狂った歯車

 

 

「暗殺だ!! 暗殺だぞ!!」

「ええい、首謀者は誰だ!! 誰を狙っている?!」

 多くの君主がより合っていることが災いした。
情報が錯綜し、皆が疑心暗鬼に陥る。
標的とされていない者までもが、自分が狙われているのではないかと焦り、首謀者探しに血眼になった。

「貴様、この機に乗じて儂を殺そうという腹だろう!!」

「貴様こそ!! わしは端から貴様の事など信用出来ぬと踏んでいたわ!!」

 生死が関わる場となれば、誰しも形振りは構わない。
互いに罵り、謗り合い、ついには抜刀した。

「チッ…まともな神経の奴はいないのか」

 入り乱れる人々を押しのけ、三成が毒を吐く。

様…何処におわす!!」

 家康が今にも泣き出しそうな、苦しげな顔をした。

「悲観するな、家康。しぶとい女だ。必ず生き伸びている」

 淡々と言う三成は、それ以外の可能性を完全に否定していた。
断定的な物言いがこれ程心強く思えた事はないと、家康が頷く。
 家康がここまで焦る理由…それは、一重に自身の装備にあった。
懇談の場、政治力がものを言う場という事で、此度の来訪には家康は筒槍を持参していなかった。
隠し持って来ようかと思ったが、出立前にに入念に荷物をチェックされ、没収を食らっていたのだ。
三成の武器は、扇だけあってそこまで物騒には見えない。
立花ァ千代は、懇談の場を通じて他勢力への返還が見込まれている為にさして問題はなしとされていた。
それだけの理由で、傍につき従う事を望まれながら、愛用の武器の持参を禁じられたのは家康だけだったのだ。
 脇差に手を掛けて、家康はおろおろと辺りに視線を配る。
調略を施しはしたものの、頼みの綱の弱小勢力はここに来て逃げ出すか、互いに相争うかに徹している。
一番目を光らせねばならない明智・松永両家の主の姿は既にここにない。
これで焦るなという方に無理がある。

「おい、今回の出所はらしいぞ!!」

 挙句、どこからともなく、こうした声が上がった。

「馬鹿な!! かような乱を起して、我らに何の得がある!?」

 三成が激昂して否を唱えたが、保身に入って形振り構わなくなっている者達の耳には、彼の言葉は届かなかった。

 

 

 情報の錯綜が呼んだ余波は、逃げ回っている達の身も脅かし始めた。
最初は暗殺を目論んだ覆面の曲者達だけに立ち向かえば良かったのだが、途中からそうではなくなった。
 「切り捨て御免!!」とばかりに、出会い頭に無関係であるはずの武士に斬り付けられた。

「いきなり人に斬りかかっちゃいけませんって、お母さんに教わらなかったの!?」

 体捌きで避けて、斬りつけて来た武士の事を蹴り飛ばし、が怒鳴る。

「失せよ!!」

 背後から振り込まれる刀を雷切で受けて、雷球を叩きつける。
力強く武士を弾き飛ばしての背を護ったのは、ァ千代だ。

「助けてくれて有り難う」

 ァ千代と背中合わせになった時に言えば、ァ千代は言った。

「もののついでだ。臣にはならぬ」

「知ってるわ」

 言葉少なく交わして、二人は同時に離れて敵をいなした。
離れたところで風魔と利家が大立ち回りを演じている。
こうなってくると、は痛感せずにはいられない。
今までどれだけ心強く、腕っ節の強い猛将達に自分が護られていたのかを…。

『慶次さん、幸村さん、左近さん…せめて、せめて、孫市さんだけでもいてくれたなら……!!』

 願ってもそれは虚しい幻でしかなくて、現実には起こりはしない。
までの距離はここから優に十日。
奇跡でも起きなければ、この地への助っ人は現れるはずもないのだ。

『…三成…家康様……どうか、二人とも無事でいて…』

 

 

 三成と家康は懇談の場となった日本庭園からの脱出が出来ないままでいた。
血走った眼差しで襲いくる武士達に斬りかかられ、それをいなすのに手一杯になっていたのだ。
真の首謀者ではない家の家臣としては、向かってくる者の命を奪えばそれだけで決定打になってしまう。
仮にそうでないと疑惑を晴らせる日が来るとしても、それまでの苦労を思えばそう易々とその選択肢は選べない。
その為には、向かってくる本気の武士の相手を、手加減してしなければならなかった。
 がどこでどのような目にあっているのか分からないだけでも苛立たしいというのに、事はそれでは収まらない。
彼ら二人を取り囲んでいた余所の君主が、密かに連れて来ていた鉄砲隊を持ち出して来たのだ。

「正気なのか?! この状況で撃てば…!!」

「構わん、やれっ!!」

 我を失っている主の声に忠実に従った鉄砲隊からの砲撃で、何人もの死傷者が出た。
三成、家康は、庭園の飾り石や樹木の影に身を投じで、辛うじて難を逃れた。
懇談の地は、益々もって混迷と危険を深めていった。

 

 

 ズガガァーン!! と銃声が木霊した。
咄嗟に軌道にいたと自分の位置を入れ替えて、ァ千代はを庇った。
よろめいて転んだが両手を大地について起き上がろうとすれば、後方から悲鳴が上がった。
の眼前を血飛沫が染める。

「ァ千代さん?!」

 銃弾を受け、怯んだところを斬り付けられたらしいァ千代の肩に赤い染みが浮いている。
それでも彼女は膝をつくことを善しとはせず、雷切を揮い、斬りつけて来た者を突き斬った。

「おい、大丈夫か?!」

 追いついてきた利家が助太刀に入り、鉄砲隊へは風魔が斬り込む。
その間には懐から取り出した手拭いでァ千代に止血を施し、彼女を肩で支えて逃れようとする。
利家はそんなの事を見、肩を掴んで引き留めると口早に問いかけた。

「なぁ、アンタ!! 確認させてくれ、本当はアンタがの姫なのか?!」

 真っ直ぐな目で問われて、は言葉を失った。
答えれば、この場で今彼に斬り殺されてしまうかもしれない。
けれども、彼に対しては嘘はつけない。そんな気がした。
は無意識の内に、彼の中に自分の傍に何時も寄り添ってくれていた傾奇者の面影を見たのかもしれない。

「…はい……そうです」

 小さくが相槌を打った。
利家が納得したとばかりに頭を縦に振る。

「やっぱ叔父貴の目はすげぇぜ。姫さん、安心しろ。ここを突破できるまではこの槍の又左が護ってやらあ!!」

「本当ですかっ?!」

「ああ!! 女も護れなくちゃ武士の名が廃るぜ!!」

 「こっからは本気だ!!」と利家が吼えて天侠一文字を引き抜いた。

「居たぞ!! こっちだっ!!」

 入り組む廓の向こうから新手が現れる。
抜刀して駆けてくるのは松永久秀の手の者だ。

の姫の従者か…ということは近くにいるはず!! 一刻も早く探し出せ!!」

「邪魔をする者は斬って捨てよ!!」

 彼らは逃げあぐねているとァ千代には目もくれず、影武者を探していた。
声を聞いた利家が眉を動かし、も息を呑む。

「行け、ここは俺が預かる」

 まだ誰が真の姫なのか、ばれてはいないと案に利家は示唆した。
は素直に頷いた。 
 彼が猛々しく武を揮い始めたのを確認すると、はァ千代を連れて最寄りの蔵の中へと逃げ込んだ。
その蔵は酒蔵だったようで、甘い匂いが鼻孔をついた。
咄嗟にはその場にァ千代を降ろすと、清酒の樽を探し始めた。
程無く見つけ出した樽の中から酒を掬い上げ、ァ千代の元へと戻る。

「ァ千代さん、ちょっと痛いかもしれないけど……消毒するから!! 我慢してね」

 ァ千代の着物を剥ぎ、エタノール代わりに傷口へと清酒を吹きつける。
それから己の着物の袖を破って、傷口へと押し宛てた。
着物を戻して圧迫し、出血を押さえようとする。

「違う!! あれはくのいちだ!! 探せー!! 姫は別にいるぞ!!!!」

 とうとう松永の手の者に正体がばれたようだ。
蔵の外で武士の声が上がった。
計らずもは暗殺者と、松永久秀の手の者に狙われる立場になってしまったようだ。
どちらに見つかってもろくな目には合わないのではないかと、背筋が寒くなる。
 は、もっと奥に身を隠そうと、ァ千代を支えて歩き始めた。

「ァ千代さん、頑張って!! 必ず、どうにかなる!! きっと三成達が助けにきてくれるはずだから!!
 だから苦しいだろうけど、頑張ってね!!」

『……馬鹿な……何故、私は……この女を庇った? どうして…?
 放っておけば死んだはずなのに…何故私は……この女を助けたのだ…?』

 ァ千代は朦朧とする意識の中で懸命に答えを模索していた。

『それに……どうして…お前は私と共にいる? 立花を捨て置けば……生き延びることとて容易に出来るはず…
 …なのに…何故…逃げない?』

 視線を走らせれば、幅のある階段をせっせと登り、階上へと逃れようとするの横顔が目に入る。

"女も護れなくちゃ武士の名が廃るぜ!!"

 咄嗟に、利家の言葉が耳に蘇った。

『そうか、そうだな…その通りだ…。立花は、武士。女を…弱き者を護っただけにすぎぬ。
 だがお前は違う……武士ではない……ならば……立花がとるべき道は……一つだ……』

 そう納得し、青白くなり始めた唇を緩々と動かした。

「立花のことはよい……逃れよ……」

「そうね、逃げるから。だから、今は喋らないで」

「そうではない……立花を置いて…」

「残念だけどね、その選択肢はないのよ」

 違うと、意地ではないと、ァ千代は首を横へと振った。

「貴様が生きねば、庇った立花の立つ瀬がない…じき、追手もここに現れる」

「!」

 が目を見開けば、ァ千代が視線を動かした。
習って視線を動かせば、二人が移動してきた道なりにァ千代体から溢れた血が点々と続いていた。

「そうだ……おいて行け……銀狐の元へ……」

 は葛藤するかのようにしばし押し黙る。
けれども脳裏に擡げた悪い考えを払しょくするように首を強く横へと振ると、再びァ千代と共に階上を目指した。

「聞こえなかったか?! おいて行けと…」

「あのね、ァ千代さん」

 帯を解いたとはいえ、締め付けの厳しい着物で手負いの人間を一人支えて階段を上るのは難儀なようで、はふうふうと息を吐いている。

「ここからまでどれだけ距離があるか御存じ?」

「!」

「十日、あるんだよ。足掻いたって、今日明日中に逃げ延びられる距離じゃないの。
 ならここでもたもたしてたって同じよ。貴方が私を助けてくれたように、私も貴方を助ける。それだけの話よ」

「し、しかし…」

「もう話さないで。さっき貴方が言ったばかりだよ。
 助けたのに死んだら意味がない。それは私も同じ。皆で生きて、帰ろうね」

 の言葉を聞いて、ァ千代は視線を伏せた。
彼女の眦には薄らと熱いものが込み上げていた。

 

 

 その頃、領では。

「なんじゃとっ?! 服部が姿を消したじゃと?!」

 金蔵を預かる梶の方が報告を聞いて激怒していた。
彼女はヒステリックに叫ぶと勢いよく立ちあがった。
せかせかと足を速めて、件の現場へと訪れた。
そこでは孫市が腰を落とし、険しい顔をして消えた物体の痕跡を見聞していた。

「どうです? 孫市さん」

 左近が問えば、孫市は険しい顔をして立ち上がった。

「嫌な予感がするぜ…秀吉はどうしてる?」

「大殿は幸村さんと慶次さん連れて救援物資の輸送に出てますよ」

「そうか、すぐに呼び戻してくれるか」

「孫市さん?」

 忙しなく歩き出した孫市が言う。

「兵の話じゃ、さんが食われてたって話だよな?」

「ええ、まぁ……胡散臭い話ですがね」

「恐らく食ったんじゃないだろ、それ」

「どうしてそう思うんですか?」

「野生の獣だってもっと食うもんだ。あれだけの質量で動くとすりゃ、餌が女一人ってのは少なすぎる」

「じゃ、何だって言うんですか?」

 左近が後を追えば、彼は階上へは向かわずに城の外を目指した。

「女神の所持品だとしたら、どうだ? 今の今まで寝てたんだぜ? それが突然覚醒するとしたら、どんな時だよ?」

「主に危険が及んだ?」

 「ああ」と孫市は言い、すぐに視線を左近から外した。
孫市は自分に仕えている兵に向い、簡潔に言った。

「お前ら、用意しとけ。雑賀衆の出番だぜ」

 左近の制止を聞くまでもなく、彼は勝手に動き出した。
城門前に残った左近は、眉間にしわを寄せて頭を掻いた。

『まだ姫の所有物と決まったわけじゃないでしょうが』

「左近様、どうされますか?」

 命を待つ兵に対して、左近は溜息を一つ吐いて見せてから伝令した。

「孫市さんの言った通りだ。大殿達に渡りをつけてくれ」

『仮に姫の所持品じゃなかったしても、勝手に動いてんだ。見過ごせないね』

「御意に」

 兵が駆けだして行くのを見送り、階上へ戻ろうと左近が身を翻す。
そこで左近はその場に梶の方が訪れている事を知り、嫌な予感に引き攣った笑みを浮かべた。
真正面から視線が合った梶の方は、爛々と輝く眼差しを湛えて、嬉々とした様子で口を開いた。

「左近様」

「な、なんですかね…?」

 幼い容姿を持つ姫の醸し出す凄まじい気迫。
それに気圧されして左近がたじろぐと、梶の方は桜色の美しい唇を歪めて嗤った。

「先程、孫市様はこう仰ったように聞こえました。"殿は食われてはいない"と」

「ええ、そうですね」

「わらわもそう思う」

「は、はぁ…それで、何でしょう?」

 侮蔑の眼差しを隠しもせずに梶の方は言う。

「まだ分からぬか。あのように大きな物が勝手に動くはずがなかろう!! 
 ということは、考えられる可能性は一つじゃ。服部が横領したに違いない!!!」

「え、ええええっ?!」

 左近があんぐりと口を開けて、叫ぶと、梶の方は勝ち誇った笑みを可愛らしい顔に貼り付けた。

「わらわは徳川家康の名代を勤めております。
 の財は、それ即ち、様の財。勝手に使う事は許されませぬ!!!
 わらわは徳川家康の名代として、服部の横領を告訴するものとする!!!」

「えええええええっ?!?!?!?!?!!!!!」

 この時代、十両盗んでも首が飛ぶ。
資産価値が推し量れぬものとは言え、重鎮の間ではあの正体不明の物体は、の私物であるとの見解が固まっている。と、すれば、梶の方の告発通り横領であった場合、確実にの首は飛ぶことになる。

 だが敏い左近には彼女の告訴状を取り下げる事は不可能である事がすでに分かっていた。
何故なら、あの箱が、独自に動いたという証拠がない。
仮にそれがあったとして、誰がそれを証言するというのか。
かの箱の異常な動きを目にしているのは、横領犯とされているだけだ。

「ここでの議論は無用。申し開きは本人に、奉行所でして頂こうぞ!!」

 ふふんと鼻を鳴らして着物の裾を翻し、梶の方は金蔵へと戻って行った。
藍色を纏う取り巻き集団も倣って移動する。

『戻って来た時がそなたの最後ぞ!! 服部!!!』

「ふふふふ、あははははは、あーははははははは!!!」

 隠す事もなく高笑いしながら去って行く梶の方の後姿は、羽根でも生えているかのように浮き足立って見えた。

「ちょ……マジかよ……? こんな時に……」

 呆然とする左近はようやく独白し、続いて頭を抱え込んだ。

 

 

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