前田慶次の勝てない人 |
自然と薄笑いが口元に浮かび、その瞬間を思い描くように舌舐めずりすらしていた。 『楽しいねぇ』 掌中に捉えた獲物を追い詰めていく感覚。 『やっぱ、俺はこうでないといけないねぇ』 天下御免の傾奇者と、人は慶次を呼ぶ。 「もう、やだぁ!! なんなのよっ!!」 堪りかねたのか小さな悲鳴を上げた。 『構わないさ…そのまま逃げた所で…結果は同じ。 その瞬間、がどんな反応をするのかを思い描き、慶次は再び目を細めて薄く笑った。 「っ! あ、ごめんなさ…って、兼続さん!!」 「ム? これは失礼した。大丈夫だろうか、お嬢さ………我が君ではないか!? 「そ、それが…」 大方出会い頭に衝突したのだろう。 『参ったね……俺はそこまであの人に狂ってるって事か……』 "義を見てせざるは勇無きなり"を絵に描いたような暑苦しい男だ。 「慶次?!」 の話を聞いた兼続はどこの不届き者の仕業かと怒り心頭という様子だったが、原因が誰なのかを悟ると、次の瞬間には息を呑み目を見張った。 「よぉ」 兼続が視線で投げかけた問いかけを、慶次はふてぶてしい態度で肯定する。 『いや…どうにかせねばなるまい…か弱き我が君の貞操の危機でもあるのだ…』 『足掻いたって無駄さ。あんたらじゃ、俺は止められない』 二人の沈黙が作り出した膠着状態。 「慶次さん!? そこにいるのっ?!」 小道の影に逃げ込んでいたはずのの声がする。 「もうっ、慶次さんのバカァ!! 今までどこに行ってたのよ!! 「殿。大半が三成への悪態のようだが?」 全身全霊を込めて、絶叫するの姿に、兼続は思わず突っ込んだ。 「だって本当にムカつくんだもん!! でも、今はそれより変質者よ!! そこで顔を上げたの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。 「逃げても、逃げても…逃げ切れるものじゃない感じがして……」 そこでは再び慶次の腰回りに顔を埋めた。
「……怖かった…本当に、凄く凄く、怖くて……早く…慶次さんの所に行かなくちゃって…思ったのに… 「……俺を……探した?」 慶次が問う。 「…俺を探していた…って、そういうのかい?」
「当たり前じゃない!! 慶次さん、私の護衛でしょ?! 今の今までどこで何してたのよ!! 顔を上げて一喝したかと思えば、また再び縋りついた。
「大体ね、こんな世界で慶次さん以外誰がいるの? 私の事、ちゃんと見ててくれる人。 の絶叫を聞いた慶次の目から険が剥がれ落ちて行く。 「そうか…そうだったねぇ…」 徐に腰を落とした慶次に背を撫でられた。 「どこで何してたのよ……怖かったの…すごく…不安で…」 「…ごめんよ、さん。不安にさせて……本当に、ごめんよ…」 「慶次さんに早く会わなくちゃ…って思うのに…全然距離が縮まらない気がして………もうだめだって…思って……」 「さん…本当に、ごめんよ」 抱き返し、折り曲げた己の足の上にを座らせて、溢れる涙をいかつい指で拭う。 「もうどこにも行かないって約束してくれる?」 「ああ、勿論だ。俺は何時までもあんたの傍にいるよ」 「本当? もう勝手にいなくならない? 傍でちゃんと護ってくれる?」 「ああ、ああ。約束するよ。もう離れない」
愛しい人に泣かれ続けるのは心底胸が痛むようで、慶次は機嫌取りに必死になり始める。 「うー…慶次さん、フリーダムだから今イチ信じられない」 「困ったねぇ」 そういう慶次の顔は晴れやかにへらへらとしていて、 「今だってへらへら笑ってるし」 「いやー、そうは言われてもねー。どうしたら機嫌直してくれるかねぇ〜」 声も軽い。 「今日はずっと、ずっと傍にいてくれる?」 「ああ、ああ、構わないよ。俺はさんの護人だからね。 「…う……で、でも……」 迷いあぐねるの視線が、眉を下げて笑いを堪えている兼続の姿を捉えた。 「……そうだ、そうしよう…」 兼続・慶次が目を瞬かせた後、は再び彼らの度肝を抜くような事を言い出した。
「で。なんでこうなる?」
全身から怒りのオーラを迸らせる三成の周囲で、幸村を始め長政達が布団を敷くのに躍起になっていた。 「仕方ないだろう。我が君が脅えているのだ」 「嫌ならあんたは別に参加しなきゃいいだろ?」 軽快な調子で受け答えする慶次用の特注布団の上には、既に夜着に身を包んで転がっているの姿がある。 「………………問題なのは、貴様のような男と同衾していることだ。間違いがあったらどうする?」 「そうならないように、皆を誘ったんじゃん」 慶次の腕枕に頭を預けるの言葉にイラっときたのか、無言で三成が扇を広げれば、慌てて兼続が割って入った。 「まぁ、待て。三成」 「なんのつもりだ、兼続」 文句を言いつつも、ちゃっかりの頭上に横敷きにされた布団に陣取っている三成。 「こうでもしなければ、真の脅威からは我が君を護れぬのだ。眠れる虎を無暗に起こしてくれるな」 「はぁ?」 ちらりと視線だけで慶次を示し、兼続は言う。 「虎は飼い主に懐かれてこそ大人しくしていられるのだ。下手に距離を置かせると藪蛇になる」 「………不快だ」 兼続の言わんとしている事を悟った左近が「ははぁん」と相槌を打つ。 「これが様の世界にある修学旅行なのですね〜」 「ん…似たような…もの…かなぁ……本当は、怪談とか、枕投げとかもするんだけ……ど…」 言い終わる前に、は眠りの世界へ意識を落としてゆく。 「本当に、可愛いねぇ…。食っちまいたくなるね」 「ほぅ」 「へぇ」 「…そうですか…」 慶次の言葉に、周囲を固めていた三成・左近・幸村の背に灼熱の炎が巻き上がったように見えたのは気のせいではあるまい。 「くっ…胃…胃に…穴が開きそうです……」 「この空気の中では…今夜はなかなか寝られそうにありませんなぁ…」 「…そのようじゃ…」
一方でこの無茶苦茶な催しに巻き込まれた者達は緊迫した空気に脅えて部屋の隅に敷かれた布団の中で呻いている。 「…!!」 室内に蔓延る凶悪な空気が密度を増した。 「う、うぅ…」 布団と慶次の腕の中に潜っても息苦しいようで、が呻く。 『やれやれ、仕方ないねぇ』 慶次が一度瞬きをして、を包み込むように抱き締めた。 「んvv」 悪意として、愛憎としてあの気迫を向けられては、堪ったものではない。 「くっ…」 「ギリギリギリ」 「殿、綺麗な顔して歯軋りとか、しないで下さいよ」 「そういうお前も目が据わっているが」
恋敵達の苦悩も、背筋も寒くなるような視線も物ともせずに、慶次は口の端だけで笑う。
"虎"は本来狩りをする生き物だ。 『まぁ……それでいいかね……』 あの時、身に差し迫った恐怖から逃れる為に彼女が取った行動。 『蔑にされていた。想いは移り変わっていた。 は誰が膝を折ろうと変わる事はない。 『天下御免の戦人・前田慶次もには敵わない…か。その通りだねぇ』 "戦人"と、人は自分の事を呼ぶ。
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慶次さんにだってきっと暗黒面はあるはず。でも彼女はそれすらも無意識に懐柔できるはず。(09.06.20.) |