思わぬ拾い物

 

 

「なんだ、結局あんたも残ったんですか」

 翌朝、食卓に現れた兼続に対して左近が毒づいた。
の手前、悪態を口にしないまでも、政宗も親の仇でも見るような目で兼続を凝視していた。
 兼続は彼らに構うことなく進み、上座で相変わらず飯櫃と向かい合っているの横に立つと、そこで自ら膝を折った。

「義の世築く為…我が力、存分にお使い下さい」

「…おはよう、兼続さん。残ってくれて、ありがとう。さ、座って」

 白米をもったばかりの茶碗を差し出してが微笑めば、茶碗を受け取った兼続もまた静かに笑った。
安堵と僅かな胸のむかつきを覚え、顔に困惑を貼り付けるのは幸村。
の隣を当然とばかりに確保する左近。
一人遅れて部屋に入って来た慶次。
彼らに向かい、兼続は丁度いい機会だとばかりに、さらりと言ってのけた。

「案ずるな、私が殿に捧ぐのは忠、愛ではない」

「そうですかい、それは結構な事で」

 反応したのは左近だけ。
けれども幸村は明から様に安堵し、慶次もまたニヤリと笑い、自然と腕に篭もった力を抜く。

頭上で繰り広げられる会話に潜む意図に気がつかぬのはだけだった。

「じゃぁ、まずは皆で朝ごはん、頂いちゃいましょう」

 昨夜と同じように口上を述べて掌を合わせてから、食事に手を運ぶ。
また何時もの、賑やかで朗らかな食卓が始まった。

「あのね、ちょっと今日、慶次さんを借りたいんだけど、いいかな?」

 左近に問えば、ぴたりと止まる左近と幸村の手の動き。
三人はを眺め、外野となる兼続や政宗を始めとする伊達一門は興味津々とばかりに三人を見る。

「城の門扉の前にさ、大きめの掲示板を作ろうと思うんだ」

「けいじばん?」

「えーと…お触れ書きを貼りだす大きな板のこと」

「は、はぁ…?」

「小さめなのはあるけど、そういうのじゃなくてさ。
 どこからでも見れるような、大きいのにしたいんだよね。

 小さな看板を作って、あちこちにイチイチ立てて歩くのは不経済だし労力の無駄よ。
 だったら最初から大きい土台を作って、何か決まり事を張り出す度に、そこへ貼り出せばいいと思うの。
 どうかな?」

「ああ、そういう事ですか」

 他意はないのだと悟った二人が、密かに胸を撫で下ろした。
同時に見守っていた外野も思い思いの場所へと視線を流した。
 一人、そうした視線の流れや二人の挙動に気がついていないだけが、慶次を見上げた。

「大きな物作るとなったら、やっぱり力持ちさんにお願いしないとね。いいかな? 慶次さん」

「いいぜ、どんなの作ればいいんだい?」

「良かった〜。じゃ、ご飯がすんで、政宗さんと兼続さんを仕事場へ案内したら、一緒に作ろうね」

「おや、お二人の役職ももう決まってるんで?」

 玉子焼きを箸でつまんで茶碗に乗せた左近の問いかけに、は即答した。

「うん、二人には苦情係やってもらおうと思ってる」

「ハァ?」

 素っ頓狂な声を上げた政宗と固まった兼続には慌てて補足した。

「違う違う、厄介払いじゃないのよ。苦情係とか言っちゃうと聞こえは悪いかもしれないけど……
 本当は監察官みたいな事をしてもらおうと思ってるの。ただあまり堅苦しい肩書きだと、
 却って萎縮されて機能しなくなると思うのよ。だから表向きは苦情係」

「あの監察官とは、なんですか?」

 味噌汁を置いた幸村に視線を合わせて、

「あのね、掲示板と一緒に目安箱を作ろうと思う。それと駆け込み寺も。
 でもね、一番の問題は、そういうのに投書したり、逃げ込みたくても出来ない環境の人が いるかもしれない…
 って事なの」

「はぁ…」

 今度は兼続と政宗を見た。

「現場の意見を聞きたいの。私と直接話すことがない人の声を。
 別に特別なことじゃなくてもいいの、雑談でもいいし、提案でも、不満でも。
 ……この国に暮らしている人の、率直な意見を聞いてみたい。
 そういう事って、とても大切なことだと思うから」

「で、それと監察官という仕事とどういう繋がりがある?」

 先を急ぐ政宗に、まぁまぁとは苦笑を向けた。

「監察官は、陳情された内容をしっかり調べて、しかるべき処理をする役職なのよ」

「儂らが調べるのか?!」

 なんでそんな事をしなきゃならないんだと鼻息が荒くなりそうな政宗に、は朗らかな笑みをもって答えた。

「大事なのよ、貴方方じなきゃね。だめなの」

「理由をお聞かせ願いたい」

 黙々と食に勤しんでいた兼続に問われて、は平然と言った。

「貴方方は部外者だから」

 全員が動きを止める中、も一旦は箸を置いた。

「私、この土地を治めてまだそんなに日は経ってないわ。
 正直、舐められてると思うのよね、信用もきっとされてない。
 ここで暮らす人々は、怖がってるだけだと思うの。
 優秀な軍師がいて、勇猛果敢な武人を従えている私のことを。

 ……まぁ、怖がってなくても、様子見なんじゃないかなーって。
 だから、本当の所は言い出せてないような気がするのよね」

「そんな事はありません、様!!」

 そんな事を考えていたのかと目を見張る左近とは対照的に幸村は顔を真っ赤にして声を張り上げた。

「まぁまぁ、幸村さん落ち着いて、ね?
 でね、監察官の話に戻るけど……兼続さんも政宗さんも元々は部外者でしょ?
 そういう相手の方が、皆駆け込みやすいと思うのよ。
 元々二人は君主だったわけだし、だったら炊きつければ、下克上だってしそうじゃない?」

「誰かと違い、私は不義を憎む。一度膝を折ったら、違えはしない」

「人を不義とか決めつけるなっ!! 膝を折ったのは儂の方が先じゃ!!」

 二人の間でバチバチバチっ! と火花が散る。
それを諌めるように、は話し続けた。

「別に二人を信用してない訳じゃないから、というか、信用してなきゃ、任せられないしね。こういう仕事は」

「「殿…」」

 二人が少し感動したようにを見る。は笑顔でそれに答えた。

「それにさ、現実的に二人の方が無難だと思うのよね。
 だって、兼続さんはどう見たって堅物よね。弱き者を助け、強きを挫くって感じでしょ。
 でも金銭絡みとなると、ちょっと無頓着だと思うのよ。そこで政宗さんの登場よ。
 利に敏い政宗さんなら、兼続さんに処理出来ない事を的確に処理できると思うのよね」

 湯飲みを取り上げて、ずずずっと啜り、ほっと一息吐いて、

「要はさ、何を用意するかじゃなくて、陳情した相手が信頼できる人格を持っているかどうかが肝心なの。
 どんなにいい政策を打ち出したって、窓口になる人が信用の置けない人じゃ、意味がない。
 折角陳情したって握り潰されたりしたら、堪んないもんね。
 あ、勿論、他の皆が信用出来ないって言ってる訳じゃないのよ?! そこだけは勘違いしないでね」

 室の中にいる一同を一人一人見回した。

「で、どうだろう? この提案」

「いいんじゃないですか、そういう意図があるなら、左近は賛成です」

 と同じように湯飲みを取り上げて茶を飲む左近の賛同に、は嬉しそうに頷く。
続いて、任を担う事になる二人へと期待に満ちた眼差しを送れば、案の定。

「良かろう!! 見事、義の道敷いて見せようぞ!!」

 兼続は鼻息も荒く目を輝かせた。
と言う事は、敵愾心丸出しの政宗が乗り気にならないはずがない。

「安心せい、儂が見事、殿の信を勝ちとってみせようぞ!!」

「うん、二人とも期待してる。どうも有り難う」

 良かったと微笑み続けるに左近が視線を送り、密かに口の端を吊り上げた。

『張り合わせましたね?』

『ばれた?』

『いいえ、感服しましたよ』

 目と目で交わされた会話はこんなところだ。

 

 

 食事が済んだ後、は慶次、兼続、政宗を伴って政務階に降りた。
そこでまず兼続、政宗の二人に政務用の室を与えた。
彼ら自身の下に配置される人員は、二人の目に任せる事を言い置く。
二人は早速、自分の手足となって働けそうな誠実な人材を求めて、町へと繰り出して行った。

「じゃ、今度はこっちだねぇ」

「ですね」

 残った慶次と共に大工が詰めている川辺へと繰り出せば、いかにも荒くれた男ムサイ世界が広がっていて眩暈がした。

「おいおい、大丈夫かい?」

「え、ええ…まぁ、なんとか」

 に方々から値踏みするような視線が飛んでくる。
場所が場所だから動きやすいようにと袴を選んだのだが、それで良かったとしみじみ思った。
これで左近が用意してくれた可愛いらしい振袖なんか着ていたら、どんな野太い声が飛んでくるか分かったものじゃない。しかも視線をこれ見よがしに送ってくる連中ときたら、皆筋肉自慢なのかなんなのか、褌いっちょだったり、上半身だけが裸だったりと、目のやり場に困る。

さんは意外と初心なんだねぇ」

「ほっといて下さい」

 きっと慶次と一緒だから、今以上に頭が痛くなるような事態に発展しないで済んでいるに違いない。
現にの背に立つ慶次に脅えたのか、向けられていた数々のねちっこい視線は、急速に数を減らしていっている。

「じゃ、棟梁を見つけて、材木の値段交渉と人員交渉しないと…」

「ああ、その辺は俺がやってやるよ。女が口を挟むとへそ曲げる御仁が多いからね、こういう手合いは」

「でしょうね」

 申し出を有難く受け取り、その上では慶次を見上げた。
の顔には魅惑的な微笑み。ピン! と来たのか、慶次もニヤリと笑う。

「でね、慶次さん。ここで一つ、提案があるんですけど」

「なんだい?」

 身を屈めた慶次の耳へと耳打ちする。

「ははははははっ!!! あんた本当に面白いねぇ。いいぜ、やってみようか」

「はい!! 頑張って下さいね」

 肩をぐるぐる回しながら、俄然楽しみが増えたと慶次は歩き出す。
一方は、慶次に言われて城下町の大通りまで戻ると茶屋へと入った。
ここで暫く待つように言われたからだ。
 男の世界だ。あまり女が大手を振って歩き回るのは好ましい事ではない。
それにあの裸体軍団の中にいるには、としても精神的にきつい。
それを考えれば、慶次の言葉は願ったり叶ったりだった。

『へー、この時代の甘味はさっぱり系なのね〜』

 は自分に支給されているお小遣いで食べれるような団子を三串、お茶を一杯頼んだ。
運ばれてきた甘味に舌鼓を打ち、素直に感動した。
初めて時代劇さながらの戦国世界を、観光客のように満喫出来た瞬間だった。

「はー、いいお天気〜」

「ですねぇ」

 のほほーんと呟いたの声に、同調する声が隣の席から上がる。
柔らかい声に心惹かれて横を見れば、旅の途中なのだろうか。
可愛らしいクリーム色の着物に身を包んだ女性が座っていた。

「あ、ごめんなさい…つい」

 の視線を感じたのか恐縮した様子の相手に、はぶんぶんと首を横に振って見せた。
正直、声をかけられた事が、ちょっと嬉しかった。
皆よくはしてくれるが、頼もしい男性ばかり。しかも目上への対応である。
こうして同い年ぐらいの女性に、気さくに話し掛けられるのは久々であり、新鮮だ。

「い、いいえ、こちらこそ」

 慌てて取り繕い、それからすぐに問い掛けた。

「ご旅行中ですか?」

「はい、旅中にある夫を探しております」

 見た目二十を越えていないのに、もう結婚しているのかと、ちょっと打ちひしがれた。
それと同時に、こんなに可愛らしい奥さんを放り出して流離っている男とは、どんな馬鹿だと苛立つ。

「夫は、仕官口を探して、あちこち…」

「あ、そうなんだ…」

 そういう事情があるなら、仕方がないのかもしれない。
もしこの場にその旦那様とやらがいたら、うちを紹介するのにな…と密かに思い描いた。

「貴方様は…武芸の息抜きでしょうか?」

 装いから判じたらしい問いかけに、は苦笑した。

「うんん、違うの。まだちょっと着物に慣れなくて。今日は沢山歩くから、着崩れても目立たないように」

「まぁ、そうでしたの」

「ええ」

 談笑して、どちらともなく身を寄せた。
深い事は何一つ語り合っていないのに、妙に互いに気が合った。
隣にいること、いられることが、心地良かったのだ。

「…殿方ばかりの職場ですか……さぞご苦労がおありでしょうね」

「ええ、まぁ…でも皆いい人なんですよ。
 それに今日はこうして貴方に会えたし。ちょっと新鮮で、懐かしくて、嬉しかった」

「まぁ、そう言って頂けると、私(わたくし)も嬉しいです」

「お友達に、なれたらいいのに」

 の独白に、少女は目を見張り、嬉しそうに破顔した。
けれどそれからすぐに顔色を改めた。
何か思うところがあるのか、そそくさと身支度を始める。

「…ごめんなさい、名残惜しいけれど……そろそろ行かなくちゃ……」

「あ、そうですよね。ごめんなさい、引き止めてしまって」

「いいえ、とんでもない。ちょっとの間ですけれど、とても楽しかったです」

「いいえ、こちらこそ」

 食べていたお饅頭の代金を置いて、杖と笠を手にとって立ち上がる。
思わず見送るようにも立ち上がれば、女性はとても柔らかい可愛らしい笑顔を見せた。

「まぁ、わざわざ有り難うございます」

「いいえ、道中お気をつけて」

「はい」

 とぼとぼと歩き出した彼女の背を見送り、途中で名残惜しくなって、思わず声をかけた。

「あ、あの!」

「はい?」

 振り返る仕草までが、ほわほわしておっとりとしていて愛らしい。

「お名前、伺ってもいいですか。それとどちらに向かわれるのかも!
 もしかしたら、この町に旦那様が来るかもしれないし!! そうしたら、知らせます。貴方の事」

「まぁ!」

 春の花のように、慈愛に満ちた笑顔で嬉しそうに手を合わせて、女性はの元へと戻ってきた。

「有り難うごさいます。私、服部と申します。夫の名は服部正成と申します」

「服部正成さんと、さんですね。大丈夫です、覚えました。で、どちらに向かわれますか?」

「北へ、行ってみようかと思います」

 北といえば、左近の話では一大勢力を築きつつある国があったはず。
あそこは年中戦をしていると聞いている。

やはりいい仕官口を探すとなるとそういう危険と隣り合わせの土地の方がいいだろうか。 
 だとしても、この可愛らしい人がその戦火に巻き込まれる事がなければいい。
そう願わずにはいられない。

「そうですか、では気をつけて下さいね」

「はい、有り難うございます。あの……ご、ご迷惑ではなければ、お名前を伺っても宜しいですか?」

「あ、は、はい…えーと、前田です」

 フルネームを外で語るのは禁止とされている事を思い出し、は思わず偽名を名乗った。

「前田様、素敵なお名前ですね」

「ど、どうも有り難う」

 正直、乾いた笑いが止まらない。
姓を使われた当人はあの通りの人物だ、とやかくいう事はないだろう。
でも他の面子にばれたらきっと色々と面倒な事になるだろうな、と考える。
だがもう言ってしまったのだ、今更撤回は出来ない。

「それでは、参ります。ごきげんよう、様」

 緩やかな動作でお辞儀をして改めて歩き出したを見送り、再び席に腰を降ろした。
視界の中に入っているの小さな背中は、人ごみを縫って、曲がり角にさしかかる。
そこでふと足を止めて、こちらを見て、また小さくお辞儀をされた。
それがとても嬉しくて、も手を振って答えた。
 一期一会。尊い時間だったと、は満面の笑みで目を閉じた。

『城に戻ったら、左近さんに相談してみよう。何か出来ることがあるかもしれない』

 湯飲みを取って、残る団子を口に運ぶ。
そこでなんだか急に寂しくなって、肩を落とした。

「迷惑かもしれないけど、引止めれば、良かったかな……せめて一日くらい…」

 ぽそりと呟いて、それは自分の稚拙な我がままなんだと首を横へとふった。
次の瞬間、が曲がった道の先の方で、女性の金切り声が上がった。
嫌な予感がして、思わず立ち上がる。

「すいません、御代、ここに置きます!!」

 は店主の返事も待たずに、そのまま雑踏の中へと駆け出して行った。
が立ち去って数分後、同じ茶屋に顔出した男に、店主は慌てたように何があったのかを訴えた。

 

慶次編  左近編  幸村編

 

 

- 目次