帰順

 

 

「きゃっ!」

 だがそこでは盛大に転んだ。
痛みを堪えて立ち上がろうともがいている間に、暗殺を企てる者とはまた別の、面倒事が舞い込んできた。

「…我は混沌を呼ぶ風…」

「げげっ!! 風魔っ?! 何でよりによってこんな時に…っ!!」

「…クックックック…」

「慶次さん、そっちよりこっちどうにかしてーっ!!」

 まだ城内で忍者掃討に明け暮れる慶次を呼び、家康に促されるまま左近の背へと隠れれば、

「三河武士の底力を見よっ!!」

「信義の槍が貴様を止めるっ!!」

 家康、長政が風魔との戦闘を開始した。

 

 

 風魔を巻き込んだ北条から派遣された忍者軍団との死闘は、瞬く間に城下にも知れ渡った。
が中庭を経て二の丸へ抜け、階上への階段を駆け上がる頃には、一階に頼もしき援軍が帰参した。
即ち、兼続、政宗率いる伊達一門だ。
 領内視察に出ていた伊達一門が群がる下級忍者の攻撃を引きつけながら閉ざされた城門をこじ開ければ、兼続と政宗が城内へと駆け込んだ。

殿、どこにおわすっ!!」

「義によりて、成敗するっ!!」

 爆忍が多く潜む一階を政宗が受け持ち、旋忍、飛忍が待ちうけるニ階を兼続が進軍する。

「真田の槍を見よっ!!」

「参りますっ!!」

 三階階段付近では、突、旋、爆忍の混合部隊を、幸村と市の連合が迎撃した。

「姫!! こっちですっ!!」

「さ、左近さん……ちょっと、ちょっと待って、これ脱いでいいっ?!」

 謁見用の着物を着けているために、のフットワークは通常よりも数段悪かった。
風魔だけならばまだしも、これだけの忍者を相手にするともなれば、左近に抱かかえて逃げてくれとは言っていられない。慶次、家康、長政で迎え撃つ風魔は相変わらずの腕っ節で、梃子摺りこそすれ物の数に入らないという訳には行かない。ここはどうあっても自力で切り抜けるしかないのだ。

「は? ぬ、脱ぐ? いきなり何言ってんですか…っ!!」

 そんな真似はさせられないと止めるよりも早く、は帯に手を掛けて解き始めた。

「クククククッ!! 愉快よな、お前はっ!!」

「きゃぁ!!」

 攻め寄せる風魔の作り出した分身の繰り出す拳撃を左近が刀でいなす。

「させるかっ!!」

「せいやっ!!」

 家康の砲弾が援護となり、風魔が作り出した分身の一体を慶次と長政が打ち取った。

「……愚かなことよ…風を幾ら切ったところで………」

「うっさいわねっ!! なんでいちいち私に絡むのよっ!!」

 外しきった帯を風魔本体の顔に叩きつければ、着込んでいた着物が三枚、一度に脱げた。

「あーっ、重たかった。次、行くわよっ!!」

「えええっ?!」

 もうそれ以上は脱がないでくれと、複雑な心境で風魔本体と切り結ぶ左近の意志を無視して、は肌襦袢の上に着ている着物と格闘し始める。

「な、様、何をしておいでかっ!!」

 追いついてきた家康が悲鳴を上げれば、家康と共に戦っていた長政は赤面した。
慶次が「傾いてるねぇ」と口の端で笑うが、流石にこれ以上はさせたくないとばかりに鉾を振り回す。
を包囲するように迫る忍者軍団が散り散りに吹き飛んだ。

「ハァッ!!」

 気合一閃、風魔の拳に殴られそうになったところで、横から伸びた長政の腕がを抱き寄せた。

「ごめんっ!!」

 後方に陣取る慶次へと流すように押し出せば、はくるくると回りながら慶次の胸へ。
突忍の張り手を抑えるべく鉾を奮う慶次は、今度は軽く肩を押して、風魔との距離をとった左近の元へとを送り出した。
 まるで鞠のようにあちこちへと押し出されるは、そうこうする内に肌襦袢以外の着物を全て脱ぎ落とした。

「いよーしっ!! 皆、ご協力ありがとっ!!」

 「ちょっと回転し過ぎで気持ち悪くなりかけたけど」と独り言ちて、は肌襦袢の裾をまくり上げてミニスカートのように加工すると、胸元が肌蹴けないようにしっかりと合せた。

「「「「あああっ!!」」」」

 計らずも脱がす手伝いをしてしまった男四人の苦渋に満ちた声が上がる。けれども現代のキャミソールや短パンに慣れているには、この出で立ちに対する抵抗もなければ、迷いもなかった。

「じゃ、そういう事で、、全力で逃げますっ!!」

 鼻息も荒く宣誓をするとスプリンターのように廊下の中を駆け始めた。
追いかけてくる風魔の攻撃を寸前で交わしながら、気がつく。
風魔はこの状況を引っ掻き回したいだけで、自分への殺意はない。
慶次、左近、長政、家康と切り結ぶ時にはそうはいかないようだが、に対しての攻撃は、生温い。
が本能で避けられるような攻撃しか繰り出してこないのだ。

「あんた、遊びたいなら他所で…ってゆーか、日を改めてよーっ!!」

 内勤の片倉小十郎とぶつかり合う分身の尻を蹴り上げれば、本体が鼻で笑う。

「……破天荒な姫だな……うぬに…恥じらいはないか?」

「やかましい!! 家臣と自分の命掛かってんだ、服装になんか構っていられるかっ!!」

 漢らしい声を上げて片倉小十郎が切り開いた活路を通って、天守閣である四階へ。
辿り着いたらついたで、廊下ではなくそのまま畳の上を走りながら叫んだ。

「はははは、襖やっぱり売って正解だったーっ!!
 見通しいいから、伏兵の心配がねーっ!!」

「どんな感心の仕方ですかっ!!」

 天井から団体で降りてきた忍に囲まれて足を止めた。
背に立って庇ってくれる左近に寄りかかりつつ、肩で息を吐く。

「今、気がついたんだけどさ……これって自室へ逃げ込んだらなんとかなるってもんでもなかったりする??」

「その前に、逃げ込ませちゃくれなさそうですがね」

 想像以上の配置。
更には身軽さを武器に、窓の外から入ってくる忍者達。
 その忍者達を掻き分けて、風魔が迫ってくる。

「……あのさ、あんたそっちと手を組んだの?」

 己の爪牙を舐める風魔に問えば、進路を塞ぐ忍者を殴り飛ばして、風魔は薄く笑う。

「…我の狙いはうぬよ……他は…いい」

「待ちな、そうはいかなくてねぇ」

 風魔の前へと立ちはだかる慶次の目には、並々ならぬ激情が宿る。
風魔はを見やるとにぃと口の端を歪ませて笑い、続いて己の唇を舐めた。
瞬間、慶次が怒りに任せて打ち込む。
 荒々しく鉾を奮う慶次の背には、何時もの飄然としていて戦いを楽しむような色はない。
あるのは風魔への殺意だけだ。

「慶次さん、頼みます!!」

 押し寄せる突忍の攻撃を長政、家康に任せて、左近と共に先へと進んだ。
天井から飛び降りてくる忍へたまに運良く足蹴りを食らわせつつ活路を切り開いた。
ついに自室まで後一歩というところまで辿りつく。
だが次の瞬間、それは起きた。

「死ねっ!!」

 窓の外から現れた忍者が、へと襲いかかった。
疲労とほんの少しの気の緩みから出来た隙を突かれる形になった。
足を取られて、外へと誘われる。

「…あ!!」

 屋根瓦の上へと落っこちた体は、傾斜に任せて急速に滑り落ち始めた。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「姫!!!」

さん!!」

「「様っ!!」」

 滑る体を止めようとがむしゃらに手を振り回せば、瓦の淵の飾りに腕が絡まった。
天守に残る左近達が一先ずは胸を撫で下ろす。
けれどもそれは束の間の安息。

「うっそ、くるな、くるな、くるなーっ!!!」

 風魔が切り結んでいた慶次を振り切って屋根の上へと身を躍らせた。
重力で体が沈む。現代っ子ならではの握力に限界が来て、腕から力が抜けてゆく。

「もう、だめっ! 落ちる、落ちる、本当に落ちるーっ!! 誰か助けてーっ!!」

 辛うじて引っかかるばかりの指が一本ずつ外れて行く。
ついに二本になった所で、風魔が頭上に降り立ったのを見た。

「あ…!!」

 目と目が合い、絶望に呑まれる。
冷徹な眼差しに射抜かれて、体が硬直した。
 瞬間、指が瓦から離れた。
まっ逆さまに落っこちて行くを、顔色一つ変えることなく風魔は見物する。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 スローモーションのように流れる城下の景色が、最期に目にする景色なのかと思うと目が眩んだ。

様っ!!!!!!」

 三階で奮闘していた幸村が階上の変化を察知した。
彼は襲い掛かる忍者を薙ぎ倒して窓を突き破ると、屋根へと身を踊らせた。
瓦の上を滑るように走り、瓦の際に向って頭から飛び込む。
だが彼が伸ばした腕は、寸前の所で落ちて行くを掴み損ねた。
絶望一色に染まった幸村の顔が、の目に焼き付く。
そんな自分の視界の中に、は幸村の背へと迫る風魔を見た。

「幸村さん、上っ!!」

 咄嗟に叫ぶ。
こんな時まで、他人の心配かと、風魔は薄く笑う。
助言を受けた幸村は、条件反射のように起き上がって風魔へ応戦する。
それを見て、せめて最期にいい事が出来たかもしれないと肩の力を抜いた。
その瞬間をただ静かに待つつもりだった。

 だがその瞬間の訪れはなかった。
不意に腹部に振動と圧迫を覚えたのだ。

「へ? え? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!」

 頭から大地へ向い落っこちていたはずなのに、急に軌道が、目に入る景色が変わった。
振り子の原理のように弧を描いて宙を泳いだ体は、二の丸へと続く外壁の屋根瓦を掠めて、二階で混戦を繰り広げる兼続の元へと一直線に向い飛ぶ。

「兼続さん、どいて、どいてーっ!! 
 いや、だめっ!! やっぱどかないでーーっ!!」

殿っ?!」

 吹っ飛んできたに気がついて、兼続が動いた。
護符を巧みに操れば、そこに紫色の結界が展開された。
 その結界にの体がぶつかると同時に、の腹部に巻きついていた何かが外れた。
クッションの代わりをしてくれた結界の上から弾かれて床へと落っこちる。
の元へと兼続が走り込み、尻餅をつきながらも両手でしっかりと受け止めてくれた。

「あ、あ……た、助かった……ありがとう……ありがとう……」

 切羽詰った中で言った心からの謝辞は、虚しいものだった。
安堵するのも束の間、北条の放った忍者軍団が襲いかかって来たからだ。

「推参」

 だが北条の忍者軍団が二人に外傷を与える事はなかった。
二人の前へと現れたのは一人の忍。
宙に飛び上がっていた忍は、彼の奮った鎖鎌の前に全て叩き落とされた。

「…影は…闇に踊る……」

 全身黒装束で身を固めた忍が艶やかな声で宣戦布告をすれば、敵忍者軍団に緊張と動揺が走った。
間合いを測りだした忍者軍団の間を縫うように、聞き慣れた朗らかな声が近寄ってくる。

様〜!! ご無事ですか〜」

ちゃん?! え、嘘、なんで?!」

「よ、よかった……よかったです、間に合って……」

 混乱しながらも自分に抱きついてきた半べそ状態のを受け止めれば、は眼前に立つ男へと向い言った。

「旦那様、やっつけて下さいまし」

「って事は…!!」

 驚いて見上げれば、既にそこに男の姿はなかった。
進行経路を塞ぐ忍者軍団が次々と屠られてゆく。
呻き声を上げながら、一人、また一人と不規則に倒れてゆく敵兵。
その様を前に、頼もしさもあり、恐怖も込み上げた。

『…こんな事出来る人が敵に回ったりなんかしたら……』

 何をされて、どうしてそうなったのかが、一切、目では確認出来ない。
何もない場所で、誰とも向かいあっていないはずなのに、敵は次々と倒れて行く。
時としてそれは敵に呻き声一つ、漏らすことを許しはしなかった。
倒された敵はただの屍となり、二度と動く事はない。そこにあるのは、一撃必殺の"絶対死"のみだ。
そうした決着が二十回以上も暇なく続けば、それは壮麗且つ凄絶な光景だ。
 北条が放った忍者軍団は分が悪いと踏んだのか、そそくさと撤収を開始した。

「…待ちかねたぞ……半蔵…」

 目視できぬ速さで敵を屠り続ける影は、逃げ出した忍には構わずそのまま城外へと躍り出た。
階上より降りてきた風魔の前へと立ち構える。

「…我が主惑わす者は……滅すのみ……」

 邂逅も束の間、始まった忍同士の戦いは激しいものだった。
二人が同時に印を切れば、全く同じ数の分身が現れて、城のありとあらゆる場所を舞台とした激戦が始まった。
 まるでポルターガイスト現象が起こってでもいるかのようにあちこちで散る火花。
崩れる壁や、二つに割れる木。
残骸になるものを見て、始めて何かが起きている事を把握する、そんな戦いだ。

「…時に……一つ、聞きたいのだが……」

 目に見えぬ戦いを、懸命に目で追おうとするの傍で、兼続が立ち上がる。
ぱさりと音がして、肩から羽織を掛けられた。
はたと我に返り見上げれば、怪訝な顔をした兼続と視線があった。

「何がどうして、そのような姿に?」

「え? あ、ああ、あの…こ、これは…!!」

 そろそろと裾を戻し、掛けられた服を両手でぐっと掴んで体を隠せば、階下から上がってきた政宗と伊達一門が激昂した。

「な、なんという不埒な姿をしておるかっ!! おのれ、風魔っ!! 
 貴様、よりにもよって脱がしたなっ!!」

 いや、決してそういうわけではないんですが。
逃げ難いから自分で脱いだだけなんですが。
そう言おうと伸ばした手は虚しく宙で固まった。

「儂が引導を渡してやるわ、馬鹿めっ!!!」

 窓を乗り越えて風魔との戦いに政宗と伊達一門が参戦。
続いて三階の瓦の上にいたはずの幸村が降りてきて、一目を見ると、政宗と同様の反応を示した。
彼は階下へと降りてきた慶次と共に戦場へと身を躍らせる。

「……あ、あのー。あまり派手にやられると……城の修繕費が……」

 現実的な問題に涙するの体を脱ぎ捨ててきた着物で包んだのは、慶次に遅れて戻ってきた左近だ。
彼はの事を見ると開口一発、低い声で言った。

「後でお説教です。いいですね?」

「はい……ごめんなさい」

 素直に頭を下げたの姿を外で戦い続ける風魔は目に止めると、詰まらなそうに眉を動かした。
瓦を踏み割りながら走り、二の丸の外壁の上で身を翻す。
そこで風魔はを見て、唇の動きだけで「また来る」といい、姿を消した。

「もう来なくていいっつーの!!」

 風魔からのメッセージをいち早く読み解いてが絶叫すれば、風に溶けた声が薄く笑った気がした。

 

 

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