ΑΚΊΑΣ - 孫市編

 

 

「話があるんだ」

「だと思った」

 相変わらず聡いは、一を語らずとも十を理解する。
拒絶されるかもしれないと多少なりとも構えたが、は一応聞く耳はまだ持っているようだ。
孫市を改めて自室に招き入れた。

「お茶入れるから、どうぞ」

「いや。流石に今夜は遠慮しとくぜ」

 茶筒を取り上げたが珍しいこともあったもんだと、瞬きした。

「分かった。じゃ、伺いましょう。座って」

 は茶筒を茶箪笥にしまった。
引っ張り出してきた座布団を孫市に勧めて、自分は上座となる布団の上に腰を下ろした。

「…何から話したもんだが、悩ましい所ではあるんだが…」

「孫市さんのペースでいいよ?」

 座布団の上に胡坐をかいた孫市が多少なりとも居心地が悪そうに頭を掻く。

「その、なんだ。例の朝帰りは誤解なんだよな〜」

「へぇ、そう」

 声は軽いが、目は笑っていない。
はぐらかしてもいい結果にはならないと理解した孫市は己の膝に掌を落とした。
肩を揺するように落としながら深い深い息を吐いた後で、顔をゆっくりと上げた。
にだけ見せると約束した眼差しで、じぃっとを見やる。

「それは…今更ずるくない?」

 の視線が僅かに宙を泳いだ。

「かもしれないな。でもこっちの顔がやらかしてしくじった話なんだよ」

 驚いたようにが孫市に視線を戻した。

「何を、どうしたって言うの?」

「正確には未遂だ。しようとして、出来なかった」

「聞いても?」

「ああ。全部話す。秀吉にもそうしろって言われたしな」

「秀吉様まで巻き込んでるの!?」

 ほんの少しの声が高くなる。
孫市は外に声が漏れるのを防ぐように掌を上下に小さく振って、沈黙を促した。

「悪いな、俺一人の手じゃ余ると思った。だから貴方が信を置くあいつを引き込むのが丁度いいと思ったんだ」

「何を、画策していたというの?」

 の瞳が微かに不安そうに揺れた。
そんな目をさせたいわけじゃない、どうして何時も彼女を悲しませてしまうのか。
孫市はじくりと胸が締め付けられたような痛みを抱えながら口を開いた。

「貴方を、元居た世界へ秘かに帰そうと思ってた」

「孫市さん、それは以前にも言ったはず」

「ああ、そうだな。だが俺は、あの時の貴方を見て予感した。
 この女は天下泰平の為に命を失うんじゃないかと、怖くなった。
 俺はちっともあの時納得してなかった」

「そんな…こと、ないよ…」

 自身が否定しきれないのは、相次ぐトラブルに見舞われているからだ。

「きっと俺が何を言っても、やっても貴方のその覚悟は変わらない。
 なら、貴方の意識がないうちに、貴方を送り帰せばいいと考えた」

 一呼吸置いて、「都合がいいんだか悪いんだか、貴方は度々意識喪失を引き起こしてる」と指摘すれば、も否定はしなかった。

「貴方があの懇談会に出向いた時、あのからくりが入れ替わるように現れた。
 僥倖だと思ったんだぜ? これで伝手が作れる。貴方の意識が体よく消えたなら、その時、貴方の味方と
 連絡を取って、契約の更新を打診して、秘かに送り帰してしまえばいい。そう思った」

「………孫市さん、想像以上にやり手よね…」

 率直な感想に思わず苦笑が漏れる。

「これくらい回転早くなきゃ、雑賀衆は纏められないさ」

「それも…そうか…。で、結局それは諦めてくれたんだよね?」

「ああ。そうせざる得なかったからな」

 そこで孫市は一度姿勢を改めた。
胡坐を解き、正座し直して畳に両手をついた。

「え、な、なに?」

 ぎょっとするの前で平伏する。

「すまない……許してくれ…救うどころの話じゃなかった…」

「ちょっと、孫市さん! 勝手に思い詰めないで、話が見えないよ」

 が掌を伸ばして孫市の肩に触れた。
頑なに下げられた上半身を引き起こそうとする。

「ちゃんと全てを話してから、謝罪して。謝罪が必要ないと私が思えば、謝罪もいらないから」

 子供に言い聞かせるかのようには言った。
それを受けて、孫市は渋々顔を上げた。
彼が見せた表情はひどく思い詰めたもので、の方が面食らってしまった。
 初対面の時から飄々としていて掴みどころのない自信過剰な男だった。
だが彼はその過剰な自信に見合う働きをする仕事人で、深く関われば関わるほど彼の才覚を痛感した。
 そんな男が見せた苦悶の表情に驚かないはずがない。

「どうしたの? 本当に…どうして、そんな悲しそうな眼をするの? なんで、自分を責めてるの??」

 問えば、孫市はやるせないと言わんばかりに顔をしかめた。
無理やり作った笑みは、彼の本心よりずっとずっと雄弁だ。

「貴方を救いたいのに、俺にはその術がない。伝手として俺が考えていたあのからくりは、未来のからくりだ」

 それは分かっている。この時代にコンパクトカーを製造できる国などあってたまるか。
オーバーテクノロジーもいい所だとは秘かに思う。

「そしてあのからくりの製造元はΑΚΊΑΣという集団でな、遠い未来の雑賀衆のなれの果てだ」

 流石ににもそれは予測不能だったのか、息を呑んだ。

「遠い未来、あのからくりが作られた時代。
 雑賀の生き残りだか子孫だかが、貴方のこれから進む道をどうにかしたかったようでな。送りつけてきたんだ。
 迷惑な話だろう? 本当にすまない…救うと言っておきながら、この様だ。
 俺達雑賀が、貴方を苦しめる一因を担ってる」

「ちょっと、ちょっと待って。孫市さん、お願い。ちょっと待って。整理する」

 の声が掠れ、上擦った。
数分沈黙して考えた後、は立ち上がって茶箪笥の前へと移動した。
茶筒を取り上げて、その場でお茶を淹れだす。
 孫市の為ではなかった。現状を理解し、自分自身が落ち着く為に淹れたお茶だ。
煮だしたお茶を急須から湯呑に交互に移し替えて、お盆に急須と共に乗せて元居た場所へと戻る。

「どうぞ」

 言葉少なく告げて、は自分の分の湯呑を取り上げた。
ゆっくり味わい、深く深く深呼吸する。
 同じように湯呑を傾けながら、孫市はを観察していた。
こうしてお茶を飲むようにが感情や考えを一人で呑み込むことがないように、願わずにはいられなかった。

「…考えたことなかった」

 やがて湯呑を下ろしたは独白した。

「今まで、助けてくれた人達の素性を…考えたことなんて、一度もなかった。
 ただ救いを求められて、対価として受け入れることにして、毎日が精一杯よ」

「そうだな」

「今の今まで考えたこともなかったけど…そうかぁ…」

 の大きな瞳が潤み、くしゃりと眉が八の字に歪んだ。

「そうかぁ、そうだよね。助けてくれてたのは…もしかしたら、皆の…子孫かもしれなかったんだ…」

 「未来なんだものね」と独り言ちて、顔を上げた。

「孫市さん、有難う。教えてくれて」

「礼を言われるようなこと、してないぜ」

「うんん、今してくれた。凄く凄く心が軽くなったし、勇気をもらった」

 掌の中の小さな湯呑に残るお茶を一息で飲み干して、は湯呑を急須の乗ったお盆に置いた。

「これ以上、貴方を悩ませたくないから言っちゃうね」

 の言葉に孫市は目を見張る。

「私、助けてくれてるのが未来人だって、知ってる」

 息を詰めた孫市を宥める様に言葉をは重ねた。

「考えてもみて、も、あの暴風雨の時のツールも、今生の発明品じゃない」

「そうだな」

「私の契約は、未来人との契約よ。多分ね」

「そこは曖昧なんだな」

「まぁね。実際、契約した時、私死にかけてて夢現だったから」

「本当に貴方は常に死線ギリギリだな」

 孫市が毒づけばは返す言葉もないとばかりに、一度両手を上げて降参のポーズをとった。
すぐに手を降ろして、折り曲げていた足の上で組む。

「孫市さんは自責したみたいだけど、そんな必要はないのよ。
 が居てくれなきゃ、私はあの懇談会できっと死んでた。
 それにね、をきっと送ってくれた同士が、あのツールも造って送って来たのよ」

 目を見張る孫市の前では不敵に笑った。

「苦しめる一因じゃないの。ずっとずっと前から、ΑΚΊΑΣはあの手この手で私を助けてくれた。
 ツールもそう、一豊さんの所に送ったお茶の苗木もそう。そして今回は
 いかんせん大きいしね、登場もセンセーショナルだったから驚いたよね?」

「あ、ああ」

「私は、ΑΚΊΑΣ―――雑賀に苦しめられてなんかいない。
 世代を超えて、見守られて、助けられてるの。
 だから、孫市さん」

 一区切りして、が姿勢を改めた。

「雑賀衆としてに身を寄せてくれて、どうも有難う。
 そして、これからもどうぞよろしくお願い致します」

 ゆったりとした仕草で床に三つ指をついて、はお辞儀をした。
優雅な一挙手一投足に見惚れて、孫市は言葉を失う。
 十分な間を作って身を起こしたの表情はとても晴れ晴れとしたもので、孫市は肩に圧し掛かった自責の念が霧散してゆくのを痛感した。

「貴方は…本当にすごい女だな…」

「えー、何よ。お礼言ったのに、第一声がそれ?」

「ああ、すごい女だ。敵わねぇ」

「ふふふ、前にも言ったでしょ。私は意外としぶといのよ」

 悪戯っ子のようにニヤリとは笑う。

「まぁ、それはそれ。これはこれで、女遊びの件は許さないし、認めないし、最低だと思ってるけどね?」

 口元に笑みを、背には業火を背負っているように見えた。

「…なぁ、それ、一応聞くけどさ。嫉妬ってことでいいのか?」

「ハァ? 思い上がらないでよ。前に言ったでしょ? 私の世界では本命居るのによそ見するような人は
 最低の烙印を押されるのよ。例外なんてありませーん」

「でもよ、秀吉とこの計画の話する為に店使ってただけだぜ?
 失敗したとはいえ、こんな計画、他の連中を出し抜いてそうそう実行できないからな。
 密談する場所はどうしたって必要だったんだよ」

 尤もらしい言い分ではあるが、はそれでは誤魔化されない。

「場所借りるのは分からないでもないけど、二日酔いして帰宅してる時点で信憑性は限りなくゼロよね」

「手厳しいなぁ」

「何、ニヤニヤしてるのよ」

「いや、だってこれ、確実に嫉妬だろ? 俺が他所のかわいこちゃんとイチャイチャしてきた事への苛立ちだよな?」

「勝手に言ってて」

 何時の間にか空になっていた孫市の湯呑を彼の掌から取り上げたはお盆に乗せて茶箪笥へと運ぶ。

「はいはい、話が済んだら節操無しさんはお帰り下さい」

「ひっでぇな。さっきとの扱いの差はなんなんだよ」

「さっきのはあれでしょ。ΑΚΊΑΣ創設者への礼を尽くしただけ」

「今は」

「節操無しの腐れ女たらしへのまっとうな対応」

 取り付く島もないとはこのことだ。
やれやれと孫市は肩を落として、立ち上がった。
茶箪笥の前で後片付けをしていたの背後を取ると、急にの肩を抱いて引き倒した。
転倒しないようにしっかりと支えることは忘れず、かといってが逃れられるような中途半端な角度にもしない。

「ちょ、何す」

 皆まで言わせず、の唇を奪った。
赤面するに何度か胸板をぽかぽかと叩かれた。
が、が抵抗を諦めて、交わした口付けに酔いしれるのを待った。
 やがてその時は来た。
の体から力が抜ける。
腰から崩れ落ちそうな所を支えて、布団の上へ運び、横たえてから身を引いた。

「あまり挑発はお勧めしないぜ? その体に女の悦び刻んだのは一体誰だと思ってる?」

 軽薄な顔、雑賀衆の頭領としての顔。色々見てきたが、今孫市が見せている顔はの歩みに合わせる為に敢えてかき消した記憶の中に封印した恋人の顔だ。

「誠心誠意、誓うよ。を裏切るようなことは一切してない。だからこれで機嫌治してくれ、な?」

 初心なを掌中で転がすなどお手の物と言わんばかりの孫市は、が何か言う前に不敵な笑みだけをその場に残して、隠し通路の中へと帰って行った。

『初心なを体で黙らせたのは流石にやり過ぎだったかもな〜。
 まー、でも、嫉妬する姿がやたら可愛かったから仕方ねぇよな』

 

"遠い未来との約束---第七部"

 

- 目次
大変長らくお待たせ致しました、孫市編。の製造元はまさかのΑΚΊΑΣ!(19.06.14)