素敵な背中

 

 

  最前線の部隊が秀吉を始めとする豊臣一門と交戦を開始する。
街道沿いの部隊はまだ動かない。鶴翼の陣だ。
鶴翼の陣を切り崩すべく、北条の騎馬が魚鱗の陣を持って攻め上げてくる。
敵の騎馬隊を指揮するのは、秀吉の弟である豊臣秀長だ。

「なるほどね、蜂須賀小六と竹中半兵衛の姿が見えない…って事は、奇襲の可能性があるね」

 本陣で左近が独白して、地図を確認する。

「怪しいのは、この街道か。伝令、前線はしばらくは長政さんに支えてもらう。慶次さんには移動の指示だ」

「左近さん、そんなことしたら、長政さんが…」

 心配そうなの肩を優しく撫でで左近は不敵に笑う。

「まぁまぁ、安心して下さいよ。こっちの損害は最小限に…でしょう? よく分かってますから。
 こういう戦はでね、先手を打てる方がどうしたって有利になる。
 長政さんがやりやすくなるようにして見せましょう」

「う、うん。お願い」

 がこくこくと相槌を打つのを待って、左近は激を発した。

「第ニ陣、前へ」

 号令と共に鳴らされた陣太鼓に合わせて、街道沿いの出城に配備された弓兵が動いた。
工夫を施した弓を射かければ、弓はしなやかな曲線を描いて前線へ攻め寄せる敵の騎馬を襲った。
鬱蒼と覆い茂る樹木と出城を構成する木材が天幕の役割を果たしていた。

「くっ!!」

 この攻撃によって北条勢は半数の騎馬を失った。
自身の駆る騎馬を潰された秀長が、騎馬隊の指揮を副官に託して歩兵部隊の秀吉の元へと走る。
前線が混戦している間に伝令を受けた長政がじわじわと前線を押し上げた。
長政の動きに合せて、慶次が松風と共に戦線を離脱。街道へと進軍する。

「おーっと、どこに行くつもりだい?!」

 彼が指定された街道を進めば、程無く、密かに進軍していた小隊と遭遇した。
部隊を率いるのは蜂須賀小六と竹中半兵衛だった。
彼らは端から本陣陥落を目的としていたのか、攻城兵器と共に進軍していた。

「な、何故ここに…!!」

「ひ、怯んではなりません!! 迎撃するのです!!」

 半兵衛が指揮をとり、小六が豊臣の旗を掲げる小隊と共に慶次に立ち向かう。
だが小六の後ろを進む半兵衛隊を構成する攻城兵器部隊は北条の兵で構成されていたようで、いまいち士気が低く、
統率もとれていなかった。

「前田慶次、まかり通る!! 何方さんも死地に入る覚悟を決めて貰おうかァ!!」

「ひぃ!! け、慶次だ!! 前田慶次だぞ!!」

「に、逃げろーッ!!」

 かの部隊は、慶次が一喝すればあっという間に逃げ出す始末だ。

「ああっ!! 何という事だ!!」

「骨がないねぇ…あんたらは、少しは楽しませてくれるのかい?!」

 松風が鼻息も荒く疾駆し、騎乗する慶次の鉾が縦横無尽に空を切って、隊列を掻き乱す。

「くっ、やらいでかぁ!!」

「豊臣兵の底力を見よっ!!」

 受けた手が痺れるような一撃を繰り出してくる慶次の攻撃に耐える小六を援護すべく、半兵衛が抜刀して駆けだす。
二人が慶次に立ち向かい始めてから一刻と経たずに、秀吉の元へと伝令が走った。

「伝令、伝令!! 小六様と半兵衛様、奮戦するも、攻城部隊壊滅しました!!」

「何っ?! で、二人は?!」

「は、前田慶次によって捕縛された模様です!」

「そ、そうか。慶次が相手ならしゃーないわな。生きとるだけでめっけもんじゃ」

 詳細を聞いて、安心したように秀吉は小さく息を吐いて、すぐに顔を引き締めた。

「こっちの計略、見破られとったか……敵の軍師もなかなかやりおるなぁ。
 じゃが、こっちも負けちゃ〜おれんのさ〜。

 慶次が街道から戻るまでまだ時間がある、やるなら今じゃな。三成ー!! 首級取ったれや!!」

 秀吉が合図を送れば、伏せられていた兵が前線部隊背後に現れて、前線と本陣とを分断した。

「他の者は前線と戻る慶次をここで足止めするんじゃ!!」

 秀吉の鼓舞で前線に展開する豊臣兵が咆哮する。

「怯むな、の兵よ!! 敵は烏合の集ぞ!!」

 長政の声に、の兵もまた、士気高らかに咆哮した。

「はっ!! 秀吉様、お任せ下さい。進軍するぞ」

 激戦模様を呈し始めた前線を背に、伏兵部隊が動く。
伏兵を率いていたのは石田三成だったようで、彼は迅速な判断と共に、本陣へと進軍して来た。

「残念だが、そうはいかない」

 これだからこの二人との戦は気が抜けないと、左近は笑いながら舌なめずりをする。
軍師としての血がそうさせるのか、彼にしては珍しくはしゃいでいるようにも見えた。

「街道の部隊は反転、奇襲部隊を挟み打ちだ!!」

 合図の陣太鼓に合わせて、街道に布陣した幸村と兼続が動く。

「くっ、幸村!? 兼続もかっ!! ふん、随分と貴様らは必死なのだな」

 友人二人とこのような形で見える事になった三成の挑発に、二人は冷静だった。

「必死ですよ、あの方を失わない為に」

「三成、戯言はいい、来い!! 義と愛がお前を止めるっ!!」

 戦況が気になるのかが陣中央から動いた。
左近の隣まで来て、丘の下で始まる混戦を覗き込む。

「ねぇ……左近さん」

「はい? どうしました、姫」

 あまり前に出ると敵の弓に倒れるかもしれないからと、左近はを背に庇う。

「兼続さんの言う"義"ってさ、何?」

「さぁ…? まぁ、やる気出してくれるなら、なんでもいいんじゃないですかね」

「そうか、そうだね。ところでさ、この戦ってさ、誰をやっつければ、終わるの?」

「そうですなぁ……秀吉さんじゃない事は確かのようです。前線に居ますからね」

「そっか、そうなんだ」

 何か含みを持つ物言いに気がついて、左近は自分の背に素直にくっついているへと視線を映す。

「姫? 何がお望みです」

「え、べ、別に……」

 もごもごと口篭り、下を向いて指先を遊ばせる時に見せた眼差しには見覚えがある。
これは家康と初めて対峙した時に見せた眼差しだ。

「また、ですか?」

 仕方のない人だと柔らかい声で問いかければ、はこくんと頷く。

「あ、でもいいよ!! あんなに混戦してるんだし、大変なんでしょう?!」

 慌ててが言えば、左近は目を細めてから己の顎を擦った。

「さて…どうでしょうね…」

「え?」

「どうも敵さん、足並みの揃いが悪いようだ。豊臣兵は士気が高いが、北条にやる気は見られない」

「そういえば……幸村さん達が街道から動いたのに、街道に布陣する北条兵は動かない…なんで?」

「傍観か捨て石ってとこか……この戦は、豊臣との戦いと読んだ方がいいね。
 なら、やりようはいくらでもあるって話です」

「そ、そう……秀吉様の事、捕縛、出来る?」

「ええ、姫がお望みであれば、の話ですがね?」

 左近に見つめられたは瞳に強い力を込めて願った。

「お願い。秀吉様が、ほしい。会いたいの」

「直球ですな。少し焼けますよ」

 左近がほんの少し顔を顰めれば、は高揚し始めている表情を改める事なく、最前線へと視線を向けた。

「…会いたい……会ってみたい……あの人に……」

「それ程ですか」

「うん」

「分かりました、やってみましょう」

「左近さん、ありがとう」

「いいえ、お陰で多少難易度は上がりましたけどね。まぁ、なんとかなるでしょう」

 秀吉を先に抑えたら、きっと三成が激怒して手がつけられなくなる。
そう予感しながら、左近はもうの願いを聞き流す事が出来なくなっている自分に気がつき、息を呑んだ。

『…おいおい、冗談だろ? この俺が、この人にか?』

 負傷した時に手当てをされて、欲情した事はある。
そうなってもおかしくはない空気があり、それだけの魅力を彼女は持っているのだから当然だ。
けれども今胸に飛来したのは、そうした一時の感情とは全く事なる感情だった。
出世欲のような損得勘定でもなければ、幼子を愛でる愛玩衝動でもない。
ただ純粋に、彼は彼女が他の男を求めた事が悔しくて、それと同時に自分を頼った事が嬉しかった。
 そうした感覚の根底にあるものがなんなのかが分からない程、左近は愚鈍ではない。
そしてこうした意識は気がついてしまえば最後、己の意志とは別に、高揚となって急速に全身に広がっていってしまうもの。
 左近は己の中に生じた変化から来た照れを隠すように、思わず軍配を振り上げた。

「伏せていた後衛、家康へ伝令。参陣させろ!!
 同時に前線に伝令だ!! 豊臣秀吉は生け捕りにしろ!! 姫たっての願いだ!!」

「え…呼んじゃうの? 全然劣勢じゃないのに??」

「なぁに、視覚効果って奴ですよ。北条はどうせ小手調べだ。
 これだけの軍を回せる余裕がこっちにあると知れば、怯むでしょう? そうなりゃ、豊臣は更に浮いた存在になる。
 それに浮足立つのはきっと豊臣も一緒だ、そこを長政さんには突いてもらいましょうかね」

「そっか、左近さんは凄いね」

「まだまだです、ご照覧あれ。我が君」

 拮抗する前線と、本陣を前にする混戦。
そこに左近の言葉通り、だめ押しの一手が一刻と待たずに掛かる事になる。
手隙になった街道に報を受けた家康率いる徳川軍が現れたからだ。

「何っ?! まだそんな余力があるんかっ!!」

 流石にこれは驚いたと秀吉が怯んだ刹那、秀吉目掛けて長政の奥義が炸裂した。

「伝令!! 前線、浅井長政様奮戦!! 豊臣秀吉、捕縛したよしにございます」

「やったー!!」

 喜怒哀楽が素直に現れるはその報に喜び両手を上げて万歳三唱だ。
だがその知らせを聞いて、激怒した者も勿論居る。

「伝令、伝令!! 三成様、秀吉様が敵に捕縛されました!!」

「何?! 秀吉様が?! おのれ、秀吉様に縄をかけるとはっ!!」

 左近が読んだ通り、本陣と目と鼻の先の丘陵で戦っていた三成は、怒りを武器に一層強力な覇気を纏い本陣へと攻め寄せてきた。

「やっぱりね、こうなりますかい。姫、半蔵さんと共に下がってて下さい」

「え? あ、うん」

 左近はを抱き上げると、陣中後方の砦へとを退避させた。

「おいでなすったか」

「左近?! そうか、お前だったのか。普通に邪魔だ!!」

 幸村と兼続を振り切って本陣に殴り込みをかけて来た三成を迎え撃つべく左近は自分の獲物を振り翳す。
ギラギラした眼差しの三成に気圧されされることなく、左近は己の得意とする間合いを取った。

「申し訳ないんですがね、一歩も引けなくてね」

「黙れ」

 言葉少なく答えた美丈夫の顔にある怒り、殺意に、は思わず息を呑んだ。
身を隠しているはずなのに、自分に向けてひしひしと殺気が差し迫ってくる。その事実に恐怖を覚えた。
だがは、傍に立つ半蔵の背を見ると、己を奮い立たせるように大きく首を横へと振った。

『大丈夫、半蔵さんも左近さんもいてくれる。大丈夫、私が弱気になっちゃだめだ』

 組まれた巨木の隙間から戦場となった本陣を見やれば、そこには美形の男が一人と、彼に追随して来たらしい兵が数名。どう見ても、袋の中のネズミという奴だ。
だがこの男、凄まじい闘志を全身に漲らせている。慢心は命取りになるかもしれない。
 そう瞬時に判断しながら、切り結び始めた左近と美丈夫の姿を見たは、次の瞬間、思わず絶叫した。

「あああああっ!!!!!! 理想の背中ーーーっ!!」

「いっ?!」

「っ!!?」

「そこかぁっ!!」

 虚を突かれた形になりコケそうになる左近を振り切り、美丈夫が扇を構えて一直線に突進してくる。
彼が扇で一閃すると同時に、半蔵がを抱いて宙に舞った。
が隠れていた位置にある木材が真っ二つに割れて、その場に倒れる。
あの場に居れば自身がそうなっていたというのに、今のにはそんな事は目に入っていないらしい。
鼻息荒く、絶叫した。

「捕獲、捕獲、捕獲っ!! 慶次さん、幸村さん、兼続さん、長政さん、家康様、半蔵さん、
 左近さん、あの人、皆で絶対に捕獲ーーーーーーーっ!!!!」

「あいよ、任せなッ!!」

 の絶叫に答えたのは、街道を抜け、前線を掻き乱して松風と共に参陣した慶次だった。
前線へは慶次の代わり後詰で現れた家康が進軍、長政と共に奮戦し始めている。

「承った!!」

「いざ、参るっ!!」

 異様な闘気を纏う三成に相対するのは慶次、兼続、幸村、左近の四将。
けれども三成に彼らを相手にする意志はまるでない。
首領であるを一心に狙い、短期決戦を狙うのみだ。

「お前を討ち取って、終わりだ!! クズが!!」

「させん」

 を降ろして半蔵が身構える。
襲い来る猛将の攻撃を頑なにガードしながら着実に突き進んでくる三成。
そんな彼を見るの目には恐怖はなかった。
の目にあったのは、ビーチサンダルで悪漢を撃破し、兼続を撃沈した時の、あの時の光のみだ。
頬は喜びで紅潮し、口元には笑みすら浮かぶ。彼女、完全に高揚し、我を忘れている。

『見つけた!! この背中だ!! や、やっと…やっと!! 見つけた!! 逃がすもんか!!』

 は、己の陣羽織の中に手を入れると、中に潜ませていた牛皮のあの袋の中を漁った。
指先に触れたあの感触を確かめ、破顔する。
目的はすぐそこ、この次の瞬間なのだとばかりに、手にした物を陣羽織の中から引き抜いた。
 時同じくして、攻防を繰り広げていた半蔵とあの美丈夫が真っ向から鍔迫り合いに突入。
最終的に二人は同時に互いの力を相殺して、空白の瞬間を作った。そこを見逃さず、が動く。

「何?!」

 三成の顔に驚愕が走ると同時に、彼の手からは扇が落ちた。
信じられぬと、何が起きたのかと、目を見張る三成。
彼の腕から、が刺した何かを引き抜くのと同時に、彼の体を慶次が振り上げた鉾が襲った。

 

 

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