狸からの救援要請

 

 

「ほら、姫、ちゃんと春菊も食べて下さいよ」

「えー、やだ、これ苦手なのよ」

「またそんな事言って」

 こうした軽快な調子で、はこの場にいる者全てと言葉を交わす。

「それはそうとさ、幸村さん」

「はい、なんでしょう?」

「兵士の皆さんの数はどうですか? 少し余裕があるなら、弓兵隊とか物見兵も欲しいんだけど…」

「そうですね、弓兵はどうにかなるやもしれませんが…」

「そう……困ったね、あんまりお金はないけど…やっぱり人材募集でもしてみようか??
 内政に強い人がもう一人くらいは欲しいよね。謙さんはさ、そういう人材に心当たりはない?」

「だからなんで儂だけ"謙さん"なんじゃっ!! 儂はそんな名ではないわっ!!」

「あー、ごめんごめん、私の時代でさ。貴方の事を記した物語があってね。
 それを劇で演じた時の役者さんの名前なのよ。

 私はそれを見てるからさ…政宗っていうと、もうシブカッコイイ謙さんのイメージがこびりついちゃってて」

 のらりくらり続けられた言い訳に、政宗と兼続が同時に目を丸くした。

「あれ? 言ってなかったっけ?? 私、この時代の人間じゃないんだよ」

 合点がいった。
自分達が抱えていた違和感の理由に。
価値観だけでなく、その身に纏う雰囲気自体の異質さは、正にそれだったのだ。

「…そんな君が、何故ここで君主をしている?」

「だって、そう望まれたから。
 私なんかでいいっていってくれたから、だから頑張れるだけ頑張ろうと思ったの」

 は空席を視線で示し、座れと兼続へ促す。

「そんな事よりね、食べるなら座ってちゃんと温かい内に食べてね。
 でないと作ってくれた人に失礼だからね」

「分かった」

 席に着いて箸を持ち上げた。
「頂きます」と言ってからのろのろと食べだした兼続を見て、安堵したのかは笑顔で頷く。
それからすぐに、は何かを思い出したとばかりに掌を打った。

「ああ、そうだ! 重大発表が一つあります!!」

「どうしたい?」

 皆の視線が集まると、は苦笑いと共に言う。

「あのさぁ、ここってさ、きっと冬ってばすごーくすごーく、寒いよね?」

「まぁ、なぁ…」

 そんなに寒い地域だったか? と、皆が首を傾げているのを他所に、は言う。

「あのね、私の時代、温暖化現象っていうのがあって、ここよりも断然暑いのね。
 冬なのに薄手の羽織で過ごせちゃうくらいなの」

「はぁ…」

 話の意図が見えないと幸村が惚けた相槌をした。

「だからさ、そこで慣れてる私は、ここでの冬、風邪を引いたりしたらもうそのままこじらせちゃって、
 最終的には死んじゃうような気がするんだけど、どうしよう?」

「おいおい、いきなり死亡説かい」

 これだからの傍にいるのは面白いとばかりに慶次が笑い、幸村が慶次を視線で咎める。
もう恒例となったやりとりを横目で眺めながら、対応したのは左近だ。

「分かりましたよ、それまでに城の修繕終わらせて、暖が取れるようにしときましょう」

「助かる〜、ありがとう〜。ついでにね」

「はいはい、なんですか?」

「町の中の事なんだけど……火事になった時とかに鳴らす銅鑼があるじゃない? あれ、壊れてたみたい。
 直しておいた方がいいよね?? あれだと火事が起きた時に鳴らせなくて皆困るでしょ?」

「承りました」

 湯飲みを取り上げて、ずずず…と音を立てながらお茶を飲む。

「それとね、幸村さん。この前捕まえた丼欲屋を潰しちゃったから、流通が滞ってるの。
 で、後釜に越後屋さんを筆頭取引先として任命しようと思うんだ。
 あのお店、小さいけど、町の人に聞いてみたら、評判良いみたいだから」

「はぁ…って、また勝手に町に下りたんですかっ?!」

「あー、うん、ごめん、それはごめん!! ひたすらごめんなさいっ!!」

「全くっ!!」

「で、でね、越後屋さんの引越しが近々あるから、山賊に襲われないように警護してあげて。
 引越しに際して少し多めに仕入れをしてもらってあるからさ」

「分かりました。しかし外に出た件については後でじっくりとお話させて頂きますので!!」

「えっ、えーと、ねぇ、左近さん助けてよ」

「じゃぁ、左近もご一緒して春菊についてお話しましょうかね」

「いーやーっ!!」

 家の夕餉は、一事が万事、この調子だった。

 

 

 その夜。
門扉の前に現れた兼続を幸村が呼び止めた。

「行くのですね」

「…幸村…」

「出来れば、残って欲しい。共にあの方を支えて欲しいと、思います」

「変わっている女だ。悪人ではなさそうだしな…だが…」

「義ですか?」

 無言のまま頷き、兼続は言う。

「あれでは何時か死ぬぞ。彼女は、あまりも無知だ」

「ええ、でも、様は愛についてはとてもよくご存知です」

 幸村の口からそんな台詞が出るとは思っていなかったのか、兼続は顔を強張らせた。
幸村に限ってそんな事はないと思うが、色香に惑わされたのかと、疑念を抱いたのだ。

「あの方は、とても愛情深い方だ。こんなにも深い愛を持っている人を、私は他に知らない」

 無言のままの兼続に、幸村はの事を誇りだと、言い募った。

「救援に駆けつけて、謝礼も受け取らずに、貴方方二人を連れて引き上げた。
 片倉殿が政宗殿を追って国元を出て下さらなければ、我らは本当に大損です」

「どういうことだ」

「我らは貴方方を連れては来ました。けれどもあくまで救援です。
 貴方方が不在となった地域は、そのまま家康の物となっています」

「何故だ?! 交渉次第でどうとでもなっただろう!!」

 それだけの機会はあったはずだと言えば、幸村は首を横に振った。

「その通りです。だが貴方方の土地を手に入れなければ、踏み荒らされた徳川領の再生は見込めない。
 そう読んだのだそうです」

「それで謝礼は辞退、交渉もしなかったと、そういうのか」

 幸村はそこで初めて押し黙った。

「幸村?」

 隠し事はせずに、知っている事を全て言って欲しいと視線で訴えられて、幸村は柔らかく微笑む。
彼の微笑みは、の言葉を思い出してのものだった。

「城に戻ってすぐ、真意を訪ねました。すると様は、人材も人の意志も、金では買えないと。
 金は、それで買える物を必要とする者が持つべきだと。
 三国志でも劉備は三顧の礼を経て諸葛亮を得ました。

 その精神が、誠意が大事なのだと………そう仰ったのですよ」

 兼続は益々読めないと重苦しい息を吐く。

「兼続殿。あの方はこの世界の事を知らぬだけ。本当はとても敏い方ですよ。
 私は、あの方の治める天下が見てみたい」

「叶うと考えているのか、こんな小国が」

「少なくとも、伊達政宗は自身で足を折りました。このような結果を、古今東西誰が想像出来ましょうや」

「幸村……君は…」

「行くのでしたら、止めはしませぬ。
 ですが次に敵として当たる事があれば、私はあの方の為、貴方に全霊を持って向かう事になる」

「…そうか……それ程か…」

 迷う兼続に、幸村は無意識のうちにだめ押しの一手を向けていた。

「…見てください。この城、襖や屏風が少ないでしょう?」

「ん? あ、ああ…そうだな」

「本当は、あったのですよ」

 それがどうした? と目を細めて問い掛けると、幸村はくすぐったそうに苦笑する。

「屏風も襖も、乱破からの目隠しになる。ひいては命を守る道具だと申し上げたのに……。
 財政難だからと、売ってしまわれたのです」

「馬鹿な!!」

 幸村は、小さく一つこくんと頷いた。

「あの方は、戦を知らず、我らが欲する平和しか知らないのだと痛感しました。
 だからこそ、私は支えたいのです」

 一礼をした後、立ち去って行く幸村の背を眺めて、兼続は重い溜息を吐いてから小さく笑った。

「幸村…………君のそれは、忠義ではない……それは…もう…」

『君があの娘に愛を捧げるのであれば……忠義は私が代わりに捧げよう』

 直江兼続、残留決定。
翌日から家が益々やかましくなった事は言うまでもない。 

 

 

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 危機管理能力の低い能天気な人だ。けれどとても優しい人だ。
だからこそ、彼らは彼女の刃となり、盾になりたい…そう思った。(08.02.21.up)