木花咲耶姫

 

 

「難問が増えた」

 三成の部屋の応接用の座卓の上に頭を預けて吉継が唸った。
冷ややかな目で吉継を見下ろして三成が先を促せば、吉継は二枚のわら半紙を取り出した。

「左近が言ったように文字を理解しないのであれば、俺の意図を少しでも汲んで貰おうと問題に細工を施した」

「それで?」

「これが今回は添えられていた」

「…なんだ、これは? 完全な怪文書ではないか」

「分からない…俺には、この手紙の意味が分からない」

 聞けば自分の出した問題の回答は完璧で、逆に向こうが出した手紙の意図するところが全く分からなくて、吉継は執務でもないのに連日連夜徹夜して取り組んでいたらしい。

「この升目に何の意味がある? この数字は一体何なのだ?」

 縦横30に及ぶマス目の外に1〜30の間の文字が割り振られている。

「この問題を解く鍵はないのか?」

「あったらお前の所に押しかけていない」

 何かの地図に重ねるのかと思い、あちこちの地図を取り寄せて重ねたが徒労に終わった。
地図の散乱した吉継の部屋を片付けねばならない女中が今頃悲鳴を上げているに違いない。

「三成、お前にはこれが解けるか?」

「鍵がないのに解けるものか。他所を当たれ」

 基本的にまだ見えぬ賢人と誼を結びたいのは吉継で、登用したいのも吉継だ。
自分は蚊帳の外だと三成は取り付く島もない。

「三成、お前はこの者に興味はないのか?」

「お前が招致すればいずれ見えるだろう? 俺はその時でいい」

 仕事をさせろと暗に退出を促してくる三成の元へ、本日は珍しい来客があった。
先方も嫌々お使いを任されたようで、仏頂面で敷居を跨いだ。
 訪ねてきたのは福島正則。三成と同じく秀吉子飼いの将だが、性質的には三成とは水と油の、武勇の将だ。

「おーい、頭でっかち〜。おねね様から預かりもの〜。俺、ガチでちゃんと届けたからな〜」

 執務にかまけて食事も疎かになっているであろう三成を心配したねね特製の弁当を、正則は吉継が沈んでる座卓の上に置いた。

「お、なんだこれ。塗り絵じゃん」

「「!?」」

 知将二人がかりで解けそうになかった手紙を見た正則が反応を示した。

「正則、今なんといった!?」

 鬼気迫る形相で吉継が正則に迫れば、正則は怯んだ。

「ひっ! な、なんだよ! 吉継、ちゃんと寝てるのか!? 今のお前幽霊みたいだぞ!?」

「そんな事はどうでもいい、これはどうやって解く!?」

 何時の間にか執務机から三成までもが離れて迫って来ていた。

「な、なんなんだよぉ!! お前らこえーよ!!!!」

 ぎゃんぎゃん喚く正則の声を聞きつけたのか、清正と左近が顔を出した。
三成と正則が水と油だから、また喧嘩でもされてはたまらないと懸念したようだが、今日はどうも様子が違う。

「どうした?」

「殿、何騒いでるんです?」

「いいから!! 解き方を教えろ!!!」

 下手に濁すと殺されそうだと本能で感じたのか、正則はしどろもどろ答えた。

「最近よぅ、町で知り合ったダチが教えてくれたんだよな〜」

 計算用に使うわら半紙に三成の机の上から筆を取り上げて、正則は縦横5マスの正方形を書いた。
その横に数字を割り振る。
 吉継の手元に届いたあの問題のミニチュアだ。

「こうやってよう、数字の対応する目を潰すんだよな。
 縦5ってなってたらその列を消すだろ? 隣の列は2と2だから、中央を1マス開けて塗り潰す…。
 数字と数字の間は必ず一マス以上空けなきゃならねぇ。そんで、こうやって塗ってって…
 最後まで間違わずに塗りきると……ほれ、絵の完成だ!」

 塗り絵だろ? と胸を張る正則の前で三成と吉継は互いの顔を見合わせた。

「三成」

「ああ、お前は右側を潰すのだよ。俺が左を潰す」

 二人は例のわら半紙を真ん中から半分に割くと、手早く対応するマス目を塗り潰し始めた。

「むっ…途中で被るな…」

 ズレが出ないように時にわら半紙を突き合わせて確認しながら黙々と作業を進める二人を前に、正則は詰まらなそうに不貞腐れる。

「んだよ! 教えてやったのに礼もないのかよ!」

「ああ、有難うな。助かったぞ、正則」

「礼ならその弁当食っていいぞ」

「で、これ、一体何の騒ぎだ?」

 許可をもらったことでいそいそとねねの弁当を開こうとする正則の襟首を清正がひっ掴んでとめる。
傍観姿勢をとっていた左近がやれやれという様子で、清正と正則に一連の事情を説明した。
二人は最初話半分にしか聞いてなかったが、左近が「その知恵者が反豊臣家を掲げる武家に仕官したら面倒なことになる」と告げると顔色を変えた。

「マジかよ!!」

「秀吉様の妨げになるかもしれない者を放置はできない、二人とも早く解け!」

「うるさい! やっているのだよ!!」

 豊臣を代表する勇将・知将がこんな一枚の紙切れに掛かり切り…という状況こそが、他家がもたらした策略の一種だったらとても嫌だなと左近は考えたが、それは杞憂のようだった。
流石に三成と吉継の二人がかりで取り組んだ塗り絵は、1時間とかからずに、寸分違わずに形を成した。

「……豊臣の…家紋?? なんで??」

 清正の問いかけに答えられる者はいない。

「単純に作ってみただけなんじゃねーの?」

 勝手に開いた弁当を、勝手に淹れた茶と共に正則は食べている。
そのことで清正にしこたま殴られそうになったが、三成と吉継は構う気になれなかった。

「吉継、一つ確認させろ」

「なんだ?」

「お前、前に掲示した問題にどんな意図を組み込んだ?」

「…君から伝えたいことは何かないのか? と…組み込んだつもりだったんだが…」

「単純にお前も問題を作ってみろ、って解釈されたみたいですな」

 はぁ…と三成が肩で溜息を吐いた。

「吉継…お前もう問題を作ったら貼り出してその前で寝泊まりでもしたらどうなんだ…」

 石田三成、大分面倒くさいと感じているようだった。

 

 

 結局あれから塗り絵パズルは三回出題された。
その都度要請を受けて手伝ってはいたが、いい加減うんざりだと三成は蟀谷に青筋を立てている。
それもそのはず、出題された塗り絵の完成図には意味はなく、繋がりらしい繋がりもなかった。
 件の高札の前で仁王立ち。腕を組んで高札を睨み上げている三成の醸し出す殺気が余程恐ろしいのか、周囲の人々が先を争うように足早に去ってゆく。

「なんで俺がこんなことを…」

 思い悩み、連日の徹夜が祟って吉継はついに寝込んだ。
そんな吉継の代わりに今日は三成が問題を貼り出しにやって来た。
今回は左近がした入れ知恵を採用し、1問ではなく10問、図形問題を用意した。
 流石にこれだけあれば瞬時に解いて、回答を書いて、貼り付けて立ち去る…等という芸当は出来まい。
人通りの多い往来だ。件の賢人が現れた時、塀を建てて囲い込むことなど不可能だ。
 それだけに、今回は三成、一計を案じた。
上田城から用事で訪れている真田幸村を助っ人に据えて、件の高札の周囲には秘かに人を伏せて包囲したのだ。

「全く…」

 ブチブチと文句が尽きない三成の隣で幸村は苦笑いだ。

「巡り合えると宜しいですね」

「全くだ。吉継には悪いが、俺としては迷惑千万。出合頭ぶん殴りはしないか不安になる」

「まぁまぁ…」

「分かっているさ、全て秀吉様の為だ。必ず説得し、膝を折らせる」

「頑張ってください。幸村愚鈍なれど、お手伝いいたします故」

「ああ、頼みとさせてもらうぞ」

 先程から交わされている言葉の意味はよく分からないが、なんでこの二人の男性は高札の前で仁王立ちなのだろうか? 読みたくても退いてくれないから、なかなか中身が読めない。
困ったものだと、二人の真後ろで34番の割符を持った少女が眉を寄せる。
彼女の今日の装いは袴と紅の着物。その上から浅黄と白のだんだら羽織を羽織っている。
 この高札の前で何度か顔を合わせたおじさんと違って、人当たりがいいとは言い難い青年とその従者っぽい人の好さそうな青年に声をかけたものかどうか迷う所だが、高札が更新されているなら内容を知らねばならない。
 彼女は意を決して、控えめに二人に声をかけた。

「あの…すみません…」

「なんだ?!」

 殺人光線でも撃ち出しそうな三成の視線からは極力逃れて、彼女は幸村へと視線を重ねる。

「高札の中身をですね…」

「ああ、これは失礼しました」

 察した幸村が一歩横へずれた。

「すみません」

 ぺこりと頭を下げて少女は高札を見上げる。
確認せねばならぬような更新はないらしい。先々週顔を出した時に会った婀娜っぽい中年が教えてくれた内容と変わりがない証拠に、公文書の公布日はあの日のままだ。

『ん? あれ?? 今日はクイズがいっぱい載ってる…?』

 瞬きを数回、その後で円らな瞳が忙しなく動いた。

「今日は…なんだかいっぱいですね」

 誰に向けたものではない。独白のつもりだった。
だがそれを聞き漏らさず、三成は目を見張った。

「あー、そっか。学問所の入所試験とかかな??」

 ブツブツと彼女の独り言は続く。
彼女は徐に掌中で遊ばせていた34番の割符を懐にしまった。
 何かを考えている時の癖なのか、宙の上で指先を動かして、何かが定まると掌を横に振る。
その仕草が解いた問題の過程を払い除ける仕草だと気が付けたのは、恐らく三成だけだ。

『まさか…この者なのか…?』

 驚愕すると同時に、言い表しようのない高揚感が三成を包み込む。

「あ、違う。そうじゃない」

 アプローチに疑問が生じたのか、動かしていた掌の動きが止まった。
掌の動きだけで見るなら、問題は恐らく5問目に入ったところだ。
 三成が幸村に視線を送った。幸村が無言で頷いて、徐々に彼女の周りから人払いを始めた。
集中すると周りが見えなくなるのか、少女は自分の周りに大きな空間が出来ている事に気が付かない。

「ここが引っ掛けで…求めてるのはそっちじゃなくて…」

 7問目に突入すると流石に混乱してくるのか独り言や己の唇に指先を添える仕草が増えた。
役所勤めの役人が34番を呼び出そうと、顔を出す。
彼が声を張り上げる前に、三成が掌を突き出して制した。
 更に彼は少女の斜め後ろに立つと、彼女の手元に筆と帳面を差し出した。

「使うか?」

「有難うございます」

 素直に受け取った彼女は筆を取り上げると墨を付けて、帳面に一心不乱に文字列を書き込み始めた。
一見すると魔術か何かの文言とも思える文字列と、皆目見当のつかぬアプローチで解かれてゆく設問の数々。
 難易度が徐々に上がるように作った10問の問題を、暗算で6問までは解いた。
7問目、8問目は三成が差し出した帳面で過程を模索し、回答を導き出す。
残り2問。最大級の難易度になるように調整を施した問題を前に、帳面の余白が無くなる。

『不味いな…集中が途切れて逃げられては面倒だ…』

 今、この瞬間に我に返ってくれるなと秘かに願い見守っていたが、三成と幸村の前で少女は予想外の行動に出た。
かなり没頭しているのか、彼女は書ける場所を探し、うろうろと歩き回った挙句に最大級の空白を見つけた。
 それ即ち、役所の白壁。
そこに大陸の文官が即興で詩を書き連ねるが如く、一気に文字を書き込み始めた。

「そうそうそう、これでいい。これで問題の齟齬が消える」

 乗りに乗っているのか、頬は紅潮し、嬉しそうに破顔する。
9問目を解いて、10問目に突入。
書かれている過程も文字もよく分からないが、問題は着実に解かれてゆく。

「Fantastic!」

 余程満足だったのだろう。全ての解を求めて、回答を書き切って、最後は指を打ち鳴らした。

「この問題考えた人、超性格悪いけど最高に頭いい!!! すごい!! 感動!!」

「そうか、それは何よりだ」

 

 

  - 目次 -