「東か!!」
幸村が愛馬の馬首を真っ先に返した。
音がした周辺に配置された兵が行燈に火を入れて高くかざし、円を描く。
火の見櫓に陣取っていた孫市が銃を構え、狙撃態勢に入った。
「何者だ!! ここを城城下町と知っての狼藉か!! 姿を見せよ!!」
真っ先に駆け付けた幸村が、未知の気配を察知して槍を構えた。
答える者はなく、ただ闇の中にちらちらと緑の光だけが揺れた。
密かに姿形を隠す何かの中で、赤外線カメラが動き出す。
対峙する若者の身体的特徴を読み込み、データベースと照らし合わせる。
何かを確認しようとするかのように幸村の外見をアップで写しては、別の部位にと映像は移り変わった。
「幸村さん、追い詰めたんですかい?!」
駆け付けた左近の声がする。
幸村が視線は動かさずに、臨戦態勢のまま答えた。
「妖術か忍術か定かではありませんが……姿形を隠せるようです。ですが、感じます。目の前にいる!!」
「…なるほど…散開して囲うとしようか」
左近が言い、間合いを図るように馬を動かす。
赤外線カメラの映像が、幸村から左近へと移った。
それだけではない。
かなり遠い距離から銃を構えているはずの、孫市の姿までもを探し当てた。
機動力に秀でる慶次が松風と共に退路を潰すべく布陣する。
挟まれる形になった何かは、背後に回ったはずの慶次の姿さえ容易に捉えた。
正体不明の何かは、彼らの身に纏う衣服に浮かび上がる家紋を確認すると、月明かりの下へ緩々と進み出て来た。
月の光が届かぬ所は透明なまま周囲の景色が見えるのに、月の光を浴びたところから徐々に姿形が露になって行くともなれば、誰しもが度肝を抜かれる光景だ。
「な!」
幸村が息を呑み、左近の騎乗した馬が一歩下がる。
火の見櫓の上で構えていた孫市までもが、目を見張り、銃の照準から視線を外した。
「おいおい、マジかよ……なんだ、あれ…」
彼らの目の前に現れたのは、見た事もない素材で出来た巨大な箱だった。
それが勝手に動いている。
そして進み出て来る。
「こりゃ一体……」
とは言うものの、進み出て来た物に対して孫市を除いた全員が同じことを考えていた。
「これって、もしかして…もしかしなくても……」
「様の?」
「…それ以外、ないだろうねぇ…」
左近、幸村、慶次は互いに視線を流し合い、一度頷くと、姿を現した正体不明の箱を、城の中へと運ぶことにした。
人足を連れて来て押すなり、引くなりして運ぼうかと彼らは考えていたが、正体不明の箱は、まるで人の言葉を理解するかのように自分勝手に動いた。
緩々と歩みを進めて城内に入ると、誘導された蔵と蔵の間で、沈黙し、微動だにする事はなかった。
「…姫に害を及ぼさないものだといいんですけどね…」
二十四時間体制で見張りをつけるしかないと判じた左近の顔には、不安だけがくっきりと浮かび上がっていた。
敏い彼には、この箱の出現を素直に喜ぶことが出来なかった。
何故なら、が何を手にする時。それは必ずあの発作が、を苦しめる時でもある。
先だって心の臓まで止まりかけただ。
このように大きな物に触れてまた発作を起こせば、もう二度と、目を覚まさなくなるのではないのか。
そこを考えると、独断と言われようとも、とこの物体を引き合わせる前に、破壊するべきなのではないか。
だが一方で、同じように考えながらも、この物体の存在を拒絶しきれぬ者もいた。真田幸村だ。
彼はかつて大災害が家に襲来した時、が手にしたツールで数多の困難を退けた事を覚えていた。
危険かもしれない。だが、あのツールのようにここぞという時にの助けになるかもしれない。
となれば、の意思を確認せずして破壊を許すわけにはいかない。
一つの箱を前に、左近・幸村は相反する見解を持ち、計らずも反目する状態になっていた。
「おいおい、仲間割れしてる場合じゃないだろ?」
箱の扱いに手を焼く左近・幸村の間に入ったのは孫市だった。
領の技術開発を一手に担う彼としては、この箱の正体を解明したいという欲目が多少なりとも働いていた。
慶次とて物珍しさからくる興味は拭えない。故に、どちらかといえば幸村側のスタンスだ。
「さんの物なら、扱いはさんが決めるだろ。お前さんが気を揉むような事じゃないさ」
「そうはいいますがね」
ムッとした様子で物体を見下ろす左近に、話を聞きつけて様子を見にきた秀吉は言った。
「左近、おみゃーさんの心配は尤もじゃ。じゃが、考えてもみるんさ。
もしに害をなすなら、もっと早く、派手に暴れてるはずじゃぞ」
「…まぁ、そりゃそうですが…姫がいないから、牙を剥かないだけかもしれない。
姫を見るや否や、牙を剥かれても困るんですよ。こんなもん、俺達じゃ扱い様がない」
尤もな意見を述べれば、慶次がその懸念を豪快に笑い飛ばした。
「人が作ったものなら、必ず壊せる。形ある物は、何時かは滅びる。そう目くじら立てなさんな」
「あんたら、本当にお気楽極楽だね」
残念だが、左近の苦悩はまだしばらく続くことになる。
そして今回の場合は、幸村の読みが正しい。
正体不明の物体は、天に座す星々の位置を元に時代を算出し、自身の中に組み込まれたデータベースを検索する。
そこで事前にインプットされていたデータの一つに辿り着くと、何かを言いたげに巨大な眼光を煌かせた。
主を求めるように、誰かに何かを訴えかけるかのように光った眼差しを目にした者は、兵の中にはいなかった。
方針が決まり、左近たちは城内に戻り、見張りは交代の時間でその場から離れていたからだ。
「…!!!」
ただ一人、その瞬間を目にしたのは、服部。 の友人でもあり、服部半蔵の愛妻である。
彼女は現れた物体がのものであった時、泥で足元が汚れていてはが悲しむだろうと思い、井戸で汲んだ水と手拭いで掃除をしようと、のこのこやって来たのだ。
ヘッドライトの点滅を目にしてしまったは大層驚いた。 その場に桶と手拭いを取り落とすと、城の中へと逃げて行った。
所変わって、懇談の地。
寄宿舎の一室で、家康・三成・は顔を突き合わせて唸っていた。
夕暮れを時を迎えて、それぞれが入浴を済ませ、浴衣に身を包んでいる。
「ふーん、もう少し時間がかかるんだ」
「はい。他の方の到着が遅れているようですな」
「そっか」
「しかし……面倒な事になったな」
今彼らが取り囲んでいるのは、懇談会の場となるこじんまりとした城の見取り図だった。
挨拶回りの際、巧いこと立ち回って家康が手に入れて来たものだ。
今回の懇談会は女が一人いる会だからなのかどうなのか定かではないが、茶会の様相を呈していた。
日本庭園で酒席を設け、楽を愛でて、歌を詠み、という順序で進む懇談会は、気の合う者同士の和やかな謁見の様相を成してはいるものの、それは裏を返せば腹の探り合いの時間が長引くという事でもある。
身代わりを立てたのは正解であったとしても、がこの空気の中で長時間大人しくしていられるかが問題だった。
「それよりも…一ついいだろうか?」
憮然とした様子で声を上げたのは立花ァ千代だった。
「なんだ」
三成が刺のある声で応じれば、ァ千代は至極当然な疑問を口にした。
「貴様ら、立花に内情を見せすぎではないのか? 立花は虜囚、家臣ではない」
「……ってか、別に隠さなきゃならない事でもなくない? 今話してることって…」
能天気なの言葉に、ァ千代は食ってかかった。
「そう判じているのは貴様だけだ!! 立花が松永の下へ行き、貴様の身代わりの件をばらしたらどうする?!」
「いやー、別にどうもしないと思うけど…?」
「何?」
「だってさ…よく考えてみてよ。各地の偉い人、沢山来てる場所だよ?
暗殺なんかしたら、余所の国全てと疑心暗鬼に突入してごたごたになるじゃん。
やるなら帰り道とかにこそっとやる方が頭良くない?」
「道理だな」
もうぐうの音も出ず頭を抱えるしかないァ千代に、三成は鼻で笑い言った。
「舐めるな。卑怯千万な事を考えさせたらの右に出る者はいない。
あくまで、考えるだけの度胸だがな」
「ちょっと三成、それ褒めてんの? それとも貶してんの?」
三成がふいと横に顔を背ければ、が掴みかかろうとばかりに身を乗り出す。
そこから先の乱闘への突入を防いだのは、同席していた家康の言葉だ。
「様、宜しいですかな」
「あ、はい。なんでしょう?」
「場は日本庭園です。どうかお気を付け下され」
「家康様まで暗殺の事気にしてるんですか?」
が驚いて声を上げれば、
「念の為にござる」
家康は独自に入手した庭園の見取り図を指し示した。
「各地の兵が布陣し、警戒をしておりますが何分屋外です」
「そっか、狙撃が怖いね」
「はい」
「そっかー、もう撃たれるの嫌だな〜」
前例を思い出し、高坂昌信を連れてくるべきだったかとは頭を抱える。
遠い未来にいる同士に助けを…と考えたところで、ふとあの世界で見た出来事を思い出し肩を落とした。
『そっか……だめだ……彼らの世界は…もう……』
「?」
目に見えて落胆したを気にして三成が顔を覗き込めば、が慌てて顔を上げ、首を横へと振った。
明らかに空元気だった。
「えっと、なんでもない。大丈夫!」
三成が心配そうに目を凝らせば、家康が一つわざとらしく咳払いをした。
「宜しいですかな」
「あ、はい」
「警護の事は一先ずご安心ください」
「とういうと?」
家康は、飄々とした様子で告げた。
「多少調略を施してござる」
「調略?」
彼の話では初日の挨拶回りで、手応えのあった他国の君主に何かあった時にの身を護るのを手伝ってほしいと頼んだというのだ。
松永久秀・明智光秀を恐れる者は他にも居て、そうした者達は弱小勢力同士であっても手に手を取り合っていた方が無難だと考えたのだろう。出来うる限り寄り集まって行動し、席も身近に…という方向性で調整しているそうだ。
「へー」
「ちょっと待て、家康」
話を聞いていた三成が懐から出した扇で広げられた見取り図を指し示した。
「貴様の話では、連携を結んだ国々の主との席とは大きな開きがあるようだが?」
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