暗躍する影

 

 

 お忍びで出歩いてくるだけだと、城門を預かる兵を体よく謀り、元就は城を後にした。
彼の後が消えた門をずっと黙って眺め続けてどれくらい時間が経ったのだろうか。
それすらよく分からなくなっていた。

「まだ泣けないのか?」

 初めて自身の力量を認めてくれた男との別れは、ァ千代の胸をジクジクと刺した。
その事実を巧く受け入れられずにいると、見兼ねたように声をかけられた。

「胸を貸そうか?」

 何時からそこにいたのか、平然と声をかけてきたのは立花宗茂。ァ千代の夫だ。

「それとも、打ち合うか?」

 何もかもを見通した眼差しで、彼は木刀を投げて寄越した。

「デバガメめ、大した趣味だ」

 木刀を受け取り素振りをしながら悪態を吐いた。

「返す言葉もない。だが、君が心配でね」

 どこまで本気なのかが分からない夫の言葉に表情で嫌悪を訴えれば、

「心配なんだ、本当に。ァ千代は無垢だからな」

「貴様、私を愚弄するのか」

「そうじゃない。ただ自分を認めたというだけで、元就に依存するのは、立花ァ千代らしくない。
 そう言いたかっただけだ」


 暗にファザコンだと指摘された。
悔しい気もするが、実際そうなのだろう。
男児を望まれ、生を受けてみたものの自身の性別はそれとは逆で。
それだけで父を落胆させたに違いない。
 ならばせめて心と技だけでも希望に添おうとしたのに、父の友人の息子―――目前に佇む夫―――にあっという間に追い抜かされた。突然現れたその息子は、父の興味を浚ったばかりか、養子となり、自らまでもを求めた。
 ままならぬ事が多すぎて、鬱屈した感情を打破しようと武者修行の旅に出たのは何時だったか。もう記憶に遠い。
旅中数々の道場を破り、腕は長けたが、抱えた焦りにも似た気の重みは肥大し、虚しさもまた募った。
 そんな折、あの男と出会い、飽和状態にあった欲求は、満たされ、消化した。


「君は素晴らしい武士だね、その力、貸してくれないかい?」

「か、構わないが…私は女だ。男ではない」

「うん、そうだね。でもそれと君の技量と、何か関わりがあるのかい?」

「え…?」

「古事にも勇ましい女性は沢山登場するよ。女性が武芸に長けていても別に珍しいことではないさ」

 

 

『…元就を失った毛利を、私は守ることが出来なかった……私の剣は、まだ児戯の如く、未熟なのだ』

 今ここでの首をとっても、歴史の闇に呑まれた毛利は戻らない。
元就が城を出たあの日に戻れぬのと同じだ。

『…では…私は、これからどうしたらいい? 立花の剣は…一体、誰の為に?』

 思考の渦にズブズブと呑まれゆくァ千代の心情を知ってか知らずか、唐突に邪魔が入った。

「ァ千代さん、早く寝ないと肌に悪いよ?」

 声がした方を見れば、寝間着姿のが襖と襖の間から顔をだしていた。
眠っていたのではないのか!? と慄いたが故に、声が自然と裏返る。

「え?! あ! …あ、あぁ…?」

 そんなァ千代の反応を無視して、は釘を刺すように言う。

「若いから大丈夫! とか思ってるとあっという間なんだからね!?
 ほら、夜はさっさと寝る! 蝋燭だってただじゃないのよ!」

「あ、ああ…」

「ということで、私は先に寝るから。本当に早く寝てね? 
 もしかして寒いの? なら、この子、貸してあげるよ、はい」

 そういってが差し出してきたのは寝所には上げるなと、三成にきつく言い聞かせられたあの狼だ。

「それじゃお休みなさい」

 布団から出るのを嫌がっていた狼を一方的に押し付けて、は再び襖を閉めた。
言葉を失い瞬きしていると、腕の中の塊がもぞもぞと蠢いた。
狼は当てが外れたようにむくれていた。

『な…なんなんだ…この女は……』

「本当に、こんな扱いは……初めてだ……」

 

 

 数日の空白を経て、ついにその日はやって来た。
使いの者に招かれるまま庭園へと赴けば、多くの君主と供の者の視線を集めた。
 戦国の世には珍しい女の君主。
中でも美貌と慈愛の人との前評判が手伝ったこともあってか、はちょっとした有名人だった。
頭巾をかぶり、顔の大半を隠しているというのに、同席する君主達は、折を見ては意味有り気な視線を送って来た。
 事前に対処法を三成に言われていたのだろう。
その都度、伏せ目がちに対応する影武者に、彼らは「おくゆかしい」と度々満足そうな態度を見せた。

『男ってどんな時代でも、猫かぶってる女に弱いんだな〜』

 入れ替わっているが故に一歩引いた立場で全てを見渡せる状態にあるは、人間観察に余念がない。
風光明美な日本庭園の彩りに目を向ける事もなく、集っている者一人一人の様子を観察していた。
 食い気一辺倒そうな者、武辺に誇りがあるのかやたらと腰の太刀を気に掛ける者、小心なのか老齢の従者と話してばかりいる者、懇談の場だと分かっていながら書物を開いていてちっとも顔を上げようとしない者と、十人十色だ。
 集った面々をざっと視線で確認して、

『あー、これはなんというか……まとまりのつかないどうしょうもない集いになりそうねぇ… 』

 見当をつけて、人知れず溜息を吐いた。

『…やっぱ来なきゃ良かったかも。明智さんも代理だったていうし?
 うちも代理にして復興活動してた方が良かったんじゃないの、コレ』

 家康、三成はこの面子に何が感じただろうかと横目で確認すれば、二人も十中八九同じ見解だったようで、何か他のことを考えているのが丸わかりな顔をしていた。
二人と付き合いが長いからこそ分かるその変化に諦めにも似た感情を抱く。
二人が匙を投げた時のことを考えて、再び周囲に視線を走らせれば、何故が自然と松永久秀と視線が重なった。

『! え、あれ? 今…目礼された?』

 久秀は穏やかな眼差しでを見、それから自然な間合いで視線を外した。
意味ありげな仕草にの心が小さく揺れ動いた。
三成・家康・ァ千代はああいったが、やはり彼は悪鬼には見えない。
それともそれが彼の手管なのだろうかと思案し始めた矢先、可愛らしい声が上がった。

「遅れて申し訳ないのじゃ」

 声の出所を探して視線を動かせば、一風変わった装いの少女が庭の石造りの上へと降りていた。
彼女の背後には、関の前で出会った柴田勝家が控えている。

「明智家名代、明智 玉にございまする」

 丁寧に一礼をした少女は、影武者の前へやってくると、

様。先は無礼を働き、なんと申し開きをしたらよいのか…」

 たどたどしい口調で懸命に言葉を紡ぐ。
当然可愛いものに弱いは、目をうるうるとさせて思わず抱き締めそうになる。
だがそれよりも早く、三成の扇が自然な仕草での足の裏に突き立てられた。

「ひにゃぁ!!」

 妙な声を上げしまい、周囲の視線を集めたは慌てて自我を取り戻すと「御免なさい」と述べて身を縮めた。
影武者が広げた扇の向こう側から当たり障りのない応対をする。
その様を色のない眼差しで眺めるのは主催者の松永久秀だ。
 同盟締結とは名ばかりになりそうな懇談会は、全ての出席者が集ったところで、ようやく幕を上げた。

 

 

 一方その頃、領では…。

「本当なのです!! 左近様、信じて下さいまし!!」

 が非常にまずい立場に立たされ始めていた。
厳重な監視の中にある正体不明の物体が起した不可思議な現象を、たった一人で目にしてしまったは、すぐさまその事を左近達の元へと知らせに走った。
 の報告を受けた左近は、時来たれりとばかりに現場に駆け付けたが、物体は微動だにせず、不審な素振りも何一つ見せはしなかった。

さん、本当に見たんですか?」

「本当ですわ!! こう、パチパチと光りましたの!! 大きな大きな目が開いたのです!!」

 懸命に訴えるものの、現実として物体は動かない。それに技術畑の孫市が興味本位で工具片手にあれやこれやととっかかりを探して弄ろうとするものの、徒労に終わった。

「無理だな、目に見えない幕に覆われてるみたいに工具を弾き返しやがる。手出しが出来ねぇんだよ」

「やはり扱えるのは様だけでは?」

 幸村が言い、孫市も匙を投げたと言わんばかりに肩を竦める。

「待って下さい!! 本当に、本当に見たのです!!
 もし、もしこれが良からぬ物であったら、様の御前に差し出すのは危険かと…」

 懸命に訴えるの耳を、棘のある声が詰った。

「おおいやだ。奥向きを預かるとて、忍の妻風情が、重臣の方々に意見などと…怖れ多い…」

「!」

 が驚いて振り返れば、藍色の美しい着物に身を包んだ女達が一人の少女を囲むようにして立っていた。

「……梶様…どうして、こちらに…?」

「どうして? わらわがここにいて何が悪い? わらわは徳川家康の側室ぞ。
 夫不在の今、夫の代わりを務めて何がいけないというのか」

 敵意丸出しの視線で睨まれて、は脅え、飛びあがる。
追撃とばかりに小柄な梶を囲む女達が口々に毒を吐いた。

殿、我が君は寛大なお方であらせられるが、自覚された方がよろしいのではありませぬか?
 本来ならば忍は武士よりも階級が下にある。そなたが梶様に口を聞くなどと百年早いわ」

「ほんに、学のないものはすぐに己が領分を失念する…困ったものです」

「恥というものがないのかしらね?」

「あ……は…はい……も、申し訳……ございませぬ……」

 どんどん小さくなってゆくを不憫に思ったのか、左近が苦笑して間に入った。

「まぁまぁ、お嬢さん方。そう仰らず…さんもよかれと思ってのことですし…」

「島の左近は女好きというのは本当の話ですのね。忍の妻にまで情を掛ける。
 それともそれこそが忍の妻の手腕なのかしら?」

「左近様は我が君一筋と伺っていましたけど、それは間違いですのね」

 まさかそんな切り返しが来るとも思わなかった左近は目を丸くした。
場に言いようのない悪質な空気が蔓延する。はてさてどうしたものかと、左近が顔を顰めていると、騒ぎを聞きつけて顔を出した慶次が、場の空気を豪快に笑い飛ばした。

「はーっはっはっはっはっはっ!! こりゃいい!! 左近、一本取られたねー」

「慶次様!!」

「よう、梶さん。元気かい?」

「わらわは失望しましたぞ」

 小柄な梶がきっと慶次を睨み上げる。

「ん?」

家守護神たる慶次様が、どうしてこの場に残っておいでか!? 我が君に何かあったらどうされるのです?!
 忠勝とていないのだし!! 我が君をお守り出来るのは、貴方様以外に、他に誰がいるというのですか!!」

「まぁまぁ、梶さん、安心しなよ。今回は調略だ。俺みたいなのがいちゃ却ってさんが危険になる」

「でも!!」

 朗らかに慶次は笑い、梶に優しく言った。

「それに、あんたの旦那が一緒だ。さんは無事に帰ってくるよ」

 梶の夫である家康の事を引き合いに出せば、梶は顔を綻ばせた。
心底家康の事を敬愛しているようだ。

「さ、左様か? そう、お思いになられるか?!」

「おう!! 俺は三成より、あんたの旦那の方を宛てにしてるんだぜ?」

 茶室に向かって慶次が歩き出すと、梶は軽く左近に一礼し、後をいそいそとついて行く。
慶次は視線だけで左近に合図を送り、そのまま藍色を纏う一団を連れてその場から去って行った。

「…ふぅ…慶次さんの機転に救われたね…」

「梶様…どうしてあのような意地悪ばかり仰るのかしら…」

「さて、ねぇ…」

 気落ちするの事を労うように左近は言う。

「厄介なお人が城に入ったもんだが、財政を預かる家康の判断は間違っちゃいない。
 あのお人は、節約上手だからね。家康がいない間の財政はあの人に任せときゃ間違いはないでしょう」

「…はい…」

 とはいえ、あの様子ではあの一団がに絡む事は目に見えて分かる。
となれば放置もしておけまい。
左近はやれやれと頭を抱えながら、を促して評議場への道を歩き出した。

『………』

 離れて行くとの別れを惜しむように、その場に残された正体不明の箱がゆらりゆらりと緑色の光を放つ。
だがそれに気が付く者は誰一人としていなかった。

 

 

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今回登場した姫お助けグッズはズバリ、変幻自在の未来のコンパクトカー。勿論移動用グッズです。(12.07.18.)