思わぬ拾い物 - 幸村編

 

 

 風呂に浸かり、一日の疲れを癒しながらがっくりと肩を落とした。
折角助けてくれたのに、いくらなんでもビンタはなかったかな…? と少しの後悔が過ぎる。

「だとしても……あれはしつこい。ってゆーか、言い過ぎ」

 元はと言えば、風魔が全て悪いのだ。それは分かっている。分かってはいるのだけれど。

「信じて、くれないんだもん…」

 今まで他の誰よりも信頼を寄せてくれていた。
そんな相手が、自分の言葉ではなく、くだらない戯言を真に受けた事の方がショックだった。

「吐くよ、そりゃ。酔えば誰だって吐きます」

 虚しい独り言が続く。

「でも、あの時は、本当に踏ん張れたんだ。なのに……なんであっちを信じるのさ」

 湯船を囲う枠に頭を預けて、天窓から月夜を仰いだ。

「…きっと、あれ…幸村さんだったからショックだったんだろうな」

 慶次辺りなら、笑って受け流せたろう。彼もまた、そういう言葉遊びに平然と乗ってくる性質だから。
左近相手でも、本気で訂正したりはしないだろう。そもそも彼は、敵の戯言になど取り合う性質ではない。
兼続でも政宗でも、その辺はきっと同じだ。
 幸村だらこそ真に受けて向かい合わなくていい事に向き合った。

「惨敗だ……たったあれだけの時間で、あの変態は…そこまで幸村さんの事を読んだんだな…」

 目頭を抑えて、深々と溜息を吐いた。

「はー、どうしよー」

 自分は仮にも君主だ。
しかもこんなくだらない理由で、忠臣である幸村を殴ってしまった。
彼のことだから、これくらいでへそを曲げたりはしないとは思う。思うが、居心地は良くはないだろう。
 かといって。関係修復するとして、自分から謝らなくてはならないのだとしたら、それはそれで腹が立つ。

「幼稚だなぁ…私も…」

 堂々巡りの思考に疲れて、ここはいっちょ、部外者に助けを求めてみようと思った。
 風呂から上がり、寝巻きに着替えて、左近を探す。
見つけた彼は評議場で慶次と掲示板設置の位置にについて最終調整をしていた。

「左近さーん、ちょっといいですかー?」

「ああ、姫」

「お、じゃ、俺は行くとするかね」

 気を利かせて立とうとする慶次をそのまま引き止めた。
彼は視線で「居てもいいのかい?」と問い掛けてきたが、は苦笑し、肩を竦めて見せた。

「だって、慶次さんは最初っから、信じてないでしょ」

「まぁな。実際してたら、なんらかの痕跡がな〜」

「もー、そういう具体的な解説いらないから」

 彼らしい切り替えしに苦笑して評議机の前へ腰を降ろせば、左近がお茶を入れて差し出してくれた。

「で、どんなご相談ですか? 仲直りから、追撃まで、幅広く対応しますよ」

「あははは、じゃ、仲直りで一つお願いします」

 湯飲みを取って頭を下げたら、左近は何故だか苦笑していた。
彼の顔には「甘いねぇ」という台詞が貼り付いていた。

 

 

 一方、時を同じくして、階下の執務階。

「ええっ!! じゃ、あれは嘘なのですかっ!!」

「当たり前だ、馬鹿め!! 幼稚な嫌がらせと何故気がつかない!!」

「幸村…実直は義だ。だが、融通が効かないようであれば、それは不義だ」

 凹んだ幸村は、よりにもよってこの二人に相談し、叱咤激励を受けていた。
どうして犬猿の仲の二人を選ぶんだと彼の神経を疑いたくはなる。
だが持ち掛けられた二人も、今は共通して弄れる相手が出来た事でいがみ合う事はないらしい。

「お前は殿がどうなったのか、目視はしていないのだろう?」

「え、ええ…でも…本当に顔色が悪かったのです。
 やはりあの者の肩の上で振り回され続けて酔いが回ったのだと…」

「ちょっと待て、幸村。お前は我が君を抱えているままの不義の輩と切り結んだのか?!」

「え、ええ」

「そんな状態なら酔いもするわ。何故もっと他の方法で救おうと思わんのだ、馬鹿め!!」

 彼は政宗の的確な突っ込みに共感し、今頃後悔した。

「そうか…私は、そこから既に間違っていたのですね……」

「当たり前だ、馬鹿め!!」

「……幸村……我が君は女性だ。女性は色々と繊細なのだよ。分かるかね」

 色恋沙汰から一番遠そうな位置にいるくせに、いやに分かったような口を叩く兼続に、幸村は縋るような眼差しを向ける。

「真実が欲しいというのなら、今からでも確認に行けばいい。
 あの男が言った事が真実であれば、痕跡が残っているだろうからな」

 滅相もないと、幸村は首を横に振る。

「ならば、何故信じない」

 痛い所を突付かれて、幸村は押し黙った。
長い沈黙を経て、幸村はようやく口を開いた。
彼は話しながら自分の心の在り処を探しているようだった。

「………口付けを…」

「む?」

「…口付けを交わしているように、見えたのです」

「あの男と我が君がか」

「はい」

 それでか。それで冷静さを欠いたのかと、二人は納得の溜息を漏らした。

「私が駆けつけた時には様は奴に抱かれていた。様は狼藉を働かれてはいないと仰る。
 ですが、あの怒り方は……もしかしたら、と…」

「貴様、本当に馬鹿だな」

「幸村……接吻にしても悪質な噂にしても……我が君はお前が信じてくれなかったことが、
 一番悲しかったのではないか」

 指摘されて、顔を上げた幸村の顔は、幾分か幼く見えた。
を巡る好敵手となる他の二人に比べて、こういう事に疎そうな彼の事だ。
との距離の取り方がままならず、持て余している思いも多々あるだろう。
だとしても、今回の失態は、あまりに愚直だ。

「私が思うに…様は、お前の誠実さに支えられている点が大きいと思う」

「同感じゃ」

 腕を組み目を閉じて相槌を打つ政宗に視線を向ければ、政宗は兼続の言葉の先を取った。

「あの二人は柔軟すぎる。人は絡め手ばかりでは、疲れよう。
 確かに貴様は暑苦しい。融通も利かず、不器用だ。
 だが、誠実ではある。その誠実さに殿は救われていたのではないのか」

「そのお前が、殿への誠実を忘れてどうする」

「「堪り兼ねて当然だろう」」

 最後はすっかり二人の声は重なっていた。

「私は、どうしたら……」

「失ったと思われた物は、また与えればいい。それだけの事だ」

 兼続の言葉を聞き、幸村は静かに頷いた。

 

 

 翌朝、が目覚めると、階下がいやに騒がしかった。
一体何事かと着替えて階下へと降りてみれば、風魔が城に殴り込みを掛けている真っ最中だった。
 そんな風魔と対峙するのは幸村ただ一人だ。
彼は城下町と城門の間にかかる橋の上で仁王立ちしていた。

『暇なの? 暇なのか? こんな朝早くからさ…』

 喉元まで出掛かった個人的な感想を口にする代わりに、一般論を述べてみた。

「…何やってんの? 朝っぱらから…」

 脱力と共に呆れが含まれた問いかけに答えたのは、兼続だった。

「失態は、自ら雪ぐのだそうだ」

「はぁ……そうですか」

「流布された言葉は悪戯だと…」

「昨日のあれは、嘘だっ!! 様は、貴様に接吻もされていないっ!!」

 兼続が言い終わる前に、幸村の声が轟いた。
きょとんとした面持ちのを見下ろした兼続の口元には柔らかい笑みが浮かぶ。

「……勘違いしたのだよ。敬愛する主君が、往来で汚されたのではないかと。
 そんな不安を胸に抱えれば、いかな士であろうとも、理性が消えて当然だ。忠臣であれば尚の事な」

「もう惑わされはしないぞっ!! 風魔ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 暑苦しい叫び声を上げて、向って行く幸村の姿はひたむきであり、まっすぐだった。
昨日のような迷いも、思い込みも存在していない。
 元は子供の嫌がらせ程度の話だったはず。
なのに、彼は今、全身全霊を掛けての名誉を取り戻そうとしている。
それが妙にくすぐったくて、嬉しくて、ようやくほっとした。

「なんかもー、本当…恥ずかしい人だなぁ…」

 独白したの頬には、言葉とは裏腹に、柔らかな微笑みが浮かぶ。

「あれが真田幸村という男だ」

「だね」

 くるりと背を向けて歩き出したは、がっちりと閉ざされた門扉が見下ろせる二の丸まで降りると、門扉に寄りかかっている慶次へと声を掛けた。
 眼下では幸村が風魔とまだ死闘を繰り広げている。

「慶次さーん」

 顔を上げた彼に手を振る事で朝の挨拶を済ませてから、二人の乱闘に参入し、止めさせるように言った。

「いいのかい? 男幸村、一世一大の死闘だぜ? こりゃ」

 難色を示す慶次へと、は言う。

「いいの、いいの。こんな朝早くからあんなに大きな声上げて……ご近所迷惑でしょ? それにね」

「それに?」

 すーっと大きく息を吸って、それから声を張り上げた。

「私の忠臣が怪我でもしたら、困るからっ!!!」

 響いた声に、幸村が振り返れば、は晴れやかな笑顔で手を振った。
唇の動きだけで「頑張ってね」と言えば、幸村はこくりと頷く。

「ゆくぞ、風魔ぁぁぁぁぁ!!!
 私の目が黒いうちは、城の敷居は跨がせないっ!!!」

 なんか違うな、どっか違うなと思いながら、同時にあの声を聞けば、幸村との関係はもう大丈夫だと思った。

 

 それから一刻と掛からずに、二人の戦いには前田慶次が松風を伴って参戦。
見事に風魔を撃退したのだが、その際に暴走した松風によって城門は崩壊した。
 見物していた伊達一門の話では、風魔だけでなく、幸村まで巻き込んで突貫したせいらしい。

「貴公ら、この国がどれだけ財政難か分かっておられるのか!!!」

 修繕費をざっと目算して青褪めたの隣で、竜の右目と呼ばれる男・片倉小十郎が絶叫する。
崩壊した門の前で叱責される幸村の顔には、開放感がそうさせるのか、あまり反省の色はなかった。
何よりも、が発した言葉が嬉しくて仕方がなかったらしい。

『…私の忠臣…か…』

 何時の間にか、自分も彼らの熱さに感化されて来たのかな? 
苦笑するの目を盗んで、恋敵からの幸村への嫌味攻勢が形成されるまで、後一秒。

 

 

- 目次 -
実直な人との恋は七転八倒…って事で、もう少し続きますよ。(08.03.04.up)