木花咲耶姫

 

 

 背後から一連の出来事全てを傍観していた。
これが他の者ならば、少女の行動は異様な行動か戯れで済ませただろうが、見守っていたのはあの石田三成だ。
過程が読めずとも、彼女が正解を導き出したのは一目で理解した。

「ぴゃぁ!!」

 剣呑な眼差しを向けられた少女は飛び上がるように驚いた。
はたと冷静になると、とんでもないことをしでかしたと思ったのか、すぐに平謝りしてきた。

「ご、ごめんなさい! つい、出来心で…」

 彼女が謝罪した理由は、白壁の落書きに見える過程と回答の書き込みだ。
本来であれば公的機関の壁にこんな異様な文字列を書き込めば無礼討ち待ったなしだが、そこは石田三成が見守る中での行動だ。不問になる。
なにせ好きなようにさせていたのは、彼自身だ。

「え、ええと…そ、それじゃ…あの、その…これで…」

 おずおずと手渡されていた帳面と筆入れを返す。
三成は受け取らず、一歩強く踏み込むと少女の手をとろうとした。
 条件反射だったのか、少女が身を捩った。

「御免なさいって謝ったのに!!!!」

 三成の手を躱して、彼の追撃を阻むように帳面と筆入れを彼の顔に向けて放った。
三成が怯んだ隙に身を翻したら、後は迷わず脱兎如く逃げ出す。

「お待ちください」

 行く手を幸村に塞がれたことを瞬時に理解した少女の行動は早かった。

「とったもん勝ち!!」

 叫ぶと同時に、懐から幾ばくかの金子を取り出して空に向けてまき散らした。
これがはした金であれば気に留めないところだが、それなりの通貨だったもんだからたまったものではない。
高札を囲うように出来ていた通行人の壁が、金子に目が眩んで一気に動いた。
 崩れた人波目がけて少女は突き進むと、幸村と三成が作った包囲網をいとも容易く突破した。

「待て!!」

 恐ろしく回転が速く、目端が利く。
間違いない。吉継と三成が探し求めた賢人は、今城下町を逃げ回っているこの娘だ。
 何が原因で逃げ惑うのか知らないが、何としてもひっ捕らえて豊臣家に仕官させねばならない。
多くの学者が手古摺る問題を難なく解いて、この淀みない逃走劇だ。
年齢や性別、氏育ちなどは些細な問題としか思えない。
 次から次へと迫る追手を躱して少女はひたすら城門を目指して駆け続ける。
脇道から脇道へと逃げ回り、最終的には大通りへと逃げ込んだ。
行き交う多くの人々を巻き込みながら逃げ続ける。
 想像以上に逃げ足が速い事から、彼女がずっと前からこの逃走ルートを確立していたことを知る。
有事の際は一体どうやったらこの場から最短距離、最速で逃げ延びるのかを事前に計算していたに違いない。
益々放置はできなくなった。
 直線距離で追う幸村に対して三成は、人を動かして逃走経路を先回りで潰そうとした。
町に点在する櫓から櫓へ下知を飛ばして、城下町の関を閉ざそうとした。

「ええええ!? 落書き程度でそこまでする!? なんでーーーー!!!」

 逃走経路を変えるかと思いきや、少女は一心不乱に一点だけを目指して駆け続けた。
大通りから曲がって、城下街と街道を隔てる巨大な門を目視する。
その門の手前の乗合馬車の待機列と、待合用の茶屋の前に見知った背中を認めた。

「正兄〜〜〜〜〜!!! 清正公(セイショコ)さん、助けてーーー!!!!!」

 彼女が金切り声を上げれば、呼ばれた二人の武士が振り返った。
全速力で逃げてくる少女の後方にはいかつい男の影がちらほら見て取れる。

「ハァ!?」

「何したんだ!?」

「殺されるーーーーー!!!」

 物騒な発言を大声でしたものだから、往来に居合わせた通行人が巻き込まれまいと、逃げ出した。
蜘蛛の子を散らすように動いた通行人のお陰で、追走に携わっていた臨時雇いの浪人達の足が止まる。

「清正公さん、しゃがんでーーーーー!!! 正兄ィはそのままーーーー!!」

 指定されて条件反射で清正が腰を落とした。
すかさず、少女は二人目がけて軽々と跳躍した。
 側転からロンダートを重ねて、勢いをつける。

「だっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「正気なのか?!」

 雄叫びを上げたかと思いきや、勢いよく両手を突き出す。
清正の肩に両手が重なるが勢いは止まらず、倒立状態の体は傾く。
少女はそのまま勢いに任せて正則の肩に着地する。
そして正則の肩をカタパルト代わりにして、大きく空へと舞い上がった。

「ハァァァァァ?!」

「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 空中で体を丸めてくるくると宙返りして見事に城壁の上へと着地した。
彼女が降り立った門は、この城下町で唯一修復作業をしていて、他の門よりも城壁が低かった。
最初から一心不乱に駆けていたのは、この門ならば閉門されても突破できると計算済みだったのだ。

「清正公さん、正兄ィ、ごめーん! それとありがとね!!」

 踏み台に使われた二人が悶絶する中、少女は迷わずに門の外へと身を躍らせた。
 三成の指示で閉ざした門の向こうには、今まさに出立したばかりの乗合馬車があった。
その馬車の荷台に見事に着地した少女は思い出したように、懐から34番の割符を取り出すと、何かを括りつけて、門へ向かって投げた。
 城門に当たってその場に落ちた割符には小さな巾着袋と、小銭の音。恐らく本日の納税分だ。

「はっ、ただ者じゃないね」

 往来の影から一連の出来事を見守っていた左近が苦笑する。
そして追い付いてきた三成は烈火のごとく怒り狂い、悶える清正と正則を吊し上げた。

「貴様らよくも逃がしてくれたな!!!!」

「何の話だ!! 何の!!!」

「そうだぜ!! あいつが一体何したって言うんだよ!!!」

「例の、賢人を今お前達が逃がしたんだ!!!! 責任をとれ、責任を!!!!」

 元はと言えば、寝不足・不機嫌・横柄の三コンボを決めた三成の形相が怖くて彼女は逃げたのだが、そんな事情を彼らが知る由もない。

「「何ィィィィィィ!?!?!」」

 清正と正則は二人同時に絶叫した。

 

 

 見事に逃げられたと唸り続ける三成の嫌味に耐えに耐えていた清正と正則も限界とばかりに立ち上がった。
つかみ合い、取っ組み合いになりそうな所で、左近が待ったをかける。

「まぁ、正則殿がどのようにして知り合ったかはともかくとして、面は割れたんだ。十分な収穫ですよ。
 それにあのお嬢さんなら左近も知らぬ仲じゃありません」

 まだ打つ手はあると、左近は言う。
彼はカリカリする三成と、知らせを受けて起きてきた吉継を伴って、件の役所へと足を向けた。
 抜き打ち監査でも始めるのかと戦々恐々とする役人達にそうではないと言葉をかけて安心させる。

「隔週水曜日、34番の割符で納税しに来てる娘の記録が見たい」

 左近の問いかけを受けて窓口の役人がすぐに反応した。
彼の話ではやたら愛想が良く押しの強い娘で、役所の中でも少女はちょっとした有名人だった。
 どうも彼女は三ヶ所の村の代表と一緒に納税に来ることが多いのだが、その村のどれもが米の取れ高が低い。
そこを指摘したら怒涛の反論を繰り広げた挙句、米の不足分は青物や獣の肉や革製品で手打ちをしてくれないかと打診したのだという。それがまた無茶苦茶ではなく、理路整然とした引き換え計画だった為、その三つの村については異例ではあるが、代替案が通ってしまっているのだという。
 隔週納税に来るのは米が不足している為ではなく、代替品の鮮度を優先した結果だった。
どうりで最近城内で提供される食事が米よりおかずの面で充実しているはずだ。
米の不足分をこうして補っている村が三つもあるとは想像もしなかった。
 三成も吉継も目を白黒させている。

「さて…お名前、拝見…と」

 彼女が関わった案件の纏められた帳面を開いて、該当部分を探し当てる。
と、同時に正則以外が目頭を押さえて深い溜息を吐いた。
納税者名として記載された名前は木花咲耶。
美しい名前だが、学のある者なら一発で理解する偽名だ。

「え、これ、偽名なの??」

 きょとんとしている正則に清正が言った。

「木花咲耶、別名かぐや姫の元になった日本神話に出てくる神の名だ」

「身分を隠したい理由でもあるのでしょうか??」

「だろうな」

「だがこうして関わっている村が分かったんだ。今度はこっちから出向いて尋ねるとしましょ?」

 


 

 左近の提案を受けて、一行は日を改めて木花咲耶が関わったとされる村へ赴くことになった。
三成と吉継は自分ら二人で充分だと考えていたようだが、木花咲耶が起こした騒動は、左近だけでなく、付き合いで参加していたはずの幸村の興味も引いた。
 調べ尽くしたであろう逃走経路。
武に秀でた動きではないのに、あそこまで見事に逃げ切れたのは、タイミングと力の配分が完璧だったからだ。
 これらは何もかも寸分違わぬ計算のなせる技だ。

「出来れば、お話をしてみたいのです」

 日々研鑽を胸に刻む若き武士は、いたく木花咲耶を気に入ったようだ。
一方で、顔見知りが一人でもいた方がいいという見解を持ったのが島左近。
なんだかんだ彼女と交流があるから、橋渡しに最適だろう。
 そしてまさかの誰よりも早く顔見知りだったらしい清正と正則。彼らは単純に妹のように可愛がっていた娘が、まさか二人の知将が探し求めた賢人だったとは思いもよらず、未だ信じられぬらしい。

「で、何時から顔見知りだったんだ?」

 タイミングの問題だから今更責めても仕方がないのだが、連日睡眠妨害をされて巻き込まれた立場の三成としては怒りが冷めやらぬといった所だ。

「何時っていってもよ〜。かれこれ数か月前? 役所の前で納税の順場待ちしててよう」

「それで?」

「偶々、二八蕎麦の屋台で一緒になったんだよな〜。その後で一緒に御焼食べる様になってさ〜」

 ようは買い食い仲間だったらしい。

「清正、お前は?」

「俺は正則の紹介で…」

 白馬を駆る清正は終始険しい顔をしている。

「三成、吉継。乱暴な真似だけはするなよ? あいつは不憫な子なんだ」

「どういうことだ?」

 先を馬で駆ける三成が問えば、清正が答えた。

「故郷が焼き討ちにあったらしくてな。流れ流れて、この国に来たと言っていた。
 お前達が無理を強いて、ここも去ることになったら、可哀相だろう?」

 完全に兄目線の清正は木花咲耶の言葉を信じ切っているし、己の生い立ちに重ね合わせてでもいるのか、同情的だ。もし木花咲耶が望まぬ方向へ二人が話を強引に誘導すれば力づくで阻もうとするに違いない。
それが手に取るように分かるから、吉継は努めて穏やかな口調で言った。

「案ずるな、清正。礼を尽くして招致したいだけなのだ。
 切れ者の友人が一人でも増えるのは、俺も三成にとっても喜ばしい」

「俺は友人になど、望んでいない。関わった手前、見届けたいだけだ!」

 吠える三成をやり過ごして馬を走らせること30分。件の村が見えてきた。
人影を探せば、農民達が手分けして今日も農作業に励んでいる。

「すまない、少し聞きたいのだが」

 馬上から声をかければ、作業していた農民の一人が目を見張った。
若くともそれぞれ豊臣の旗の下で働く武士だ。無礼があってはならない。
ましてこのように小隊を組んでここまで来るというのは、何かしら咎めを受けるのではないかと戦々恐々だ。

「ああ、そう構えなさんな。ちょっと人を探してるんですよ」

 左近が先読みするように馬から降りた。

「これくらいの背丈の少女を探しててね。一風変わった衣服を好んで着てましてね。
 若草の束帯を着ていたかと思えば、紅の着物に薄灰の袴を合わせて背には浅黄と白のだんだら羽織を
 重ねていたりもする。おそらく一座の役者か芸人なんじゃないかと踏んでるんだが…知りませんかね?」

 左近の言葉を聞いた農民達が互いに顔を見合わせた。
思い当たった人物がいたようで、ヒソヒソ言い合った。

「間違いないだな」

「ああ、あんな着物着るのはあの嬢ちゃんに決まっとる」

「あれじゃろ、まぁたなんか無茶苦茶言ってお上と交渉したんじゃろ」

「やり過ぎたんと違うか…」

「あー。けどなぁ、悪気がある子でもねぇしなぁ…」

 知ってはいるが庇いたいという様子の農民達の口を割らせるべく、左近は軽い調子で言う。

「いやいやいや、お咎めじゃぁないんですよ。むしろその逆でね!」

「逆ですかい?」

「ああ、あの子の柔軟な発想のお陰で城の板場がいい塩梅に活気づいたもんで、褒めてやろうって話でして」

 本来の目的が吉継の下への勧誘なのであながち間違いじゃない。
一座で身を粉にして働くくらいなら、吉継の下で得意の算術を使って生計を立てる方がよっぽどいい話であるはずだ。

「なんだ、そうでしたかぁ」

 左近のとりなしで疑念を払ったらしい農民は安心したのか、指先を上げた。

「あそこに小高い山があるの、見えますかいの」

「ええ」

「あの山頂にこじんまりとしたお社があったんですわぁ。ここ十数年無人でねぇ。
 気が付いたら嬢ちゃんが住み着いてたんですわぁ」

「へぇ…そうなんですか」

「民よ、確認したいのだが、彼女の名は?」

「へぇ、確か言いましてな。どこだったか遠い遠い…ああ、そうだ、東の方の…なんだったかねぇ、ほら」

「東京だべさ、東京!」

「ああ、そうだったそうだった。その東のなんたらって国から流れてきたそうで…」

 聞いたこともない地名に馬上の知将・勇将が目を見張る。

「なんぞ身寄りもなく、山の中でひっそり暮らしておりますだ。どうか温情をかけてやって下せぇ。
 破天荒な所はあるが悪い子じゃないだよ」

「皆まで言うな、分かっている」

 三成が長引きそうな話を切り上げようとした。

「お武家さんらはこれから山へ行かれるので?」

「そのつもりだが、まずいか?」

 吉継の問いに農民は答えた。

「まずいかどうかは分からねぇけども、今行ってもいないと思うんじゃがの」

「不在?」

「ええ、山頂から煙が昇っとりますじゃろ? あれ、炭焼きしとるんじゃないかと思うんじゃが、あの煙が出とる時は
 嬢ちゃんは近くの町に出かけてることが多いんじゃ」

「芸を見せに?」

「んだなぁ。今日は青に三日月の神々しい衣装で出かけってたなぁ。
 この近くの町の楽市楽座の一角で歌って踊るんだそうな」

「歌い踊る?」

「んだ。故郷の流行りの舞とか何とか言って、大層、評判が良いんだそうで」

「あい分かった、そちらを当たってみるとしよう。感謝する」

 得られる限りの情報を引き出した一行は、目星をつけた町へ向けて一路、馬を走らせた。

 

 

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