狂った歯車 |
「…驚かせてしまいました、申し訳ありません…」 次の瞬間には、男の声がする。 「私はAtomic Industry Zero」 「あとみっく? 随分と変わったお名前ですのね。私、服部と申します」 「初めまして、ミス・」 「"みす"? "みす"ではなくて服部ですわ」 「失礼、ミス・。ミスとは婚姻前の女性を示す言葉です」 「まぁ、そうでしたの? 失礼しましたわ。でも私、半蔵様の妻です。やっぱり"みす"ではありませんわ」 「度々失礼。では、ミセス」 「"みせす"…きっと、奥方を意味する言葉ですわね?」 「はい」 異様な空間の中で、姿形の見えぬ物と会話する。 「ミセス・。私に力を貸して下さい。もう時間がないのです」 「時間? お手伝いするのは構いませんけれど、その代りあのような悪戯は止めて下さいますか?」 「すみません。ミセス・。マスターの許しなく人前で話す事は禁じられています。 「…まぁ…そうでしたの……それで、私を呼んだのですね?」
「はい。この世界に降り立ち数日、この城の人々を観察しました。そして知りました。 「隠密ですのね」 「一部肯定します。私は、私がするべきことを終えれば、消滅するようにプログラムされています」 「ぷろぐらむ?」 「命令です。違える事が許されぬものです」 良く分かる。自分の夫は忍者だ。 「分かりましたわ。貴方の事は出来るだけ秘密に致しますね」 「ありがとう、ミセス・」 「ところで、貴方の仰るマスターとは何の事ですの?」 「貴方の世界の言葉で主君の事を指します。私のマスターはとされています」 「まぁ! やっぱり様の物でしたね。良かったですわ」 親友の名を聞いた安心感からか、が破顔する。 「ミセス・。これから大切な話をします。よく聞いて下さい」 「はい、なんですの?」 「…は、これより十四時時間後に死にます」 機械的な音声が紡いだ言葉と共に、前方の黒い壁に砂時計の絵が現れる。 「この砂が落ち切った時、マスターの命は消えてしまうのです」 「そんなはずありませんわ。様は今家康様と三成様と立花様と共に同盟国の歓談会に…」 「知っています。ですがそこで暗殺が起きるのです」 「そんなっ!! こうしてはいられませんわ、左近様達に知らせなくては…!!」 入って来た場所から外へと出ようと身を捩るものの、一度閉じた羽根はびくとも動かなかった。 「出して下さい、出して下さいまし!!」 「落ち着いて下さい。ミセス・」 「でも、でも、このままでは…!!」 「暗殺を謀られるのは我がマスターではありません」 「え?」 「狙われるのは余所の君主です」 「他国の? それが…どうして様に??」 「…巻き込まれ、現場を見た為に口封じの為に…」 「そんな!! ど、どうしましょう? どうしたらいいんでしょう?」 「このような困難を退ける為に、私が送られました」 「貴方が?」 が砂時計の絵が移り続ける前方へと体の向きを戻した。 「はい、私は、これからマスターを迎えに行かねばなりません」 「そんな、無茶ですわ。ここから十日はかかる距離ですのよ?」 「私には、それが出来るのです。ミセス・。私を信じ、貴方の力を貸して下さい」 「力を貸す…?」 「はい、私はマスターを救わねばならない。行く事も容易い…だが…それだけでは…」 「駄目なのですか?」 「はい。容量に難があり、私にはマスターの顔はインプットされていません」 「容量?? いんぷ……なんですの? ごめんなさい、私には難しくてよく分かりませんわ」 の言葉を受けて、マシンが簡潔に言い直した。 「私はマスターの顔を知りません」 そこでようやくは理解したとばかりに大きく頭を振った。 「それで…私ですのね?」 「はい。この数日、観察し推測しました。 「ええ、ええ。よく存じ上げておりますわ」 「私はマスターを護らなくてはなりません。この身に代えても。力を貸して下さい。」 淡々と紡がれる言葉には誠意や切迫感はあまりない。 「分かりました。お力添えいたしますわ」 「ありがとう、ミセス・。 「こう…かしら…?」
機械的な音声の指示をより分かりやすくするためなのか、前方の黒い壁にまた映像が出る。 「気を楽にして、シートベルトを装着して下さい。後の微調整はこちらで行います」 「はい、お願い致しますわ」 ベルトを固定して、背もたれにゆったりと身を任せた。 「きゃ!!」 「動かないで下さい。大丈夫です、どうかご安心を…履物を用意しているだけです」 「わ、草鞋…ですか? それなら外に…」 「いえ、専用の履物でなくては危険です」 「そうですの」 言われるまま身を任せれば、橙の光の糸はの足を囲う靴を作り出した。 「変わった装いですのね。それにとても軽く感じます…まるで履いていないみたい」 「正確には何も履いていません。 「あの、難し過ぎて私には良く分かりませんわ」 が眉を八の字に曲げて言葉を遮れば、声の主はすぐに紡ぐ言葉の内容を切り替えた。 「…全ての準備は整いました。貴方の心のみです。準備はよろしいですか?」 「ええ。私は何時でも構いません。でも、このことを何方かに知らせなくて構いませんの?」 「私の言葉では、誰も信じてくれません。そしてもう一刻の猶予もありません」 「分かりました。参りましょう」 がそう言い、表情を改めた。 「一度深呼吸をして下さい」 「はい」 「3つ数えた後、起動します。…3…2…1…」 機械的な音声が途絶えて、塊の中に光っていた灯りと映像とが消えた。 「まぁ、まぁ、まぁ!!」 驚き興奮しが目を丸くして、声を上げる最中、塊が動き出した。 「なんだ…? 何の音だ?」
ドゥドゥドゥ…と鳴りだした不可解な音を聞きつけて、廓の見回りを担っていた二名の兵が足を止める。 「誰か中にいるのか? 出て来い!!」 警告を発して、しばし待つが反応はない。 「ヒッ、うわぁぁぁぁぁぁ!!」 音に驚き、黒光りする塊の躍動に我が目を疑い、兵がその場に腰を抜かす。 「…う、動いた!! 動いたぞッ!! 化物だ!!」 「それよりも、今見たか?!」 「え?!」 対極で腰を抜かす兵が、絶叫した。 「あの化け物、様を喰ってたぞ!!」 妻の為なら悪鬼でさえ素手で殴り殺しそうな愛妻家・服部半蔵。
「宜しいですか。ミセス・」 「は、はいっ。なんでしょう?」 流れて行く景色の速さに戦いて、両の瞼を閉ざしていたに、機械的な声がかかる。 「目的地までは多少時間がかかります。その間、私の扱い方をまとめた映像をご覧下さい」 慄くの精神状態を考えると、このままでは思うようにスピードも上げられないと考えたのだろうか。 「まぁ、まぁ…」 がメルヘンな映像による運転教習に熱中し始める頃、車体はぐんぐんとスピードを上げ始めた。 「ん…? 何の音だ?」
銀色の雲に覆われた闇の中から、聞いた事もないように唸り声が響いてくる。 「何でしょうなぁ…?」
オヤジと並んで眼を細くして視界を利かせ、門兵に不審な音がすると、詰所の二階から伝える。 「なッ?!」 異形の物体が物凄い速さで突進してくる。 「ば、馬鹿なッ!!! なんだ、あれはっ!!」 門兵が弓を構え「止まれ!!」と威嚇するも、塊に止まる気配はない。 「馬鹿な、弾いてるだとっ?!」
目を丸くし、戦慄に顔を歪める一同の視線の中、塊は山肌へと身を寄せて行く。 「ひっ、うわぁ!!!」 関所に設けられた砦を迂回するように山肌を疾駆した塊は、あっという間に国の関所を突破した。 「…なんだったんだ…今の…」 「ナッ?! 今、今なんか…通ったよな!? 目の錯覚じゃないよな?!」 怖ろしいほどの速さ。 「おい、国元に知らせろ!! 関所破りだ!!」 「や、でも今の、から出てったぜ?!」 「どっちでもいい、あんな化け物野放しにしたら、様の御名に傷が付くぞ!!」 「馬を引けっ!! 追ってひっ捕らえるのだ!!」 「いや、そりゃ構わないけどよ…どこどうやって追うんだよ?」 「え?」 走り去る塊の動きを目で追う弓兵が独白した。 「…騎馬じゃ追いつけないんじゃないのか…アレ…」 兵の独白通り、塊はあっと言う間に見えなくなった。
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