人たらしとの契約

 

 

「御免ください、どなたかおられませぬか〜〜〜」

 離れの玄関先から声をかけられて、は二階の窓からひょっこり顔を出した。
回廊の屋根の影に隠れて全身は見えない。
が、誰かが母屋ではなくこちらに用事があるらしく朗らかな声を張り上げている。

『なんだろう…? 母屋に人がいないのかな??』

 は作業部屋に届けられたお膳の前から離れて、階下へと足を向けた。

「御免ください〜〜〜」

「はーい、今行きます〜〜」

「お。おられたか」

「はいはい、お待たせしました」

 離れの扉を押し開けば、そこに朗らかな笑みを顔に貼り付けた小柄な男が立っていた。

『御用聞きの商人さん…かな?』

「お待たせしました。どういった御用件でしょう?」

 男はを一目見るとキラキラした眼差しを向けて愛想よく口を開いた。

「へぇ、石田様のお屋敷に巷で噂の舞姫様が居られると聞きまして。
 お着物ですとか化粧品ですとか、なんぞ御入用の物はございませぬかと」

「あー。なるほど。そういう話なら…特にないかな。
 あ! でも、おじさん、お薬って手に入れられますか?」

「薬でございますか?」

「うん」

 小男はの問いかけに少しばかり顔を曇らせた。心配そうだ。

「胃腸薬が欲しいんです」

「臓腑に御陰りでも…?」

 小男の顔が青く染まった。
何か大きな誤解をさせた可能性に気が付いたは、踵を返すと男を離れの二階に招き入れた。

「百聞は一見に如かず、おじさん、ちょっと上がって来てくださいな」

「へ、へえ。お邪魔させて頂きます」

 防犯意識が低いに、小男は何か言いたげな面持ちになりながらも続いた。

「いやはや、素晴らしい誂えの離れですなぁ」

「ですよね。風光明媚ってこういう景観かもって私も思います。
 この景観に慣れちゃったら他所で生活できなくなりそうで、怖いくらい」

 階段を上がり切り、作業部屋に小男を通す。

「これが理由」

 そしては作業部屋の床に置かれたお膳を指示した。

「は、はぁ…これが、何か?」

「え。何その反応。私の方がおかしいの?」

 が示したお膳にはどんぶり茶碗にかき氷のように盛られた白米と漬物と塩が乗っている。
膳の横にはお茶用の道具とお代わり用の飯櫃が取り揃えられていて、待遇としてはなんら問題はないように見えた。

「ええと、お口に合わんのですか?」

「お口に合わないんじゃなくて、米の量が多すぎだろ!! どう考えたって、盛り過ぎなんですよ!!!
 おかずが漬物と塩だけで、こんなに白米だけ食べられるわけないでしょうよ!!!
 白米は茶碗一杯でいいから、一汁三菜!! おかずが食べたいの!!!」

 余程鬱積が溜まっていたのか、が吠えた。

「そうだ、おじさん。おにぎり作ってあげるから、持って帰りませんか?」

「あ、はぁ。どうも」

 は言うが早いか階下に降りて行き、手洗い用の水瓶から水を汲み上げて手を洗い、戻ってくる。
飯櫃の前に腰を下ろして米を掌にしゃもじで広げて塩を振る。
それからリズミカルに米を握り始めた。

「塩結びになっちゃうけど、そこは許してください。これで漬物までなくなったら、私、気が狂う」

 おむすびを握りながら、は小男に座れと視線で促した。
小男は素直にその場に腰を落とした。

「米が多いのであれば、石田様にお願いすればよいのでは…?」

 控え目に提案すると、は鼻で笑い飛ばした。

「戦でもないのにかれこれ2カ月と2週間ほど帰って来てない母屋の主に何をどうお願いしろと?」

「あーーーーーー」

『仕事人間じゃからのぅ…あやつもしょーのないやっちゃなぁ……囲っただけで安心したんか…』

 苦笑いの小男の表情からも何か察したようだった。

「おじさんも大変ですね。三成さんが捕まえられないから、わざわざこっちに御用聞きに来たんでしょう?」

「へぇ、まぁ、そんなところでして」

「でもなぁ、残念ながら今の私は無一文に等しいので、おじさんのお役には立てそうにありません」

「そうなのですか?」

 小男は離れのあちこちに視線を走らせる。
暗にこれだけの室に囲われているのだから、金子はいかようにも出来るはず…と言いたげだ。

「どうぞ」

 一つ目のおにぎりをお皿代わりの飯櫃の蓋に乗せて差し出せば、小男は素直に手に取った。

「私は已むに已まれぬ事情でここに間借りしてるだけなので、軍資金が出来たら出て行きますよ」

「ええ!? それは誠でございますか!?!」

 やけに大げさなリアクションには苦笑いする。
まだ一度たりとも取引していないのに、この小男の中でははもう上得意客のレッテルが貼られているようだ。
この邸宅の主の性質を思えば、彼に取入るよりこちらに取入った方がやり易いのだとは思うが、こうも明から様だと可笑しくなってしまう。

「まー、その目途がなかなか立てられなくて困ってるんですけどね〜」

「それはまたどうして?」

「私、普段歌ったり舞ったりしてお金を稼いでいたんですけどね」

「へぇ」

 それは知っている。あの三成が舞姫に一目惚れして館に囲い込んだと聞いたから、本人不在の時を狙ってわざわざ訪ねて来たのだ。思い描いたような仲に一切進展していないことに、多少驚きはしたが、三成の真心は彼女には一切伝わっていないのだろうか?

「こんな風に大量のご飯用意されると食べ終わるだけで半日かかっちゃうんですよね」

「残せば宜しいのでは?」

「出された物を残すなんて罰当たり且つ失礼なことは出来ません」

 即答した内容から、の生活感が垣間見えた。

「アレルギーがあるならばまだしも出された物を残すなんて…そんな贅沢な。
 大丈夫です、昼くらいまでかければなんとか…なるんです。庭師の人にも偶におにぎり振る舞ってるし」

 いやに手際がいいと思ったら、使用人にこっそり食べきれぬ分を横流ししていたのか。なかなかどうして頭がいい。

「でもねぇ、やっぱり毎日お腹いっぱい食べちゃうと、眠くなるんですよね」

「ほうほう」

 二個目のおにぎりをは盆に乗せる。
小男が遠慮なく取り上げてぱくつく。

「そうすると裁縫する時間も減るし、歌も踊りもお稽古する時間も減っちゃう」

「なるほど…」

「それに私が街に出ようとすると、この家の人がくっついてこようとするんですよ。
 それもやたらゴリゴリムッキーで強面な武人さんが数人」

『ああ、吉継が用意した供周り衆か。まだ本人にはいっとらんのじゃな』

「なんかもう、監視が凄くて気疲れしちゃってさぁ…。
 まぁ、ここに移り住むきっかけがきっかけだったから無理もないんだけど…」

「ありゃありゃ…お疲れのようですなぁ」

「そりゃ疲れますよ……偶に幸村さんや左近さんや吉継さんが顔出してくれて、気分転換にはなってるんですけどね。
 皆してなぜか三成さんの事を褒めちぎって行くんです。けど、そんなの私に言ってどうするんだ? って話ですよ」

「あはははははー」

「三成さんは三成さんで、顔を合わせれば吉継の友人になってやれ、いい奴だから仕えてやってくれ…って言うし」

 一度布巾で掌をぬぐい、はお茶の支度をし始めた。
二人分の湯呑を用意して、火鉢で温めた鉄瓶からお湯を注ぐ。
お茶のうまみがしっかり出るのを待ってから互いの湯呑にお茶を注げば、美しい緑が湯呑を満たした。
香りをたっぷり楽しむように、すぐには飲まずに仄かな甘みと苦みを吸い込んだ。

「お互いがお互いを褒めちぎっててさぁ。なんなんだよ、お前らホモかよ。
 って思うけど、この時代は衆道もあったらしいからあって不思議はなさそうだし。
 それを吉継さんに言ったら死ぬほど嫌がられるし、左近さんと幸村さんは捧腹絶倒。
 おじさんが座る後方の作業台で後頭部打ち付けてましたよ」

 はようやく湯呑を傾けて、一口飲んで、肩で思い切り溜息を吐いた。

「全くもー、三成さんも大谷さんも頭いい割にどっかずれてるから、真意が読めなくて参っちゃうんですよねぇ」

「舞姫様は、吉継様に配下にと望まれておいでで?」

 それは初耳だ。
自分が妻から聞いた情報では、三成が舞姫にご執心という話だけだ。
三成だけが少しずれた手法で悪戦苦闘しているだけなら、このまま成り行きに任せようと思ったのだが、吉継の名まで出てくるとなると話が変わってくる。

「ちょっとね、数学が好きで。ただのクイズだと思って高札に添えられてた問題解いたらそれが不味かったみたいで。
 吉継さんに御同類の知恵者だと思われちゃったんですよ」

「ははぁ。知恵者は互いに理解者を求め合いますからのぅ」

 自分の傍に控えていた白と黒の名高い軍師の姿を、小男は思い描いた。
片翼は今は亡くしてしまったが、残りの黒翼は今も自分を献身的に支えてくれている。感謝せねばならない。

「ああ、なるほど! だから三成さんは吉継さんが大事なのね」

「え?」

「清正公さんと正兄ィが言ってた。三成さんの友達は吉継さんくらいだって」

「はははは」

 小男が苦笑いする。

「まぁ、清正公と正兄ィだと兄弟って感じだから友達じゃない感じだものね。
 左近さんなんかは完全に保護者してるし」

「あはははははは〜〜〜」

「おじさん、お代わりは?」

「いただきますわ〜」

 自分の正体を知らぬとは言え、言いたい放題だ。
が、の様子を見ているとよく分かる。保護という名目で館に囲ったものの、彼らのやり方は城攻めと同じで、音を上げさせるべく富を武器に懐柔に掛かっている。
 だがが求めるのは富ではなく、もっと別の物のようだ。
これではの心は真には動かせまい。

『あの二人ではまだまだ無理かのぅ』

「胃腸薬、確かに承りましたわ! お早く三成様に一汁三菜、お伝えできるといいですなぁ」

「本当にねぇ…」

 期待はしていないとの目は遠い。

「おじさん、また来た時にはおむすび食べていって下さいね〜」

「ええ、ええ。是非に。ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

 しっかり六つもおにぎりを食べさせて、手土産に4つも押し付けた。
ただ飯喰らいとしてはお残しをしなかっただけで、気分は上々だ。
は小男を階下まで送ると、久々に軽い足取りで二階への階段を登った。

「…秀吉様」

「お。官兵衛か、待たせたな」

「いかがでしたか」

「うん、まだよく分からんが、面白い女子じゃな」

 手土産の握り飯を官兵衛に分けてやりながら小男は玄関先へと向かう。
母屋の一室で待たされていた黒衣の軍師は離れをねめつけた。

「そう警戒せんでも大丈夫じゃ。あれなら落とせる」

「さようですか」

「ああ。吉継が配下に欲しがる知恵者じゃぞ? 二人が駄目なら、わしの出番じゃろ?」

「過保護ですな」

「違いない」

 家人に来訪は内密に、と釘を刺してから小男と黒衣の軍師は石田邸を後にした。

 

 

「利家、一緒に握り飯食いに行かんか?」

「ハァ?」

 飯が食いたいなら誰かに頼めと言いたげな利家に、秀吉はそうじゃないと首を横に振る。

「ちょいと今日はおみゃーさんに手伝ってほしいんじゃ。おみゃーさん、腕は立つが強面ではないからの」

「おいおい、秀吉…まさかとは思うが浮気とかじゃないだろうな?」

「違う違う、そんなんじゃないんじゃ。ただちーとばかりな、駕篭の鳥を散歩させてやりたいんじゃよ」

「鳥が散歩ってなんだよ、鳥は籠から出したら羽ばたいてっちゃうだろうが」

「まぁまぁ、いいからさっさと準備するんじゃ」

「準備ぃ?」

 怪訝な面持ちの前田利家に下男の衣装を押し付けて、自分は商人風の着物を手に取った。
秀吉は釘を刺すように利家に言った。

「ええか? 名乗りは駄目じゃ。今からおみゃーさんは前田利家ではなく…傾奇者の犬千代じゃ」

「ならお前はなんなんだよ? 藤吉郎か?」

「そんなところじゃ」

「たくしゃぁねぇなぁ」

 付き合ってやるとばかりに利家は羽織を脱いだ。

 

 

「御免ください〜〜〜。舞姫様、居られますか〜〜〜〜」

「あ、おじさん! お久しぶりです」

「どうも〜〜。今日はわしのダチも一緒なんですわ」

「あら、どうもこんにちは」

「お、おう」

 離れの玄関先で互いにお辞儀をして、軽く挨拶をしてから離れに上がった。

「あれから如何ですか? 何かお変わりは??」

「あったんですよ〜〜! 飯櫃のお米が減りました!! おかずが一品増えて、お味噌汁も!
 おじさん、きっと何か三成さんに言ってくれたんですよね?? 有難うございます!」

『わしは何もいっとらんのだが…おそらくねねか官兵衛あたりかの』

「お陰で日中、眠くならないで済んでます。どうも有難う!」

「いやいやいや…わしはなんもしとらんので…」

 招かれて上がった二階の裁縫部屋に入れば、木製のマネキンが目に入った。
と同じ背丈に造られたマネキンが纏う衣装は白地の着物に空色と薄紫の羽の装飾が美しい着物だ。

「ほぅ…これはまたお美しい…」

「幸村さんが探し出してくれたんですよ。爆発の余波で吹っ飛ばされてた衣装箱の一つが辛うじて山の樹木に
 引っかかってたそうで。中の衣装が何点か無事で良かったです」

「これ、着て踊るのか?」

「ええ。さっき仕上げが済んだので、舞台に登録したらすぐにでも踊れますね。
 問題はここからどうやって何時もの町まで行くかなんだけど…」

 見張りが母屋と離れを繋ぐ回廊と正門にもいるから、彼らに内緒で外に出るのは無理そうだとは思案顔だ。

「おにぎり作ってあげられないばかりか、何も発注できなくてごめんなさい。
 おじさんのお仕事のお手伝いはやっぱり私には無理かな」

 申し訳なさそうに眉を八の字にしたに小男は悪戯っぽい笑みを向けた。

「いんや。お力になるんわ、わしの方じゃ! わしの任せてちょ」

 それから数十分後。
秀吉と利家は離れから一つの長持ちを二人で抱えて石田邸の正門を潜った。
館の裏手まで歩を進めるとそこで長持ちを下ろして開く。

「もう大丈夫じゃぞ〜」

「ぷはぁ〜! すごい、本当に巧く行った!! 有難うございます!」

 そこで初めて二人の名を知らなかったことに気が付いたは、「えーと?」と小首を傾げた。

「犬千代だ」

「前田利家に肖ってたりします?」

 きょとんとした顔で返されて、利家が目を丸くした。

「え、あ、ああ! そ、そうなんだ! カッコいいよな、利家様!!」

 何が悲しくて自画自賛せねばならないのか。利家は目頭が熱くなるのを堪えながら隣で笑っている小男を睨んだ。

「わしは藤次郎じゃ」

 の回転の速さを見越して、秀吉は咄嗟に藤吉郎を変じた名を名乗った。

「私は、です。改めてよろしくお願いします」

「こっちこそ」

「ささ、見つかる前に町に繰り出すんさ〜」

 

 

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