聖女の腕(かいな) |
「全部、何もかも、私のせいなのよ! 私は彼の人生をめちゃくちゃにした!!!」 「……さん……あんた、まさか…久秀を…?」
どうか「そうではないと言ってくれ」とばかりに一縷の望みをかけて慶次は問う。 「違う……違うの、そんなんじゃないの………ただ、ただ……申し訳なくて……苦しいの…」 「どう違うっていうんだい?」 「久秀は、私が好きだったのよ」 ああ、やはりか。
「本人もそう言ったけど…あれだけの事をされれば、私だって馬鹿じゃないから、彼の気持ちくらい分かる。 の独白を受けて、慶次の顔に射す険が多少なりとも緩んだ。 「……それを…あのからくりは…知っていた……知った上で…利用して……彼を追い詰めた……!!」 それでなのか。それでにすり寄ろうとしていたのに突然方針を変えたのかと、合点がいった。 「……だから彼は最後の賭けをした。 徐々にの心の痛みが分かって来た。 「彼は賭けに負けた。命を落として、この世を去った。 感極まって来たのか、が叫ぶ。 「だけど!!!! 久秀さんは? 私の為に、苦しんで…傷ついていた彼はなんて言われてると思う?!」 「…それは…」 言わずもがな、言葉を濁すしかない。 「……そうよ……代わりに、あの人は死後も……謗られてる…。 恋ではない、愛ではないと懸命に訴えながら、は泣き続ける。 「彼がしてくれた事の多くに、私は応える術を持たない。 「何を望まれた?」 「骨折りと…大義と…ただそれだけ、言ってくれればいいって…」 再び、息を呑むしかなかった。
「ただ、笑っていてほしい……汚れることなく苦しむことなく、微笑んでいてくれれば…それでいいって…… 涙に濡れた眼差しで慶次を見上げれば、彼は天から視線をへと移し、ゆっくりと頷いた。 「大き過ぎて、重たいね」 瞼を閉じれば、大粒の涙が頬を伝い落ちた。 「皆が彼の所業を"悪鬼のようだ"と決めつけて詰る。 「けどな、さん…あいつがした事は…」
「分かってる! 彼の選んだ道は、決して綺麗なものではなかった。謗られて当然と思われる事をしてもいた。 また頭を垂れて泣きだしたの事をしっかりと抱きとめて、慶次は問うた。 「なぁ…さん、俺にどうしてほしい?」 びくりとの体が震える。 「さんの思いは、良く分かった。 「望む…事…?」
「ああ。人は悲観し、嘆く生きモンだ。聖女だろうが悪鬼だろうが、例外はないさ。 感情に翻弄されるだけだったは、慶次の問いかけを受けて、少しづつ溢れる感情を整理し始めた。
「……………久秀さんのこと…せめて……私の前では……悪く言わないでほしい………。 「…分かった。そうしよう」 「慶次さ…」 驚いて顔を上げれば、慶次は無理に笑って見せた。 「さんの願いだ、それくらいならお安い御用だ。この前田慶次が、叶えてやるさ」 「どうして…? 納得、してないでしょう? 出来ない事、でしょう? 問えば慶次はぼりぼりと己の頭部を掻いて肩を竦めた。 「っていってもなぁ。武士が戦場で面倒な思いすんのは世の常だ。 大きな指先がの頬を拭う。 「それにな、あの御仁はもうこの世にはいない。 の唇がわなわなと震え、また眉が悲しみに歪められる。 「ほら、さんも前に言ってたろう? 「……本当、に…? そう…思う?」 「ああ。それよりも……さんが今しなきゃならない事は、別にあるさ」 それは何かと視線で問いかけたに対し、慶次は優しく言った。 「笑う事だ」 「…?」 「久秀が、願ったんだろう? さんの為に人知れず尽力してた忠臣の願いを、さんが壊してどうするね?」 その視点はなかったのか、が驚いて息を呑めば、慶次は相槌を打つ要領で頭をふった。 「ゆっくりと…ゆっくりとでいいから、奴さんが見たがっていた笑みを…さんは顔に湛えないとね。 慶次の言葉を受けて、が声を振り絞った。 「…許して、くれると思う?」 「誰が? 久秀がかい?」 こくこくと頷けば、慶次は苦笑した。 「怒ってないだろうさ。さんが思うより、奴の愛はでかくて深い。 「本…心…」 「ああ。久秀は、さんに幸せになってほしかった、それだけだ」 「……そう、なの?」 慶次は「なんで敵に塩を送らねばならないのかねぇ」と一人愚痴ながらも、はっきりといった。
「大人の恋だよ。独占する事ではなく、愛した人の幸せを願って、身を引ける。 暗に慶次は言っていた。 「さんの話のようにでかい愛はね、時として人の足を止めちまうもんさ。 「歩く…こと…」
「ああ。歩き続けることで道が出来る。沢山歩いて、人生の終わりに振り返れば、 「進んでいいの? 私は、進み続けても…許されるの?」 「それを、他でもない久秀が望んだんだろ」 「!」 「思いを汲んでやりな」 こくりとが小さく頷いた。 「じゃ、呑み直すか?」 「うん、呑む! 沢山、沢山呑んで、歌って踊って……三成に怒られて……それで…」 「それで?」 「復讐しようとして皆巻き込んで、何時もみたく失敗して、皆で笑う。 「その意気だ! さ、戻ろうか!」 「うん!!」 自らの掌で涙を拭い、立ち上がって大きく伸びをした。 「さー、今日は呑むぞー!! 皆の事、新旧の将とか関係なく、酔いつぶしちゃうぞー!!」 空元気で声を上げて、が歩き出した。 「俺は後始末してから行くから、先にやっててくんな」 「え?」 がふと振り返れば、慶次は自身が降ろした酒瓶と大地の上で割れて形を失っているどんぶりを指で示した。 「あ……ご、ごめん…折角持ってきてくれたのに…」 「なーに、気にしなさんな。片付けたらすぐに行くからね、先に始めててくれるかい?」 にかっ! と笑われて、も納得したように頷く。 「うん、分かった」 身を翻してとことこと歩きだして、ふと歩みを止める。 「……何時も、ごめんね……それと……慶次さんがいてくれて、本当に良かった。ありがとう…」 それからすぐには小走りで城の中へと戻って行く。 「だ、そうだ。もうさんは大丈夫だろ。 慶次が声をかければ、建物の蔭からの重臣―――――左近、三成、幸村、孫市を筆頭に、降ったばかりの将―――――大谷吉継、小西行長、藤堂高虎が姿を現した。 「何時から気がついていた?」 「最初からだ。俺が声かけなきゃ、いずれ誰かが先に声かけたろ?」 「ま、否定はしませんねぇ」 左近の返答を受け、慶次は再度問う。 「で、疑問は晴れたが、あんたらは納得できたのかい?」 「……納得などしていない。していないが…するより他なかろう」 不満を隠さぬ三成の言葉に孫市が顔を顰める。 「なんだ」 「ばーか。気がつけよ、お前のそういう態度が、追い詰めてんだっての」 「…しかし……そう簡単に、納得などいかん…」 恋慕の情もあり、彼はまだ若くもある。 「けどねぇ、殿。姫の言う通りですよ。久秀の姫への想いは、こうなっちまうともう疑う余地はありません」 慶次も同感だとばかりに己の首を掻きながら頷いた。 「左近、正気か?」 三成が驚いたように声を上げれば、左近は渋々と言った様子で答えた。 「正気も何も、揺るぎない現実がそう述べてるんですよ」 「現実? どういう事だ?」 「今のは、明智と対等に戦えるだけの財・兵力・肩書を持っている。それが全てです」 「!」 「の歩みは確かに余所よりも速い。ここぞという時に限って、天意も味方してきた。 熟考させる時間を与えようと思ったのが、左近が一息吐く。
「ところがだ、一番の足枷となっていた部分がここにきて突然潰えた。それはなんでだと思いますか? 左近の指摘にぐうの音も出ないのか、三成は押し黙る。 「北条、台風被害に続いて毛利と戦った家では、明智と対峙するにはあまりにも脆弱…。 「幸村…お前までが、そう思うのか」 「はい…否定したくとも、出来ません。 幸村が言い、 「今考えてみりゃ、千日戦争が決定打だったよなぁ」 孫市が辟易するとばかりに顔を顰めれば、左近が相槌を打った。
「全くだ。世論も、俺達も、あれを同盟反故、簒奪と見た。実際その通りなわけだが。 「勿体を付けずにさっさと話せ」 「じゃ、遠慮なく」 三成に詰め寄られた左近は指折りながら話し始めた。
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