思わぬ拾い物 - 左近編

 

 

「ひっ!! やぁっ!! 離してぇっ!!」

「何っ?!」

「……終わりだ、武人…」

 左近が振り返れば、異形の男に囚われたは、男との身長差の為に宙で足をバタつかせていた。

「離せっ!! 離してっ!! 離してったらっ!!」

 左近が舌打ちをしてその場に刀を降ろした。途端、男の作り出した分身に数回殴られて、その場に膝をつく。

「左近さんっ!!」

「そんなに叫ばないで下さいよ……大したもんじゃない…」

 口の端を吊り上げて笑ってみせる左近へと手を伸ばして、が暴れる。
男の作り出した分身が、彼の髪を掴んで引き起こした。

「……女、あいつはどこだ??」

「知らないわよっ!!」

「ほう」

 男が片手を軽く振れば、生まれた風が左近の頬を切り裂いた。

「あっ!!」

 流れた血に青褪めたの耳に、冷ややかな唇を寄せて男は再度問う。

「どこだ?」

 指先を動かすだけで、男は風を操る。
巻き起こる風の中には、先ほど左近が叩き落とした無数の針が。

「やめて、言う……言うからっ!!」

「いい心がけだ」

 の頬を撫でて、耳朶にわざと息をかけた。
毒々しい赤さの舌先で舐め上げるかのように男は話す。
それはまるで恋人同士の営みを思わせるような行為。
彼の狙いを自覚する事がないでも、女の本能がそうさせるのか、身を竦ませる。

「さぁ、どこだ?」

「いう……から……」

 冷たい唇で耳をくすぐられ、掛かる息に寒さと嫌悪を覚えた。
の声は無意識の内に震え、金切り声に変わっていた。

「まず、離して……それから、針、止めて!!」

「勘違いするな、お前は選べる立場にはない、そうだろう?」

 男が手を振った。針が動く。
左近の肩に針が突き刺さる。
を傷つけまいと、左近は息を噛み殺した。

「いやぁっ!!」

 両目を閉じて、は暴れに暴れた。
何一つ意味を持たないのに、手足をばたつかせて、暴れ続けた。

「お願い、止めて!! 止めてよっ!! 左近さんに酷いことしないでっ!!」

「女は、どこだ??」

 耳から首筋に男の唇は移動して、動脈付近で怪しく蠢いた。
これには流石に左近も業を煮やしたようで、囚われていた両腕に力を込める。

「おい、お前!!」

「……それとも…殺すか?」

 指先で左近を示されて、は首を横に振ってから頭を垂れた。

「止めてっ!! もう止めて…お願い…………城よ……あの子は…城にいる」

「…いい子だ、女は従順な方がいい…」

 男はわざわざの首筋に口付けて痣を残した後、身を引いた。
次いで左近を捕らえていた分身が姿を消す。

遠のいてゆく男の愉快そうな声を聞きながらはその場に崩れ落ちると、と左近の事を思い泣いた。

「姫、ご無事で何よりです」

 立ち上がった左近が刀を拾い、前にやってきて膝を折る。
は左近の腕に顔を寄せて泣きながら謝った。

「ごめんなさい、左近さん……私が、私さえ…いなければ!!」

「…姫、その言葉は、一番痛いですよ」

 彼は指先での唇を抑えて言葉を奪った。
の体に手を添えて、立たせてやりながら言い聞かせるようにの大きな瞳をまっすぐに見つめる。

「姫がいるから、左近もここにいるんです。姫のせいじゃありませんよ」

「でも、左近さんの怪我」

 「ああ、これね」と呟いて、自身の肩に刺さった針を引き抜く。
ぽい捨てされた針の半分に、左近の血がついている事を知り、は恐怖で足から力が抜けた。

「っと、大丈夫ですか」

「ごめんなさい、ごめんさい…ごめんなさい…」

「落ち着いて下さいよ、こんなの怪我の内に入らない」

「でも…」

「で、何があったんですか? ちゃんと言って下さい」

 

 

 城への帰還を急ぎながら大まかに事情を説明した。

「なるほどね、じゃ奴の狙いは別にこの国じゃないってことか」

「さっきも言ってたけど、乱破って…?」

「忍者の事ですよ」

「あいつ、忍者なの?」

「確か、風魔だったか…単独で行動してあちこち引っ掻き回してる奴です。
 どっかについたかと思ったが、違ったみたいだ」

「そ、そう……」

 表情に陰りを見せるの頭を軽く撫でてから、左近は不適に笑う。

「大丈夫ですって。城には勇猛果敢な将が少なくとも三人はいるでしょう。
 そう易々とその子を手渡したりはしませんよ」

「ですよね」

「ええ」

『問題は、風魔が狙う子の素性だ……だがこの分だと…今は切り出さない方が無難だな』

 が逃亡した時にかなり回り道をしていたようで、二人は何区画も駆け抜ける羽目になった。
寂れた城下町に網の目のように走る小道を抜けて、右折左折を繰り返し、ようやく大通りへと辿りつく。
 城を目視できる位置までくれば、想像通りで、風魔が殴り込みを掛けて城を混乱に落とし入れている真っ最中だった。既に一階は突破されたようで、伊達一門が蹲っている。

「皆さん!!」

様……面目ない…!!」

「小十郎さん、成実さん、鬼庭さんまでっ?! いいから、今は、無理に話さないで…」

 彼らの傍に座って介抱しようとするの肩を軽く叩いて、左近は階上を見上げた。

「ここは任せましたよ」

 左近の視線の先、二階では政宗、兼続が既に風魔と切り結び始めていた。
彼ら二人の背後には、槍を携えて立つ幸村の姿。彼はを庇い逃走経路を確保している状態だ。

『そうだ!! 慶次さん!!』

 城の中へと突入した左近の事を見送り、は立ち上がった。

「私、慶次さん呼んできますっ!! 皆さん、少し待ってて下さいねっ!!」

 治療が後回しになる事を謝罪し、立ち上がると今来た大通りを引き返した。
額に噴出した汗を拭う事も忘れて、裸体の大工衆が詰めている河原へと走り込む。
妙な熱気に溢れている大工衆を無理やり掻き分けて、歓声の真っ只中へ。

「慶次さん、慶次さんっ!!」

「ん? さん、どうした?」

 自分の提案でまだ腕相撲を繰り広げている慶次を見つけると、そのまま背に齧りついて一気に捲くし立てた。

「助けて!!! 慶次さんっ!! 
 悪い奴が城を荒らしてて、保護した女の子を誘拐しようとしてるのっ!!」

 事情は把握出来ないが、切羽詰ったの顔を見れば、この場に長居は出来ない。
慶次は、組んでいた腕に力を込めて、軽々と動かした。
組んでいた体格のいい男が、体ごと吹っ飛ぶ。

「悪ぃな、ちょっと空けていいか」

 低い声で問えば、大工衆は全員固まった。
やいのやいのと騒ぎながらやっていたこの賭けは、彼が手を抜いていたからこそ成り立っていたものだと悟ったからだ。大工衆は再戦も続投も望まず、賭けは慶次の勝ちだと白旗を振ってくれた。

「助かるぜ」

 言葉少なく礼をいい、鉾を取り上げる。

「で、さんは立てるかい?」

「だ、大丈夫……」

 言葉と裏腹に相当無理をしているのは一目瞭然だった。
慶次は有無を言わさずを肩へと担ぎ上げた。

「ちょっくら急ぐんでね、許してくれよ」

 気恥ずかしさがないといえば嘘にはなるが、そうも言っていられないとは素直に従った。
慶次と共に一路城を目指す。途中、が伸した浪人衆が倒れている道を見つけて、慶次がよっぽどの事が起きていると勘違いしたようだが、その辺についての訂正を入れる余裕すらは持っていなかった。

「慶次殿っ!!」

 城へと戻れば、気合と根性で立ち上がった伊達一門が門扉を閉じていた。
二の丸付近からを連れて出てきた幸村が、門扉の前にいる慶次へと声をかける。

「失礼、お嬢さん」

「え? え? あ…!! きゃっ!!」

 幸村がを抱かかえて、階下の慶次目掛けてそっと落とせば、を肩から降ろした慶次が軽々とを受け止めた。

「城内に閉じ込めます!! 今の内にその方を!!」

「は、はい!!」

 慶次の手からを保護したの姿を二の丸に通じる中庭で認めた左近は、風魔を前に口の端を吊り上げた。
勝機我にあり、という顔だ。

「慶次殿っ!! お二人を頼みます!!」

 土壁を突き破り、瓦を踏み荒らして交わされる攻防。
兼続の放つ札や政宗の放つ銃弾。それに応戦するのは、風魔の作り出した禍々しい分身。
彼らが繰り広げる攻防は、常人が目視するには、あまりにも熾烈な光景だった。

「私も参戦します!」

 幸村が槍を構えて走り出すのを確認した慶次は、指笛を鳴らした。
厩にいた松風が聞きつけて、駆けて来る。

駆け寄ってきた松風の背にを慶次は乗せて、松風に言った。

「上手く逃げおすんだぜ?」

 鼻を鳴らし松風が答えた。
馬首の向きを松風が変えるのと、を目視した風魔が城壁を突き破って城外へと身を躍らせたのとが同時だった。
松風の進行経路に降り立った禍々しい風は、愉悦に満ちた眼差しでを見つめて笑っている。

「……散れ…」

「させんわ、馬鹿めっ!!」

「不義に開かれる道はないっ!!」

「真田幸村、いざ、参るっ!!」

 城壁を踏み越えて二の丸から次々と風魔の前へと降りてくる頼もしき勇将達。
彼の姿に、は感動で涙が出そうになった。
だけではない、もまた、風魔を恐れていたのだ。

「まぁ、待ちなよ。左近の軍略、ここからが本番だぜ?」

 一人余裕を持って降りてきた左近は、何故か風魔には向かわず、松風の上にいるへと手を差し出した。

「左近さん??」

「おい、お前ら、これどう思うよ?」

 差し伸べられた手に答えて、が身を乗り出せば、首筋を隠していた髪が揺れた。
黒く艶やかな長髪で隠されていた首筋には、出来たばかりの赤い痣が一つ。
瞬間、家臣団全員の眼に異様な光が宿った。彼らの全身に不穏な空気が発生する。
彼らは一様に凄まじい怒りを顔に貼り付けて、左近を睨んだ。

「ち、違うよ?! 左近さんじゃないよっ!? あいつだもん!! 左近さんはこんなことしないっ!!」

 妙な雲行きになって慌ててが口を開けば、左近はその一言が聞きたかったとばかりに笑う。

「その通りだ。悔しいがね、つけられた。そこの男に」

「そうですか」

「…不埒な」

「いい度胸だ、馬鹿め」

「死合おうか」

 底冷えする場の空気に、が動揺した。
それもそのはず、眼下に揃い踏みの勇将達は、今まさに、修羅と化していた。
 風魔が作り出した分身の攻撃を避けるどころか難なく受け止めて、一人、また一人とねじ伏せて行く。
先程までの梃子摺りようは一体なんだったんだ、と聞きたくなるような変化だ。
 猛将の進撃に押され始めた風魔は、距離を置くべく宙に舞い上がると、城下町に並ぶ屋根に降り立った。

「……解せんな…何故そこまでする…?」

「当たり前だ、馬鹿!! この子は、私の友達なのよっ!!」

 答えたのはだった。
の言葉を聞いたが感動で息を呑み、涙を零す。

「どこを見ておる、馬鹿めっ!!」

 何時の間にか風魔の背後を取った政宗が繰り出した攻撃。それを受けて、風魔が往来へと落ちる。

「加減なしで行くぜ!!」

 そこを待ち構えていたように、左近の無双秘奥義が襲った。
この無双秘奥義は幸村、兼続と連携していたようで、視覚効果も派手なら、威力も派手だった。

「やっちまったな!!」

 止めの一撃とばかりに一閃すれば、風魔は弾け飛んだ。
飛ばされた風魔が微かに苦悶の表情を見せながらも宙で受身を取ろうとする。

「おおっと、誰か一人忘れちゃいないかっ!!」

 だがそうは問屋が卸さない。
豪快な足裁きで距離を詰めると、慶次の奮った鉾が風魔を完全に捉えた。
 門扉と城下を繋ぐ扇形の橋の上へと、風魔は虫の息という体で着地する。
そんな彼を待っていたのは、怒り狂う面々でも予想していなかった伏兵の一撃だった。
伏兵の名は、松風。慶次の愛馬である。

「え…!?」

 松風は前足で風魔を後方から踏みつけたかと思うと、巧みな足捌きで風魔を蹴り飛ばした。
門扉へとぶつかり、ずり落ちてくる風魔へと、最後には思い切り体当たりを食らわす。
松風からの猛攻を受けた風魔は、そのまま城の中へと吹き飛んだ。
その時の衝撃で、元々痛んでいた城門は半壊。
城の中も吹き飛ばされた風魔のせいで、やっぱり一階部分が大損害を被った。
 風魔はというと、まさか馬に止めを刺されるとは思ってもみなかったようだ。
精神的に相当堪えたのか、負け惜しみらしい負け惜しみ一つ言わずに無言で消え去った。
 松風の凄まじい独断に、騎乗させられているだけでなく、修羅と化していた将も皆、目を点にしていた。
鼻で息を吐いた松風は、その目に主と同じ怒りを宿していた。

「え、えーと……あ、ありがとうね? 松風…」

 

 

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