聖女の腕(かいな)

 

 

「奴はここぞという時に毛利を滅ぼしました。じゃー、どうやってそれを成し得たのか? って話になるんですが…。
 理由は簡単です。と北条・毛利を戦わせることで、体よく毛利の戦力を削いだ。
 ここまでなら誰しもが思いつく。だがあいつは更にその上を行った。
 "同盟救援"という名目で、毛利領に自分の兵を推し進めたんですよ」

「………まさか、あの後詰は…」

「ええ。そうです。二万は固いと踏んでいた後詰が五万ですよ? 倍以上だ。 
 どんな計を弄したか想像もつきませんが、あれが最終的に毛利に国を手放させたに違いありません」

「あの後詰は毛利の為のものではなかったというのか」

「ええ。時が来た時に、と松永家の兵とで毛利・北条連合を挟撃出るように配備したんですよ。あの男はね。
 あの戦で俺達は散々辛酸を舐めたが、奴の計算上ではへでもなかったんでしょうな」

 左近の弁を孫市が補足した。

「ゆくゆくは自分の作った国に姫君を迎えるつもりだったんなら、の所領が荒れようが、
 食い散らかされようが、久秀にとっては痛くも痒くもないだろなァ。

 なにせ奴の本拠地は今も無傷のままだ。先の戦いも、簒奪した毛利の土地と本願寺で済ませちまった男だからな。
 貯め込んだ財は使っちゃいないだろうし、毛利から得た金山もあるんだ。
 が痛手を被ったところで、元より持っている物で普通に癒せる範疇って事だろ」

「……あの男の、への忠誠は……疑う余地は…皆無だというのか……邪念など一つもないと…。」

「そうなります。姫の話じゃ、奴はからくりに誑かされ、姫の為の国を作って来たそうですが…
 その通りなのでしょうな。先にも言ったように、全ての現実が、そう指し示してる」
 

「ようやく合点がいった」

 左近の言葉に吉継が同調した。

「松永家の国元には三つの城がある。
 三種の神器をもじって建てられた白亜の城なのだが、全ての城においてこれだけは言える。
 建てられた城の全てが、本拠地になり得るのだ」

「どういう事だ?」

「簡単な事だ。何者かが攻め寄せた時、主が城を捨てても次の一手が打てるように、同じ機能を備えた城を作った」

 話しを聞いていた幸村が気がついたように言った。

「一つの城を滅ぼしても、主が他の城へと落ち伸び体勢さえ整えれば、他の二つの城の力で取られた城も取り返せる、
 ということでしょうか?」

 孫市も同じように考えていたらしい。
仰々しく掌で己の顔を覆い、嘆いてみせる。

「かーっ、やってらんねーな。俺も散々尽くしてきたつもりだが、上には上がいたって事かよ…」

「それで玉砕し、死んでいては意味がないがな」 

 三成の毒に対し、慶次は苦笑する。

「まぁ、お前さんの言う通りではあるがね、俺らには真似できない芸当だ。
 平然とそれをやって見せた男への敬意くらいは、払ってやってもいいんじゃないのかね?」

「どういう意味だ」

 視線を険しくする三成に対し、左近が言った。

「殿、久秀の為じゃない。姫の為です。
 独占欲も結構な事ですが、やり過ぎては疲弊させるだけですよ。
 少し余裕を持って、姫に歩調を合わせましょって言ってんですよ」

「俺はこれでも充分合わせてるぞ。
 何かにつけて逃亡するあいつや、さぼり癖のある同僚のツケを、どれだけ俺が調整していると思ってるんだ」

 破天荒なの素行を諌め、執務にも精を出す彼の事を考えれば、ここは「その通りです」と頭が下がる。
藪蛇だったかと、慶次、左近、孫市が視線をそらせば、三成は仏頂面で鼻を鳴らした。

「ふん…まぁ、いい。色々辛酸を舐めさせられたからな…。
 久秀にはあの世で「死ななければよかった」と思うくらいの報復をしてやるさ」

「何するんです?」

を幸せにしてみせる」

 さらりと爆弾発言をして三成がその場から離れる。
残された諸将は目を見張った。

「宣戦布告かよ?」

「先の戦を経て、三成も少しは大人になったってとこかね?」

「こりゃ、うかうかしてらんねぇな」

 慶次、孫市が続いて歩き出し、その場に残る形になった幸村と左近が同じように残る吉継達を見た。

「……心配には及ばない…」

 吉継は純白の扇を口元に添えて囁くように話す。

「元より、あの方がどこかの姫君に懸想していた事は、松永家に古来より仕える将の間では公然の秘密だった。
 それがまさか、殿だとは…このような経緯が潜んでいるとは思いもよらなかったが…」

 言葉を濁した吉継の後を藤堂高虎が継いだ。

「俺は特にあの人に恩義はない。かと言って今から明智に流れても遇される可能性は無いに等しい。
 ならここで高みを目指すさ。それに…あの姐さんならきちんと報いてくれそうだ」

「そう言って頂けて、嬉しく思います。
 様は、多少無茶苦茶なところがおありですが、あのように仁愛に溢れるお方。
 今回のような事が続けばご心痛もさぞかし大きかろうかと思いますが、皆さんの決意を知れば、
 御心の痛みも和らぎましょう」

 幸村の弁を聞いていた吉継が、ふと何かに気がついたように扇を閉じた。
パチリと小気味の良い音が上がる。

「時に幸村殿」

「はい、なんでしょうか」

「君も姫君を想っているのか?」

「えっ?! あ、いえ…あ、わ、私は……その…え、ええと…」

 直球な問いかけに幸村が慌てて赤面すれば、小西行長がにやにやと笑う。

「ふむ…面白いな」

「え、何がですか!?」

 動揺する幸村を無視して、吉継は行長に問う。

「行長、君はどう見る?」

「自分は誰でも構いまへん。贔屓してくれた方につくさかい」

「そうか、俺は幸村殿を推そう」

「三成さんはええんですか? 親友やろ?」

「だからだよ。三成が苦労するのを遠巻きに見て、進退極まった時に手を貸してやるのが楽しいんだ」

 しれっとした顔で回答する吉継を見、幸村はしみじみと思った。
また濃い人達がの元へと来たものだと。

 

 

 慶次の励ましを受けてなんとか立ち直ったが酒席で酒豪である事を公にして方々の度肝を抜いている頃のこと。
直江兼続は、自室で身支度を整えていた。

『……痛感した、私ではだめだ……これ以上、我が君を護る事は出来ない……やはり我が君のお傍には…』

 先の法力合戦で善戦を果たしたものの、共に祈祷を上げた陰陽師の多くが未だ黄泉と今生の境にて彷徨っている。
松永久秀の最後を目にした者と、本願寺で奮戦した幸村の弁ではこのような事は二度とないだろうという。

だが果たしてそうだろうか? そんな確証はどこにもない。
 確かに、松永家を下し、将軍家の旗を掲げたことで家は地位と名声と財力を得た。心強い部下も増えた。
けれども、次にこうした魔手が忍び寄って来た時に、自分の力だけでは抗いきれる自信がない。

「…殿、すまない……私に出来るのは……ここまでだ…」

 自身の荷物を取りまとめ、兼続は城を発つ。
彼が使っていた部屋にはに宛てた一通の文が残る。
 多くを語りがちな兼続にしては珍しく簡潔明瞭な文の内情は、厚遇されていた家を捨てて野に下るという不可解なもので、読んだ者の混乱を引き起こすことだろう。
実際に翌朝になってこの事が知れた時には、犬猿の仲の伊達政宗は激怒した。
 「ただの気紛れだろう」と相手にしていなかった三成や、ただただ困惑していた幸村も、その後、風の噂で伝え聞いた彼の転身を知った時には、多大なショックを受けて二の句を紡げなかった。
 野に下るとして家を去った兼続が次に仕官したのは、北の大国明智家。
もっと明瞭に示すのであれば、かの国に身を寄せている上杉謙信の下であった。

「兼続、久しいな」

「はっ、此度のお召し、恐悦至極にございます、謙信公!」

「何か、お話があるのでしょう?」

 妖艶な笑みを浮かべる綾御前と、厳しい眼差しの上杉謙信の前で、兼続は身を正し、平伏した。

「この首を掛けて、謙信公に訴えたい儀があり、馳せ参じました!」

「聞こう」

「はっ!」

 

 

 所、戻って家。

「梶様、こちらですわ」

「う、うむ…」

 に手を引かれて、身嗜みを整えた梶が謁見の間に入ってくる。
余程緊張しているのか頬が紅潮し、小さく震えている。先のごたごたを経て、すっかり人が丸くなった彼女は、自分の嫉妬が家に落とした影の大きさについて重々理解していた。
 焦がれに焦がれた家当主・の初のお召し。
だがそれは同時に、咎を受ける詮議の場でもある。
事情を知り、を失った今、彼女が告発した横領疑惑は意味をなさなくなった。
 だが代わりに残ったのは、彼女の失態に対する罪だけだ。
この幼い姫は、見事、人を恨めば穴二つを体現してしまったが、その責を問われる覚悟はできていた。
 今日の呼び出しについて家康から一言声を掛けられた時も、気丈に振る舞い、大人顔負けの芯の強さを見せた。
彼女の心に残る痛みがあるとすれば、それはただ一つ。
念願のとの初の謁見が、このような形でなされることについて、それのみだ。

「徳川家康が、側室。梶と申します」

 不安を現すような、か細い声で名乗りを上げ、平伏する。
深い藍色の着物が楚々と揺れた。
色白の顔がより一層、白く見えた。

「…むう…」

『可愛い子だなぁ〜。この子が家康様の側室か〜』

 ちらりと家康を見れば、妻を見るというよりは娘の一人を見るような、複雑な顔をしている。

『まぁ、当然かも…』

「…此度の所業、申し開きもございませぬ。どのような咎も謹んで賜ります。
 ですが我が夫は預かり知らぬことでございます。どうか、どうか、この身だけにて、お許し頂けますよう…」

 梶の言葉を聞いていないのかは惚けたままだ。
気がついた三成がわざとらしく咳をして、の意識を呼び戻した。

「あ、えーっとね…今回のミスってどれ位重大?」

 昏睡していた為事実関係の把握に疎いが問えば、政宗が答えた。
こうした事柄の採決は彼に任されている為、証言の数々を認めた書状は彼の手の中にある。
下々の揉め事であれば彼自身が裁可を下すが、今回は内情が内情だけに、に委ねばならない。
それ故、彼は説明役として列席していたのだ。

「梶殿の行動はの中枢を混乱に陥れた。
 慣例に従うのであれば、打ち首は勿論のこと、家康殿にも相応の咎が妥当となろう」

「お、お待ち下さい!!」

 家康の名を出されて梶が動揺する。
三成がそれを視線で黙らせた。泣き出しそうなところを懸命に堪えている梶を見ていると、他人を見ているとは思えないのか、がおずおずと挙手した。

「どうした?」

 発言を許されたが言う。

「誤解があっただけなのです。私は気にしてなどおりませんわ」

「そういうことではないのだ。

 三成がため息交じりにの発言を退けた。
彼の言わんとしている事はこうだ。
私情ばかりを交えていたら、法は成り立たない。
非情にならなくてはならない瞬間は、誰にでも、どこにでも訪れる。

「…三成様……政宗様…」

 どうにかお咎めなしになりはしないものかと、は二人に視線を向ける。
二人とてその思いには答えてやりたいが、世に公正を敷く為には、おいそれと「お咎めなし」とは言えない。
だから悩んでいるし、困っている。

「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど…。
 尼さんになるレベルじゃなくても髪切るのって、この時代では結構きっついよね?」

 皆が胃に感じる刺すような痛みに耐えていると、が独白めいた質問を繰り出してきた。
言わんとしていることが理解出来ない面々は目を瞬かせたが、の思惑に勘付いた秀吉が大袈裟に言ってのけた。

「そりゃ、童でもなきゃ大変な事なんさ!」

「ですよねー」

 勝手に分かりあってる二人は顔を見合せてにやにやと笑う。
展開が読めぬ梶が気を張り詰めて喉を鳴らした。

「梶さんの罪は、打ち首が相当なんでしょ?」

「そうなるな、だが家康が不在時の功績を寛大に汲めぬ事はないと思うが」

「寛大に汲んじゃ駄目だよ。公正さは大事。やっぱり締めるところは締めとかないとね」

様…!」

 が心配そうに身を乗り出せば、は視線で「信じて」と答えた。
それを受けたはこくりと頷いて姿勢を正す。

「じゃ、梶さんは打ち首って事で。
 でも女の子だから晒し首とか可哀相なんで、代わりにその綺麗な髪、切って晒し台に乗せようか」

「え…」

 よいしょ、と小さく掛け声を掛けてが立ち上がる。

「誰か剃刀、持ってきてー」

 声をかければ、すぐさま控えていた女中達が動いた。

「動かないでね? 危ないから」

「え、あ…え…?」

 少しだけ身を起こした梶が動揺して小さく体を震わせた。
憧れていたが傍にいる。
自分の頭髪に触れて、剃刀を当てている。
 将に首を落されることすら、寛大な処置であるはず。
ともすれば、君主自らが自身の傍に降りて来て触れてくれるなど身に余る栄誉だ。
梶は混乱しぷるぷると震え続けた。

ちゃんさー、私の部屋のタンスからリボン持ってきてくれる? 白いやつ」

「結い紐の事ですわね?」

「そそ」

 「失礼致しますわ」とが告げて、立ち上がる。
白い結い紐を携えてが戻ってくる頃には、梶の頭髪は肩よりも上の長さになり、綺麗に整えられ始めていた。
では調整となる細かい作業だと大雑把になり過ぎるのか、何時の間にか剃刀を手にしているのは三成で、は刷毛で肩にかかった髪の毛を払い落としていた。

「えー、そんな事ないよ。ちゃんと綺麗に切れてたって」

「いいや。歪んでいた」

「もー、三成は細かいな〜。髪なんかすぐ伸びるでしょー」

「お前、女とも思えぬ発言だな」

「ほっといてよ」

 ブチブチと言い合う二人のやり取りは、場の雰囲気に不釣り合いなほど和気藹々としていた。
微笑ましいものだとは小さく微笑み、室の中に歩みを進める。

「お持ち致しました」

 剃刀と同じ要領で渡された結い紐をが取り上げた。
現代のヘアバンドのように綺麗な髪に通して、体裁を整えた後、は満足げに己の膝を掌で打ち鳴らした。

「うん! やっぱ、短くても充分可愛い! 綺麗な黒髪だから絶対に白が似合うと思ったのよね〜」

 自画自賛しているの横で三成が「ふむ」と小さく息を吐く。
彼は何を思ったのか自身の扇についている小さな飾りを外し、結い紐と髪の境目にあしらった。

「この方が落ち着くだろう」

「ああ、それもそうかもね」

 すっかり裁可そっちのけで髪いじりに夢中になっている二人を戒めるように、政宗がわざとらしく咳払いする。
我に返った三成が、ぶっちょう面になりつつ自分の席に戻った。
はといえば、そのままその場に残って、梶の肩を両手で抱いて家康へと向けた。

「どう? どう? 可愛いですよね?」

「あ…はぁ…」

 目を丸くする家康の脇腹を秀吉が小突く。

「家康殿〜照れてちゃいかんで〜、こういう時は素直に褒めんといかん!!」

「ですよね〜」

「梶殿、めちゃくちゃ可愛いんさ〜」

「ん? 誰の事?」

 秀吉の言葉にがきょとんとした顔で問い返す。
周囲も、梶もびくりと肩を震わせ、目を瞬かせた。
悪戯っ子のように、はにやりと笑い、自身の口元に人差し指を添えた。

「梶さんはもう死んだのよ。髪がその証拠。この子はね………そうだなぁ…」

「お勝! そう、お勝にござる!」

 家康がの考えを読み、咄嗟に口を挟めば、も満足そうに微笑んで頷いた。

「そう、家康様の新しい側室のお勝ちゃんよ」

 勝の傍から離れて、は上座に戻る。
腰を降ろして、真っ直ぐに勝を見下ろし、言った。

「お勝ちゃん、これからはちゃんと一緒に奥向きの事二人で仲良く宜しくね!」

「はい!! 誠心誠意、務めますれば!!!」

 今度こそ勝は泣いた。
寛大な処遇、何よりもあの三成すら自然に巻き込める温かい人柄に、胸が熱くなった。

「じゃ、このお話はおしまい! 高坂さん、お勝ちゃんの出自とかその辺の捏造適当にそれっぽくお願いしますね」

「はい、畏まりました」

 

 

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家、お家騒動一件落着。(20.07.19.)