帰順

 

 

 を城へ引き止めてから、数日と掛からずに変化は訪れた。
たった数日の内に友情を深めたは、気が合うからと共に寝起きをするようにまでなっていた。
そのが、ある朝起きてみると忽然と姿を消していた。

「うーん……流石、伊賀者……誰にも気がつかせなかったね」

 部屋に残されたままの荷物と、そのままにされている布団を見てが呟けば、夜警に当たっていた兵士達は萎縮し、彼らを指導する立場にある将は蟀谷に青筋を浮き上がらせた。
 一騎当千とは言えないかもしれないが、自分達とて武士の端くれ。
相手が忍者とは言え、進入され、あまつさえ何かを盗み出されて―――――しかもその何かは、よりにって人間―――――夜が明けるまで全く気がつきませんでした、ではお話にならない。
 このような失態は甘んじて受け入れられるものではないと、苦虫百匹くらいは軽く噛み潰している彼らの顔がそう物語っている。

「帰ってきてくれるかなぁ?」

 そのままになっている布団を畳みながら左近に意見を求めれば、左近は歯切れの悪い返答した。

「どうですかね。荷物があるんで戻るかもしれませんが、そこまで重要な荷物でもないでしょう」

 確かに、彼の指摘通りだった。
残されているのは旅に使う日用品ばかりだ。わざわざ取りに戻らなくてはならないようなものではない。
特にはあの服部半蔵の細君だ。とすれば夫が仕官先を探しているとはいえ、夫妻揃って本当の意味で切迫した経済状況に置かれているとは考えにくい。

「今言える事は、あちらさんがこっちに敵意を持ってない事に感謝って事ですかね」

「どうして分かるの?」

「一緒に寝てたんでしょう? 敵意があるなら姫を殺してますよ」

 それもそうかと顔に乾いた笑いを貼り付け、二人で言いようのない空気を共有する。

「あははは……生きててよかったー」

「全くだ。今後はこういう事も考えて、左近が隣で寝ましょうか??」

 空元気丸出しの発言を左近が労わるように苦笑した。
彼の口を吐いて出る軽口に幾分か気が楽になる。

「えー、じゃ、皆でローテーションとか?」

「ろーてーしょん? なんですか、それは」

「んと、順番こって感じかな??」

「御冗談を、専属にして下さいよ」

「えー、それはいいよー。それじゃ左近さん疲れちゃうでしょ」

 いまいち意思疎通が成り立たない問答を繰り広げる。
そこへ階下から幸村が、荒い呼吸を吐きつつ駆け上がってきた。

様、大変です!!」

「あ、幸村さん。どうしました?? もしかしてまたあの変態忍者?」

「い、いえ……ど、同盟の…」

「え?」

 一息吐いて深呼吸をして、乱れる呼吸を整えてから、彼は言った。

「徳川家康が配下の浅井長政・市の二人を伴って、訪ねて来られました!!」

「うっそ、マジで?!」

 どう思う? と隣の左近に視線を向ければ、左近も理解しかねると顎を掻く。

「まずは、会ってみなきゃだよね。幸村さん、白鳳の間へご案内して下さい。支度したらすぐに向います」

 一先ず、飛び込んできた問題へと意識を切り替えた。
の事が気にならない訳ではないが、忍者相手では打てる手はあまりない。
こちらも忍者を雇い接触を試みようとしたところで、相手はあの半蔵。そう簡単にいくはずがない。
となれば、出来る事から片付けるに限る。

「左近も同席しましょう」

「お願いします」

「あの、様」

「はい?」

「城下に出ている兼続殿と政宗殿を呼び戻しますか??」

「んー、その必要は、ないんじゃないかな? だって、ただの謁見でしょ??」

 この選択を、は後悔する事になる。

 

 

 一刻後、面会に即した着物へと着替えたは、白鳳の間で家康と対峙した。
救援活動以来の再会だった。

「お久しぶりです、家康様」

「お久しゅうござる、殿」

 同盟国として文を取り交わす事はあったが、こうしてどちらかの城で顔を合わせるという事はなかった。
は思うところがあるのか、しきりに家康との親交を深めたがっていたが、それを左近が密かに阻んでいた。
 能天気なは送られてくる文に添えられている文面を額面通りに受け取る傾向がある。
「茶会だ」「花見だ」と重ねられる招致に喜んでいるが、そうそう易々と受け入れられても堪らない。
軍師の目からすれば、その誘いには、とても危険な意図が潜んでいる可能性とて否めないのだから。
へと迫る危機、数多の可能性を想定し、予防線を張るのは、家臣としては当然のこと。
 幸いなことに家は今財政難だ。
国の建て直しが最優先事項であることを常々言いおけば、も外交にばかり力を入れてはいられない。
現に彼女は心惹かれる誘いではあるけれどと、当たり障りない回答を送っていた。
 そうこうする内に家康ととの間は、文を取り交わすだけの関係が定着した。
その家康が、前触れもなく尋ねて来た。そこに深い意味がないはずがなかった。

「その節は世話になりましたな」

「いいえ、とんでもないです。こちらこそ、何時もお誘い頂いてるのに、なかなか時間を作れずにすみません」

「いいえ、宜しいのですよ。そういえば、先日頂いた文に添えられていた菓子。
 舶来のもののようでしたが……大層高価だったのではありませぬか?」

「あー、あれ? あれは、私の自作です。
 ホットケーキっていうんですけど、材料さえあれば作るのはとても簡単なんですよ。

 お口に合えば…と思ったのですが、お味は如何でしたか??」

「おお、そうでしたか。程よい甘さで、大変ようござった」

「そう言って頂けて嬉しいです」

 交わされる雑談には暢気に笑顔で応対しているが、家康の後方に控えている浅井長政の顔には緊張が色濃く浮き上がっている。それを見ても、今回の来訪には深い意図が潜んでいる事は明白だ。
 には内密に隣室に兵を伏せたが、それは間違いではなかったと左近は目を光らせ続けた。

「あ、もしかして今日はそのお礼とか? だとしたら却って申し訳ない事しちゃいましたね。すみません」

「いえいえ、こちらこそ突然申し訳ない。ただ…お顔を拝見したくなりまして」

「そうでしたか」

 首脳同士で交わされる当たり障りのない会話、それを先に崩したのは家康だった。

「左近殿、申し訳ないのですが…殿をしばしお借りしても宜しいか??」

 何が目的だ。国の簒奪か? を暗殺でもするつもりなのか? と探るような視線を向ければ家康はさらりと交わしてを見やった。

「ここへ通される際に通った中庭に、渡り鳥の巣が出来ておりました。ご存知でしたか?」

「本当ですか?? わー、全然気がつかなかった〜。
 だめですね、最近、自然を見る余裕もないみたいで…」

「如何ですかな、これから共に」

「そうですね、折角だし、見に行きましょうか」

「姫」

 視線で「止めておけ」と訴える左近の意図に気が付かないのか、は暢気に微笑んでいる。
彼女の視線は、どういうわけか眼前の男の方を信頼し切っていた。

「ごめんごめん、すぐ戻るよ。ちょっと覗いてくるだけだから」

 は立ち上がり、家康もまた立ち上がった。
家康は長政・市に残るように指示を下し、と共に中庭へと向うべく歩き出した。

 

 

 ちらちらとの様子を伺う家康の横で、は常に自然体のままだった。
二の丸へと続く廊下を抜けて、渡り鳥が巣をかけた中庭に辿りつく。
そこで懸命に小さな生を繋ぐ小鳥達を見上げながら、最初のうちは柔和に微笑み、談笑の続きをした。
けれども何時までもこんな事は続けてはいられない。
どちらともなく口数が減り、相手の言葉を待つようになった。

「………啼かぬなら、啼くまで待とう、ホトトギス…」

 ぽつりと、が呟く。

「ごめんなさい、疎くて」

 ふと彼が詠んだ句を思い出し口にすれば、家康は複雑な表情をした。

「本当のご用件は、なんでしょう??」

「…知りたいのだ」

 先程までとは打って変わった低い声で家康は切り出した。

「吉法師殿を知り、儂を知り……儂を救うそなたは何者ぞ?」

「その質問は、ちょっと難しいかな」

 説明に詰まるは小鳥達が囀る巣から視線を外した。

「何が気になってるんですか? 私が助けた事ですか?」

 家康は無言で肯定して、答えを欲するようにを見つめ続けた。

「困るんです、貴方が死んでしまうのは」

「しかしそれはそなたには関わり合いがなかろう。まして今は乱世、何が起きても不思議はあるまい」

「でも、困る。貴方が死んだら、私もどうなるか分からないし…私の大切な人もどうなるか分からない」

 禅問答のようだど、家康は顔に思案の色を貼り付けて、押し黙った。
そんな家康の前では、視線を落とし、独り言のように言う。

「例えば……本当に、例えばのお話なんですけど…。
 …聖徳太子が、日本の治世の基盤を築かなかったら、今、家康様ご自身はどこで何をされていたと思いますか??」

「は?」

「家康様が生まれるにはご両親がいて、そのご両親にはやっぱりご両親がいますよね」

「…あ、ああ…」

「…遠い遠い時間の向こうで、起きた事が今を形作っている。そうでしょう?」

「その通りだが……何が言いたいのか…」

「困るんです。起きるべき事が起きて、正常に機能しないと。
 私には国を平定するような才はないから。私は、ただ結末を知っているだけだから」

 家康は掴み切れないと答えを求め続けた。

「…本当の所、貴方の欲している答えを私は持ってはいないんです…。
 …私は軍師でも何でもありませんから。貴方は、私に救われたと言うけれど………
 本当は救って欲しいのは私の方なんですよ…神君家康公」

 言葉と同時に、まっすぐに向けられた視線に、家康は息を呑んだ。
掴み所のない、大きな何か。
縁とでもいうのだろうか。
それを彼女が握っている、そんな気がしてならない。
それだけではない、その縁は自分だけはなく、多くの人々の命運を左右するものだと、魂が叫ぶ。

「…もう一つ、伺って宜しいか」

「どうぞ」

「先日の手紙の事だ」

 彼は心の端に残る僅かな疑念を取り払うべく、に問い掛けた。
もう充分過ぎるほど分かっているのに、答えは決まっているのに、君主としての自分がその先の言葉を望んでいた。

「あ、あれですか? ごめんなさい、筆ってまだ苦手で……慶次さんに代筆してもらったんです」

「知っている。そうではなく…持ってきた者が問題なのだ」

「持ってきた者……政宗さんと兼続さん? もしかして、そちらで喧嘩でもしました??」

「いや、それはない」

「では、なんです??」

「何故、あの二人に文を託すのか…それが儂には分からない」

「ああ、そんなこと。単純なことですよ」

 は顔色一つ変えずに、さらりと言ってのけた。

「だってあの二人、まだ家康様の土地を蹴散らしたこと、謝ってないじゃないですか」

「!?」

「慶次さんと幸村さんがボコってくれたからうちに帰順してくれたけど、それはそれ、これはこれ。
 悪い事した訳だからね、ちゃんと謝って来て欲しかったんですよ。
 でも、その分だと全然謝ってないみたいですね」 

 は、はぁと肩で盛大に息を吐いた。

「全く…ちゃんと謝ってねって言っといたのに……だめな人達ねぇ」

「くくくっ、ははははっ!! あーはっはっはっは!!」

 の言葉に家康は呆れたように深い息を吐き、それから豪快に笑った。

「え? 何? どうしました?? 家康様。
 私なんか、変な事をいいました?? 大事ですよ、こういうこと!!

 疎かにしていると、ちゃんとした大人になれないんですから」

「はっはっはっ!! いやはや、愉快愉快。ああ、やはりお会いしてようござった」

「もー、何時まで笑ってるんですかっ!!」

「ほんに、ようござる。…貴方はそのままでおれば宜しかろう。うむ、これで……家康の心も定まるというものよ」

 含みのある物言いに、の顔に初めて、緊張が走った。

「…あ、あの……それは、どういう意味でしょう??」

「室へ戻りましょうか」

 家康は武人の眼差しを湛えて言った。
本当の会談は、これからなのだと、政治に鈍いでも容易に理解出来た瞬間だった。

 

 

 家康に促されて室に戻った時、が席につこうとすると、家康はの腕を掴んで引き止めた。

「長政! 討てぃっ!!」

 やはり目的はそれだったかと、左近が動く。
だがそれよりも早く長政が立ち上がった。彼は己の槍を取ると天井へと向い打ち放った。
瞬間、呻き声が上がり、天井から黒い固まりが降ってくる。
それは息の根を止められた忍者の死骸だった。

「聞け!! 北条の乱破よっ!! これが家康の答えよっ!!」

 身を竦ませたを中心に庇うように市、長政、家康が身構えれば、天井裏から次々と忍者軍団が降って来た。

「お命、頂戴」

「何をしておる、伏せている兵を早よう出さぬかっ!!」

 家康の一喝に、左近が合図を出せば、隣室に控えていた幸村、慶次率いる寡兵が引き戸を蹴破って参戦した。
目まぐるしく入り乱れる忍者と将兵の戦いが始まる。
それを目にすれば、流石ににも自らが暗殺されかかっている事が分かった。

「逃げまするぞ、様」

 家康に手を引かれて階上と向う。

「家康様、に、逃げるなら町へ!! 町になら、政宗さんや兼続さんが…」

「否、町にも草が放たれてござる!! ここは篭城が肝要ですぞ」

「は、はい…分かりました」

 緊張と恐怖で縺れる足で、先を急いだ。

「こりゃ一体どういう事です?! 説明が欲しいんですがね」

 突忍を蹴散らしながら追随して来た左近が問えば、家康は答えた。

「北に大国が出来つつある事は知っておろう?
 そこと張り合うべく北条が儂やこの地を併呑しようとしておる。

 あやつ、儂に犬になれというてきた。様の首を手土産に参陣せよ、とな」

「何っ?!」

「最近、この地へ流れ着く民が急激に増えておろう? その殆どは、元は北条が治める地の民なのだ。
 あそこの締め付けに耐え兼ねて、様の噂を聞きつけて逃げ込んでいるというわけだ」

 筒槍を奮い、活路を切り開く。
家康は顔に苦渋を貼り付けて、吐き捨てるように言った。

様を討てば、この地を儂に与え、我が領地共々自治権を認めると言いおった」

「じゃ、この忍者は…」

「…数日前からここに潜んでおったのだ」

 ぞくりと背筋が凍った。

「何故今まで手を出さなかったかは知らぬがな」

 次から次へと現れる忍者から丸腰のを逃すべく、廊下を駆け抜けた。
先程家康と談笑していた中庭に出て、本丸へと向おうとする。

 

 

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