34番のなぞかけ

 

 

『字に疎くても頷ける』

 芸事で身を立てる者として読み書きそろばんの教養があるに越したことはないが、どうしてもそれが必要かと問われると回答に詰まる。
何せ口伝のみで受け継がれる芸も、世にはあるのだ。
 文武で身を立てるのでもないならば、多少学に疎くとも謗られる元にはなるまい。

「大丈夫ですか? ここ、どうぞ」

 小さな体でこの人混みは厳しいだろうと、左近は自らの前に彼女を引き寄せた。
己の体を壁にして護ってやりながら、高札に記された内容を簡単に説明してやれば、彼女は逐一相槌を打って理解に努めた。

『素直だねぇ。殿もこれくらい素直なら可愛げもあるんだが』

「…と、まぁそんなわけで当面戦もないし、増税もありませんから安心していいですよ」

「そうなんですね、わざわざご丁寧に有難うございます」

「いやいや大したことないですよ、気にしなさんな」

 変わった衣装で男装の麗人を気取るならば、この娘の所属する一座の出し物は一体どういった物だろうか?
話の種になるかもしれない、聞いてみるのもいいかと左近は考える。
 そんな左近が声をかける前に、彼女を呼ぶ声が役場の門前から上がった。

「34番! 34番はいるか!」

「はーい!! ここにいます〜〜!」

 配布された割符を掲げて少女は駆け出した。
門の奥に吸い込まれるようにして消えた彼女の背を見ながら、左近は一つ、気が付いたように己の掌を打ち鳴らした。

「ああ、そうか」

 

 

 てまり寿司を自分の分含めて三膳買い求めて、それを手土産に三成の執務室に戻る。
当然悩みに悩む上司とその友人をほったらかして逃げている手前、部屋に残っていた二人の視線は鬼でも射殺せそうなくらい冷たい。
 が、そこは差し入れのてまり寿司と、今しがた仕入れてきた閃きで相殺することにした。

「まぁ、そう怒らず。分かったんですよ、吉継殿の招致に相手が乗らなかった理由が」

「何?」

「どういうことだ?」

 てまり寿司を開いて箸を二人にも差し出しながら左近は言った。

「読めないんでしょ、文字が」

「ハァ?」

「字が…読めない?」

 表情に困惑を貼り付ける二人に寿司を勧めつつ、左近は自分の分の寿司に舌鼓を打った。

「さっきねぇ、件の高札まで足を延ばしてみたんですよ。
 そこでちょっとした出会いがありましてね」

「出会い?」

「ええ、多分旅芸人の一座の者だと思うんですが…。
 高札の中身に興味はあるようだが、文字は読めない子が居ましてね。それでピンときまして」

 そこで左近は指先で吉継が持ち込んだ書面の数々を示した。

「ほら、解いてる問題。全部図面の問題でしょう?」

「そうだな」

「言われてみれば、確かに…」

「読めないんですよ、文字が。ただこの図面を見て、問題を理解して、解いてる。
 だから吉継殿が問題に添えた招致にも報奨金にも反応がなかった」

「左近、お前はこの問題を解いた者はバカだというのか?」

 言葉を選ばぬ三成に、左近は苦笑する。

「どうでしょうねぇ。バカはバカでも紙一重…もしくは化ける類のバカなのでは?」

「そうだな、もしその者が文字を覚えたら?」

「化けるでしょうな、確実に」

 一つとっかかりは掴めたが、根本的な問題は何一つ解決していない。
これでは打つ手なしではないかと眉を寄せる三成の隣で、吉継は思い悩むようにじぃっと書面を見つめ続けた。
図面を理解するならば、次に貼り出す問題にこちらの意図を混ぜて伝えることは出来ないものかと考えたのだ。

「後は、ま〜、あれだな。現場で張り込むしかないでしょうな」

 左近はてまり寿司を平らげながら言う。

「一日そこらで問題変えてるわけじゃないし、これだけ答えを書いて来てるんだ。相手も確実に領内に住んでます。
 なら相手が問題を目にして問題を書き写すか、その場で解くのか、俺にはその辺は皆目見当は付きませんが、
 とにかくまた問題を貼り出してやればいいんですよ。で、取り組んでる時に捕獲すればいい」

「四六時中見張るのか? 往来を??」

 無理があるだろうと指摘する三成に左近は言う。

「条件は分かってるんだ、手探りよりゃマシですよ」

 箸をおいて、そこで左近は指を折り始めた。

「まず、相手は文字を理解してない。第二に、問題には興味がある」

「それだけではないか」

「ええ、今はね。だが高札を見張る役人には、その二点を注意深く見る様に言えばいい」

「駄目元か」

「当面はね。先方の人となりをこっちは全く知らないんだ。何をするにも相手の趣向を知ってからですよ」

 

 

 

 その後、左近の提案は全く役に立たないことが分かった。
高札の番人に注意を払うように命令を下すには下したのだ。
だが足を止める者は大抵高札の中身に興味を示すばかりで、吉継が貼り出した問題に興味を示す者はいなかった。
 偶に足を止める者がいるにはいて、こいつか? と目星を付けるが、観察してみるとどこかの学問所の門弟らしく、懸命に問題と睨めっこをしているから目当ての人間じゃないのは明らかだ。

「なかなかどうしてこれは骨が折れそうだ」

 日増しに機嫌が悪くなる上司とその友人の扱いに難渋した左近が高札の前で舌を打った。

「あ、この間のおじさんだ。こんにちは」

 また新たに掲げられた高札と吉継の問題を見上げる左近の背に鈴の音のような声がかかる。
首だけ動かして声の主を探せば、束帯を思わせる装束に身を包んだあの少女の姿があった。

「おや、今日はまた高貴な出で立ちだ」

 衣装を褒められたのが嬉しいのか、少女ははにかんだ。

「今日も高札の中身、解説しましょうか?」

「いいんですか?」

 キラキラ瞳を輝かせるからおかしくなってしまって、左近は一歩身を引いた。
作った空間に彼女を招き入れる為だ。
左近の行動に含まれた意図を瞬時に理解したらしい彼女が空間に滑り込む。
 他愛無い会話をしながら高札の中身を教えてやると、彼女は、逐一相槌を打った。

「理解が早いね、助かります」

「気にすべきことはお金と戦だけだから」

 なるほど。旅芸人の一座ならその二つさえおさえておけば事は足りるのか。
納得して「そりゃそうだ」と軽く返せば、少女が身を翻した。

「そういえば、おじさんはどうして溜息を吐いていたんですか?」

「おや? 見られちゃいましたか」

 こくこくと頷く彼女は、お礼に相談してみろと言わんばかりの視線を向けてくる。
左近は苦笑しながら、ざっくり悩みの種を話した。
まともな回答を求めたわけじゃなかった。
知恵者三人を振り回す目に見えぬ賢人に対抗する為のとっかかりが欲しかっただけだ。
 だが少女は大きな瞳をぱちくりと見張って答えた。

「なんだ、そんなこと」

「そんなことって…簡単な話じゃないですよ? すぐ逃げちまう」

「だったら簡単ですよ」

 少女は手の中の割符をくるくると回して弄びながら言った。

「その逃げちゃう子の大好きなもので釣ればいいんですよ」

「釣る?」

「ええ。例えばその子の好物を沢山用意して、好きなだけ食べて下さいってやるの。
 その子が夢中で食べてる間に、周りを板塀とかで囲んじゃって逃げられないようにするんです」

「なるほど」

 ぼかして話したせいか、彼女の中では野良猫の捕獲相談にでもなっているのかもしれない。

「おススメは生魚よりまたたびか鰹節ですよ」

 あっけらかんと助言された。
礼を言おうかと左近が口を開く前に、役所の役人が声を張り上げた。

「34番、いるかー!」

「はーい! 今行きます〜〜!」

 別れの挨拶もそこそこに役所に小走りで駆けて行く少女の背を見て、左近は思った。

「また34番か」

 互いに名を名乗り忘れてはいるが、そんな事は些細だと思えた。
不思議なもので、それからも左近と少女の束の間の交流は続いた。
 そのやり取りの中で、彼女が良く持っている34番の札の意味も知った。
30番台は主に納税業務に関わる農民や町民の順番待ちに使われる札だった。
 彼女を呼びつける番人に軽く問いかければ、彼女は隔週水曜日に納税に来るらしい。

「へぇ、律儀だね」

 一月単位で納税に来ないのは、生活が厳しくて分割にせねば納税できないからなのだろう。
袖振り合うも他生の縁。なんとかしてやれたらいい気もするが、出すぎた真似になるのも良くない。
せめて彼女の属す一座の演目が分かれば、三成や吉継と共に息抜きがてら、顔を出せるのにな、などと考える。

「次に会うとしたら、来月の頭になるかな」

 なかなか面白い年の離れた知人―――左近が勝手にそう思っているだけだが―――との再会までの日が少しばかり待ち遠しい。

『そう思っちまうのは、綺麗所二人が毎日おっかない顔してるからですかねぇ』

 やれやれと肩を竦めてから身を翻して、左近は仕事場への道を辿る。
暫くして役所から、少女が出てきた。
彼女は左近が辿った道とは異なる方向に歩き出す。

「気を付けて帰れよ〜」

「はーい。有難うございます〜」

 若草色の束帯の袖を緩く振りながら見送ってくれた役人に礼を言った彼女の姿は、やがて行き交う人の波に呑まれた。

「ああ、そうだった」

 高札から離れて角を曲がりかけて、思い出したように少女は立ち止まる。
てってってと軽快な足取りで戻ってきて、彼女は高札の前へ。
そこで懐からごそごそと何かを引っ張り出した。

「えい!」

 少女は吉継がしたためた問題を留める釘の上に、それを重ねて押し込んだ。

「よし!」

 満足げに一人納得して再び人混みの中に紛れた彼女の手から離れたのは、二枚のわら半紙。
一枚は吉継が作った問題の答えが記されたわら半紙で、もう一枚は30マスの正四角形に不規則な数字が書かれたわら半紙だった。

 

 

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貼り出されたのはノーヒントの塗り絵パズル。知恵者二人に解けるかな?
こっちはゆっくりゆっくり進めて行きたいので、今回はまだ名前変換は有りません。悪しからず。(19.07.06.)