ΑΚΊΑΣ - 孫市編

 

 

 親友の秀吉にだからこそ打ち明けられるとでも言うのだろうか。
孫市の嘆きは続く。

「そりゃ、噂では色々聞いてたさ。気立てが良くて平和ボケしてて、思いやりに溢れてる美人だってな」

 「お前もそう思うだろう?」と同意を秀吉に求めたが、秀吉は口籠った。
秀吉にしてみたらを愛娘としてしか見れないから、孫市や彼の恋敵のような視点では見られない。
同意を求められても困る。
 愛娘を語る親バカ談義なら飽きることなく続けられそうだが、そうではないから、

「そうじゃのぅ…かもしれんのぅ」

 と、否定なのか肯定なのかいまいちハッキリしない言葉しか紡げない。

「仕事を引き受けて、会ってみるまで思いもよらなかたんだよ。
 あんな意地っ張りで、頑固で、無謀で、無欲で…何より、悲しい女だなんて…想像もしなかった」

 生死の狭間を突きつけて、手を取れと迫ったのには気丈にもそれを退けた。
武士の矜持じゃない、好いた誰かへの信頼から来る粘りじゃない。
あの時が孫市に見せたのは、悲しい渇望だ。
 仕事柄沢山の人間の命を摘んできたから、孫市には分かってしまう。
心臓に銃口を押し当てた時、が見せた「生」への渇望は彼女自身のものではないと感じた。
 自分の為だけに行動する人間が見せる「渇望」とが見せた「渇望」には大きな差があった。

「…生き残りたい、生き延びたい。だが手は取らない、とれない。それを選べない」

 何度となく危機に直面し、その度には天意を味方につけて生き延びた。
そしてその度に何かに脅かされて疲弊する。

の目は自分の事だけを気にして生きてる人間の目じゃない。
 あいつの目は何時も、どこか、遠くの……なんかよく分からねぇがとてつもなくでかい何かを見てる」

「そう…じゃなぁ。少しでもその重みを肩代りできればいいと思うんじゃがなぁ」

「俺だって同じだよ。噂に聞こえた"慈愛の姫"の穏やかな笑顔ってのを、見れるはずだったんだ。
 暗殺に失敗しても雑賀に匿えば、あいつは安全に楽しく生きれるだろうと踏んでた」

 だが予想とは逆で、は孫市の申し出を悉く拒絶した。
その最たる理由については本人の口から聞き出して理解したからいいのだ。
記憶こそ消えてしまっているが、魂に刻んだ解放は色濃くて、あの日を境には明らかに変わった。
仕事上の繋がり以外を避けていたのに、今のには少なからずそれ以上を受け入れるだけの余裕がある。
 の過去の傷は、もう済んだことと片づけて問題はないはずだ。
今問題なのは、を取り巻く未来の呪縛だ。

を、幸せにできるなら。なんだって差し出せる、例え天下でもな。だから笑ってほしいんだよ」

「なかなか叶わんなぁ」

「そうなんだよ…その上、脅かす要素に、俺達雑賀の子孫が関わってると来てる。流石に堪えるぜ…」

「そうじゃのぅ」

 溜め込んだ辛みを吐き出して多少すっきりしたのか、孫市の撒くくだは軽くなりつつある。

「俺は一体どうすりゃあいつを笑わせれやれるんだよ? こんなの普通に無しだろ」

「ん〜〜〜〜〜。別の方法を模索するしかないやもしれんのぅ」

 そこで秀吉は徐に自分の盃を煽った。

「それにのぅ、孫市」

「んだよ?」

「お前の話を聞いてて、わし、思ったんじゃが、意外と様は元の世界に戻るより、こっちにいる方が
 幸せなのかもしれんぞ?」

「お前、マジで言ってんのか? 流石の俺でもキレるぞ」

 凄みの増した低音が孫市の口から飛び出した。
それを秀吉はまぁまぁと諫めて続ける。

「お前の指摘も懸念も重々理解しとるんさ。ただな、わしこうも思うんじゃ。
 わしらが思う程、今の様には故郷に未練がないのかもしれない」

「どうして言い切れる?」

「千日戦争じゃよ。城で指揮するのならばまだしも、様はずっと戦地におった。
 人が多く死んだことに嘆き悲しんだ。窮地に何度となく立たされて疲弊もしたし苦しんでもいた。
 じゃが様は一度たりとも故郷に帰りたいとは言わんかった」

 言われてみればそうだ。
迷い込んだ子供の狼を森に送り届ける時でさえ、は帰国という選択肢を自ら放棄した。

「今となっては様にとっては、こっちから離れる方が未練になるんじゃないかのう」

「お前ら親子かよ。似たようなこと言うなよな」

 孫市の指摘に秀吉が目を丸くした。

に迫った時に同じようなこと言われたんだよ。
 ここから離れてもずっとここの事を思い出すし、気に掛ける。
 の故郷はそんな自分を受け止めて、理解してくれる世界ではないんだとさ」

「なるほどのぅ」

 の持つ平和ボケした側面は彼女だけのものではなく、彼女の生きる世界に強く根付いた共通認識という訳だ。

「こりゃ案外、本当にこっちで様に天下を呑んで頂いて、穏やかに生きて貰う方が最善なのかもしれんぞ。孫市」

 ぐぐぐぐ…と孫市は息を詰める。

「お前の話を最初聞いた時にはわしも同じじゃった。
 なんとか様を今のお役目から解き放たねばならぬし、そうしないと命を繋げないと思った。
 じゃが、もしかすると、元の世界に送り返したところで、様は全く笑えぬのやも知れん」

「だから諦めろってのか?」

「諦めはせんよ。じゃがこうも思う。
 帰るか帰らないかは、様ご自身が選ばねばならぬ事。
 わしらが勝手にどうこうしてはならぬ理なのかもしれん」

 秀吉が手酌で己の盃に酒を注いだ。

「こんな時、信長様ならどんな判断をするんかのぅ…」

 解決の糸口を手繰り寄せることが出来ない秀吉は、孫市以上に参っていたのかもしれない。

 

 

「う〜〜〜〜〜、頭いてぇ……飲み過ぎた……」

 人が落ち込むのを横で見ていると、途端、自分もこうなのではないかと、冷静になる事がある。
孫市にもそれは言えたようで、秀吉がジメジメと落ち込み始めると、急に立ち直って彼を元気づけようとした。

『どうせ考えても行き止まりだ、笑えよ、秀吉!!
 かわい子ちゃんと一緒にまたパーッとやって忘れようぜ〜〜〜!』

 結局店に夜通し居座って、どんちゃん騒ぎに次ぐどんちゃん騒ぎを続けて、朝帰り。
孫市には仕事柄、城と職人が集う長屋に自室がある。
特に職人街の方には、発明したり改造したりする関係から、油や土ぼこりで汚れた時用の風呂が用意してある。
だから昨夜はそっちに泊まって、身綺麗にしてから出仕したが、全身に纏わりつく酒気はどうにもならない。
しかも飲んで騒ぎ過ぎたせいで、秀吉も孫市も二日酔いだ。

「おみゃーさんもかーーーー」

「お前もかよー」

 多くの将が詰める執務室の自分の机の上に突っ伏して、秀吉と孫市は呻いた。
三成か幸村あたりが小言の一つも言って来そうだが、それはない。珍しいこともあるものだと、頭の隅で考えていると、それぞれの執務机に梅干し入りのお茶が注がれた湯呑が音もなく置かれた。

「ン?」

「あー、なんだこれ?」

「…二日酔いに効きますよ?」

「え、そうなんか! いやぁ、助かるわぁ!!」

 飛び起きて湯呑を取り上げた秀吉はそのまま石像のように固まった。
女中の誰かが気を利かせてくれたのかと考えたが、そうではなかった。
慈愛の笑顔で湯呑を置いたのは、、その人で。

「昨晩は随分と、お楽しみでしたね?」

 ふわりと首を傾げて問いかけてくる。

『孫市ー!!! 孫市ーー!!! はよう、起きんかーーー!!!』

 顔面に貼りつくのは笑顔だが、の背には阿修羅が見えた。

「イ、イタダキマス」

 微かに声が上ずりながら、湯呑に口を付ける。
視線で同室にいるであろう同僚に助けを求めるが、三成は無視。
竹中半兵衛は寝たふり。左近は見物中。幸村はと同じ反応だし、慶次に至っては豪快に笑っている。

「う〜〜〜、慶次〜〜〜、お前、それ止めろよォ。頭に響くんだって……」 

 突っ伏したまま、手探りで湯呑を探す孫市の掌の軌道上にが湯呑を引き寄せる。

「お。掴まえた」

 飲むか、とばかりに、ようやく孫市が身を起こした。

「有難うな、あんたいい奥さんになれる……」

 軽口を叩いた孫市の顔色が一気に土気色になった。

「おはよう、孫市さん」

「ハイ…オハヨウゴザイマス」

「それ飲んだら、さっさと仕事してね?」

「…ハイ…」

 言い訳する暇すら与えられなかった。
無言の圧力で押し切られてしまった。

『女遊びにかまけた上に朝帰りかよ、いいご身分だな。クソ野郎』

 と暗に罵られたような錯覚を覚えたが、気のせいじゃない。
現にあてつけるかのようには孫市の恋敵の傍へと寄って行ったと思ったら、普段以上の砕けた態度をとった。
やたらと左近の目を見たり、三成の肩や幸村の腕に触れてみたり。
挙句、慶次腕に自らの腕を絡めながら室から出て行ってしまった。

「……不味いんじゃないの〜? 情けなくても本当の所、自白しとかないと〜溝掘られまくっちゃうよ?」

 今の今まで寝たふりをしていた秀吉の懐刀の片割れ―――竹中半兵衛が身を起こした。

「狸寝入りかよ、お前もいい性格してるよな」

「誉め言葉と受け取っておくよ」

 はぁ…と一つ溜息を吐いて、掌に収まる湯呑を持ち上げた。
ゆっくりと飲み込めば、緑茶に混ざった梅干しの酸味が心地よい。

「はぁ…これ、すごいな…心がほっとする」

様はあれでなかなかの酒豪と聞く、その様が選んだもんじゃ、間違いはないじゃろ」

「…お前はいいのかよ、泣き入れないで」

「だってわし、恋人候補じゃにゃーし?」

「それに秀吉様の女癖の悪さは今に始まったことじゃないしね〜〜〜」

「じゃろ??」

 当事者のくせにどこ吹く風の秀吉に一発かましてやりたいところだが、そうも言っていられなさそうだ。
仕事の合間合間を見てなんとかに接触しようとするが、上手く行かない。
執務室に顔を出せば秀吉子飼いの三成が詰めてるし、三成不在を狙って訪ねればしたり顔の大筒軍師がいる。
 視察と称した執務放棄からの逃亡時を狙えば、常に慶次が同伴。
挙句、最終的には三成と警吏総括の幸村にとっ捕まって城に連行されてくる有様だ。

「はぁ…マジかよ……今日の俺、超絶かっこ悪ぃ…」

 勝手に策を弄して、策に溺れた気がした。
意識がない時に送り返すという単純な計略は、賛同者は見つけられても、それを成し得る伝手と技術がなかった。
頼みの綱とした伝手は、それが最大の悪手であるという受け入れ難い現実を突きつけただけだ。

「…しょーがねーなー。これ以上誤解されて距離作られるのもなぁ…」

 降参だとばかりに孫市は人知れず、両手を上げた。

「この方法だけは使いたくなかったんだけどなぁ…」

 背に腹は代えられない。
取り返しがつかなくなる前に、行動を起こすしかない。
 孫市は城の自室で夜になるのをじっと待った。
城主に確認を取らずに勝手に職人連中を抱きこんで作った隠し通路。
 それは有事の際にを外界へ逃す為に誂えたものだ。
これをこんなことでお披露目することになるとは予想外もいい所だが、が望んで形成しているらしい防衛網を越えてに接触するなら、他に手はない。

『唐突に現れたらぶっ飛ばされるかな』

 夜這いと勘違いされる可能性に胃をキリキリさせながら、孫市は自室に作った隠し通路の扉を開いた。

 

 

「それじゃまた明日な、さん」

「うん、今日も遅くまでありがとうね、慶次さん」

「お休み」

「お休みなさい〜」

 の部屋の前まで来ると、が役目を解いた慶次が引き上げる所に出くわした。
あれでなかなか鋭い男だ、下手に物音を立てると気が付いて鉄拳制裁という展開になりかねない。
だから慶次の気配がの自室階から消えて、伊賀の忍が代わりに警護につくまで、隠し通路の中で息を潜めた。
 覗きは趣味ではないから部屋の中を見たりはしないが、衣擦れの音が上がって、の吐息を耳にすると僅かに意識は高揚し、胸が跳ねた。

「ふぅ…やっぱ帯がキッツいな〜。早く洋服が流行るといいのに…」

 嘆きを聞き流して声をかけようとするより早く、が布団の上に腰を落として自分の体を折り曲げた。
何時だったかから聞いたことがある。ストレッチとかいう体の筋肉や関節を伸ばす体操だ。

「はぁ〜。今日も疲れたけど、充実してた。うん、私は今日も一に頑張った!!」

 誰に聞かせるわけでもない自画自賛。
ありとあらゆる難局を退けてきた才女とは思えぬ素朴な独白だ。
それがなんだか可笑しくなって思わず噴き出した。

「ブフォ!!」

「え、何!?」

 襲撃慣れでもしてるのだろうか。悲鳴よりまず状況を把握しようとする姿勢に何とも言えない気分になった。
布団から離れて枕元に下げられた一本の綱にが手をかける。
その綱は城中に伸びていて、執務階どころか、彼女に懸想する重鎮達の私室にも繋がっている。
一度引き切ればそこら中でけたたましい鈴の音が響き渡るという、警報装置だ。
そんな物安易に使わせるけにはゆかないから、孫市はすぐに隠し通路から身を乗り出した。

「ちょ、待った! 待てって。俺だよ、俺!」

「孫市さん!?」

 警護を担う伊賀忍が姿を見せていない事実に、秘かにほっとした。

「こんな夜更けに失礼」

 こじゃれた会釈をして見せる。
怪訝な面持ちのが綱から手を放して寄ってきた。
はっ倒されるかと秘かに奥歯を噛んだがにそのつもりはなくて、孫市の横から隠し通路へと顔出した。

「やっぱり、なんかあった!」

「え?」

「偶にさぁ、寝てると風の音したり寒かったりしたからさ。
 この部屋絶対に外界に繋がる何かがどこかにあると思ってたんだよね! こんな所にあったんだ!!」

「勝手に着替えを収める収納棚の向こうを改造したことへのお咎めは無しか?」

「え? うん、まぁね。有事の際に使えそうだし、それ以外でも役立ちそうだしね〜。
 これ進むとどこに出るの?」

「いくつか出入り口はあるさ。その一つが俺の部屋と繋がってるってわけだ」

「なるほど」

 こじれた人間関係よりは隠し通路に興味津々だ。
が、何時までもそんな話をしている場合じゃない。
時間帯が時間帯だけに、誰かに気が付かれでもしたら厄介だ。
 二人きりの時間を過ごせるのは嬉しいが、早急に本題に入るに限る。
孫市はわざとらしく咳ばらいを一つして、を自室の中へと促した。

 

 

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