思わぬ拾い物 - 慶次編 |
城に帰って、すぐ、自室の押入れの中に引き篭もった。 「姫、左近です」 襖の向こうから、遠慮がちに声をかけられた。 「湯の支度が出来てます。お入りください」 皆まで言わずとも分かった。 「ありがとう、今、行くね」 「はい」 人目を避けるように浴場に向かい、温かい湯に浸かれば、自然と涙が溢れた。 「ひっ…うぅ…ひっく……えっく………ふぇぇ〜」 必死で殺す嗚咽を聞きながら、慶次は苦い思いを噛みしめた。 「…粋じゃないね…俺も、あいつも…」 屋根から落とされた時、の目にあったのは、落とされた事への恐怖ではなかった。 「…粋じゃ…ない」 あの時の、の眼差しが忘れられない。 「すまん、さん」 ごろつきに絡まれている時点で、顔を出せば良かった。 「………さん、本当に…すまん…」 一枚の板を隔てて繰り返される謝罪と、嗚咽。
頭から湯船に浸かり、好きなだけ泣いて、は重い腰を上げた。 「このままじゃ、いけない。皆、心配してるはず。さ、早く何時ものさんに戻らなきゃ」 そう言い聞かせて、風呂を出た。 「さん、落ち着いた?」 「え、ええ…彼女は、まぁ…」 「そう、当分、そっとしておいてあげて」 「分かりました」 何も聞かず余計な事も言わない。 「こんな時間に悪いんだけど…慶次さん、呼んでくれる?」
普段なら「左近ではないんですね?」と軽口を叩くこの男が、無言のまま応じてくれたのだから、今の自分は相当酷い顔をしていたに違いない。 「さん、俺だ。入るぜ」 左近と別れてすぐ自分の部屋へと戻って、着替えを済ませた頃。部屋の外から慶次の声がした。 「はい」 部屋へと招き入れて、それからすぐに座布団を勧める。 「ごめんなさい、勝手に団子屋からいなくなって」 何を言い出すのかと思えばそんな事で、慶次はぐっと奥歯を噛みしめる。 「一人で行かないで、最初から慶次さんを呼べば良かった。馬鹿なことをした…ごめんなさい」 「いや、俺こそ……護れなかった」 「…うんん、二人とも生きてる」 生きてはいても、二人とも辱めを受けた。 「……お願いが……あるの」 「なんだい」 「…松風を、貸して欲しい」 「乗って、どうするね?」 「分からない、でも思い切り、走りたい」 「分かった。俺も……一緒でいいかい?」 控え目に問えば、は小さく一つ頷いた。 「こんな事、慶次さんにしか、頼めない………ありがとう、迷惑掛けてばかりで、ごめんなさい」 謝られる謂れはなく、お礼を言われるような事もしていない。 「…ごめんね、松風。こんな時間に、ごめんね…」 慶次に抱え上げられて、松風の上へ。 「一旦休もうか」 そこで松風を休ませる意味も含めて、足を止めた。 「さん」 松風の手綱から手を放し、遠慮がちに伸ばされた大きな掌に身を委ねる。 「安心しなよ、さん……あいつに次はない」 慶次の独白は、の知るところではなかったが、彼の中の揺るぎない核となった。
夜が明けて、城に戻ってみれば、門扉の前で兼続が仁王立ちで待ち構えていた。 「先に言っておくが、中は修羅場だ」 何かがあった事はもう明白で、更には慶次が深夜、渦中のを伴って城を出立。 「えーっと……」 戻って来るまでに目を覚ましたは、多少吹っ切れたようだった。 「特に左近と幸村が修羅と化している」 松風の上に座したままのは、引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。 「更に、非常に言い難いのだが。 「え? ハイ? 今、なんて…??」 混乱するに兼続が説明するより早く、門扉の向こうで響く金属音と絶叫。 「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! 様ーーーっ!! 慶次殿とどちらへーーーっ!!」 「どけ、ちび助!! あの傾奇野郎、朝帰りだとっ!!! 左近の刀の錆にしてくれる!!!」 「ご助勢仕りますぞっ!! お二方っ!! 政宗様、そこを退いてくだされっ!!」 「馬鹿者どもがっ!! 少しは落ち着かんかーっ!!」 どうやら門扉の前で一人で食い止めているのが政宗。 「何があったのか、大まかな事は彼女から直に聞いた」 中の修羅場を一切意に介さずそう前置いて、兼続は話し続けた。 「だが彼女は、あれでも夫のある身だ。非常に言い難いのだが、君ほど初心ではない」 さらりと言われた言葉に、思わず意識が遠のいた。
「三度、言い難いのだが。あの男は夫の商売敵だかなんだかで、よくああして絡んでくるのだそうだ。 「あ、ああ……そ、そうね……そうよね……お嫁さんだったんだもんね…… 自分を慰めるように、言い聞かせるかのように独白した。 「どうするよ、さん」 「どうもこうも……」 問い掛けられて返答に詰まる。 「一緒に怒られてくれる?」 「ああ、勿論だ」 「よかろう、それが必要なのであれば」 確証を取り付けて、安堵すると、は松風に身を寄せて耳元で一言囁く。 「ひっ!!」 「「「「ぎゃーーーーーーーーーっ!!!」」」」 「「「ぐはぁぁぁぁっ!!」」」 立て続けに上がった呻き声は家家臣団のもの。 「……いくらなんでも…松風で突貫は……」 慶次が引き攣る中、いち早く起き上がった幸村、左近の絶叫が轟く。 「様、そこにお座りなさいっ!!」 「姫、そこに座んなさいっ!!」 意表を突く方法で皆の注意を本題から見事に逸らすことに成功したは、慶次共々こってり説教を食らい、向こう三日間の外出禁止令を言い渡された。
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移り気な彼が執着し始めるきっかけがこれ…って事で、もう少し続きますよ。(08.03.04.up) |