石田三成という男

 

 

 固唾を呑む面々の前では怯むことなく、人差し指を立てた。

「まず、先程も申し上げました通り天下に興味がありません。そして私は豊臣には敵対しません。
 いずれ豊臣が天下を掌握するでしょうし、私が生きている間に豊臣の世が崩れることもないでしょう。
 だから私が豊臣に敵対する事はありませんし、介入する必要性を感じません」

 続いて中指を立てる。裏返して指を立てているが、ピースサインだ。

「この生活が本当に性に合ってます。わざわざ貴方に仕えて苦労を背負い込みたくはありません。
 この時代、どんな伝手があろうとなかろうと、女の人権は家畜に等しい。
 秀吉さんの覚えがめでたい吉継さんに招致を受けたなんて知られたら、そうじゃなかったとしても、
 同僚や部下や目上のやっかみを買って嫌がらせをされるに決まってます。そんなの嫌です」

 最後に親指を立てた。

「それに仮に、ですけど。貴方に仕えたとして、誰が私の身を守ってくれるのでしょうか?
 いずれ貴方方は戦場へ赴かれるはず。国元に残っても身の安全が確保されるか怪しいのであれば、
 貴方方と共に戦場に出向いた方がマシかもしれません。でも戦場ですよ? 
 もし敵に本陣に攻め込まれたらどうします? 混戦にでもなったら一巻終わりです。
 貴方方はいいですよ、身を護る術を持っています。でも私は? 何も持ってないです」

 そこでは一息ついた。
何か言いたげな清正と正則を見やる。

「俺達が守るとか安易に言わないで下さいね。
 戦場で混戦になったら、左近さんは三成さんを守るだろうし、三成さんや吉継さん、清正公さんと正兄は
 その場に秀吉様が居たら死ぬ気でそっちを守るでしょう?? で、その時私はどうなるんですかね?」

 ぐぬぬ…と清正が奥歯を噛んだ。

「分かります? 貴方方が持ちかけてる招致は、貴方方には利点があっても、私には一切利点がないんです」

 掲げていた指を折り曲げて、改めて膝の上には己の掌を置いた。

「それにこれが一番ここから出たくない理由なんですけどね。
 ここ、お風呂あるんですよね」

「え?」

「は?」

「何?」

「ハイ?」

「はぁ??」

「お…お風呂、ですか?」

 全員が肩透かしを食らったような表情になれば、はうっとりとした表情を見せた。

「近くに天然の源泉があるみたいで、運よくここにもそれが流れ込んでいる場所があって。
 24時間好きな時に自分だけの温泉を堪能できるわけです。
 町に引っ越したらこの贅沢は味わえない、そんなの絶対に嫌!!!!!」

「ああ…なるほど…」

 左近が可笑しそうに笑った。
賢人は賢人なのだ。頭も切れるし、芸事も達者だ。
だがの本質は"女"そのもので、地位や名声よりも身綺麗にしていたいと、そういう事なのだろう。

「こりゃ、気が回りませんで…失礼しました」

 左近が一番最初に立ち上がった。
身振り手振りで周りに「お暇しましょ」と促す。
 ようやく分かってくれたかと、は胸を撫で下ろした。

「それじゃ、突然すみませんでした。また顔出しますよ」

「ええええーーー」

「巷で人気の舞姫に会いに来るなら、別にいいでしょう?」

 にやりと笑われると返す言葉に詰まるようで、は眉を八の字に下げただけだった。
左近に誘導されて一行は渋々帰路につく。
 湯殿でを襲った麓の村の男のことが気がかりではあるが、清正と正則が制裁をしたそうだから、当分は再起不能だろう。その間にが再び罠を作って設置するはずだ。気に病む必要はない。

「俺は諦めていないんだがな」

 吉継、左近が主だって結論を出してしまった為、三成は口を挟む余地がなかった。
もう少し、食い下がれそうなものを…と彼は考えている。
それだけに帰路についてしまった事実が不本意でならないようだ。
日常と比較するなら三割増しの仏頂面の三成に詰られて、左近は苦笑した。

「ですが殿、あの人を落とすなら、戦略を変えねばなりません」

 それは分かっていると、三成も頷いた。
馬で並走する三成に左近は言った。

「俺達はあの人を"賢人"と持ち上げすぎた。ありゃ賢人の前に、ただの"女"だ。
 女を口説くなら、利より情です。戦法を変えませんとね?」

「まずはどうする?」

「懐に入れりゃ一番なんだが、どうでしょうな。あれだけガッチガチに足元固めてるんだ。容易じゃないでしょう」

「彼の方は踊りや歌を好まれる御様子、趣味を通してお近づきになるのが得策では?」

 幸村の提案を聞いていた三成の目が一瞬鋭く光った。
怜悧な彼の頭脳は、左近、吉継と彼女が話した言葉の端々をなぞり、何よりも最良の回答を導き出したようだった。

「………それはお前達に任せる。吉継、の護衛を選出するなりなんなり、早急にすることだ」

「お前は、どうするつもりなんだ?」

 言外に「恋に落ちただろうに接触を避けるのか?」と匂わせたつもりだった。
吉継からの問いかけを受けた三成は、鼻で笑った。

「俺か? 俺にはこれから大仕事がある、先に行くぞ」

 急き立てる様に、三成は操る馬の横腹を蹴った。
馬が答えて駆ける速度を上げる。
 誰より早く町へと帰った三成は、それから数カ月、雌伏の時を過ごした。
他の面々が何くれとなくに気を使い、時に趣味を通じて友好を深める中、彼だけが目立った動きを見せなかった。

 

 

 にとって石田三成という存在は盲点そのものだった。
初めて出会った時は恐ろしく目つきの悪い冷血漢に見えた。
次に会った時は襲い掛かってくる男を容赦なく裁いた為か、高潔な人に見えた。
 彼とはあれから顔を合わせることはなかったし、文を交わすような事もなかった。
相変わらず納税の為に町に降りれば、その日は決まって左近が吉継が件の役場の前で待ち構えていたし、それでなくとも買い食い仲間の正則や兄もどきの清正とはあちこちで顔を合わせた。
あのまま町に残ることになった幸村とも芸事を通じて親交を深めるまでなった。
幸村は歌や踊りに興味があったわけではない。
彼はの身のこなしを見て己の武を高めるヒントは何かないかと、模索していただけだ。
 吉継、左近、幸村、清正、正則と付かず離れずの距離を保ちながら過ごす。
彼らの口から洩れる情報で三成がどんな性質と思考を持つ人間なのかを知る日々だった。
 元々本人が何の動きも見せていないから、の中では三成は自分を招致しようとする面々の輪から外れた存在という認識だった。
 それが、満を持して動いた。
よく顔を合わせる面々に言い出せぬ悩みをが抱え始めて数週間後。
悩みが鬱屈へと形を変えて、それが爆発する寸前の事。
季節は暦の上では秋を越えて、冬に入り始めていた。

「御免下さい、真田幸村です。
 殿、申し訳ありませんが私と共に町までおいで下さいませんか。御覧に入れたい物があるのです」

 三成は左近や吉継から色々聞き出して、在宅であると見当をつけた上で幸村に遣いを頼んだ。
彼は最後の仕上げがあるから自ら出向くことが出来なかったそうだ。
 随分と居丈高な奴だなとは内心で呆れたが、清正や正則の口からそういう奴だと聞かされていた事を思い出す。

「御覧に入れたいって…どんな物をですか?」

 タダより怖いものはない。
ほいほい誘い出されて付いて行って美酒佳肴で持て成されてなぁなぁにされるわけにはゆかない。
 それに最近はお社からそう長い時間離れられないのだ。

「ここの所、凄く忙しくて…できれば遠慮したいんですけど…」

「そうですか…ですが、三成殿が仰るには、今殿が抱えている問題を解決できる唯一の方法だと仰せでした」

 誰にも吐露したことはない。ひっそり自力で解決すべく奮闘してきた問題を、何故、全く交流していなかった男に見透かされているのか。気味が悪くなる。

「ところで、どのような問題を抱えておいでですか? 私や吉継殿ではお力添えできませぬか?」

 人が好い幸村は真摯に問いかける。
自覚する以上にストレス要因になっていたのか、はついうっかり口を滑らせた。

「じゃあ…滝から水を汲んできてほしいんですけど…」

「水を?」

「あ、いえ…なんでもないです…」

「構いませんよ?」

「え、本当ですか?」

「ええ、どれくらい汲みましょう?」

「そこの大きな水がめに一杯になるように…」

 が示したのは軒先の水瓶で、大人がしゃがめばすっぽり入れてしまう大きさの水瓶だった。

「これいっぱいにですか!?」

「そうですよね、嫌ですよね、面倒ですよね…いいんです、言ってみただけなので…」

 はぁ…と深い溜息を吐いて、は酒樽を持った。
商店で譲ってもらったこれをバケツ代わりにして滝壺から毎日せっせと一人で水を汲み上げていたらしい。

「いえ、汲み上げるのは構わないのですが殿の細腕でこれは難渋しているのでは?」

「そりゃそうなんですけど、人を雇えるような経済状況じゃないですし…」

 とぼとぼと滝壺に向かって歩き出したの後に、幸村が続いた。

「冬が目の前だっていうのに、当てが外れちゃいましてね。
 納税分はなんとかなるんですけど、水がどうにもこうにも…」

 一体これだけの量の水を何に使っているのかと幸村が問えば、は半泣きだった。

「お風呂ですよ!!! お風呂!!!」

「え。だって、ここ温泉が流れ込んでいるのでは??」

「そうなんですけど…最近なんだかお湯の出が悪いんです。どんどん枯渇していってて…」

 なるほど、不足分を滝壺から汲み上げて、山の中で拾ってきた薪を使ってお湯にすることで補っているのか。
それは想像以上にきつい肉体労働だろうと幸村は同情する。

「やはり社から出る気にはなれませんか?」

「うん」

「ですが、これから冬ですよ? この調子で冬を越せるのですか??」

「そこなんだよなぁ……どうしよう……いっその事南に引っ越しでもしようかなぁ……」

 は深い深い溜息を吐いて肩を落とした。

「まぁ…そんなお金、どこにもないんですけどね…」

 定期的に披露する舞や歌で稼ぎは安定しているが、それらは全て税金と日常の生活に使い尽くしてる。
貯金が出来るような状態じゃない。引っ越しどころか、旅行すら夢のまた夢だ。

「はぁ……なんでかなぁ……温泉って突然枯れたりします??」

「枯れたりはしないと思いますよ〜」

 辿り着いた滝壺で水を汲み上げて運搬用の水瓶に注いでいると、背後から声がした。左近だった。

「あ、左近さんも来たんだ? 三成さん人遣いが荒い人ですね〜」

「そう思うなら、ご一緒してください」

『ここで愚図ると今度は吉継さんか清正公さんか正兄が乗り込んでくるんだろうな』

 察しを付けたは降参とばかりに両手を上げた。
折角水を汲みに来たからと、運搬用の水瓶三つ分だけを水で満たして社に戻った。
 後から合流した左近と幸村の手がなければ何時間かかったか分かったものではない重労働だ。
こうしてサクサク済んでしまうと、気持ちもいくらか楽になる。
は水瓶を軒先に並べて蓋をすると、外出着に着替えてくると言って寝室に一度引っ込んだ。
 数分と経たずに身支度を整えた本日のの出で立ちと言えば、南蛮の軍人を思わせる軍服だ。
右肩から白い羽織をなびかせて颯爽と歩く姿は凛として様になっている。
緩いポニーテールで纏めた髪と羽織の動きが何とも妖しく艶っぽい。

「本当に御嬢さんは毎度毎度化けますねぇ」

「町に行くなら芸事披露する時の衣装にしとかないとね、踊る踊らないは別として、いい宣伝にはなります」

「違いない」

 移動は常に乗合馬車か徒歩というに合わせてやりたいところだが、先を急ぐからと左近はを乗ってきた馬の上に引き上げた。

「左近が支えますんで、舌を噛まんように、そこだけ気を付けてください」

「はーい。宜しくお願いしまーす」

 もうなるようになれと、半ばヤケッパチのは左近に寄りかかった。
クックックと喉を震わせて左近は笑い、馬の腹を蹴った。

「先に三成殿に伝えに行きますね」

 幸村の騎馬が先行し、左近の騎馬が後を追う形になった。

『流石武田騎馬隊の理念を受け継ぐ人だわ…』

 乗馬に慣れぬが酔わぬように配慮しながら左近は馬を走らせ続けた。
やがて豊臣家が拠点を置く何時もの城下町が見えてくる。

『ン? 何アレ…?』

 徐々に町が近くなるにつれて、は街の景観に違和感を覚えた。
普段使う東門ではなく、本日は西門から町に入ることになった為に、初めて存在に気が付いた。
 町の北西に巨大なスロープを模した木造建築がお目見えしたのだ。
緩やかな蛇行を繰り返すスロープの下には幾つかの水車があって、流れる温水を捌いている。
スロープの中を流れる温水が町の中を走る水脈に混ざるのを防いでいるのか、水車が水流を巧みに制御していた。

「……あれは…一体?」

 左近の手を借りながら馬から降りたの問いに、「すぐに分かりますよ」と、左近は不敵に笑う。

「十日ぶりだな、

「あ、吉継さん。御機嫌よう」

 が来ると知ったからなのか、西門の前で吉継に出迎えられた。

「どうかお手柔らかに頼む、石田三成という男はこうと決めたら止まらぬのだ。
 悪気はない事だけ知っておいてくれ」

「は、はぁ…? そう…なんですね??」

 なんのこっちゃっとは首を傾げながら、左近、吉継、幸村の案内で町の北西へと向かった。
彼らに連れてこられた日本家屋の敷地は眩暈を覚えるほど、広大だった。

『うわぁ……学校の運動場より広い…軽く引くわぁ…』

 なんとも言えぬ顔をするを出迎えたのは、仏頂面の美丈夫だ。

「どうも、お久しぶりです」

 棒読みの挨拶をすれば、三成は眉一つ動かさず踵を返した。
ついて来いという意思表示だと理解して草履を脱いで玄関先で揃えて反転させた。
 服の裾や髪が地につかぬように配慮する自然な仕草が女らしくて、男達に好感を抱かせる。

「お邪魔します」

 家の主に聞こえているかどうか怪しい挨拶をして先を進む三成の後に続く。
母屋を越えて離れへと続く回廊を歩いた。
回廊に幾つかの曲がり角があるのは、母屋と離れの間に美しい日本庭園が誂えられているからだ。

「わぁ……すごくいい景色」

 素直な感想に、三成が満足そうに小さく口の端を吊り上げる。

「ここだ」

 先を歩いていた三成に促されては離れの前に立った。
差し出された鍵を受け取り、錠前に鍵を差し込んで回した。
ガチャリと音を立てて錠が外れる。
 手前に開いた扉の向こうには十畳程度の板間があり、端に二階へ続く階段が見えた。
気になって背後を見れば左近と吉継と幸村が「どうぞどうぞ」を先を促した。
 素直に従ってそろそろと中に歩みを進めて、二階に上がった。
二階は十畳と六畳の二間続き。奥が寝室に適した間取りで、手前は作業スペースだろうか。
衣掛けやお針子仕事にもってこいな机と裁縫箱が並んでいる。
 流石にこれだけ道具が揃っているところを見ると、ここに引っ越して来いという意味なんだろうなと察しが付く。
はてさてこれだけのものを用意した男の好意と招致を、どう断ったものかとは思い悩む。
 庭の景観良し、寝室の畳の香り良し、広さも部屋の誂えも見事としか言いようがない。
ぶっちゃけただで住んでいいと言われたら、即答で承諾してしまいそうだ。

「階下が真打なのだよ」

 三成に言葉少なく促されて、は階段を下りた。

「ここだ、開けてみろ。お前の悩みはこれで解決する」

「はぁ…そうですか」

 

 

  - 目次 -