暗躍する影

 

 

「全ては松永久秀の意向にござる」

「あの男、何が何でもに恩を売る気か」

「そのようですな。おそらく、毛利の時と同じ方法でを得る気では?」

 二人の言葉通り、家康が調略を施す必要がないくらいの席の周囲は松永久秀の息がかかった者達で固められていた。仮に何かがあった場合、少なくとも松永久秀との命―――――影武者の、ではあるが―――――の心配は起きるまい。あくまで、主謀者が彼でなかったらの話ではあるが。

「厄介な男に目をつけられたな」

「左様ですな」

「あのさ、ちょっと聞いていい?」

 家康、三成が同時にへと視線を向けた。

「なんで皆して松永さんを嫌うの? 
 それに松永さんと明智さんって、もしかしてすっごい仲悪かったりする? この前めっちゃ険悪だったじゃん」

「どうだろうな。それこそ見せかけかもしれんし、そうではないのかもしれん」

様、今天下に一番近いとされる男は、二人おりまする」

「二人?」

「はい。一人目が北の大国の主明智光秀殿。そしてもう一人があの松永久秀です。
 あやつは野心溢れる男にござる。十三年前までは一介の武将だったようですが、
 ある日突然、主家に牙を剥きました」

「え…?!」

 まさか、信じられぬとが目を見張った。

「う、嘘でしょ。だってあんなに穏やかで物腰柔らかそうな人が下剋上したって…そう言うの?」

「ああ、その話は俺も知っている。確か、本願寺を抱き込み、呪殺したそうだな」

「左様。その上で今の地位を手に入れたとされる男です。油断は禁物です」

「でも…ちょっと待ってよ。彼が天下に近いって言っても、現段階で将軍様は他にいるでしょ?」

「はい…ですが乱世ともなれば、何時何が変わるかは誰にも分かりませぬ」

「そっか、容易に転覆する事もあり得るんだ」

 相槌を打つの前で、家康は淡々と現状を説明し続けた。

「かの者にとっては、巨大な軍事力と領下を持つ明智は、天敵となりましょう。
 しかしすぐに事を起こせるほど容易な相手でもありますまい。
 双方が雌雄を決するには、まだまだ時間が要りまする」

「じゃ、この同盟は時間稼ぎ?」

「左様。かの国が明智と事を構えずにおれるのは、一重にと、同盟関係にある小国の為。
 我々が間仕切になっているからに相違ありませぬ」

「だからあの人はと仲良くしたいのね」

「仲良く…か、あわよくば乗っ取りたいのか…定かではありませぬ。
 が、これだけははっきりしておりまする。かの者にとっては、と明智が懇意になっては、脅威となる」

「だよね、兵力は心許無いだけど…慶次さんに武田騎馬隊、雑賀衆に伊賀忍までが一気に敵に回ったら、
 それだけでもすっごい面倒そうだもんね」

 納得したとが大きく頷いた。

「だが、明智はどうだ? 我らの力など露ほども欲してはいまい」

「まぁ、あれだけ大きくなってたら…ね。でも気は抜けないよね?」

 そこでは一度言葉を区切り、「うーん」と腕組みをして唸った。
かと思えば、次の瞬間には素直に問いただしていた。

「ねぇ、って、結局のところ、今回はどうしたら一番いいの?」

 の問いに、家康・三成の声が重なった。

「不即不離だな」

「不即不離であられる方がよろしかろうかと」

 政治問題に長けている二人の一糸乱れぬ返答に、は素直に頷いてみせた。

「それはそうと、さっきから一つ気になっている事があるのだが」

「ん?」

 三成が憮然とした様子でを見やった。
は惚けた顔で言葉を待っている。
家康、ァ千代も彼の言わんとしている事が分からないようだ。
三成は不快感を一層強めたような表情を臆面もなく見せてから言った。

「それはなんだ。それは」

「それ?」

 彼が懐の扇を持ち出して示した先…の膝の上には、一匹の大きな狼が横たわっていた。

「ああ、この子?」

「どこから入って来た?」

「さぁ…? ここについた時にはもう庭にいたよ? このお宿で飼われてるんじゃない?」

「…狼を普通飼うか? ここは城下町だぞ」

「飼うんじゃない? 好きなら」

「……能天気な女だな…」

 呆れる三成の前では膝にどっかりと座ったままの狼の背を撫でまわした。

「別にいいじゃん。人に凄く懐いてて、大人しいし」

 気持ちがいいのか狼が喉を鳴らして顔を上げる。
応えるようにの頬を舐めて、唇にちゅうと口付けた。

「あははは、やだ〜。も〜。くすぐったいよ〜」

 楽しげに狼と戯れるに苛立ち、何か言ってやろうと三成が口を開く前に、ァ千代が呟いた。

「…銀狐は獣にも嫉妬するのだな…」

「………チッ、不快だ…」

 ぎろりとァ千代を睨んでから立ち上がった三成は、部屋を後にする際に言った。
睨まれたァ千代は意に介すどころか、自分が失言をしたという認識もないらしく、しれっとした顔をしていた。

「いいか、くれぐれも寝室に入れるなよ? 面倒事はもう沢山だ」

「はーい」

 生返事するの傍に座す家康だけが苦笑していた。

 

 

 宿舎の灯りが消えて、が床について安眠を貪り始めた頃。
襖一つ挟んだ向こう側に床を用意された立花ァ千代は床の上で苦悶の表情を見せていた。

『何故だ…何故、立花に情を掛ける?』

 虜囚であるはずなのに、に入ってからというもの全くそうした扱いを受けていない。
最初は自分を下す為の策の一つかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
 では何故このような待遇を受けているのか。見当がつけられず、思い悩む。
彼女の脳裏には、この室に入るまでにで経験した出来事が次々と過っては消えて行った。

 

 

 との謁見が済んだ翌日。
ァ千代は左近と幸村の案内で、領下の現状をその目に刻んだ。

「ァ千代様!!」

 目も覆う様な有様の復興作業に追われる人々の中に、自身の配下の姿もちらほらと見て取れた。

「お前達……どうして?!」

 自分が捕縛された時に配下の兵であれば首を取られたものと思ってばかりいた。
だが彼らの弁ではそうではなかったようだ。

「へぇ、ァ千代様の処遇が決まるまでやることもないってんで手伝ってんでさ」

「飯も食えるし…何もしないよりは、気が紛れます」

「しかしようございました!! 聞いていた通り、お元気そうだ!!」

 配下の兵は口々にァ千代の健勝ぶりを喜んだ。

の姫様はすぐに会わせて下さる慈悲深き方だと皆が言っておったが本当じゃった!!」

「良かった、良かった!!」

 感極まって唇を食めば、左近と幸村が穏やかな眼差しでこちらを見ていた。
鬼左近と呼ばれる男と、日の本一の兵との呼ばれる若武者。
戦場での彼らの覇気を知るァ千代からすれば、想像し得ぬ表情を、彼ら二人は見せた。

 

 

「あれは……領下を見せる為ではなかった? 立花に……あの者達と再会させる為だった…?」

 独白し、瞼を閉じれば、この部屋を与えられた時の三成とのやりとりがまざまざと思い浮かんだ。

 

 

「何故、私にも部屋がある?」

の命令だ。妙令の女が、男と同室というわけにはゆかんそうだ」

「馬鹿な!! 立花は女である前に、武士だ!! 将には将たる者への当然の扱いがあろう!!」

「扱い? 俺にどうしろと言うんだ?」

「何度も言うが、立花は虜囚だ。敵国の君主と同じ屋根の下には寝られぬ。
 牢にでも、厩にでもブチ込むがいい。それくらいの覚悟は元より出来ている」

「誰も貴様の首になど興味はない」

「そうではない!!」

「立花、ここは仮住まいだ。勝手は利かぬ。気に入らんのであれば、勝手に一人で、庭で寝ろ。
 俺も家康も、誰も止めはせん。だがにだけには気がつかれるなよ? 
 気がつかれたら最後、この宿の大黒柱に布団ごと簀巻きで繋がれる事になる。
 そして俺と家康はお前を庭に出した咎でラリアートは確実だ」

「羅理…はぁ? なんだ、それは…?」

「こっちの話だ。とにかく、そうなったら俺はお前を恨むからな。それだけは忘れるな」

 三成はそこで席を立った。
それからしばらくしての部屋で言いあう声がして、静かになった。
日常茶飯事なのか、家康はその事には気も留めず、調略に使った金子のやりくりをせっせとこなしていた。

 

 

『何故だ? どうして…?
 立花は敗戦の将……なのに、何故…どうして……こんなにも温情を……?』

 困惑し、「これが魔女の政なのか? これではまるで魔女ではなく聖女ではないか」と、気が緩みそうになる。
そんな自分を叱咤するように、ァ千代は小さく首を横に振った。

『惑わされるな、魔女と言われるには、理由があるはずだ…これも恐らくは目晦ましに過ぎぬ』

 眼下にはきちんと手入れされた雷切が光る。
その気になれば、手の届く位置に、敵国の君主の首がある。

『だが…それをしてどうなる? 立花を買って下さった元就はもういない… 』

 

 

「どうしてだ?! 元就! 何故この時期に…」

「ァ千代、気持ちは嬉しいけれどね、もう私の時代ではないよ。
 これからは君達若い世代が、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じながら歴史を作るんだ」

「世迷言を言うな!! 責任から逃げているだけでないか!」

 旅支度を整えた元就の襟首を引っ付かむ剣幕で迫った。
慣れているのか、素直に受け止めた元就は、顔を小さくしかめる。

「そうかもしれない、けれど………私がいては隆元は大成できない。どこかで一区切り作らないと」

「では、この出奔は、一時的なものであるとでもいうつもりか?」

 少しトーンダウンしたのか、ァ千代の手から力が抜ける。

「うー…そこを突かれると、辛いなぁ…」

 だだを捏ねるよう子供をあやすようにァ千代の掌を撫でながら引き離し、元就は言う。

「天下を欲しなければ、毛利は安泰だよ。むしろ大きな力を持てば持つ程、人は力を恐れる。
 恐れはやがて疑心を生み、敵意を育むものさ」

「だから毛利から力を削ぐ為に、姿を消すというのか…」

 元就がゆっくりと瞬きした。ァ千代の問いかけを肯定したのだろう。

「……私もいい年だ、そろそろ自分の為に生きてみたいんだよ」

 許してくれるね? と自嘲とも照れとも取れる曖昧な笑みを見せる。
ああ、だめだ。この人はもう決めてしまっている。
そして自分にはこの賢人を引き留められるだけの言葉は、ない。
その事実が悔しくて、痛くて、堪らない。

「…単なる我が儘だ、詭弁ではないか。貴様の代わりなど、この家にはいないというのに…」

「おや、拗ねてくれるのかい? 嬉しいなぁ。けどね、ァ千代。もう許してほしいんだ。
 私は確かに君には一目も二目も置いている。だけど君の父君の代わりは出来ても父君にはなれない。
 毛利は毛利、立花は立花だ、その剣は決して、毛利の剣にはなれないんだよ。
 力を貸してくれてることには感謝しているよ、でももう十分だ」

「す、拗ねてなどいない!! 変なことを言うな!! 
 それに、立花の剣は立花の誇り…毛利の剣でないのは当たり前で…」

「あはは、まだ分からないかな。でも何時かァ千代にもきっと分かる時が来るよ。
 ”この時の為だ”と思える瞬間がきっと来る」

「?」

「剣をとる時も、置く時も」

「失礼なことをいうな! 立花家は私が」

「ァ千代、君は女の子だ。君にしか出来ないことがあるし、その為に、君の傍には君を守り、立花家を背負うことを
 決めた人がいるだろう? きちんと彼と向き合わなくてはね」

 返す言葉を失ったァ千代の横を元就は擦り抜けて歩き出す。

 

 

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