帰順 |
家康が示唆したトラブルの処理が一段落した頃。 「家康様?」 その不自然さに首を傾げれば、家康は両手をついて平伏する。 「……こういう場では、"骨折り"と言うて下され、様」 長政に激を発した時から、彼のへの呼称は変わっていた。 「徳川家康、配下浅井長政・市、そして徳川一門。 「ハイ?」 素っ頓狂な声を上げるを上座に座らせた左近が、やっぱりかと口の端を吊り上げる。 「うちの姫は懐はでかいし人はいいんですがね。 そこで初めて顔を上げた家康は落ち着いた声で答えた。 「元より北条に我らを遇するつもりはありますまい。 「だが、その借りは今ここで返した。あんたがこの先付き合う筋合いはないんじゃないのかね?」 部屋の隅により掛かる慶次の言葉を受けて、も頷く。
「そうですよ、今回の件で思いッッッッ切り、北条を敵に回しましたけど、平気なんですか?? 「構いませぬ、家康は様の元へと家臣、民、領と共に帰順致す。様の敵は、家康の敵です」 「これよりはどうかお傍でお使い下さい」 家康の言葉を継いで、家康の後方に座していた長政が下げていた頭を更に下げた。 「無条件で全面降伏ね……しかもうちにですか……こういっちゃなんだが、あんたも物好きだね」 左近の言葉を視線で制して、は上座から立ち上がると、家康の前へ進み出る。 「嬉しいです、家康様…本当に、心強い……これから宜しくお願いしますね。長政さんも、市さんも」 家康と繋いだ手を放しつつ後方へと視線を流した。 「さて、話が済んだところでもう一つ、はっきりさせなきゃならない事があるんじゃないかい?」 慶次の言葉を聞き、は「そうだった」と掌を打ち鳴らした。 「あ、あの……半蔵さん…ですよね? さっきは助けて下さり有り難うございました」 ぺこりとお辞儀をすれば、半蔵は冷ややかな眼差しのまま小さく首を横へと動かした。 「妻が世話になった」 「いいえ、それで、あの……ちゃんにはもうお話したんですけど……聞いて頂けましたか?」 「受諾」 無用な会話を好まないらしい半蔵はそれだけ言うと、再び姿を消した。 「……これは、喜んでいい所だよね??」 左近に視線を送りながら問いかければ、左近は首を縦に振った。 「奴さん、どうも話すの好きじゃないみたいですからね。 「そうだよね、うん、そうしよう!!」 程なくその場に呼ばれたに何がどうしてそうなったのかと経緯を問えば、は分からないと首を傾げ、自分と彼が再会した時のことを懸命に語るばかりだった。
「」 「…? あ、ああ!! 旦那様、半蔵様!!」 竹林の中で目覚めた瞬間、彼女の前には一人の忍者の姿があった。 「お会いしたかった……とてもとても、寂しゅうございました」 「何故、あの城にいた?」 「あ……様?? 様は何処ですか??」 城ではなく、眠っている間に場所を移されたことに気がついて、は混乱する。 「…館に戻れ……我が主もじきに決まろう」 「……半蔵様…もしや、様を…?」 「否」 その一言でほっとしたようには胸を撫で下ろした。 「…街道までは送ろう」 さっさと話を決める半蔵の掌から、真新しい若竹色の着物が放られる。 「?」 は葛藤しているのか、視線を何度も彷徨わせた。二人の間にほんの少しの沈黙が過ぎる。 「…い……いや……です」
何時如何なる時も従順に従っていた愛妻の、初めての反抗。それに驚き、半蔵が踵を返した。 「…お…お友達だと……言って下さったんです」 わなわなと震えて、嬉しそうに微笑みながら、涙を零す。 「……私、里でもどこでも、役立たずで……忍者にもなれなくて……。 覆面の下に隠された半蔵の眉がぴくりと動いた。 「、それは」 「わ、分かってます、私は、里のお荷物だから…仕方ないって。 「」
「…私、半蔵様の妻であることを誇りにしています。妻である事に不満なんてありません。 ちらちらと上目遣いで、半蔵の心の動きを伺いながらは言う。 「半蔵様のこと、どのような任も卒なくこなされると信じております。 「それは当然のこと」
「存じております。でも、とてもとても、寂しいのです。不安で心が痛いのです。 自分の言葉で感極まってきたのか、の声は段々と泣き声になってきた。
「半蔵様のお傍にいられないこと、半蔵様と共に苦楽を過ごせぬことが、悲しい。 息を呑む半蔵の前で、堪えが利かなくなったは、胸にある思いの全てを吐露し続けた。 「里では何時も独りぼっち。 半蔵の目が初めて大きく見開かれた。 「お前は忍ではない。闇は忍だけのもの」 「いいえ、いいえ。には、半蔵様の生に寄り添えない世界は、闇と同じです」 「ずっとそこにいたと言うのか」 こくりと頷いて、それからはぽつりと呟いた。 「でも……光が見えました」 言いたい事を言い終えたの顔には、何時もの柔らかさが戻り始めていた。 「光…か」 「はい、手を差し伸べて下さったのです」 「………がか…」 「…はい…」
安全な館の中にあって、何時如何なる時も笑みを絶やすことがなかった愛妻。 「……様……私を庇ってくれました。私と同じように女性なのに、本当は怖くて仕方なかったはずなのに…… ぴくりと半蔵の顔を引き締まる。 「風魔とよく会うのか?」 「はい、旅に出てから時折絡まれます。もう慣れてます。 「何故、我を呼ばぬ」 声に怒りが篭もれば、は項垂れた。
「…邪魔にはなりたくないから……これ以上、半蔵様や、色んな方のお荷物にはなりたくない。 珍しく苦虫を百匹は噛み殺したような表情になった半蔵に気がつかずに、は独白するように語る。 「…様は……お荷物扱いしないんです。私の事。 しんみりと語り、同時に顔を綻ばせた。 「……友達になりたいって……言ってくれて……とてもとても…嬉しかった…」 「友か」 「はい」 の前へと半蔵は腰を落とし、指先での頬に流れる涙を拭う。 「…半蔵様………あの……出来れば……出来ればなのですが……」 「なんだ」 「は、様のお傍にいたいです。 結局、そこへ話が行き着くのかと眉を寄せた。 『絡め手か』 自分がだめなら細君から攻めるとそういう事か。 「違います、様は、本当に私の夫が何方なのかをご存知ありませんでした。 「絆されたか」 「かもしれません。でも、本当に嬉しかったのです」 は半蔵の手を取り、まっすぐに半蔵を見つめて緩やかに微笑んだ。 「あの、半蔵様、旦那様……どうかここでをお斬り下さい」 「?!」 「このままでは、は半蔵様のお邪魔になるばかりです」 「何を言う」 ふるふると首を横に振り、は真剣に訴え続けた。 「殿方のお仕事に女だてらに口を挟みました、無礼です。 半蔵の掌から手を外し、髪をずらして頭を垂れて首を差し出した。 「どうか、お斬り下さい。は弱い……このような闇の中……耐えて生きる事は出来ませぬ……。
そこまで話したところで、ははたと気がついたように閉じていた瞼を開いた。 『なんていうか、凄い……この子は、きっと無意識なんだろうけど……凄まじい天然なんだろうけど……』 「気の毒だ」 思わずが漏らした第一声に、皆、頷くことしか出来なかった。 「え?」 こんなに愛されているのに。 「……なんというか…その…ごめんなさい」 全く分かっていないから視線を外して、は思わず天井へと向い謝ってしまった。 「…本当にごめんなさい……」 天井の上にいる半蔵が小さく嘆息する。 「様?」 「う、ううん。なんでもない。大丈夫だから」 口でそう言い、視線は天井へと向けて訴えた。 「……あ、あのさ…ちゃん」 「はい?」 「一応言っておくけど、半蔵さん別に好きでちゃんを館に放り出してる訳じゃないからね?」 「え、ええ…存じておりますよ。半蔵様程の方です、お仕事は沢山おありでしょうし…」 「いやいやいや、ちょっと待とう、そうじゃない。そうじゃないんだよ、ちゃん」 「はい??」
「えーとね、その、そりゃ仕事は大事だよ? 大事だけどさ、何もかもが仕事の為だけじゃなくて……。 「…えーと…?」 「う…だ、だめか……えーと、それじゃ、もっと具体的に話すと…ご飯の時の話ね。想像してみてくれる??」 「は、はい」
「ご飯の時とかとかにさ、成功したからと言って今日は戦場で何人ブチ殺してきました。 「ええ、ええ、そうですね」 「でしょ? でしょ!? だからね、半蔵さんは、心にそういうのを全部諌めてるだけなんだと思うよ」 「えええっ!! そ、そうなのですか??」 やっぱり気がついていなかったかと、は冷や汗を流す。
「う、うん。あのね、私が思うに……半蔵さんが闇の中で惑わずに大変なお仕事を卒なくこなせるのは、 「まぁ……まぁ、まぁ!!」 嬉しそうに顔を綻ばせて、は身を捩った。 「だからね、今度から半蔵さんに「殺してくれ」とか言うのは止めようね。 「様〜、本当に本当に、そう思われますか?」 「う、うん」 思うも何も、それがバレバレな関係を構築しているじゃないか。 『宜しく頼む』 半蔵の苦労を分かってしまったは、瞬きする事でYesと答えた。
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突然の出来事? いえいえ、策略は、当人の知らぬ間に巡らされているものです。(08.03.13.up) |