帰順 |
を城へ引き止めてから、数日と掛からずに変化は訪れた。 「うーん……流石、伊賀者……誰にも気がつかせなかったね」 部屋に残されたままの荷物と、そのままにされている布団を見てが呟けば、夜警に当たっていた兵士達は萎縮し、彼らを指導する立場にある将は蟀谷に青筋を浮き上がらせた。 「帰ってきてくれるかなぁ?」 そのままになっている布団を畳みながら左近に意見を求めれば、左近は歯切れの悪い返答した。 「どうですかね。荷物があるんで戻るかもしれませんが、そこまで重要な荷物でもないでしょう」 確かに、彼の指摘通りだった。 「今言える事は、あちらさんがこっちに敵意を持ってない事に感謝って事ですかね」 「どうして分かるの?」 「一緒に寝てたんでしょう? 敵意があるなら姫を殺してますよ」 それもそうかと顔に乾いた笑いを貼り付け、二人で言いようのない空気を共有する。 「あははは……生きててよかったー」 「全くだ。今後はこういう事も考えて、左近が隣で寝ましょうか??」 空元気丸出しの発言を左近が労わるように苦笑した。 「えー、じゃ、皆でローテーションとか?」 「ろーてーしょん? なんですか、それは」 「んと、順番こって感じかな??」 「御冗談を、専属にして下さいよ」 「えー、それはいいよー。それじゃ左近さん疲れちゃうでしょ」 いまいち意思疎通が成り立たない問答を繰り広げる。 「様、大変です!!」 「あ、幸村さん。どうしました?? もしかしてまたあの変態忍者?」 「い、いえ……ど、同盟の…」 「え?」 一息吐いて深呼吸をして、乱れる呼吸を整えてから、彼は言った。 「徳川家康が配下の浅井長政・市の二人を伴って、訪ねて来られました!!」 「うっそ、マジで?!」 どう思う? と隣の左近に視線を向ければ、左近も理解しかねると顎を掻く。 「まずは、会ってみなきゃだよね。幸村さん、白鳳の間へご案内して下さい。支度したらすぐに向います」 一先ず、飛び込んできた問題へと意識を切り替えた。 「左近も同席しましょう」 「お願いします」 「あの、様」 「はい?」 「城下に出ている兼続殿と政宗殿を呼び戻しますか??」 「んー、その必要は、ないんじゃないかな? だって、ただの謁見でしょ??」 この選択を、は後悔する事になる。
一刻後、面会に即した着物へと着替えたは、白鳳の間で家康と対峙した。 「お久しぶりです、家康様」 「お久しゅうござる、殿」
同盟国として文を取り交わす事はあったが、こうしてどちらかの城で顔を合わせるという事はなかった。 「その節は世話になりましたな」 「いいえ、とんでもないです。こちらこそ、何時もお誘い頂いてるのに、なかなか時間を作れずにすみません」
「いいえ、宜しいのですよ。そういえば、先日頂いた文に添えられていた菓子。 「あー、あれ? あれは、私の自作です。 「おお、そうでしたか。程よい甘さで、大変ようござった」 「そう言って頂けて嬉しいです」 交わされる雑談には暢気に笑顔で応対しているが、家康の後方に控えている浅井長政の顔には緊張が色濃く浮き上がっている。それを見ても、今回の来訪には深い意図が潜んでいる事は明白だ。 「あ、もしかして今日はそのお礼とか? だとしたら却って申し訳ない事しちゃいましたね。すみません」 「いえいえ、こちらこそ突然申し訳ない。ただ…お顔を拝見したくなりまして」 「そうでしたか」 首脳同士で交わされる当たり障りのない会話、それを先に崩したのは家康だった。 「左近殿、申し訳ないのですが…殿をしばしお借りしても宜しいか??」 何が目的だ。国の簒奪か? を暗殺でもするつもりなのか? と探るような視線を向ければ家康はさらりと交わしてを見やった。 「ここへ通される際に通った中庭に、渡り鳥の巣が出来ておりました。ご存知でしたか?」 「本当ですか?? わー、全然気がつかなかった〜。 「如何ですかな、これから共に」 「そうですね、折角だし、見に行きましょうか」 「姫」 視線で「止めておけ」と訴える左近の意図に気が付かないのか、は暢気に微笑んでいる。 「ごめんごめん、すぐ戻るよ。ちょっと覗いてくるだけだから」 は立ち上がり、家康もまた立ち上がった。
ちらちらとの様子を伺う家康の横で、は常に自然体のままだった。 「………啼かぬなら、啼くまで待とう、ホトトギス…」 ぽつりと、が呟く。 「ごめんなさい、疎くて」 ふと彼が詠んだ句を思い出し口にすれば、家康は複雑な表情をした。 「本当のご用件は、なんでしょう??」 「…知りたいのだ」 先程までとは打って変わった低い声で家康は切り出した。 「吉法師殿を知り、儂を知り……儂を救うそなたは何者ぞ?」 「その質問は、ちょっと難しいかな」 説明に詰まるは小鳥達が囀る巣から視線を外した。 「何が気になってるんですか? 私が助けた事ですか?」 家康は無言で肯定して、答えを欲するようにを見つめ続けた。 「困るんです、貴方が死んでしまうのは」 「しかしそれはそなたには関わり合いがなかろう。まして今は乱世、何が起きても不思議はあるまい」 「でも、困る。貴方が死んだら、私もどうなるか分からないし…私の大切な人もどうなるか分からない」 禅問答のようだど、家康は顔に思案の色を貼り付けて、押し黙った。 「例えば……本当に、例えばのお話なんですけど…。 「は?」 「家康様が生まれるにはご両親がいて、そのご両親にはやっぱりご両親がいますよね」 「…あ、ああ…」 「…遠い遠い時間の向こうで、起きた事が今を形作っている。そうでしょう?」 「その通りだが……何が言いたいのか…」 「困るんです。起きるべき事が起きて、正常に機能しないと。 家康は掴み切れないと答えを求め続けた。 「…本当の所、貴方の欲している答えを私は持ってはいないんです…。 言葉と同時に、まっすぐに向けられた視線に、家康は息を呑んだ。 「…もう一つ、伺って宜しいか」 「どうぞ」 「先日の手紙の事だ」 彼は心の端に残る僅かな疑念を取り払うべく、に問い掛けた。 「あ、あれですか? ごめんなさい、筆ってまだ苦手で……慶次さんに代筆してもらったんです」 「知っている。そうではなく…持ってきた者が問題なのだ」 「持ってきた者……政宗さんと兼続さん? もしかして、そちらで喧嘩でもしました??」 「いや、それはない」 「では、なんです??」 「何故、あの二人に文を託すのか…それが儂には分からない」 「ああ、そんなこと。単純なことですよ」 は顔色一つ変えずに、さらりと言ってのけた。 「だってあの二人、まだ家康様の土地を蹴散らしたこと、謝ってないじゃないですか」 「!?」
「慶次さんと幸村さんがボコってくれたからうちに帰順してくれたけど、それはそれ、これはこれ。 は、はぁと肩で盛大に息を吐いた。 「全く…ちゃんと謝ってねって言っといたのに……だめな人達ねぇ」 「くくくっ、ははははっ!! あーはっはっはっは!!」 の言葉に家康は呆れたように深い息を吐き、それから豪快に笑った。 「え? 何? どうしました?? 家康様。 「はっはっはっ!! いやはや、愉快愉快。ああ、やはりお会いしてようござった」 「もー、何時まで笑ってるんですかっ!!」 「ほんに、ようござる。…貴方はそのままでおれば宜しかろう。うむ、これで……家康の心も定まるというものよ」 含みのある物言いに、の顔に初めて、緊張が走った。 「…あ、あの……それは、どういう意味でしょう??」 「室へ戻りましょうか」 家康は武人の眼差しを湛えて言った。
家康に促されて室に戻った時、が席につこうとすると、家康はの腕を掴んで引き止めた。 「長政! 討てぃっ!!」 やはり目的はそれだったかと、左近が動く。 「聞け!! 北条の乱破よっ!! これが家康の答えよっ!!」 身を竦ませたを中心に庇うように市、長政、家康が身構えれば、天井裏から次々と忍者軍団が降って来た。 「お命、頂戴」 「何をしておる、伏せている兵を早よう出さぬかっ!!」
家康の一喝に、左近が合図を出せば、隣室に控えていた幸村、慶次率いる寡兵が引き戸を蹴破って参戦した。 「逃げまするぞ、様」 家康に手を引かれて階上と向う。 「家康様、に、逃げるなら町へ!! 町になら、政宗さんや兼続さんが…」 「否、町にも草が放たれてござる!! ここは篭城が肝要ですぞ」 「は、はい…分かりました」 緊張と恐怖で縺れる足で、先を急いだ。 「こりゃ一体どういう事です?! 説明が欲しいんですがね」 突忍を蹴散らしながら追随して来た左近が問えば、家康は答えた。 「北に大国が出来つつある事は知っておろう? 「何っ?!」
「最近、この地へ流れ着く民が急激に増えておろう? その殆どは、元は北条が治める地の民なのだ。 筒槍を奮い、活路を切り開く。 「様を討てば、この地を儂に与え、我が領地共々自治権を認めると言いおった」 「じゃ、この忍者は…」 「…数日前からここに潜んでおったのだ」 ぞくりと背筋が凍った。 「何故今まで手を出さなかったかは知らぬがな」 次から次へと現れる忍者から丸腰のを逃すべく、廊下を駆け抜けた。
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