人たらしとの契約

 

 

「藤次郎さん」

 声を少し固くして、は秀吉を見やった。

「ご友人って、今は国境を越えた場所に仕えてます?」

「え、ええ。まぁ…そうじゃな…」

「…そう…。藤次郎さんは商人だから大丈夫だとは思うけど、国境を越えた交流なら十分気を付けて」

「不味いんかの?」

「国境を越えたら、当人同士が望まなくても、戦に巻き込まれる可能性、あるじゃないですか。
 国益を引き合いに出されたら、何が起きるかなんて誰にも分かりませんよ」

 が何を思い、何に不安になったのかは分からない。
が、世事に疎そうなこの娘が、自分の事を親身になって気にかけてくれたことが、秀吉には嬉しかった。

「さてと、わしはそろそろお暇するわ」

「あ、はい。何のお構いもしませんで」

「いんや、十分すぎる元気を貰ったんさ!」

 晴れ晴れとした様子で帰ってゆく秀吉の背に、は言った。

「また犬千代さんと遊びに行きましょうね!」

『"来い"じゃなくて、"行く"なんじゃな』

 言わんとしていることを察して秀吉はにかっと笑って掌を振った。

「承りましたわ! 楽しみ待ってて下され!」

「はーい。またね〜」 

 

 

 吉継、三成の知らぬところでと秀吉、利家の親交は日に日に深められて行く。
発注を装って長持ちを使って町に降りて羽を伸ばすことも増えた。
護衛を任される兵も薄々勘づいてはいるのだ。
では何故彼らが行動を起こさないかといえば、を連れ出しているのがあの利家と秀吉だからだ。
武辺者と知恵者のコンビがの供を務めるとなれば、口を挟めるはずがなかった。

「ん〜〜〜、やっぱ外の方が性に合ってる〜〜」

 石田邸の離れに匿われてかれこれ半年以上。
今となっては、半日にも満たない自由時間であっても、の息抜きとしては大切な時間だ。
 ただ飯喰らいだとは事あるごとに自分を卑下する。
利家も秀吉も常々、豊臣家からもらう俸禄を考えれば一人を面倒見るくらい、三成にとっては負担らしい負担になっていないはずだと言い聞かせた。
 が、は度々「ただより怖い物はない」という返答を繰り返した。
吉継が求めただけあっては理知的なのだろう。世辞を真に受けない。

『聡すぎるのも考え物じゃのぅ』

 少し頑な過ぎはしないかと利家が顔を顰め、秀吉はこれは何か、過去にあったのではないか? と心配する。
そして秀吉の懸念は中らずとも遠からずであると、ある日突然、発覚した。

 


 下町経由で散策していた三人の耳に商人の悲痛な叫びが入った。
苦悶し、動揺し、泣き叫ぶ商人が言うには、娘が習い事の帰り道に誘拐されたのだという。
引き換えに金子を要求されたが、受け渡しに不安しか抱けず、助けて欲しいと番所に駆け込んだのだ。
番所に詰めている役人は要領を得ない話に困惑するばかりですぐに動かない。

「お助け下さい!! お助け下さい!!」

 悪人の手に落ちた娘を思い、商人は泣き崩れる。
仕立てのいい羽織を見る限り相当財を成しているはずだ。
それだけに目を付けられたのだろう。

「払って返して貰えるなら払えばいいんじゃないか…?」

 能天気な言葉を口にする役人の言葉にの顔がきつく歪んだ。

「あんた馬鹿じゃないの。身代金要求するような奴が無事に帰してくれるかどうかなんて信用できないから
 ここに駆け込んでるんじゃない」

 鈴の音のような声色が、地を這うような低音を紡いだことに秀吉も利家もぎょっとした。
小柄なの本日の出で立ちは白と黒を基調にした武士を思わせる隊服だ。
以前と違って今回は白と黒のだんだら羽織を肩から気だるげにかけている。

「おじさん、その脅迫文は何時投函されましたか?」

「え、あ…」

 の出で立ちのせいでを何処かの武家の者と勘違いした商人が訴え始めた。

「あ、今朝です! 今朝、番頭が見つけまして」

「その番頭さん以外、それを見つけた人は?」

「いえ、おりません」

「そう…まずはお店に行きましょう」

 秀吉と利家に声もかけずには商人を伴い、彼の店へ急いだ。

「手習いの通学路は何時も同じですか?」

「はい、駕篭を使っております」

「その送り迎えは誰が?」

「喜助という番頭です。喜助がこの文を見つけた番頭です」

「喜助さんとやらはどんな方ですか?」

「どんな…ですか…奉公に入ってから三年ほどになりまして…」

 商人は曖昧にしか番頭の身の上を語らない。
大方金子に興味はあるが、使用人には興味がないのだろう。
 は彼に見切りをつけた。
お店に着くとずかずかと上がり込み、女中たちを探し始めた。
 険しい面持ちのに家人は驚き、事情を知らぬ客は戸惑う。
彼らに構っている暇はないとばかりに、は声を発した。

「本日これより棚卸と検品の為、臨時休業と相成ります! 明日以降、改めてお立ち寄りください!」

 軒先で掃除をしている丁稚に指示を飛ばして、店内から客を締め出させた。
店主は驚いていたがは言った。

「商いと、お子さん、どちらが大事ですか」

 言いたくても言えなかったのだろう。
本質を突かれて黙った夫を見た奥方が泣きながら奥へと駆け込んでいった。
 は自己嫌悪に陥る店主をその場に残し、店の奥へと足を進める。
家人の部屋と丁稚用の部屋を抜けて、板場を見つけると、そこにいる女達に声をかけた。
 女たちは最初知らぬ存ぜぬを貫こうとしていたが、が根気よく誘拐された娘の安否を想像してみてくれないかと語りかけると、罪悪感に呑まれ始めた。

「なんでもいい、思い出せるように手伝いますから話してみてください。
 御嬢さんが手習いに出たのを見た方はいませんか?」

 女中の一人が挙手した。

「それは何時ですか?」

「昼過ぎです」

 は店の前で打ち水をしていたという女中の手をとって瞼を閉じさせた。

「私の言葉だけに意識を集中させて下さい。他の事は今は忘れて」

「はい」

「貴方の前で御嬢さんは駕篭を待っていますか」

「はい。何時もと違って習い事のお荷物が重いようでふらついておいででした」

「付き添いは何方が?」

「喜助さんです、でも変なんです」

「どこが気にかかりますか?」

「何時もお願いしている駕篭ではないんです」

「あ。そうだ!」

 別の女中が横から口を挟んだ。

「何時もは亀屋さんの駕籠なのに、昨日は見たことのない駕籠屋でした」

「どこのお店かは分からない?」

「はい」

「でも駕篭の手配は喜助さんがした?」

「はい。喜助様のお仕事ですから」

 後について来た利家をがちらりと見た。
手を貸そうかと視線で問いかける利家をは視線で制した。
代わりに利家の隣に立つ秀吉を見る。

「藤次郎さん、件の番頭さんを見張って、どこかに行こうとしたら巧い事引き留めて貰っていいですか?」

「おう、任せるんさ」

「どなたか奥様に白湯かお茶を持って行って慰めて差し上げてください。心が弱っておいでのようです」

 は女中達から標的をお店の小僧達に変えた。
中庭に全員を呼び集めてまとめて問いかける。

「このお店に勤めている小僧さん達はこれで全員ですか?」

「へ、へい」

「では、番頭の喜助さんってどんな人ですか?」

 小僧同士が視線を重ね合わせて口籠った。

「仕置きを恐れる必要はありません。御嬢さんが生きて帰るか帰らないかの瀬戸際です。
 生きて帰れば、店主が貴方方の後ろ盾になります。私がそのように働きかけます。
 知っていることをお話してください」

 異論はないな? と視線で縁側の隅に突っ立っている店主を見れば、店主は一も二もなく頷いた。
の言葉を受けて、それならば…とばかりに小僧たちが口を開いた。
 そこで分かったのは喜助という番頭のだらしなさだった。
彼は現代でいう所のギャンブル依存症で、良からぬ筋で金を借りて首が回らない状況にあるらしい。
微々たる給金で勤めている小僧たちの給金まで店主に内緒でピンハネしていたそうだ。
 呆れ果てる利家の前に立つは顔面蒼白の店主に言った。

「お金ばかりに目を向けて人を大事にしなかったツケが回って来たってとこでしょう。
 これに懲りたら人を大事にして下さい。これで娘さんに何かあったら、貴方、奥方にも捨てられますよ?
 意味、分かります??」

 店主は信頼していた番頭に共犯の疑いがかかったこともあり、怒りで打ち震えた。
が、それ以上にに刺された釘の方が効いたようで息を呑んでその場に崩れ落ちてしまった。
その様子から、もしかするとこの男は婿養子なのでないかと、は考える。
 人は身に余る権力を手にすると容易に道を踏み外す。
もし彼が婿養子であるならば、業績向上に躍起になるのも分からないでもないが、人心まで気が回らないのであれば、彼にはお店を切り盛りする才覚はないと言って差し支えはないだろう。
 奥方から離縁されれば、彼はこれまでの地位も名声も財も、何もかも一瞬で失うことに成り兼ねないのだ。
なんとも打たれ弱いとは思うが、そういう男の娘でもなければ標的にされなかったのかもしれない。
 悪人の掌中にあるであろう娘に同情したくなる。子供は親を選べない。

「さて、犬千代さん。少し手をお借りしたいので、キレかけの表情で私の後ろに立っていてくれますか」

「どうするつもりだ?」

「番頭に自白させます」

 広い商店の中を横切って店頭に戻れば、何かと用事を付けて店を出ようとしている件の番頭―――喜助を見つけた。
逃さぬように秀吉が上手いこと立ち回ってくれて足止めに成功しているようだ。

「高飛びでもするつもりですか? 喜助さん」

「な、何を言っておいでですか?」

「お店のお嬢さんが誘拐されているのに番頭の貴方が何処へ行こうというのです?」

「つ、通常の業務もおろそかには出来ず…」

「48時間」

 胡散臭い番頭と無駄話するつもりはないらしいは彼の言葉を遮った。
 客を締め出したはずなのに店頭がいやに騒がしい。
何事かと暖簾を上げて外を確認すれば、店の前には数人の警吏が駆けつけていた。
に馬鹿にされた役人が、を捕縛する目的で派遣したのだ。
 彼らを目視するとは、警吏に指示を出した。

「そいつ、誘拐の共犯の疑いがあります。捕まえてください」

 警吏の目的はを引っ立てることなのだが、誘拐と聞いて顔色を変えた。
町の安全を守る警吏の皆様は、プライドしかない役人の言葉より、の鬼気迫る態度に呑まれたのだろう。
 警棒を携えた警吏が喜助を引っ立てようと肩を掴む。

「その前に話を簡潔にしましょう。誘拐された被害者は48時間経つと生きて帰る可能性が低くなる。
 年端もいかぬ幼子ですし、誘拐は昨日の事となると猶予は有りません。
 手段を選んでいる場合じゃないです」

 は喜助をお店の中に押し戻した。

「私の故郷には規律の鬼と呼ばれる武士の伝説があります。その武士の名を土方歳三と言います。
 彼が悪人に課した拷問はなかなか熾烈です。貴方は一体何分耐えられますかね?」

「ご、拷問?!」

 水攻めでもするのかと動揺する喜助に、は言った。

「人の足っていいですよねぇ。特に貴方みたいな立派な殿方は足の甲がとても広い。
 そこに釘を打って上から蝋燭を垂らすとね、蝋が固まって出血はあまりしないんです。
 ただ釘はさびるし、蝋燭の熱で熱くて痛くて痛くて仕方ないかもしれないけど……」

 淡々と料理の作り方でも話すようには拷問の方法を解説する。
喜助が喉を鳴らせば、は朗らかな笑みで言い切った。

「大丈夫ですよ、片足無くなっても人は死にはしませんから。
 まずは左足から行きましょう。で、打つ場所無くなったら右足に釘を打ち込みましょうね?」

「は、ははは…お、脅しだって分かってるぞ!! 出来るはずがない!!」

「何時私がやると言いましたか」

「え」

 店の隅から金槌と釘の束を見つけ出したは、それらを彼女の後方に控えていた利家の掌に乗せた。

「ひっ!!」

 息を詰めた男を真っすぐに利家は見据えたままだ。

「女中さんでも小僧さんでもいいから蝋燭持ってきて〜〜〜」

 が声を張り上げれば、喜助は叫んだ。

「分かった!!! 分かった!! 言う!! 言うから!!! 待って、助けてくれぇ!!!!」

 洗いざらい計画を吐露した喜助は全身から脂汗を流して項垂れた。
警吏が番屋へ彼を引っ立てるのを見送った後のの行動は早かった。
 はお店を飛び出すと、街中を駆けた。

「清正公さん、正兄ィ! ちょっと手を貸して!!!」

 が目指したのは加藤清正と福島正則が良く出入りしている道場だった。
そこに突然が秀吉と利家を伴って現れたものだから二人は飛び上がるほど驚いた。

「ハァァァァァァ!?!」

「え、ナニコレ? なんだこれ??!?!」

『言うな!! 知らんふりをしろ!!!』

 二人の口から正体がバレることを恐れた利家と秀吉が身振り手振りで誤魔化す。
も常であれば四人の間で交わされた謎のジェスチャーと視線に違和感を覚えるのだろうが、今は誘拐事件で頭がいっぱいのようで、気が付かない。

「つまり?」

「多分番頭が引っ立てられたのはバレてると思うの。
 お店では金策もしてないし、店を見張ってる仲間なんかが居たら一発でアウト。
 そうなると口封じもあるかもしれないから、警吏を待ってなんかいられない。カチ込むから手伝って」

「カチ込むってお前もいくのか?」

「私は根城の廃屋の外に隠れているので、清正公さんと正兄ィで宜しく!」

「後ろの…その…お二人は…?」

「あ。忘れてた」

「えええええええ」

「まぁ、乗り掛かった舟だ。手伝ってやるよ」

 バキボキ指の骨を鳴らす利家が実に頼もしい。

「大丈夫さ! わしがしっかり舞姫様の事は護るんさ!」

 任せろと秀吉は己の胸を打った。

「じゃ、そういう事で行きましょう!」

 清正と正則を巻き込んでは町外れの廃屋を目指した。
が道場に現れたことで、道場に居合わせた者の口からが館を抜け出していることが石田三成と大谷吉継の耳に入るのも時間の問題だった。二人の耳に入ったらまた面倒なことになりそうだと秀吉は苦笑いするが、の後方を走っている為、その顔をに見られることはない。
 程なく雑木林の合間に件の廃屋が見えてきた。
廃屋の様子を外から伺いながら、清正は言う。

「本当にここにいるのか?」

「多分ガセじゃないと思う、そこまであの番頭は根性据わってないし、頭良くもないよ」

「まぁ、脅迫にあっさり屈したくらいだしな」

「「脅迫?」」

 清正と正則に声が重なった。

「私が様子見てこようか?」

「いや、時間ないんだろ? カチ込むだけカチ込んでみるさ」

 脳筋丸出しな清正、正則、利家の決断をが「頼もしい」などと安易に煽った。
程なく三人は正面から廃屋にカチ込んだ。
が指摘したように番頭には根性もなければ義理を守るという矜持もなかった。
 廃屋はならず者共の巣窟だったようで、中からすぐに怒号が上る。
清正、正則がならず者をボコボコにしている隙に利家が押入れに囚われた女の子を見つけ出した。

「外に俺達の仲間がいる、走れるか!?」

 利家が促せば怯えていた少女はこくこくと頷いて、一心不乱に走り出した。
飛び出して来た女の子の姿を見たが物陰から飛び出して女の子を抱きとめる。

「大丈夫?」

 女の子を抱き上げて、廃屋から一歩でも遠くに逃げようと身を翻したを、ならず者が追いかける。
追走を阻むべくならず者に飛びかかったのは秀吉だ。
秀吉は懐に隠してた三節棍を引き抜くと身構えた。 

「遠慮はいらん!! かかってくるんさ!」

「後よろしくーーー!!」

 雑木林の中をは女の子を連れて逃げた。

「町まで戻ればこっちのものだから! 怖いかもしれないけど後少し、もう少しだけ我慢してね!」

 余程怖い思いをしたのか女の子は震えながらも一生懸命頷いている。

「待ちやがれ、このアマーーー!!!」

 清正、正則、利家、秀吉の四人を振り切って三人のならず者がの背に迫って来た。

 

 

  - 目次 -