使命完遂

 

 

「止めた方がよいでしょう。貴方方では、この者は殺せません」

「…からくり?!」

「私はからくりという名ではありません」

 が違和感を感じ取って顔を上げた。

「ようやく、この時が訪れた。貴方だけを招き入れる事はとても難しいことでした」

「何を言っている? からくり!! 動かぬか!!」

「その命令には服従できません。私のマスターは貴方ではありません」

「あ……あっ!!」

 の脳裏に、一つの出来事が蘇った。
かの機体を駆動させるのに使ったのは、合言葉ではなく、かつてパートナーとして認識した機体から託された、メモリーカードだ。

「…思い出は、永遠に色あせない…」

 思わず漏れたの独白を拾い上げ、真紅のからくりがフロントライトを点滅させて答える。

「マスター、今度こそお別れです。貴方に仕える事が出来た事を光栄に思います」

「貴様、一体…一体何を言って…?!」

「私の使命は、を守護する事です。
 その害となる者、全てを私は排除しなくてはなりません。

 故に松永弾正久秀、私は、今この場で貴方を排除します」

「馬鹿な事を言うな!! からくりっ!!
 貴様が言ったのだ!! あのお方の天下を築けと!! それしかあのお方を救う術はないと!!!

 貴様が私を選んだのだろう!!!」

「その言葉にはYESと答えます。私の後継機は"天は一人の女の下に帰す"と言いました。
 ですが、がそれを望んでいるかどうかは、また別の問題です。

 全てはが決めること。貴方が決める事ではありません。
 貴方はに弓を引きました、これは看過できません」

 閉じ込められた車内で癇癪を起した子供の様に、松永久秀が顔を歪ませる。
大きく手を振りかぶって叩き落せば、クラクションが派手に鳴り響いた。

「貴方は、天に必要とされてはいないようです」

 半蔵の手を借りて立ち上がったが手を伸ばすのと同時に、

「確か、この時代では首を取る時は名乗るのが士の習わしでしたね。
 ならば私もその習わしに倣いましょう。
 私の名は、Atomic Industry Zero. またの名を""と申します」

 強い閃光と共に、からくりは轟音と黒煙を巻き上げて吹き飛んだ。
半蔵が爆風からの身を護ろうと掻き抱くと、彼女の足下に焼け焦げたブラックボックスが飛んできた。
反動が残っていたブラックボックスはてんてんと大地を転がり、やがて止まったところでバラバラに壊れた。
中に収まっていた銀色の鍵が光る。にはその鍵が最後にもう一度だけ、呟いたように思えた。

「思い出は、永遠に色あせない」

 

――――― 松永弾正久秀、爆死 ―――――

 

 乱世の梟雄と呼ばれた男の壮絶な死は、瞬く間に戦国の世を駆け巡った。

 

 

 見せらていた悪夢に突然変化が訪れた。
目にしている風景に不自然歪みが現れたかと思えば、次の瞬間には虫に食われるように姿形を失い始めた。

「何…? 一体何が起きてるの…?」

 混乱し、は己の身を抱きすくめた。
苛烈を極めた戦乱の情景は消えて、目前に広がるのは濃霧ばかりの空間。そこには音すらない。
 亜空間とでも表現したらよいのだろうか。
そこに一人、取り残されたような感覚に陥り、不安になる。
 これは何時も経験している時空跳躍ではない、夢だ。
逃げるには目を覚ます事が一番だと知っているが、それがままならないから、ずっと耐え忍んでいる。
どうしたらよいのか、どうする事が最善なのかと思案するしか出来ぬまま、時は淡々と流れた。

『! 足音? 今、誰かの…足音がした?』

 不意に、何者かの足音を聞いた気がした。

『気の……せい? うんん、違う。誰かいる…!』

 遠くから誰かが近寄ってくる。
どこから来るのかと、右を見、次に左を見、音の出所を探した。
目を凝らしても濃霧に満たされた世界はそのままで、そこには一条の光もささない。
救いの手を求める自分の弱さが起こした幻聴だったのかと、は視線を落とす。
次の瞬間、背後から伸びた手がの視界を遮った。

「…あ…」

 背後から何者かの手に抱かれている。
目に入るのは、白い束帯。
これは松永久秀が好んで身に付けているものだ。

『あ、まだ…終わってはいなんだ…まだ、続くんだ…』

 悪夢に果てはないのだと咄嗟に判じ、全身に緊張が走る。
だが不安に打ちのめされてばかりはいられない。
自身が悪夢に囚われの身であるとするならば、彼の心は現世で囚われているといって過言ではない。
 久秀は他の者であればまだしも、の声であれば必ず耳を貸すはずだ。
ならば彼に誠心誠意を込めて訴え、目を覚まさせることも出来るはず。

『大丈夫。久秀さんとなら、きっと、きっと…分かりあえるはず』

 己を奮い立たせるかのように、小さく息を呑み下した。
と、同時に、顔の前で組み合わされた掌が亜空間を裂くように広げられた。

「っ!」

 吹きつけて来た突風に、思わず瞼を閉じる。
そうやって我が身に降りかかるであろう凶事をやり過ごし、きっかけを待とうとしていると、の鼻孔を桜の香りが擽った。

「……?」

 何も起きぬことに違和感を抱きながらも、恐る恐る、閉じていた瞼を開いた。

「…あ…」

 目にした光景に、自然と感嘆の吐息が零れた。

「…綺麗…」

 の眼前に広がるのは、満開の桜並木。
天から降り注ぐ日差しは温かく、果てなく続く花々の咲き乱れる大地。
小鳥がさえずり、澄んだ小川のせせらぎが清涼感を与えてくれる世界―――正に桃源郷。
 これは紛れもなく、最初に夢の中で見た風景だ。

「…我が君…」

 困惑して瞬きを繰り返すの前に、寂しげな面差しの男が回り込んで立った。
が予想していた通り、松永久秀だった。
 何か言葉を発しなくてはと微かに身を乗り出したの前で、彼は儚げに微笑み、口を開いた。

「…御別れを…言いに参りました」

「…別れ?」

 悪夢の果てにあるものがこのような風景である事が理解出来ずには眉を寄せる。

「ご心配召さるな……現実でも夢でも……凶事は続きませぬ…必ず終わりが来るものです」

「何を…言って?」

 意図が汲み取れず怪訝な顔を見せれば、久秀が湛えた笑みは自嘲的なものへと変化した。

「お心を強く、そして、どうぞご安心下さい」

「安心…する…?」

「…貴方は、天に愛されたお方……道は開きます…貴方にだけは…必ず。
 ですから…何があっても、諦めてはなりません…歩みを止めてはなりません。
 どうかこれからも、憂うことなく、先へとお進みください…」

 問い詰めようと前のめりになった次の瞬間、久秀は身を捩った。
酷く噎せ込み、何かを隠そうとでもするように、口元を束帯の袖で覆う。

「久…秀さ…ん?」

 名を呼べば、今にも泣き出しそうな眼差しで、久秀は座ったままのへと掌を差し伸べた。
彼の掌は血に染まっていた。

「!」

 また誰かを殺したのかと脅え、身を竦ませたの前で久秀がよろよろと膝をつく。
彼が反対の腕で反射的に腹部を押さえれば、白い束帯に真っ赤な染みが浮かび上がった。
緩い頭髪が落ちて来る。

「どう…したの?」

 額には玉粒のような汗が浮き上がる。
口の端から血が伝い、それを隠そうと、彼は懸命に己の口元を隠そうとする。

「もしかして、どこか怪我してるの?」

 混乱しつつもは手を差し伸べた。
口元を隠そうとする久秀の手を取り顔色を伺う。
余程弱っているのか、久秀はが手を引くとそのまま倒れ込んだ。

「! どうして…こんな…? 大丈夫?」

 久秀の肩に手を掛けて横たえ、己の膝の上に頭を乗せれば、久秀は初めて嬉しそうに笑った。
とても無邪気な笑みだった。

「…ああ……ああ……貴方は、やはりお優しい……私にまで、かような温情を掛けて下さる…」

「久秀さん…?」

「我が君、お聞きください。宿命の輪廻は……常に回っている。
 …貴方の思う速度よりも…ずっと…ずっと早く、回り続けて…いる…」

 吐血し、咳き込みながら久秀は懸命に伝えた。

「そんなこと今はどうでもいいから、話しちゃ駄目よ! 死んでしまう」

 小さく首を横へと振り、久秀は訴えた。

「…よいのです、これが私の役目…」

「え? どういう…意味?」

「…貴方を天に抱かせる………清らかな…方として……数多の者に…知らしめる…。
 …私は…その為に選ばれた…"駒"の一つに…過ぎない」

「言ってる意味、全然分かんないよ!」

「良いのです……これで……良いのですよ…」

「何がいいのよ? どこがいいのよ! こんな、怪我してるのに…一体何が…」

「私は、ずっとずっと前から…知っていた……分かっていた……」

「…え…?」

「手を汚した…私が……貴方に選ばれるはずなどないと……分かっていた…のに…。
 …だが……一粒の可能性でもいい………違う未来もあると……信じていたかった…」

 久秀の目から光が失われてゆく。

「お願いだから、今は何も話さないで!!」

「嗚呼…我が君……何処においでか……? 我が君…?」

 何かを求めるように掌を伸ばした。

「私、ここにいるよ。ここに、ずっとずっといるよ?」

 最後の時が近いのだと判じてが手を伸ばす。
二人の手が重なれば、久秀は安堵の笑みを浮かべた。

「…お許し下さい…我が君……暗愚な私を…弱過ぎた私を…」

「許すって…何が? 何をしたって言うの?!」

「…私は、過ぎた願いを持った…」

「願い?」

「天に愛された貴方を……私は……あの日……あの瞬間より……好きになってしまった……」

 そこで一度大きく噎せ込めば、久秀の束帯の襟が鮮血で汚れた。
手の施しようがない痛手を受けていると知り、が混乱する。

「お願い…もう…話さないで…」

 久秀はと繋がる逆の手で己の口元を拭い、切々と想いを口にし続けた。

「貴方に、認められたくて……褒められたくて……いいえ、せめて…心から…微笑んで欲しくて…必死だった…」

「!」

「…私は…もうすぐ…この乱世から消えます……私の残しゆく物が、貴方の役に立てばよいが……」

「何を言って…?」

「我が君、最後に……最後に一言だけ…言葉を…」

「何? 何を聞きたいの?」

「大義と……骨折りと…どうか……それだけを…」

「久秀さん!! しっかりして、死なないで!!!」

 望んだ以上の言葉だと、久秀は穏やかに微笑んだ。
それと同時に、と繋がった久秀の掌から力が抜けた。

「…あ、あ…ああ…ああああ…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 目を開いたまま、絶命した久秀の上に突っ伏して、が絶叫する。
鮮血に染まった純白の束帯が皺くちゃになり、溢れた涙が久秀の頬へと降り注いだ。
それは彼が愛した天女の流す、彼の為だけの涙。
けれども彼はその事を知らない。

 

 

 久秀の姿が消える。
同時に、の意識が夢幻の迷宮から解放されてゆく。

「姫様…?」

「姫様!! ようございました、お目覚めになられた!!!」

 佐治を始め、傍仕えの女達が歓喜の声を上げた。
瞬きを繰り返し、続いて人の手を借りて起き上がる。
全てが夢であったことを辺りを見回してようやく自覚して、ほっと胸を撫で下ろした。

「おはよう」

 おっとりと言葉を紡いだの鼻孔に、夢の中で見た満開の桜の香りが残る。
そして、耳元には…。

 

"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"

 

 最愛の姫の為、悪を演じ続けるしかなかった男の詠んだ恋歌だけが残った。

 

 

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爆死をドラマティック且つ少しだけロマンティックに描きたかったんです。(20.06.22.)