石田三成という男

 

 

 促されるまま板間を奥へと進んで木製の引き戸を横に引いた。
手前に六畳の脱衣所、その先に、檜で組まれた湯殿が現れた。
一人で使うには広すぎる湯舟の隣には水風呂。
御影石を敷き詰めた洗い場だけで三畳はある。
目隠しとなる板垣で景観を損ねぬように、湯気に強い植物と石の彫刻で飾られた湯殿は、計算し尽くされた美がそこかしこに溢れていた。

「ああああああああ!!!!!!!!」

 それよりなにより驚いたのは、湯殿になみなみと揺蕩うお湯は、嗅ぎなれた硫黄の匂いを纏っていた。

「そんな、嘘!!! これって!!! もしかしてもしなくても!?!?!」

 は瞬時に理解した。自分が堪能していた温泉が枯渇したのは、の住まう社へ続く水流よりも先に、源泉から横へ別の水路を引いた者が居たからなのだと。
 そしてこの地に入った時に見たあの大きな木造建築のスロープは、源泉から温泉をこの離れへと引き込む為だけに造られた建造物だったのだ。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、貴方ねぇ!!!!!!」

 重い水の上げ下ろしに泣かされた日々を思い、は激昂する。
感情のまま掴みかかろうとするの手を軽々といなして、三成は涼しい面持ちのままだ。

「温泉泥棒!!! こんなの酷い!!!」

 目尻に涙をためて抗議するに三成は告げた。

「俺を泥棒というが、そもそもお前は誰の許可を得てあの社に住んでいた?
 ここは秀吉様が治める領地、あの社の地主にお前の名はなかったぞ」

 不法占拠はの方だと理路整然と指摘された。ぐうの音も出ない。

「これまでは温情で不法占拠を許されていたに過ぎぬ。
 立ち退き要請をされないだけ有難いと思ってもらわねば困るぞ。
 時期にあの地の湯は枯れる。社を出てこちらに移り住むと良い。お前の大好きな利点は三つもあるぞ」

 三成はがかつて見せた仕草をまねる様に指を立てた。

「一つ、今後数百年枯渇しない温泉を、ここでも昼夜問わず楽しめる。
 二つ、芸事を披露するならば、あちらよりこちらの町の方が大きい。稼ぎもこちらの方がいいだろう。
 三つ、これが最大の利点だが、この風呂場には覗きは現れない」

 三成の弁を聞きながら、見守る彼の友人と部下は思った。

『一番最後が殿にとって一番肝心なんですよね』

『一番最後が三成殿にとっては一番大切なんですよね』

『一番最後がお前にとって一番重要なのだろう?』

 「うー、うー」と唸るに三成は問いかけた。

「さぁ、どうする? これから冷気の強い冬場が来る。
 あの社も雪景色になるだろうが、温泉もなくどうやってあの地で冬をやり過ごす?」

 

 

 元々石田三成という男は完璧主義者だ。
これと決めたら梃子でも動かない。
 あの日、舞い踊るを三成は見初めた。
まだ思いを告げるような距離にいないから、思いを成すには、それに適した距離にを引き寄せねばならない。
その為に必要なものは何なのかを考えた時、彼の考えることは単純だ。
 彼女が招致を固辞するのであれば、その理由を潰せばいい。
女の身で抜擢されてやっかまれることが嫌だというなら専属として、他とは関わらせなければよい。
天下に興味がないというなら、内政補佐として国造りにだけ従事させればよい。
身の危険を感じるというのならば、彼女の命が消えれば自分も一蓮托生となる護衛役を宛がえばよい。
 何より利益のない招致であり、温泉から離れたくないというのならば、温泉自体を移動させて、そこに利益を作り出してしまえば良いのだ。
 現にこうして新居を前にしたの心は、固辞と承諾の間でグラグラと揺れている。

『だめ押しの一手が必要か』

「信じられない…本当に…信じられない……こんなことの為に…一体いくら使ったのよ…」

 茫然自失と言わんばかりのの独白を、三成は問いかけととったようだ。

「基礎工事は全て国費で賄ったぞ」

「はぁ!?」

 自分も納税者の立場だ。が三成の発言に目を吊り上げた。

「案ずるな、横領ではない。お前の情報をもとに湯をこちらへ引いた。
 主流はそのまま町に流し、大衆浴場を建設して広く民に開いたから公共事業だ。
 お陰で民の仕事も増えたし、温泉目当ての商業も盛んになった。
 この館へ引いた温泉は、源泉を見つけ出した者への細やかな褒美として秀吉様に直接許可を頂いたに過ぎぬ」

「この館で温泉を使った湯殿があるのは、この離れだけですよ」

 すかさず左近が補足を入れた。

「殿の邸宅となる母屋に温泉はありません」

「…マジで?」

 が紡いだ言葉の意味はよく分からないが、表情が意味を物語っていた。

「本当…正気なんですか…。私なんかを雇用する為に、温泉を移動させた??」

「ああ」

 期待が重い。好意が痛い。
それにここまで尽くされてしまった事実が、一人の女としては、嬉しくもある。

「そんな当然のように肯定されても……」

「お前にはそれだけの価値があるから、仕方ない」

「よくそういう事、臆面もなく言いますね?」

 羞恥はないのかと毒づくが、三成の顔色は涼しいままだ。
三成の行動に別の意味を見出しそうな自分がなんだか気恥ずかしくなって、は視点を変えることにした。

「ああ、でも…ここ吉継さんの邸宅ではないんですね」

「未婚の男女で、同じ敷地内に主従同居は流石に不味かろう。噂や陰口の類は嫌なのだったな?」

「ええ、まぁ…はい…」

「家賃を払えなどと、せこい事は言わぬ。
 社を引き払い、早急に吉継に仕えて友となってやってくれ。
 俺の屋敷の敷地内であれば、吉継が謗られるような結果にはならぬ」

 全て建前だ。
本音は自分がを同じ敷地内に囲いたいだけのこと。

「石田さんって、随分お友達思いなんですね」

「まぁな。俺の事は三成と呼ぶがいい」

「はぁ、分かりました」

 がっくりとは肩を落とした。

「それじゃ…今日の所は一先ず帰ります。帰って少し検討させてください」

「分かった。左近、送ってやれ」

「はい、お任せを」

 そこで自らが送ってやればいいのに、私情より仕事を優先し、引いてしまうのがなんとも三成らしい。
吉継と幸村が苦笑した。

「吉継さん、腹黒くて行動派のいい友達を持ちましたね?」

「ああ、面白いだろう? 自慢の友だ。
 こういう男が俺の友人なのでな、素直にこの流れに乗ってしまう方が気楽だと思うぞ」

「えーーーー、マジでー? やっぱ正気じゃない人の友達だけあって吉継さんも正気じゃないなー」

 頭を抱えながらとぼとぼと来た道を引き返して行くの後に左近と幸村が続いた。

「このままこちらに移り住んでしまえば宜しいのに」

「幸村さんまで言うの?」

「いえ、これから帰って風呂を沸かすのは大仕事なのではありませんか?? 時期に夜になりますよ??」

「あー、言われてみるとそれもそうねぇ…今日は清拭で手を打とうかなぁ…」

 気のいい幸村は左近共々の帰宅に同伴した。
風呂を沸かす手伝いくらいならしてやれると考えていたからだ。
 だがその幸村の配慮も、社に戻ってみると全て無用の長物となった。

「ああ…悪夢だ……本当に…信じられない……」

 慣れ親しんだ山の麓まで近づいた時、嫌な予感がしたのだ。
夕闇迫る空に一筋の火柱を見た。まさかと思い左近に強請って馬を速めてもらって辿り着いた愛しの我が家は、なんと爆ぜて跡形もなく消し飛んでいた。
 神仏の祟りが恐ろしかったのか、木像は外に引っ張り出した上で事に及んでいるあたり犯人は小心者だ。

「あんた…あんた、常々馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、マジもんの馬鹿なんじゃないの!?!!!」

 爆破したのはかつて湯殿でに襲い掛かった麓の村の若者だった。
この近隣で唯一の知恵者の社を吹き飛ばすという暴挙は、流石に周囲の村民の間でも悪戯では済まなかったようだ。
首謀者と彼に雇われたと思われるガラの悪い男達は駆けつけた村民に取り囲まれていた。

「私が中に居たらどうしてくれるのよ!!!!!」

 住む場所が無くなった事実にが泣き叫ぶと、若者は叫んだ。

「居て欲しかったよ!!! なぁ、…一緒に死のう?」

「え?」

 ままならぬ思いが狂わせたのか、ただ色欲に塗れているだけだと捨て置いていたのがまずかったのか。
男の目は恋情に狂い切っていた。

「分かってるんだ、最近おめぇの所に都から色んな男が訪ねて来てるよな?
 あれだろ? 求婚されてるんだろ?? 俺は農民だから、勝ち目がない……なぁ、一緒に死のう?」

「いやいやいやいや、無理! ない、有り得ない!! 貴方と死ぬとか、結婚とか話が飛躍しすぎてる!!」

 身の毛がよだつと、は体を強張らせた。
恋に狂った若者の心境を慮らなくもないが、社を吹き飛ばしてまで心中を試みるというのは流石にやり過ぎだ。
 左近は下馬し、代わりに幸村に告げた。

「御嬢さんを殿の邸宅へ。ここは左近が引き受けます」

「はい」

 幸村も下馬し、すぐに左近の馬に乗り換えた。
をそのまま抱え込んで、耳打ちする。

「しっかり掴まっていて下さい」

「え、あ、はい」

 巧みな手綱さばきで馬首を返した幸村は、を伴って、町を目指した。

ーーーー!!! 俺と一緒にーーー!!」 

 遠ざかる馬に向かい、村民らに取り押さえられた男が追い縋り絶叫する。
その声量には恐れをなした。
 既に招致するしないの話ではなくなった。
物理的に帰る場所を失っただけでなく、貞操の面でも危険すぎて、当面あの場所には戻せない。
 あの若者の行動が村人達の間でどのように裁かれるかは分からないが、軽い刑罰では済まないだろう。
何せ彼は社を破壊してしまったし、恋仲でもない女子に懸想して襲い掛かったり、盗みを働いたりと前科が多すぎる。
恩赦を嘆願する者が出るかどうか、とても怪しい。
が、もし仮に、彼が村の権力者となんらかの縁を持っていた場合、話が変わってくるから安心はできない。

「本当…なんなの…助六さん…怖すぎる…」

 狂気に満ちた目で心中を望まれて、の心は大きく搔き乱された。
動揺を表すように声は掠れ、体は震えていた。

「安心して下さい。あの離れは仮にも石田三成殿の邸宅の一角、危険は及びませんよ」

「そ、そうだよ…ね? 大丈夫…だよね?」

「ええ」

「吉継殿との主従の契約は、落ち着いてから考えましょう。
 今日はお疲れでしょうから、湯屋でゆっくり温まって、早めにお休みください」

「あ、有難う…幸村さん」

「いえ、急ぎますね」

「はい、お願いします」

 

 

 考慮する時間が欲しいからと帰宅したはずの想い人が真っ青な顔をして戻ってきた事実に、三成だけでなく吉継も怪訝な顔を見せた。
 幸村は彼ら二人からの質問を受け付けず、を早急に離れへと案内した。

「戸締りを気を付けて、もし不安でしたら私も今宵は母屋に泊まりますので」

「はい…よ、よろしくお願いします」

 重厚な木製の扉を閉めては離れの中に引っ込んだ。
思わぬ形で用意された館で過ごす事になった初夜。
 身に余る好待遇の館の中で過ごす夢のような一時のはずが、ままならない。

 「……衣装…全部燃えちゃったかな……」

 は独白しながら幸村が勧めてくれた通り、風呂場へと足を向けた。
モヤモヤした気持ちも何もかも、熱い風呂に身を沈めて洗い流してしまいたかった。

 

 

「狂気の沙汰だな」

「ええ。流石にあれはちょっと…殿に同情します」

 が風呂場に身を落ち着けた頃、母屋の一室では幸村が吉継と三成に事情を説明していた。

「どういった結果になるにせよ、あの社へは戻せそうにないな」

「村民の心情もあるから、再建はすぐに取り掛かるとしてもこれは難題だ」

「村人に殿は大層好かれておりますし、交渉に長けておりますから頼られてもいます。
 社が再建されたら戻ることを嘆願されるでしょう」

「だからと言って下手に戻しても件の若者が放免されていたとしたら、逆恨みの流れもあるかもしれない」

「はい。逆恨みくらいでは済まないのではないでしょうか? なにせ心中狙いでしたし」

「左近が殺しているといいのだがな」

 無茶苦茶を言い出した三成の目は真剣だった。
彼の視線は己の館の壁を越えて離れに向いている。
 心情穏やかでない想い人の心を慮り、普段あまり変化が見えぬ彼にしては珍しく、顔は苦渋に歪んでいた。

「手に入れられぬから殺す、では幼児ではないか」

「しかし俺達が熱心に通ったのも今回の件に拍車をかけたのだとしたら、悪い事をしてしまったな」

「いえ、遅かれ早かれ彼は行動を起こしたでしょう。
 何せ一度湯屋で襲い掛かっていますし、盗みも働いていましたから…」

「全く獣か」

 吐き捨てて、三成は己の膝を掌で打った。

「吉継、社はお前が再建せよ。人足は最小限にすればよい」

「何か思いついたのか?」

「最小限の人足で事に当たればそう易々と社は完成せぬ。
 再建が済むまではこちらで匿う。住む場所がなくては嘆願があろうと帰りようがないからな」

「なるほど」

「それにここでの生活に慣れれば社に戻りたいとは思わなくなるやもしれぬ」

 つまりがそう思うように立ち回れと、三成はそう言いたいようだ。
彼の意図するところを理解した吉継が頭を縦に振った。

「しかし再建は俺がしても良いのか? ここはお前が再建し、の印象をよくする流れではないのか」

「俺は離れを作った時点でにかなり圧力をかけてる。
 これ以上目に見えて金を動かせば、は心情的に身動きが取れなくなるだろう。
 心中騒動の直後だ、無駄に圧力をかけるのは避けたい」

「なるほど、そういうことか」

「ああ、招致したいお前の先行投資という名目で着手すればいい」

 秀吉子飼いの策士だけあって懐柔策には余念がない二人である。

「ですが当面はそういったお話をされないようにお願いします」

 偶然とはいえ、現場に立ち会った身だ。の動揺を幸村は誰より肌で感じている。
山から連れ出した時のは真に怯えていたし、困惑していた。
身の振り方について結論を要求するのは酷だ。
しばらくインターバルがあっても悪くはないはずだと訴える。

「そうだな、春までは自由にさせてやるくらいで丁度良かろう」

 一先ずの目途だと三成は期限を切った。
 こうして二人は思わぬ形で敷地内同居をすることになった。
理由はどうであれ、望んだ形に持ち込めた三成の顔は、それなりに満足そうだった。

 

 

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利で動く男の懐柔策は規模が違う。(19.07.17.)