治外法権の女

 

 

 流石にこれ以上は落とし所も見つけられそうにないし、殺傷沙汰になりかねない。
キレたの恐ろしさは十分伝わっただろうと見切りをつけて、大きく咳ばらいをしたのは秀吉だった。

「皆騒々しいぞ〜。って、なんじゃこりゃ!? どういう騒ぎなんじゃ!?」

 物陰から出てきた彼は、自分が好んだ庭の玉砂利が酷い事になっているのを見て、敢えて大きく動揺して見せた。
女中衆が怒りを買うと涙目になる。
 女中頭が口を開く前に、はさらりと言い放った。

「そこの女中頭さんが、大事な資料をダメにした罰として、関係者一同を玉砂利の上で半日正座をさせて
 晒し者にすると言い出しました」

「!?」

 目を剥く女中頭を無視して、が悪魔のような視線を女中達へと向けた。

「ね? 困っちゃうわよね? 監督責任棚上げで下々だけ体罰だなんて、なんて野蛮なのかしら?」

「は、はい。申し訳ございません」

「どうぞお許しください」

 正座する女中達がではなく、一人廊下に立つ女中頭に向けて平伏した。

「な…そんな……私じゃないわよ!!! し、知らない!! 知るものですか!!!」

 数で行う暴力を奮うことはあっても奮われる立場になったことのない女中頭は目に涙をいっぱいに貯めてぶるぶると震えている。
 彼女は今の今まで徒党を組んで人を追い詰めることはあっても、その逆の立場になることはなかった。
それが孤立無援にしたはずの女に大逆転された上に、これからこってり仕返しをしてやると、宣言された。
助けを求めようにも、最初に追い詰められていた方が横槍は無用だと周囲に釘を刺した。
言わばそれは、分が悪くなったら周囲に頼る自分は稚拙だと嘲笑われたに等しい。
 秀吉登場で救われるかと思いきや、敵視した女は引かなかった。
それどころか堂々と止めを刺しに来た。
 場の空気に耐えられなくなった女中頭は溢れる涙を隠すようにその場から逃げた。

「ふんっ、自分は散々人泣かせておいて、その立場になったら泣いて逃げるのかよ? 甘ったれんな。
 やられて嫌なことは他人にするなっつーの。乳飲み子から躾し直されて来い、バーカ」

 完全に死体蹴りだ。容赦がなさすぎる。
吐き捨てたが立ち上がる。

「ったく……この資料どうしたもんか…」

 触りたくないと件の馬糞塗れの小冊子を、距離を置いてまじまじとは見降ろした。

「ところで、アレどうするんだ?」

 利家が示したのは勿論、正座中の女中衆の扱いだ。

「半日したら解散なんでしょ? なら半日はそこで晒し者になるしかないんじゃないの」

「言葉のあやじゃないのか」

 利家の突っ込みには清々したと微笑んだ。

「えー。いいじゃない、正座。少なくともやられ放題だった私の気が済むし?」

「はっはっはっは、キッツいの〜」

「手討ちにしなかっただけ褒めてください」

「まぁなぁ」

 は大きく伸びをしてから廊下に上がった。

「取り合えず…これ、誰か後で片付けといてくれる?」

 正座中の女中達がこくこくと頷いた。

「あ、あの…その…その書物の代わりは…」

 玉砂利の上に正座する女中の一人が申し訳なさそうに目を潤ませていた。

「ン? 大丈夫よ、中身、全部覚えてるし」

「えっ?」

「何っ?」

 居合わせた男達が目を丸くするとはしれっとした顔で言った。

「当たり前でしょ。それくらい余裕余裕。伊達や酔狂で算術士として雇われていないっての。
 これで懲りてくれないと流石に困るって。嫌がらせの為に仕事用の共有財産にまで手を出すとか、
 あの女、頭おかしすぎる」

「首にするか?」

 三成が吉継に問えば吉継も「致し方なし」と答えた。

「妥当でしょうね。苦労を知らずに甘やかされて育ってると、越えちゃならない一線が分からない人っているのよね。
 その手合いなんだと思う、あの人。これで懲りなきゃ人として完全に終わってるわ」

 暗記した内容を新たな冊子に書きたいのか、が筆を探して執務室へと入って行く。

「ったくも〜。いくら吉継さんが好きだからって変な嫉妬すんなっつーの。
 吉継さんと付き合ってるのは私じゃなくて三成さんなのに。
 なんで私に当たり散らすのよ! 迷惑千万だわよ!」

 の声に、名の上がった吉継と三成がぎょっとした。

「ちょっと待て、なんだそれは!!!」

「誤解だぞ、!! 三成が好きなのは…」

「お前が言うな、吉継!」

「うるさい、ならお前の口からさっさと誤解を解いてくれ。何度も言っているが、俺も三成もそういう仲ではない」

「そんなに慌てて全力で否定しなくてもいいのに…私偏見は有りませんよ?」

「そういう事じゃない!!」

「そういう話じゃない!!」

 吉継と三成の声が重なった。
三成の気持ちを知る左近、幸村、清正、利家は我慢らぬとばかりに豪快に噴出した。

「いやー、相変わらず面白いなぁ、お前ら」

「利家殿まで…! 言ってやってください!!」

 三成の願いを聞き流し、利家はに問う。

「なぁ、さっきの火炙りで阿波踊の刑の事なんだけどよ」

「ん?」

「あれか? また例の規律の鬼・土方歳三がやった刑罰か?」

「えー、あー、まぁ…そんな感じです」

 本当は童話の一説なのだが、面倒なのでそういうことにしておこうとは回答を濁した。

 

 

 さて、派手にやらかしたであるが、彼女のブチギレモードを見た三成が彼女の事をどう思ったのかというと…。

「いい。凄くいい」

 何故か悦に入っていた。
現在三成を始めとした豊家に仕える将がどこで何をしているかというと、を招致する為の布石として作った民間の温泉施設の一角。足湯エリアにてのほほんと足湯を楽しんでいる最中だった。

「お前…マジか」

 清正なんかは可愛いくて可愛くて仕方がない。か弱かったはずの妹もどきが、キレまくると鬼のようになる事実にショックが大き過ぎて微熱を出した。

「無論、虐められて泣きついてくるというのなら力になる、助けもする。なんだったら首謀者を誅殺してもいい。
 が、自力で切り抜ける胆力。あの頭の回り様、何よりやり込めた時の策謀と言ったら見事だ。惚れ惚れするぞ」

「お前、マジか。本当にマジか」

 清正、ドン引きだ。
一般的には清正の感覚の方が正しいはずだ。
が、三成の弁を紐解いてゆくと、辿り着く結論はただ1つだった。

「俺もかつて寺では色々やられてやり返したものだ。懐かしいな」

 同類相憐れむ。秀吉に取り立てられる前の経験から、に強烈な親近感を深めていた。
しかも彼はに惚れているから、痘痕も靨を極めに極めている。

「そ、そうか…お前がいいなら…それでいいか。うん…」

 清正は深く考えるのを止めた。

「で、結局あの後どうなったんだ?」

「首謀者を潰したんで、なんだかんだ上手く回り始めたみたいですよ?
 恐怖政治が崩れたってんで、女中の皆さんとしては奉公に励みやすくなったようでね」

 左近が答えた。

「あれだけ派手に仕置きしたのだ。に逆らおうなどとは思うまいよ。
 長い物には巻かれろという流れだな」

 吉継が補足する。

「実際、嬢ちゃんの口にした仕置き、あれなぁ。流石にやるつもりはないとは思うが、あの気迫で「やる」と
 断言されると、誰もがそっちを信じるよな」

「違いない」

「で、件の女中頭さんはどうなったんで?」

 左近が興味本位で問えば、吉継が涼しい顔で答えた。

「退職した。本人ではなく親がそのように取り計らってくれと申し立てて来たな。
 そして尼寺に行くことになるそうだ」

「あー。根性叩き直してこいってとこか?」

「おそらくな」

「俺や吉継の招致ではなく秀吉様自ら招致したという点がやはり大きかったんじゃないか?」

「だなぁ。買っちゃいけない相手から怒りを買ったんだ。
 の言葉じゃないが、無礼討ちにならなかっただけ寛大ってもんだ」

さんも絡まれることがなくなって清々してるようですよ」

「そうか。ある意味大団円か?」

「そうでもない」

 吉継が青ざめ、三成は遠い目になった。

「何がどうしてそうなったのか、俺と三成が付き合っていると…が思い込んでる」

「その上、俺が送った簪はこうして手元に戻ってきてしまった」

 恫喝の際、女中の髪にが挿した簪は、女中自ら恭しく三成の元へと返却された。
簪を挿された女中は吉継派だった為、心が動かなかった。それにそのまま受け取ったら、今度は自分が三成派の女中達に嫌がらせをされるに決まっている。賢い判断だ。

「三成からの高価な贈り物を袖にして、虐められたら肉弾戦の上に徹底抗戦で撃破だもんなぁ。
 今、あの嬢ちゃんが城の中でなんて呼ばれてるか知ってるか? お前ら」

 利家の言葉に横並びに座っていた清正、三成、吉継、左近、幸村、正則が一斉に彼を見た。

「知らないのか。お前ら結構お気楽だな」

 利家は溜息を1つ吐いた。

「今あの子の愛称は、舞姫でも石田三成の寵姫でもない。勿論算術士なんて呼ばれもしない」

「なんと呼ばれているのですか?」

「治外法権の女だってさ」

「あーーーーー」

 全員の脱力感マックスな声が、重なった昼下がりだった。

「三成、とにかく玉砕しても構わないから俺とお前がどうこうという誤解だけは死ぬ気で解いてくれ」

「お前が解けばいいだろう。俺に期待をするな。
 俺より一緒にいる時間が長いお前がなんで俺よりあいつを説き伏せるきっかけを掴めぬのだ、おかしいだろう」

 吉継と三成が面倒事を押し付け合っていると、清正が純粋な疑問を述べた。

「なんでそうなっちゃったんだ?」

「こいつらが互いを褒めちぎるからが勘違いしたんじゃね?」

 偶に正則は本質を突いてくる。
二人は同時に無言になり、顔を見合わせた。

「俺はただ、吉継が雇用すれば常に傍で見守れると思ったからで…」

「俺は三成とがなるようになれば面白いと思ったからで」

 何気に自分本位な上に、思考の方向性がそっくりな二人だった。

「しかしまぁ…このままだと一切進展しそうにありませんねぇ」

 左近の言葉に三成ががっくりと頭を垂れた。

「なんでだ…? どうしてこんなに尽くしているのに気が付かんのだ、あいつは」

「そうだよなぁ」

「温泉を引いて、住む処を与えて、飯を食わせて、衣類も用意して、仕事も与えてる」

 三成は指折り数える。

「回り回って帰って来たが、贈り物だってしたぞ? 何が足りてない???」

「…会話…でしょうか?」

 悶々とする三成に、幸村が答えた。

「え?」

「あ、いえ…その…出過ぎたことを申すようで恐縮なのですが…」

「構わぬ、お前の考えを聞かせてくれ。幸村」

「はい」

 こほんと一つ咳払いをして幸村は言った。

「色々してはいると思うのです。が、三成殿は殿と会話されていないのではないかと。
 温泉・衣食住、全て雇用の為の接待だと思われているのでは?」

「有り得るな」

 清正がうんうんと頷いた。

「俺とお前達の違いってなんだ?」

 真顔で聞いてくる三成に、問われた面々は順番に答えた。

「送迎、外での買い食い」

「加えて、俺には何かあるとソッコーで泣きついてくる」

 正則と清正の回答がこれで、

「左近も送迎と、後は芸事での交流が多いですかねぇ。まぁ、ただの観客と演者という括りですが?」

「左近殿に同じく」

 左近、幸村の回答がこれ。

「上司兼友人候補だ」

「秀吉の隠密行動のお陰で俺はすっかり犬千代として馴染んでるからなぁ。
 買い食いもするし、芸も見るし、色々出かけたり…こうして考えてみると結構何でもありだな」

 吉継、利家の回答がこれだ。

「逆にお前は同じ敷地内に住んでいて、なんで会話がないんだ?」

「…それは……多分……が寝ている間に出仕し、が風呂に入る直前に帰宅しているから…か?」

 自分の行動パターンを思い返して三成は言葉を濁した。

「それだな」

「それですね」

「殿…」

「…三成……」

「お前さぁ、仕事と結婚でもする気かよ?」

 全員に呆れた視線を送られて、三成は今度こそ凹んだ。

「あれだな。会話もそうだが嬢ちゃんと関係を深めたいなら、お前自身の生活習慣を変えるしかなさそうだな」

「でしょうなぁ。殿、このままだと吉継殿に盗られますよ?」

 吉継が目を見張り、三成が息を呑んで顔を上げた。

「吉継殿にその意識はなくとも、友人から恋人へという可能性が全くないとは言い切れない。
 しっかり押さえるところは押さえないと、御嬢さんの方が吉継殿に惹かれ出したらどうします?」

「…死のう…」

「極論に達するな。前にも言った通り、俺にその気はない。三成、もっと頑張れ」

 あれだけ派手にキレたを許容するという稀有な存在である三成。
彼の切ない片思いは、からするとスタートラインにすら立てていない認識だった。

 

 

  - 目次 -

まずは「おはよう!」から始めてみるといいんじゃないかな? 三成ガンバ!(19.09.11.)