木花咲耶姫

 

 

 一行が目的地に辿り着いた。
町の外の馬屋に乗ってきた馬を預けてから町の中に入る。
聞いていた通り、町は商業が盛んなのかあちこち賑わっている。
 かつて秀吉が仕えた織田信長が推進した楽市楽座の進化系が、この町には根付いているようだった。

「芸を披露して金稼いでる奴らのいそうな場所ってのは何処なんでしょうね?」

 商いに精を出そうとする商人連中の呼び込みを押しのけながら進んでいると、幸村と正則が物売りに捕まった。
無碍にできない2人はなんだかんだと甘味やら特産品を押し付けられて、代金を請求されている。
 左近が目敏くその輪に加わり、芸人達が集う通りの情報を聞き出した。
動物を使った芸や、南京玉すだれといった技術が必要になる芸を披露する芸人が犇めく通りの奥。
三叉路になっている隅っこに不自然な人だかりが出来ていた。
 階段三段分の高さの長方形の小振りな舞台の上に人影が見えた。
赤い番傘を手に歌い踊るのは件の少女―――だ。
 農民が言っていた通り、本日の彼女の衣装は青に三日月が映える狩衣だ。
番傘を閉じて開いて、背を向けて、くるりと優雅に回る。
聞いたこともない調子の楽曲だが、人々が熱狂するのも頷ける。
 極楽を歌う歌詞はあでやかで、どこか婀娜っぽく、蠱惑的だ。
音曲の中盤まで顔を見せる気はないのか、顔面は狐の面で隠していたのに、ここぞという時になって、曲の転調に合わせて仮面を捨てた。
 見せる表情が恐ろしく艶っぽい。
曲の節に合わせて舞い踊る度に、ふわりふわりと袴の裾と袖が揺れる。
大きく、小さく、強弱をつけて軽快に舞い踊れば、やがて音は目に見える流れのようになり、辺りを席巻した。
彼女が視線を動かして微笑む度に四方八方から、おひねりが飛んだ。

「皆さん、こーんにちは〜!」

 曲が終わったのか、はコホンと一つ咳払いをしてから大きく口を開いた。
美しく艶やかな歌と踊りからは想像もつかない朗らかな声だ。
 の挨拶に合わせてあちこちから声が上がる所を見ると、もうこの場では常連なのだろう。

「今日はですね〜。新しい曲を披露しようと思います! 皆さんにもお手伝いをして頂きます!
 いいですか〜。私と一緒に踊ってくださいね〜!」

 次の曲では観客も巻き込むつもりなのか、曲のサビの部分で披露する踊りの一部を観衆と共有する。
人々が小さく手を上げたり下げたり、振りの合わせて踊ることで一体感が生まれた。
その一体感が十分なものだと判じると、は次の曲を歌い踊り始めた。
 先ほどまでの艶やかな歌ではなく、可愛らしく明るい歌だ。
共有した踊りの軽快さと朗らかさもあって、場には楽し気な雰囲気が広がってゆく。
見守る民衆だけでなく、商売敵であるはずの他の芸人の視線まで奪って、は舞い踊り、歌い続ける。

「いやはや、驚かされる」

 感嘆の声を素直に漏らしたのは左近。
過ぎた熱狂でに手を伸ばそうとする観客の姿に顔を引きつらせるのは清正。
邪魔をせずになんとか交流の時間を持てないものかと思案するのは吉継だ。
 そして三成はというと。

「美しいな…木花咲耶……あながち、間違いではないのやも知れぬ…」

 誰もが聞いたことのない柔らかい声音で感想を述べた。
三成の声を聞いた面々がぎょっとして彼を見る。
自分に注がれる視線に気が付かぬ三成の視線の先には、扇子を巧みに操って楽し気に歌い踊るの姿。
 「ほぅ」と溜息を洩らした三成の視線は熱く、眩しい物を見る様にうっとりと細められている。

『あの三成が恋に落ちた』

 誰もがそう理解した瞬間だった。

「こらこらこらぁーーー!!!! そこな娘ーーーー!!!」

 舞の振りが単調にならないように、扇子から腰に佩いた刀に切り替えて舞い踊っていたのが仇になった。

「あ。警吏のおじさん」

「おじさんじゃない! 何度も言っとるだろ!! 往来で刀振り回して踊るんじゃない!!」

「え、でもこれ、模造刀ですよ? 前みたいに抜いてもいないし…刃は竹だから人なんて切れないし…」

「撲殺できるじゃろうが!!!!」

 人をかき分けてに迫る警吏にあちこちからブーイングが上がった。

「でもこの竹光で人を撲殺できるから禁止なら、番傘も駄目なんじゃ…」

「傘で人殺せるわけないじゃろ!! とにかくそれは早くしまいなさい。没収は嫌じゃろう?」

「は、はーい。スミマセン」

「よし、よし。気を付けるようにな!」

「はーい、すみませんでした〜!」

 盛大な茶々は入ったものの、入れた警吏もの舞は根本的には好ましく思っているようで、が良く出来た模造刀をしまうと安心したように町の見回りに戻っていった。

「えーと、それじゃもう一回!!」

 中断した歌の一小節前から再び舞い踊るの先導に合わせて、民衆とが同じように踊る。
些細な茶々をものともせずに芸を再開させたの手腕に驚かされる。
彼女は根っからのエンターティナーだ。
 吉継はの周囲を観察した。人だかりに比例するように、おひねりの数が凄まじい。
これは大丈夫なのか。今はいいが帰り道で追剥ぎにでも遭うのではないかと心配になった。
 が、芸の終演を待ち受けている者の中に、有名な商店の番頭の姿をちらほら見つけると、心配は興味へと変わった。
何かしでかすのではないか。予測もつかない妙案を見せられるのではないかと、今から想像で胸が弾む。
 程なくしては自分の持ち時間分の演目を終えた。

「皆さん今日は一緒に楽しい時間を有難うございました〜!!
 また後日お邪魔しますので、よろしくお願いしま〜〜〜す」

 挨拶とコミカルなしぐさでお辞儀をして見せて、は舞台を降りた。
見守っていた吉継が覚えた予感は、程なく確信へと変わった。

「お待たせしました」

「いえいえ、それでは商談に。本日は如何しましょうか?」

「ええと、それじゃぁ、今回はこの布と…このお野菜とお肉を…」

 は手に入れた金子をそのままその場で殆ど使い果たした。
手元に残ったのは帰り道に立ち寄る茶店で支払うお茶代くらいだ。
おひねり用に用意した箱から溢れたおひねり。その数多のお気持ちを、番頭にその場で支払って品物を発注する。
それによって、自分は手ぶらで帰路につく。
 例え賊が帰り道で彼女を襲おうと、彼女は手ぶらだ。から奪い取れるものなど、何もない。

「へぇ、それでは商品は後程送らせて頂きますよって」

 番頭達はそれぞれ御用を確認すると、律儀に腰を落として会釈してからそれぞれのお店へと帰って行った。

「よろしくお願いします。お待ちしてますね!」

 彼らを見送ったも後片付けをして人波に紛れる。

「恐ろしく賢い女だな」

 三成の独白も頷ける。特には小柄だ。見目麗しい衣装を纏っていても、一枚外套を纏ってしまえば、あっという間に人の波に呑まれて見つけられなくなる。

「まー、次の伝手、頼ってみるとしましょ?」

 左近の提案を受けて、三成達は方々に別れた。
目的はただ一つ、と商談をまとめた商店の番頭を捕まえて助力を得る事だ。
 農民の話で住処に目途は付けたが、それが正解とは限らない。
確実を得る為にはどうしたらいいのか?
答えは簡単だ。彼女と商談をまとめた商人の配送に同行すればいい。
 三成、吉継組と、左近、幸村組が捕まえた番頭は残念ながら配送は後日の契約になっていて役に立たなかった。
一方で清正と正則が捕まえた商人は運よく当日配送を依頼されていて、配送の護衛をタダで請け負うと持ちかけたら二つ返事で快諾してくれた。
 と彼らの間で交わされている取り決めは、即金決済する代わりに商品の配送時に掛かる人手や護衛代はお店が負担するというものだった。今回は腕に覚えがあるだけでなく、お上の後ろ盾を持つ武士がタダで付き添ってくれるとなれば、お店側に拒否する理由はない。
 商人は依頼の品を積み込んだ馬車をぱかぽこと走らせて、件の山の麓までの道を急いだ。
無論お店が懸念した盗賊と出くわさなかったわけではないが、そこは腕に覚えのある正則や幸村が率先して対応し、時間をかけずに鎮圧した。

「いつもこんな調子ですかい?」

「ええ。でも即金で決済ですからねぇ。ツケで商いされるより断然儲かります」

 手形が不当たりになる心配がないというのが一番の強みだと、馬車を操る商人は言う。

『本当に聡い女だな、なんとしても豊臣に招致せねば…』

 何度か襲ってきた盗賊を退けて、件の山の麓から中腹まで馬車を走らせた。
山の中腹には少し広めの展望台に使えそうな広場があって、そこに馬留に適した大木が聳え立っている。
商人はそこまで馬車を誘導すると、その場で荷解きをして、降ろし始めた。

「え、ここまでですか?」

「ええ、この先はご本人が取りにいらっしゃいます」

 綺麗に並べて、最後に伝票を荷物に挟み込む。
それから商人は聳え立つ大木から下げられた二本の縄を解いた。
穂先を青く染色した縄を解けば荷物を守るように大きな編み笠が降ってくる。
茨付きの編み笠をまじまじと見やる正則に、商人は言った。

「ああ、お手を触れない方がよろしいですよ。毒が仕込んであるそうですから」

「え、マジ?」

「はい」

 続いて商人は穂先が赤い縄を解いて強く引いた。
その縄の動きに連動して、山頂の方で何かがガラガラと音を奏でる。

「なるほど、これで到着を知らせているわけか」

 興味深いと感心するのは清正だ。
城作りが趣味の彼からしたら、いいヒントになったに違いない。

「ここまで来て、上まで行かないってのはなんだか解せないんですがね」

 左近の声を聞いた商人がいやいやと頭を横に振った。

「皆様方のような武士ならまだしも、あっしらただの商い人です。あの罠の中に入ろうなんて思いもしませんや」

「罠?」

「ええ。ここから山頂まではぐるりと山を迂回して緩やかに進むんですがね、あちこち罠の巣窟ですよ。
 手順を知らずに進めば命がいくらあっても足りやしない」

 馬車の向きを変えながら、商人は崖の下を指示した。
確かに崖下には転落死を遂げたらしい男の亡骸があった。

「手厚く葬るまでもないんだそうな。自然が処理してくれるとか何とか、言ってましたなぁ。
 まぁ、葬ろうにも降りるに降りられないだけなんでしょうが…」

「なるほどね。脅しで罠作ったらハマる奴が現れた。
 脅しのつもりだったから稼働した後のことまでは考えてなかった…ってとこか」

 左近の言葉を商人は肯定する。

「今日お届けした品に足の早い物は有りませんで、何時こちらに降りてこられるかは存じません。
 運が良ければ明日までには会えるのでは?? それでは、あっしはこれで」

 丁寧にお辞儀してから元来た道を戻ってゆく商人を見送って、三成、吉継、左近、幸村、清正、正則は馬から降りた。それぞれが木々に自らの馬を繋いで、軽く準備運動する。
 当然、彼らに待つつもりはなかった。

「ここまで来たのです、お目見えせずなんとしますか」

「そういうこったな」

 一体どんな罠が待ち受けているか分かったものではないが、彼らとて数多の戦場を越えて生き延びてきた武士だ。
おいそれと後れを取るつもりはない。
 彼らは一番槍を競うように、罠の巣窟と呼ばれた道への第一歩を踏み出した。

 

 

 三時間後、六人は山頂の社の前の階段に背を預けて空を拝んでいた。

「想像…以上に…」

「えぐい…」

「反則だろォ…なんだよあれ…」

「畳み掛けるなよ……痺れてる所に、倒木とか鬼畜か」

「土石流で振出しまで戻された俺に同じこと言えるのか、お前。お前より俺の方が悲惨だっつーの」

「………辿り…ついたぞ…ようやく…」

 己の武器を支えに前へと進もうとする三成の姿を見ると、全員が「執念だな」と思った。

「まぁ、念願の木花咲耶姫に御目通りであればこれくらいはしないと…ですかねぇ」

 左近が後に続いて、「道理だな」と己の服に着いた土埃を払い落としたのが吉継。
正則は社の前の鳥居に背を預けたまま動かず、清正は幸村と手を貸しあって立ち上がった。
 軽く体裁を整えた上で社へと進み、三成は声を上げた。

「ごめん、こちらに賢人が住まうと聞き及んでいる。御目通りを願いたい」

 家人がいるかもしれないし、下働きの者の取次があるかもしれないから礼節は尽くすといった所だ。
が、待てども待てども中から反応はなくて、無人なのではないかと疑念が募った。

「御免ください」

 遠慮がちに声をかけながら、幸村が社の引き戸を横に引いた。
薄明りの中で見た社の中は質素ながら綺麗に整理整頓されていた。
お針子仕事に使う道具の傍の着物かけに吊るされているのは、今日彼女が着ていた青の狩衣だ。
 出入り口は一ヶ所のようだが、障子で隔てられた部屋は他に二つある。
その一つが台所に通じているようで、台所の釜戸の上では鍋がくつくつと音を立てている。

「どなたかいらっしゃいませぬか?」

 こちらにはいないと台所を覗いていた吉継が首を横に振った。
反対側の障子戸を遠慮がちに開けて、不在を確認した幸村もまた振り返って首を横に振る。
彼が覗き見た3畳ほどの小部屋はの寝所だったようで、幸村は申し訳ない事をしたと言わんばかりに眉を八の字にしていた。
 10畳程度の中央をうろつきながら、社の中をざっと見渡す。
社だけあって神仏を祀ってあるものの、の身長で手が届く範囲には限界があるのか、ご神体の木像の汚れは足元より上の方が濃い。肩や首周りまでなんとか掃除しようとした形跡があるにはあるのだが、力尽きたのか途中で積もった埃を落とすのを断念した形跡が見て取れる。

「神仏への敬意はあるようだな」

 ぐるりと辺りを見渡す間に、幸村が小さく「あ!」と声を上げた。

「どうした?」

 吉継が声をかければ、幸村は慌てて窓に背を向けた。

「み、三成殿はこちらに来ない方が宜しいかと!!」

 赤面する幸村の態度に怪訝な眼差しを向けながら三成は進み、そこから動くまいとする幸村を押しのけた。

「見つけたならさっさとそう言え」

「あ、だ、駄目ですよ! 三成殿!! 礼を欠いてしまいます」

 力ずくでどかした幸村が先程見たのは、社の裏手側だ。
何かおかしなものでもあったのだろうかと視線を彷徨わせて、すぐに気が付いた。

「な、ば! 馬鹿者! 先に言わぬか!!」

「だから言ったじゃないですか…」

 雨戸を手前に引いて閉めた三成の頬も、幸村同様、微かな赤みを纏っていた。
三成、幸村が立つ窓とは正反対の窓から二人が見たものを自分の目で確認した左近と吉継がなるほどと踵を返す。
 四人が覗いた窓の先に何があったのかと言えば、天然の湯殿だった。
その湯殿の洗い場で、がこちらに背を向けて、体を小さく丸めて頭を洗っていたのだ。
衣服を全て脱いでいるものだから、背中が丸出した。
肩から白い背中を経て、腰回りへの曲線が艶めかしくもあり、眩しくもある。
 湯殿の近くに滝もあるのか、落水の音がドドドドド…と大きく響いているから、三成達の声が聞こえなかったとしても不思議はない。
 人の気配に無頓着なのは、あの罠があるからだろうか。
は背まで伸びた髪を丁寧に洗い、まとめて水分を絞ると、手拭で器用にくるんだ。

「よいしょ…っと」

 それから社に背を向けたまま、湯舟の中に身を沈めた。

「はぁ〜〜〜〜、生き返る〜〜〜〜〜〜。これだけはここに勝る物はないよねぇ〜〜〜」

 来客に全く気が付いていないは、暢気に鼻歌を歌い続けて入浴時間を満喫していた。

 

 

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お名前判明! さて、どうやって彼女を振り向かせよう?(19.07.06.)