狂った歯車

 

 

「…驚かせてしまいました、申し訳ありません…」

 次の瞬間には、男の声がする。
は驚きと共に安堵して、強張らせていた全身から力を抜いた。

「私はAtomic Industry Zero」

「あとみっく? 随分と変わったお名前ですのね。私、服部と申します」

「初めまして、ミス・

「"みす"? "みす"ではなくて服部ですわ」

「失礼、ミス・。ミスとは婚姻前の女性を示す言葉です」

「まぁ、そうでしたの? 失礼しましたわ。でも私、半蔵様の妻です。やっぱり"みす"ではありませんわ」

「度々失礼。では、ミセス

「"みせす"…きっと、奥方を意味する言葉ですわね?」

「はい」

 異様な空間の中で、姿形の見えぬ物と会話する。
一見、常軌を逸しているような行動に見えそうだが、は不思議とこの声に恐れを抱かなかった。
それよりも、あの不気味な悪戯を止めて欲しいと願い、理解を求めようと考えた。
相手の姿形が見えない事は不安だが、忍のように姿を見せられぬ者かもしれない。
こうして会話が成立することが分かった以上、目先に拘らずに本質に目を向けようとしたのだ。

「ミセス・。私に力を貸して下さい。もう時間がないのです」

「時間? お手伝いするのは構いませんけれど、その代りあのような悪戯は止めて下さいますか?」

「すみません。ミセス・。マスターの許しなく人前で話す事は禁じられています。
 私が話してよいのは、この中だけです」

「…まぁ…そうでしたの……それで、私を呼んだのですね?」

「はい。この世界に降り立ち数日、この城の人々を観察しました。そして知りました。
 この城の中、一番、好戦的ではないのが貴方です。
 私は本来であればこの世界にあってはならぬ物です。接触者を違え、悪用されるような事があってはなりません。
 本来であれば、私はマスターと接触し、マスターを護る許しを得ねばなりません。
 その為だけに製造された物ですから。

 ですが、マスターはこの城には不在。刻限は刻々と迫りつつあります。手段は選んでいられません」

「隠密ですのね」

「一部肯定します。私は、私がするべきことを終えれば、消滅するようにプログラムされています」

「ぷろぐらむ?」

「命令です。違える事が許されぬものです」

 良く分かる。自分の夫は忍者だ。
頂く任の重みを想像して、は共感を得たのか、真剣にこくこくと頭を縦に振った。

「分かりましたわ。貴方の事は出来るだけ秘密に致しますね」

「ありがとう、ミセス・

「ところで、貴方の仰るマスターとは何の事ですの?」

「貴方の世界の言葉で主君の事を指します。私のマスターはとされています」

「まぁ! やっぱり様の物でしたね。良かったですわ」

 親友の名を聞いた安心感からか、が破顔する。

「ミセス・。これから大切な話をします。よく聞いて下さい」

「はい、なんですの?」

「…は、これより十四時時間後に死にます」

 機械的な音声が紡いだ言葉と共に、前方の黒い壁に砂時計の絵が現れる。

「この砂が落ち切った時、マスターの命は消えてしまうのです」

「そんなはずありませんわ。様は今家康様と三成様と立花様と共に同盟国の歓談会に…」

「知っています。ですがそこで暗殺が起きるのです」

「そんなっ!! こうしてはいられませんわ、左近様達に知らせなくては…!!」

 入って来た場所から外へと出ようと身を捩るものの、一度閉じた羽根はびくとも動かなかった。

「出して下さい、出して下さいまし!!」

「落ち着いて下さい。ミセス・

「でも、でも、このままでは…!!」

「暗殺を謀られるのは我がマスターではありません」

「え?」

「狙われるのは余所の君主です」

「他国の? それが…どうして様に??」

「…巻き込まれ、現場を見た為に口封じの為に…」

「そんな!! ど、どうしましょう? どうしたらいいんでしょう?」

「このような困難を退ける為に、私が送られました」

「貴方が?」

 が砂時計の絵が移り続ける前方へと体の向きを戻した。

「はい、私は、これからマスターを迎えに行かねばなりません」

「そんな、無茶ですわ。ここから十日はかかる距離ですのよ?」

「私には、それが出来るのです。ミセス・。私を信じ、貴方の力を貸して下さい」

「力を貸す…?」

「はい、私はマスターを救わねばならない。行く事も容易い…だが…それだけでは…」

「駄目なのですか?」

「はい。容量に難があり、私にはマスターの顔はインプットされていません」

「容量?? いんぷ……なんですの? ごめんなさい、私には難しくてよく分かりませんわ」

 の言葉を受けて、マシンが簡潔に言い直した。

「私はマスターの顔を知りません」

 そこでようやくは理解したとばかりに大きく頭を振った。

「それで…私ですのね?」

「はい。この数日、観察し推測しました。
 貴方はマスターの事をよくご存じのようです。ならば、顔も知っているはずです」

「ええ、ええ。よく存じ上げておりますわ」

「私はマスターを護らなくてはなりません。この身に代えても。力を貸して下さい。」

 淡々と紡がれる言葉には誠意や切迫感はあまりない。
けれども目の前で刻々と落ち続ける砂時計の絵を見ていれば、断る気にはなれなかった。

「分かりました。お力添えいたしますわ」

「ありがとう、ミセス・
 では、正座を解いて図のように座り直して下さい。そうです、座席に深く腰を落ち着けて…。
 次に足を伸ばして右足に二つの凸が触れるようにして下さい」

「こう…かしら…?」

 機械的な音声の指示をより分かりやすくするためなのか、前方の黒い壁にまた映像が出る。
その映像通りに座っている椅子に座り直した。
 はその指示に従いのろのろと姿勢を改めた。

「気を楽にして、シートベルトを装着して下さい。後の微調整はこちらで行います」

「はい、お願い致しますわ」

 ベルトを固定して、背もたれにゆったりと身を任せた。
塊の内部に鮮やかな緑の光が走った。光は網目のように走り、頭上から爪先まで、を包み込む。
何が起きているのか分からず不気味だった。
怖いとは思うものの、親友の危機と知れば今は耐えるしかないのだと、は唇を噛み締めた。
両手を胸の上で合わせて、不安に大きな瞳を潤ませる。
 網目の光は、の身体的特徴を図る為のものだったようで、頭の先から爪先まで寸分違わず読み取り終えると、自然に消えた。
 快適に過ごせるようにとても言うのだろうか。
読み取った情報を元に、座席の高さや角度、広さが自動的に調整された。

次にの両の爪先に向って橙色の光の糸が放たれた。

「きゃ!!」

「動かないで下さい。大丈夫です、どうかご安心を…履物を用意しているだけです」

「わ、草鞋…ですか? それなら外に…」

「いえ、専用の履物でなくては危険です」

「そうですの」

 言われるまま身を任せれば、橙の光の糸はの足を囲う靴を作り出した。

「変わった装いですのね。それにとても軽く感じます…まるで履いていないみたい」

「正確には何も履いていません。
 私の中だけで使用可能な機能を、ホログラムによって再現し、目に見てそうと分かり易いようにしているだけで…」

「あの、難し過ぎて私には良く分かりませんわ」

 が眉を八の字に曲げて言葉を遮れば、声の主はすぐに紡ぐ言葉の内容を切り替えた。

「…全ての準備は整いました。貴方の心のみです。準備はよろしいですか?」

「ええ。私は何時でも構いません。でも、このことを何方かに知らせなくて構いませんの?」

「私の言葉では、誰も信じてくれません。そしてもう一刻の猶予もありません」

「分かりました。参りましょう」

 がそう言い、表情を改めた。

「一度深呼吸をして下さい」

「はい」

「3つ数えた後、起動します。…3…2…1…」

 機械的な音声が途絶えて、塊の中に光っていた灯りと映像とが消えた。
次の瞬間、ドゥドゥドゥ…と塊が躍動し始める。
真っ黒な壁だと思われていた前方の壁が透き通ってゆき、透明になる。
前方だけではない。開閉を繰り返していた四枚の羽根と、後方の羽根の上部もまた透明になった。

「まぁ、まぁ、まぁ!!」

 驚き興奮しが目を丸くして、声を上げる最中、塊が動き出した。

「なんだ…? 何の音だ?」

 ドゥドゥドゥ…と鳴りだした不可解な音を聞きつけて、廓の見回りを担っていた二名の兵が足を止める。
彼らは先日姿を現した巨大な物体を覆い隠す為に作られた木の囲いの向こう側へと、槍を構えて近寄って行く。
木の囲いの向こう側には転がった桶があり、まだ生乾きの砂と、その上に点々と続く足跡がある。

「誰か中にいるのか? 出て来い!!」

 警告を発して、しばし待つが反応はない。
が、次の瞬間、木の囲いが何かに突き破られた。

「ヒッ、うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 音に驚き、黒光りする塊の躍動に我が目を疑い、兵がその場に腰を抜かす。
そんな兵には目もくれず、黒い塊は走り去った。

「…う、動いた!! 動いたぞッ!! 化物だ!!」

「それよりも、今見たか?!」

「え?!」

 対極で腰を抜かす兵が、絶叫した。

「あの化け物、様を喰ってたぞ!!」

 妻の為なら悪鬼でさえ素手で殴り殺しそうな愛妻家・服部半蔵。
彼の事を思い描き、二人は同時に顔を見合わせると悲壮感溢れる絶叫をした。
二人は取る物も取らずに立ち上がり、上官の姿を求めて駆け出した。

 

 

「宜しいですか。ミセス・

「は、はいっ。なんでしょう?」

 流れて行く景色の速さに戦いて、両の瞼を閉ざしていたに、機械的な声がかかる。

「目的地までは多少時間がかかります。その間、私の扱い方をまとめた映像をご覧下さい」

 慄くの精神状態を考えると、このままでは思うようにスピードも上げられないと考えたのだろうか。
機体はフロントガラスやサイドガラスを黒色に戻し、代わりにそこにメルヘンな映像を流し出した。
映像の中ではデフォルメされたウサギとカメが懇切丁寧に、ハンドルの握り方からアクセル・ブレーキの踏み方から、ミラーの活用法までを話し始めた。
 「やってみよう」の文字に誘われて、は指示通りにハンドルを握る。

「まぁ、まぁ…」

 がメルヘンな映像による運転教習に熱中し始める頃、車体はぐんぐんとスピードを上げ始めた。
木々が作りだした自然のトンネルに突っ込んだ黒光りする車体が、スピードを上げる為に変形し始める。
車高が下がり、ミニバンだった見目が、スピード重視のスポーツカーの見目へと変化して行く。
無人の後部座席が倒れて、角ばった形の車体が、一つの大きな弾丸のような形に姿を変えた時。
木々で作られたトンネルは、車体の巻き起こす風に揺さぶられて大きくしなった。

「ん…? 何の音だ?」

 銀色の雲に覆われた闇の中から、聞いた事もないように唸り声が響いてくる。
徐々に近づいてくるそれは、悪しき者の発する咆哮のようで気味が悪かった。
領の関所に詰める兵は、二八蕎麦の屋台を引くオヤジと共に顔を上げて、音のする方を眺めた。

「何でしょうなぁ…?」

 オヤジと並んで眼を細くして視界を利かせ、門兵に不審な音がすると、詰所の二階から伝える。
その最中、音の主が姿を現した。

「なッ?!」

 異形の物体が物凄い速さで突進してくる。

「ば、馬鹿なッ!!! なんだ、あれはっ!!」

 門兵が弓を構え「止まれ!!」と威嚇するも、塊に止まる気配はない。
二八蕎麦のどんぶりを抱えていた兵が器を放り出し、慌てて警鐘を鳴らした。
気が付いた兵達が慌ただしく動き出した。
皆手に槍を取り、詰所から関所へと降りてゆく。
 櫓に詰めていた弓兵は矢を番えて威嚇斉射を開始した。

「馬鹿な、弾いてるだとっ?!」

 目を丸くし、戦慄に顔を歪める一同の視線の中、塊は山肌へと身を寄せて行く。
街道に突き出ている岩を足場にしたのか、次の瞬間には、塊の体は大きく弾んで山肌にぴたりと貼りついた。

「ひっ、うわぁ!!!」

 関所に設けられた砦を迂回するように山肌を疾駆した塊は、あっという間に国の関所を突破した。

「…なんだったんだ…今の…」

「ナッ?! 今、今なんか…通ったよな!? 目の錯覚じゃないよな?!」

 怖ろしいほどの速さ。
矢を全て弾き返した屈強さ。
何よりも、巨大な蜘蛛のように関所の側面となる壁を走り抜ける異形の能力に、関所に詰める兵達は顔を青くする。
そして彼らは、次の瞬間には、自分達の侵した失態に気がついて動き出した。

「おい、国元に知らせろ!! 関所破りだ!!」

「や、でも今の、から出てったぜ?!」

「どっちでもいい、あんな化け物野放しにしたら、様の御名に傷が付くぞ!!」

「馬を引けっ!! 追ってひっ捕らえるのだ!!」

「いや、そりゃ構わないけどよ…どこどうやって追うんだよ?」

「え?」

 走り去る塊の動きを目で追う弓兵が独白した。
彼の視線の先、くねる山道の上では、砂煙を巻き上げて駆け続ける塊。

「…騎馬じゃ追いつけないんじゃないのか…アレ…」

 兵の独白通り、塊はあっと言う間に見えなくなった。

 

 

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