今そこにある世界

 

 

 思わぬ形で新しい仲間が出来て、願ったり叶ったりだと盛大に祝賀会を行った次の日の朝。
は自身の部屋、文机の上に見慣れぬ箱があるのを見つけて、首を傾げた。

「おはようございます、様」

「あ、うん。おはよう」

 私生活全般のケアをしてくれる事になったが運んできた着替えに手を通しながら、何度となく机を見た。

「どうなさったのですか?」

 寝癖を直すのを手伝ってくれているに問われて、は素直に答えた。

「いや…なんていうか……これ………見覚えがなくて」

「まぁ」

 二人で肩を並べてまじまじと見つめて、どうしようか? と顔を見合わせた。
こういう時、は強い。頼もしき夫に全てを投げ打つのが常となっている為、あまり深く悩まないのだ。

「旦那様〜」

 突然両手を口に添えて、どこへともなく声をかけた。

様がお困りです〜」

 瞬間、の背に降り立つのは影。

「あ、あの…こんな事でいちいちごめんなさい」

「…謝罪、無用…」

「旦那様、何方かが様のお部屋に入られたようなのです。見慣れぬ箱があると脅えてらっしゃいます」

「…しばし、猶予を」

「え、あ、はい」

 瞬時に影は消えて、暇を空けずに、階下で怒号が上がった。
その怒号に驚いている間に、怒号は移動して行き、聞こえなくなった。
代わりに無数の足音がの部屋へと押し寄せてくる。

「…え、な、何??」

「なんでしょう?」

 繊細そうな外見を持ちのんびりしている割りに、意外との神経は図太いのかもしれない。
今のやり取りの直後で、あの音だ。
どう考えても、自分達が関わっている以外の理由はないのに、全く頓着していない。

いや、こういう性格だからこそ、半蔵の愛妻でいられるのかもしれないなと、は密かに納得した。
 押し寄せた足音に恐れ戦き、の背に隠れれば、次の瞬間、部屋の襖が開いた。

「邪魔しますよ、姫!!」

 言葉と同時に動いた襖。
珍しく確認もとらない左近の声には微かな怒気と震えとが混ざっていた。

「何をなさいますか、左近殿!! 勝手に開いてはっ!!」

 咎めはしたものの心持は彼と同じだと言わんばかりの幸村の背後には、慶次、兼続、政宗、家康、長政の姿があった。見事に男ばかり。しかも家康を除いた全員が何者かに襲撃でも受けたような姿になっている。

「え、あ、あの……おはようございます。皆さん、その姿って…」

 まだ顔も洗っていないのにと、気恥ずかしさで思わず頬を掌で隠しながら応対すれば、一同はずんずんと部屋の中心へと進んできた。

「ほぅ、これかい」

「誰かこれに見覚えは?」

 大の男が七人ばかり。文机を取り囲んで渋い顔をしている。
口火を切ったのは兼続で、彼の問いかけに最初に答えたのは長政だった。

「某には市がおります、このような恐れ多い真似は…!!」

「知ってますよ、あんたにゃ他のもんなんか全く見えてないでしょうに。災難でしたな」

 混ぜっ返す左近の背を見上げて、政宗が毒づいた。

「こういうのは、左近、幸村、慶次。貴様ら三人の内、誰かではないのか!!」

 彼の目には面倒事に巻き込まれたという色が色濃く浮かんでいた。

「言っておくが、俺じゃあないぜ」

「わ、私もですっ!!」

「左近だって違いますよ、懸想するにしても、こんな方法は選びませんって。
 面と向って渡さなきゃ、こうして脅えられるのがオチだ」

「あ、あの」

 遠慮がちに声を掛ければ彼らは同時にを見やった。
夜着の上に本日着る筈の着物を重ねて、髪は手櫛で咄嗟に整えた程度。
まんま寝起きであるの姿は、男の目からみれば、それなりに煽動的だ。
 だからこそ彼らは一様に顔面に嫌悪、怒り、心配を貼り付ける。

さん、本当に覚えがないんだね?」

「…え、ええ…」

 は彼らが交わした一連の会話から、推測が現実である事を理解した。
から報告を受けた半蔵が、不法侵入犯を燻り出すべく一人一人をシメて歩いた。その結果が、多分これ。
 確証を求めるように左近を見上げれば、彼は眉を軽く動かし、肯定する。

「ったく…どこのどいつだ。うちの姫の部屋に土足で上がった奴は」

様、お怪我などはございませぬか?」

 真剣な眼差しで幸村に問われて、は慌てて頷いた。今の所外傷を負ったという自覚はない。

「そうですか、ようございました」

 ほっと胸を撫で下ろす幸村の隣に立つ兼続は文机を顧みた。

「何か意図があるはずだ。しかし許せんな、眠りの中にある女性の部屋へ忍ぶなど…不義だ」

 彼が発した言葉を受けて、初めては身の危険を理解したようだった。

「えっ、や、やだ! なんかそんなのって、気持ち悪い」

「どうしましょう、どうしましょう」

 狼狽するの隣の立つもつられて共々狼狽しだす。

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて下さいよ」

 左近が宥めている間に、幸村が腰を落とした。
慶次もまた腰を落としていて、漆塗りの箱を持ち上げて横に振ったり、底を見たりと、忙しなく動いていた。

「…どうだ?」

「むー、なんか入ってるみたいだな。しゃらしゃら音がするぜ」

 傾奇者とはここまで豪胆なのか。
御見それしましたと心で独白していたら、慶次の隣に腰を落ち着けた幸村に声を掛けられた。

「中を改めても宜しいでしょうか?」

「え? あ、開けちゃうんですか??」

 得体の知れない物だ。
何もせずに捨てた方が無難ではかと視線で訴えれば、幸村は箱へと視線を移した。

「害があるかもしれません、ないやも知れません。見てみない事には判断は不可能かと」

「そうですなぁ」

 動いた左近に手を取られて立ち上がる。
彼に促されて共々部屋の隅へと移動させられて状況を見守る事になった。
長政が左近の隣へと動いて来て、爽やかな微笑を向けてくれた。

「ご安心下さい、我が君。某がお守り致します」

 頼もしい一言に、はこくこくと頷いて、ずっと傍にいるの手をぎゅっと握り締めた。
もまた、不安そうに事の成り行きを窺っていた。
の不安を感じ取ったのか、天井裏から無傷の半蔵が降りて来て、彼女の傍に立つ。

「では、開けます」

「はい、お願いします。幸村さん」

 文机の上へと箱を戻し、深呼吸を一つした後で蓋に手を掛けた。
何らかの罠があるかもしれないと細心の注意を払い持ち上げた蓋には、なんの危険も潜んでいなかった。
それだけではない、箱の中にさえ、危険と思われるものは何一つ入っていない。
箱に収められていたのは、見慣れぬ牛皮の包み一つだ。

「なんだ? これは」

 兼続が取り上げてまじまじと眺めたそれは、女性が掌を広げて合わせたくらいの大きさで、持ち上げる度に、中で何かがしゃらりしゃらりと音を奏でた。

「あ!!」

「どうされた、殿」

「見覚えがあるのか?」

 兼続の手の中にあるものを一目見て、が縮めていた背を伸ばす。
左近と長政の背の間から縫うように進み出てきて、包みを見下ろし手を伸ばした。

「危険です、様!」

 触れる前に掌を止めて、心配してくれる幸村に視線を合わせた。

「これ…もしかしたら、私のかもしれない」

 不可思議な言葉に、左近、慶次、幸村は互いに視線を送りあった。
降臨の瞬間に居合わせた彼らは、が何一つ所持品を持って来ていない事を知っている。
降臨はしたものの、至って一般人。
しかもどちらかというと非力な部類に入る彼女には、特別神懸り的な力は備わっていない。
そんな彼女が、どうやって私物をこの時代に持ち込めるのか。
はたまた彼女自身の力ではなくて、他人の意図がそこに介在していたとしても、それはそれで不穏だ。

「ちょっと、見せてもらってい」

 伸ばした掌で包みを触れた瞬間、の動きが止まった。
案の定、良からぬ事が起きたと一同が身を乗り出せば、は弾かれるように後退して身を捩った。
次の瞬間には両手で頭を抱え込み、凄まじい悲鳴を上げる。

「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 左近が手を伸ばし肩を抱き止めれば、は酷い錯乱状態に陥っていた。
金切り声を上げ、何かに脅える。
眼差しはここではないどこかを見て、何かを求めるように天に向い掌を伸ばした。

「いやぁ!! 何っ?! なんなの?! ここ、どこっ?!
 あ…止めてっ!! こんな事……やめ…て…!!」

 誰に訴えているのかは分からないが、腹の底から発せられる叫びは悲壮だ。

「姫、姫!! しっかりして下さい」

「どうした、さん! 何が見えてるっ?!」

様!!」

 溺れる者が藁をも掴むように手足をばたつかせるを見かねて、包みを箱へと戻した兼続が進み出てくる。

「御免」

 彼は無言のままの振り回される手を捌くと、鳩尾に軽く拳を打ち込んだ。
一度大きく瞳を見開いて、次の瞬間は意識を手放した。

 

 

 あの包みは、確かに私物だった。
ただあの包みには、あるメッセージが込められていた。
それはの精神へと直接語りかけてきた。
 見守る者には一瞬、には未来永劫とも言える時間。
それだけの落差が、あの瞬間には生じていたのだ。

『え? …あ……何? なんなの?』

 があの包みに触れた瞬間、目にしたのは、荒廃した世界の姿。
この世界とは異なる、もっと言及するならば、かつて自分が生きた世界にあった見覚えのある世界的な建築物が崩れ落ち、砂の海に沈む姿だった。
 その世界には人の姿はなく、動物の姿もなく、緑も、空と海の青も、太陽の光もなかった。
あったのは、死都。天変地異の数々。大地は絶え間なく躍動し、山は火を吹き、銀色の雲に覆われた暗い世界には巨大なハリケーンが何本も渦巻いていた。
 そんな世界の空へと突然放り出されて、何が起きているのかと、どうしてこんな事になったのかと混乱する。
答えを求めようにも、誰に求めていいのかが分からない。
ただその場に置き去りにされたような状態が苦しくて、心細くて、その世界を彷徨った。
 そして理解したのは、世界はどこもかしこも荒廃していたという事だけだった。
その事実に、絶望した瞬間、あの声が語り掛けてきた。

『止めるのだ、宿命を変えるのだ』

『誰? どこ? これは、何??』

 海で溺れた自分をこの世界へと導いた声は質問には答えずに、訴え続けた。

『我は人々の守護者…世界の終末を見守りし者……お前は選ばれ、また自らが選んだ』

『私…? 私が、私がこうしたっていうの?!』

『否、お前が選びしは、この結末を止める事』

 遠のく声が、訴える。

『その世界でやり直すのだ、全てはそこから変わる』

『やり直す? 何を? どれを?』

『…変わる度に…お前には力が備わる……その力を持て、世界の行く末を…』

 そこで、外界の声。
もっと正確に言うのならば兼続の声を聞いた。

「御免」

 

 

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