狂った歯車 |
懇談会が始まって二刻。 「失礼、姫様のお支度に…」 影武者の手を取り、その場から一時離席しようとする。 「女子には女子の事情がある。察せよ」 影武者、で厠へと移動する際、供をしたのはァ千代だ。 「はー、なんか面倒くさい会だねぇ…」 手洗いを済ませ、思い切り中庭の前で伸びをしてストレッチをするに向けてァ千代は溜息を吐いた。 「貴様には野心はないと見えるな」 「天下を平らげるとか、そういうの?」 「ああ」
「そういうの、あまり興味はないかな。もっともっと器の大きな人が、治めればいいと思う。 「変わった女だ」 「お互いさまでしょ?」 肩越しに振り返り、が言えばァ千代が顔を顰めた。 「違いない」 「さてと、戻ろうか。姫様もいい?」 影武者が静かに頷く。 「どうした?」 「ちょっと待って」 が石造りの上へと降りて中庭を横切った。 「よっと…ちょっと待っててねー。怖くないからねー」 蓮の葉の上から雛を救いだし、飾り岩を器用に登る。 「はい、到着。もう落ちちゃだめだぞ〜?」 あるがままの姿で、心優しく振舞うを遠目に見てァ千代は思わず微笑んだ。 『作法は確かに褒められたものではない…。 「…そろそろ行こう。銀狐が心配する」 「うん、今降り…」 掛けられた声に応えて、が白壁へと手を伸ばして身を寄せたところで固まった。 「…………!!」 「どうした?」 その瞬間、目にしたものにの全身から血の気が抜けた。 「ぎ……」 「む?」 「ァ千代さん、どうしようっ?!」 「まさか降りれないのか?」 「そうじゃなくて……!! 誰か、誰か人呼んで、早く!!」 肩越しにが振り返るの時同じくして、他の顔のすぐ傍を、何かが過った。 「壁の向こうで、覆面の人に斬られてる人がいて血塗れになってる…!!」 話している間にァ千代は中庭へと降りて、の手を引いた。 「…見たな…」 「…運の悪い女子だ」 「口を封じよ」 曲者達は言葉少なく意志を確認し合うと、とァ千代を取り囲んだ。 「貴様らに討たれる程、この命安くはない!!」 ァ千代が雷切を構え、が影武者の元へ駆け寄る。 「な、どちらへ!?」 ずざざざーっ!! と滑り込みでもするかのような要領で駆け抜けて、警護班の行き交う通路へと辿り着く。 「曲者!! 曲者がすぐそこにっ!! 厠の壁裏で誰かが斬られて血塗れになってます!!」 そこで叫び声を上げれば、武士達は怪訝な顔をして見せた。 「何、ボヤッとしてるの!? 早くしないと、あの人死んじゃう!! 誰か早くお医者様呼んでよ!!」 金切り声をあげて叫べば、ようやく武士達は動き出した。 「もう、なんなのっ!? この非常事態に…最低ッッッ!!」 叫ぶや否や、はそのまま身を翻した。 「ん? ありゃ、確かの…」 そんなの姿を、明智側の警備を担っている利家が認めた。 「おい、どうした?」 「又左さん?! 丁度いいところに!! ちょっと手を貸して下さい!!」 怪訝な顔をするものの、同時に彼の脳裏には柴田勝家の言葉が浮かび上がった。 『わぬしの目は節穴か。馬の上にいたが、誠の姫よ』 勝家の漏らした独白の真意を見極めようとでもいうのか、彼は望まれるままの後に続く。 「こっち、確かこっちです!!」 延々と続く白壁の廓を二人で走り、二回曲がり角を曲がると、件の現場が見えて来た。 「おい、こりゃなんだっ?!」 利家が叫び、全身に覇気を漲らせる横で、は斬られた武士へと駆け寄った。 「もし、もし、大丈夫ですか?! ねぇ、生きてたら目を開けて!」 声を掛け、脈を測り、その武士に微かに意識があることを確認する。 「…あ…止めさせ………暗殺……」 「だめ、今は話さないで!!」 が自分の着物の帯を解き、包帯代わりに彼の体に巻きつけてきつく縛り上げてゆく。 「その声は…まさか、そこにいるのか?!」 白壁の向こうからァ千代の驚愕の声が上がった。 「ァ千代さん、無事ですか?! 言葉は続かなかった。 「気にいらねぇな!! かかってきやがれ!!」 利家が身構えた。 「貴様は明智の…!! 丁度良いわ!! 積年の恨み、ここで晴らしてくれる!!」 「ああっ?!」 「殿の仇!! その身で思い知るがいい!!」 忍者を交えた覆面集団がどこからともなく現れた。 『マズイ…絶対にこのままじゃ……』 は立ち上がると再び駆け出した。 「誰かあの女を追え」 追い縋ってくる武士の繰り出す一撃を交わし、何度か難を逃れるものの、廓のでこぼこ道に足を取られた。 「キャァ!!」 転んだ直後、隙ありとばかりに斬り込まれる。 「…クックックッ……吹きすさぼう…」 神出鬼没の禍々しい忍者、風魔小太郎だった。 「風魔?! えっ、ちょ、えええっ?!」 動揺しているに小太郎は言った。 「…随分と余裕のある事だ……」 「ハッ!! そうだ、早く助け呼びに行かないと…!! 風魔、助けてくれて有り難う、ここお願いね!」 が立ち上がり再び逃げようとする。 「ッ!!」 「様!!」 三成が舌打ちし、家康が礼もそこそこに席を立つ。 「私が欲するのはの姫、ただ一人だ。誰よりも早く見つけ出し、保護せよ。 「ははっ」 彼の配下が動き出す。
会談前夜、城。 「ふぅ……もういいかしら…」 が一通りの掃除を終えた時。ぱたん、と小さな音がして黒塗りの塊の一角が開いた。 「……あの……何方ですの? 悪戯はよして下さいまし…」 は及び腰になりながら周囲を見回しつつ訴えた。答えはない。 「…あの…」 ぱたん、と音がして開いた一角が閉じる。 「本当に、どなたですの?」 見た事もない塊の起こす不可解な現象が薄気味が悪くて、身震いする。 「……呼んでいる? もしかして、呼んでいますの??」 が独白すれば、その声に応えるように、塊の前方で光がチカチカと点滅した。 「…ごめんなさい、貴方の主は、今ここに居りませんの」 それは分かってでもいるというのだろうか。 「他の方ですの? 何方をお呼びすれば宜しいのですか??」 懸命に意思疎通を図ろうとするに対して、純白の強烈な光が当たる。 「私?」 問いかければ、また肯定の合図のように、小さな光が点滅した。 「…何も、酷い事はしませんか??」 肯定の合図を確認してから、はおずおずと進み、開いたままの羽根の前へと立った。 「まぁ!!」 そこで目にした空間に、は大きく眼を見張った。 「あの、それで…なんですの??」 身を屈めて無人の体の中に問う。 「し、失礼致しますわ」 中腰になり絵の通りに前方の椅子に正座する。
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