逃走劇が無事に幕を閉じて、の手を借りてが城の一角に運び込まれた日。
復興作業とは別に組まれた大工集の手によって急ピッチで一つの蔵が城の隅に建てられた。
普通の蔵を三連で並べた大きさのそれは、傍から見れば家最大の資材庫に見えたはずだ。
　だが実際は、そうではなかった。
確かに資材は所狭し、うず高く積み上がっているのだ。だが人目を欺くように積み上げられた資材の向こう側に、地下へと続く隠しスロープが作られている。
仕掛けを解かねば先へと進めぬそのスロープを下りてゆくと、地下に蔵二つ分の大きな空間が現れる。
　その中央に、の所有物とされていたからくり―――が鎮座していた。

「よう、俺は雑賀孫市。雑賀衆の頭領だ。で、お前さんがもし仮に故障した際にはこの家において対応するのは
　俺になるわけだ。仲良くやろうぜ」

　臆すことなくの前に立った孫市は、のボンネットに腰を下ろして語り掛けた。

「お前がどうやってさんを懐柔したかは知らないが、意思疎通の方法があるわけだよな？
　俺とも懇意にして貰えると助かるんだがな」

　の許しや勧めがなければ反応するつもりはないらしいは黙したままだ。

「お前という兵器に興味があるわけじゃない。俺はお前を作った奴に用がある」

　独り言とも思える語り掛けは続く。

「知ってるか？　俺の女神はお前らとの契約で命を削ってる。
　正直、お前の素材も、機能も俺達には想像もつかねぇよ。そんなもんを作れる連中が頼りにする俺の女神は
　相当凄い女なんだろう。けどな、命を救われる代わりに命を削るんじゃ、本末転倒だ。
　女神の意思はもうにしっかりと根付いてる。女の身でこれ以上この世界に身を置く必要はないだろ。
　彼女の下には秀吉も家康も、信玄だっている。彼女の意思と理念は、全てあいつらが後を継ぐ」

　一息ついて孫市は名残惜しそうに天を仰いだ。

「を、元の世界に帰してやってくれないか。このままじゃ、はここで死ぬことになる」

　口先から出た想像であっても受け入れがたい話だと、孫市は眉を寄せて瞼を閉じた。

「お前に権限はないんだろ？　なら、権限を持つ者に伝えてくれ。をもう自由にしてやってくれ。
　代わりに俺と秀吉が天下をきっちり呑んで責任は果たしてやるよ。
　だから、頼む。を自分の世界へ送ってやってくれ」

　言伝を頼んだつもりだった。他の意図はなかった。
が、孫市の願いを聞いていたが動いた。
まるで瞬きでもするようにライトが二回点滅した。
続いて車体にエメラルドグリーンの光が転々と疎らに灯る。
仄かに浮かび上がった光はフロントガラスに向かい移動し、集った後に文字となった。

"その機能は実装されていません"

「……マジかよ」

　孫市は意思疎通がとれたことに驚いて呟いたのだが、は額面通りに受け取らなかったようだ。

"我々はクイーンが何者かと交わした契約自体を知りません。
　我々に課せられた使命は唯一つ、クイーンを保護することのみです"

「知らないってどういうことだ？」

"貴方はその情報を知る権限を持ちません"

「誰なら持ってるって言うんだよ？」

"クイーンです"

「そもそもクイーンって誰だ」

""

「マジかー」

"マジです"

　意思疎通だけでなく、このからくりには学習機能でもあるのだろうか。適応がとても早い。

「一応確認したいんだが、お前、所謂隠密なんだよな？」

"肯定します"

「じゃなんで俺に答えた？」

　状況が状況だっただけに、このからくりがを巻き込んだことはよく分かった。
が、今はそういう状況じゃない。そんな中で自分の呼びかけにこのからくりが答えたことがどうにも解せない。
やはり有事の際は修理するのは自分と告げたのが利いたのだろうか？

"我々の記録では貴方は絶対にクイーンを裏切りません。貴方を疑う理由がありません。
　何より貴方は我々の生みの親の関係者ですから"

「は？　え、なんだそれ、どういうことだよ？！」

　目を丸くした孫市に、は答える。

"我々を作った財団の本拠地は外つ国にあり、ΑΚΊΑΣと言います"

「読めねぇよ」

　孫市の独白を受けて、

"ΑΚΊΑΣ―――→AKIAS――"

　エメラルドグリーンの光が動いた。

"ΑΚΊΑΣ―――→AKIAS―――→SAIKA"

　光は波紋を描くように集っては内から外へと揺らめいて、

"ΑΚΊΑΣ―――→AKIAS―――→SAIKA――"

　孫市にとって理解し難かった絵のような記号を、

"ΑΚΊΑΣ―――→AKIAS―――→SAIKA―――→サイカ――"

　滑らかな文字列に綴り直してゆく。

"ΑΚΊΑΣ―――→AKIAS―――→SAIKA―――→サイカ――――→雑賀"

　最後に見知った文言が浮かび上がったことに孫市は驚きを隠せずに息を呑んだ。

 "「ΑΚΊΑΣ(アキアス)」、本来の意味は外つ国の言葉で肯定を示しますが、我々にとっては本来の目的と
　クイーンの掲げた理念を忘れぬように刻む以上の意図を持っていません。
　我々はΑΚΊΑΣの所有物ですが、ΑΚΊΑΣはクイーンの所有物です。
　ΑΚΊΑΣ、もとい雑賀は我々を作った財団の始祖であり、我々は言わば貴方方の子孫が残した製品です"

「マジかよ〜〜〜〜〜〜〜」

　ずるりとボンネットから滑り落ちた孫市は、その場に頭を抱えて蹲った。

"貴方がクイーンとの袂を分かつのであれば、我々の世界ではΑΚΊΑΣは設立されません。
　当然我々も生産されません"

「本当に俺の女神は…予想の遥か斜め四十五度を突き抜けてくな……。
　通じてたのは外つ国じゃねぇのかよ！！！」

"クイーンの支援者はこの世界では貴方方だけです"

「マジか…」

"マジです"

"別の方法を模索することをお勧めします"

　フロントガラスに浮かんでいたエメラルドグリーンの光が消えた。
それきりは何一つ語らなかった。

　衝撃的すぎる話を打ち明けられて、孫市は頭を抱えながら執務室に戻ってきた。

「お、孫市〜。どうじゃった？　あのからくりは？　なんか分かったか？？」

　千日戦争で得た予感を打ち明けることで、孫市は秘かに秀吉を巻き込むことに成功していた。
秀吉としても愛娘の様に思うの身に迫る陰に苛立ちと懸念を抱えていたから、孫市からの申し出は、渡りに船だったのだろう。
　人懐っこい笑みを浮かべて寄ってくる秀吉に、思わず抱き着きながら孫市は唸った。

「秀吉〜〜〜〜。俺はも〜だめだ〜〜〜」

「なんだ、なんだ？　だらしないのう〜」

「凹みもするって…あー、もうだめだ。本当、今日の俺は打ち止めだ」

　かなり凹んでいる様子の孫市を元気づけようとでも言うのだろうか？　
秀吉は軽い調子で言った。

「そうか、そうか。辛いことも時にあるじゃろ〜。よっしゃ！　今日はこの秀吉様が奢っちゃるぞ！
　どうだ！？　これからかわい子ちゃんがぎょーさんいる店でぱーっと一杯！」

　ショーパブに繰り出すサラリーマンの如く、秀吉は指先を曲げた。
御猪口で酒を飲み干すジェスチャーを見せる。

「ほら、覚えとるか？　前に座敷に呼んだ胡蝶ちゃんと牡丹ちゃんが今日もお前を待っとるぞ〜！」

「え。何？　俺、人気者だったりするのか？？」

「そーそー。二人ともお前の（財布）こと大好きじゃぞ〜」

「そっか〜、そっか〜〜〜〜」

「優待券も貰っとるしな、どうじゃ？　出かけんか？？」

「そうだな〜、そうだよなぁ〜〜？　少しくらい良いか〜〜〜」

　気分も上向いてきたらしい孫市が身を起こした。

「よっしゃ！！　善は急げじゃ！！　このまま繰り出すぞ〜〜〜！」

　悪友独特のノリで肩を組んで二人は執務室を出て行く。
彼らの背を見送りながら、竹中半兵衛は「俺、しーらないっと」独り言ちた。
それもそのはず。半兵衛が一歩横にずれれば、そこを冷笑を浮かべたが通り過ぎたのだ。

「楽しそうで実に何より」

　ちっとも声色に理解は滲んでいなかった。
孫市の思いを受け入れることは出来ぬと、何度となく袖にした。
だから孫市がどこの誰と何をしていようとに咎める権利はないのだが、あれだけ熱心だった男が、掌を返したように自分とは異なる女と楽しい一時を過ごしているとなると、多少なりとも腹が立つ。

『へぇ…何が真摯な自分を見てくれよ？　結局のところはただの女好きじゃないさ』

　言葉にしないだけで、は背中で雄弁に語っていた。女心は複雑だ。

　予約を入れた座敷に腰を落ち着けて、綺麗所を侍らせて。
酒とつまみに舌鼓を打つこと半刻、どちらからともなく、視線を交わした。
　察しのいい秀吉が綺麗所を下がらせて、崩していた身を起こした。

「で、何がどうなっとったんじゃ？」

「……何をどう言ったらいいもんか…」

　孫市は背を壁に預けて天井を仰いだ。

「断られたんか？」

「いや…まぁ、そうなるな」

「なんで食い下がらんかったんじゃ！　様の命がかかっとるんじゃろうが！！」

「ああ。だが彼女を元の世界に戻すことは、即ち俺と彼女の袂を分かつということだ」

「未練がましいのう」

「そうじゃねぇよ！！！」

　食って掛かるように身を起こした孫市に秀吉が盃を押し付けて、酒を注いだ。
酒の力を借りて、彼が内包した思いの全てを吐き出させようとしているのだろう。

「未練なんじゃなくて、その術がないと言われた。しかもだ…」

「うん？」

「あのからくりの製造元は何処だと思う？」

「そうじゃのう…わしらにゃサッパリじゃが外つ国の何処かではないんか？」

「いや、違う。ΑΚΊΑΣ（アキアス）つってな？　本拠地が外つ国のどこかにあるにはあるらしいんだが…」

「場所が分からんのか？」

「そうじゃねぇんだよ…秀吉ィ」

　手に持たされた盃を傾けて飲み干した。
酒で喉が焼けると感じたのは、初めて飲酒した日以来だ。

「ΑΚΊΑΣは名前と目的を隠す為につけられた名前でな」

「ふむ」

「なんと、雑賀を外つ国で逆さに読んだだけなんだってさ」

「は？　なんじゃと！？」

「お笑い草だよな？　彼女を救いたいと願った俺の子孫とやらが、その遺志を継いであのからくりを作った」

「いやいやいやいや、どういうこっちゃ？」

　認めたくない。分かりたくない。
けれどもう誤魔化しようがない。
軽薄な顔に隠しただけの、理知に富んだ孫市の脳裏で、一つの答えが導き出される。

「あのからくり…だっけか？　あいつはさ、外つ国の製品ではあっても俺達の時代じゃない。
　ずっとずっと先の世から、雑賀衆の誰かの子孫がを守る為に送り込んだんだよ」

「……なんつーか…おみゃーさんの一族の子孫、ねっちこいのぅ」

「ばっか！！　そういう話じゃねぇよ！！！」

　世代を超えたストーカー気質なのか？　と暗に問われた気がして孫市は声を荒げた。
手酌で盃に酒を注いで大きく飲み干す。

「先の世で彼女が誰と添い遂げたかは知らない、むしろ添い遂げられなかったんじゃないのか」

「ああ。じゃからおみゃーさんらの子孫が、それを覆そうとした」

「そういう事だ」

　やっていられないとばかりに掌の中の盃を放り出した。
立てた己の膝に孫市は額を乗せて嘆く。

「袂を分ければは生き延びるかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
　それは俺にもにも分からない。
　だがはっきり明言されたんだ。俺との繋がりが消えれば、ΑΚΊΑΣが生まれない。
　ΑΚΊΑΣが生まれなければ、も造られない」

「作られなければ…」

「ああ、あの暗殺を、は逃げ切れない」

　秀吉がぎゅっと眉を寄せる。

「……じゃが、もう生き延びた。今から袂を分かつではいかんのか？」

「駄目だろうな」

「なんでじゃ？」

　孫市が唸る。

「駄目なんだよ！！　は明言した。課せられた命令は"保護する"事のみだってな。
　を逃がすのは業務外なんだとさ。むしろがどこぞのクソ野郎と交わした契約のことすら知らなかった。
　何よりな、あの暗殺騒動を凌いで終わりなら、あいつは城下に居座ったりしてねぇよ」

　指摘に含まれた危険を察知したのか、今度は秀吉が顔色を変える。

「ああ、そうだよ。が送られたのは、あの騒動の為じゃない。
　これから正念場が来るんだ。その正念場を、あいつを使って凌げってことなんだろうよ」

　最後は殆ど掠れた声で紡いだ独白だ。

「…孫市…」

「笑える話だろ？　秀吉。笑えよ」

「孫市」

「本気で惚れたんだ、初めてこの女だ！　って思ったんだ」