素敵な背中 |
弓兵が配置されている砦の端まで吹っ飛ばされて意識を失った三成が目を覚ました時、雌雄は決した後だった。 『…流石だ、俺も見習わねばな…』 気を引き締めて、顔を上げた。
「いいですか、姫!! 戦場は、遊び場じゃないんです!! 左近の指示、ちゃんと聞いてもらわないと困ります!! くどくどと繰り返される左近の説教を正座で聞いて、ただただひたすら素直に頭を下げている女には、威厳も何もあったものではない。益々疑念が募る。 「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい!! つい出来心で……そうだよね、皆これに命はってるんだものね」 縮こまる小さな背中を見て段々と不憫になって来たのか、左近との間に幸村が進み出る。 「ま、まぁ、まぁ…もうそのくらいで…」 「いいや、待てませんね。どいて下さい、幸村さん。 段々おかしな方向に話がふれ始めた。 「え、だって…あの人の背な…か…」 言いかけて、すぐには口を噤んだ。 「どういう事ですか、様。それは初耳です」 「いや、だから…ええと、その…」 、もう泣きそうだ。 「背中なら、左近の背中を好きなだけ貸して差し上げます。 「その通りです、背中なら私の背をお使い下さいっ!!」 なんかさり気なく酷い事を言われている気がすると、三成は顔を顰めた。 「何どさくさに紛れて自己主張してんですか、こういう事は左近に任せて引っ込んでて下さいよ」 「そうはいきません、私は様の臣。様の願いを支えてこそですっ!!」 ついには双方への問答へと発展した。 「…あのー」 「様はしばしお黙りくだされ」 「姫、だまらっしゃい」 「…はい」 またもやしゅんと頭を垂れたの隣へ慶次が歩み寄って、腰を降ろす。 「まぁ、今後しなきゃ、それでいいさ」 彼が頭を撫でれば、は素直に「ごめんなさい」と言ってから頷いた。 「ああっ!!」 「あんたどさくさに紛れて何してんだ!!」 揉めまくっている二人の矛先が、今度は慶次へと向かう。 「滅」
左近と幸村相手に、後方から電撃を見舞ったのだ。彼の目には、主君の涙への報復と、城で待つ愛妻・の元へ 「そろそろ評定に移りたいのだが」 「あ、ご、ごめ…そうだよね」 足が痺れるくらい長い間正座させられていたのか、はすぐには立てなくて、よろよろと前のめりになった。 「だ、大丈夫ですかっ!!」
慌てて手を貸してくれた長政に礼を言って、起き上がると陣羽織についた砂埃を払ってから、捕縛された兵の前へ。 「な、なんだ?!」 反骨精神を丸出しにした美丈夫に睨まれているのに、は怯んだりはしなかった。 「か、か、兼続さん……慶次さん……」 「どうした?」 「なんだい? さん」 「この人の両手足縛ってすぐに机の上に寝かせてっ!!」 配下部将だけでなく、捕縛された兵全員が「ハァ?」という色を顔に貼り付ける中、の目はらんらんと輝く。 「早くっ!!」 きっ!! っと、向けられた眼差しは、間違いなくあの視線。危険人物像丸出しの、獰猛な野獣の目だ。 「お、おう、ちょっと待ちな」 「わ、分かった…手伝おう」
慶次は多少引いていたが、矛先が自分にないだけあってお気楽なものだった。 「止めろ、放せっ!! 触るなっ!! おいっ!!」 の下した指示通り手足を縛られた美丈夫はそのまま机の上へと投げ出された。 「ひっ!!!!」
一体何の意味がある公開処刑だと、勝ち戦なのに何の意図がある拷問なんだと。 「すまない、すまない、友よ…三成よ…非力な私を許してくれ……」 兼続は呟きながらもと視線を合わせたくないとばかりに足を抑えたままそっぽを向くし、腕は面白がっている 「よいしょ…っと」 皆が見ている前で、自分の陣羽織まで脱いで、薄手の着物になったに、幸村は今にも卒倒しそうだった。 「ちょ、ちょっと姫ーっ!!!!」 「何してんですかーーっ!!」 混乱する全員の心配などなんのその。 「…あっ…あ……寄るな、寄るな……止めろぉ!!!」 にじり寄られて声が擦れた。 「水、誰か水ちょうだい」 「あ、た、ただいま」 家康が自分用の水筒を差し出すと、腕まくりをしたはその水で手を洗い、手拭でよく水を拭き取った。 「じゃ、参りますっ!!」 勢いよく叫んだの手は、そのまますぐに三成の背中で這い回り始めた。 「止めろ、貴様、触るなっ!! ひっ、そこはよせっ!!」 「あー、ほら、やっぱり……こんなに凝って……」 「うっ、ううう、いたたたたた!! 痛い!! 痛いっ!!」 「もー、痛いのは分かってるんだって。でなきゃこんなにならないし。 叫び散らす三成の罵倒や悪態には全く無反応。 「顔も青白いし……こうしてちゃんと血管の流れを促進しないと……」 「くっ…うっ…うぁ……!!」 「んー、やっぱり、ニ、三本打たないとだめかもね」 「ああ…よせ……止めろ……止めてくれぇ…」 言葉とは裏腹に、三成は顔には紅がさして、吊り上がっていた眉が八の字に曲がる。 「ほら、ここ押すと痛いでしょ?」 「ひぐうっ!!」 両目を閉じれば、三成の目尻には薄らと涙が浮かんだ。 「いい? 分かる? ここにね、血液が溜まってるの。これを今から解すからね、ちょっとだけ我慢してね」 そう言いながら慣れた手つきで銀色の細い針を取り上げると三成の背へと打った。 「暫くそうしていてね」 そう言いおいて、慶次へと次の命令を出した。 「手放して、代わりに肩押さえてくれる?」 「はいよ」 精神的打撃が強過ぎたのか、虚脱して抵抗する事すら忘れた腕へと、は己の掌を重ね合わせた。 「血流の促進がこれで少しでも良くなるといいね。きっとすごく体が軽くなるよ」 『怖い………俺は……この女が、恐ろしい…』 されている事が何なのかが分からなくて怖い。
「貴方さ、あまり外に出ないでしょう? この白さだと、本の虫ってところかな? 呆然との姿を眺め、灰になって行く一同。 「慶次さん、兼続さん、引っくり返して。でも針があるから、寝かさないようにね」 「これでいいかい?」 「うん、ありがとう」 もう無言で従うしかない兼続が哀れだ。 「ちょっと、動くと危ないから。あんまり暴れないの」 身を起こされて、腕にまで針を打たれた。 「あーあ、もう足までパンパンだよ、この人。全く……不摂生もいい所じゃない。その内本当に体、壊すよ?」 「ぐうっ!! うっ、ああっ!! く〜っ!!」 具足を外されて、足の裏を掴まれ、揉みしだかれた。 「いっ!!! 痛い、痛いっ!! 離せ、止めろッ!! ぐわぁっ!!!」 「もー、そんなに叫ばないの。男でしょ? 本っっ当、往生際が悪いんだから…」 そういいながら、の目はとても優しい。 「ひっ……ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
腕に続いて、足も徹底的に解されて、打った針を抜く為にまたうつ伏せにされた。
「はい、お疲れ様。今夜はゆっくりお風呂に入って早めに寝てね」 家康の水筒から再度水を拝借して、手を洗い、針を洗う。 「縄解いて下さい」 茫然自失だった長政は、命じられてようやく我に返った。素直に従い秀吉にかけていた縄を解く。 「お待たせしました。そして初めましてです、秀吉様」 人懐っこい笑顔を見せる秀吉にもまた、はにかんだ笑みを持って答えた。 「出来れば、争いたくはありません。そして、本当に出来れば…なんですけど、貴方には私と一緒に来て欲しい」 「わしの知恵が必要かね?」
「はい、必要です。その、ずるい言い方かもしれませんが、今の貴方の君主より、貴方の働きに報いれると思います。 「わしなんかを相手に熱心じゃね。じゃが、なんでじゃ? わしは元は農民…あんたよりも」 「知ってます、全て、知っていて言っています」 何かを測るように押し黙った秀吉をまっすぐに見詰めて、は言う。 「……もしもの話だけど…私がそちらの本陣に居たら、街道の二将が動いた時点で、街道に兵を進めてたと思います」 「!」 「貴方方を捨て置いて、逃げたりもしなかったと思います」 先程の戦いを見直すように言った。 「…負け戦はそんなもんじゃ」 「そうかもしれない、でも……兵も民も、皆人です。生きてます。 「…さっきの戦、あんたの指示で、あんたの兵に討たれた者もいるはずじゃよ、詭弁だとは思わんのか」 「そう…ですね……詭弁ですね…」 そう言ったの手が僅かに震えているのを見て秀吉は驚いた。 「でも……私は……いいえ、なんでもないです」 「どうした? 言い返さんのか」 ふるふると首を横に振り、は呟いた。 「全てを乱世のせいには出来ないから。選んでしまった道の結果も…やっぱり、自分の責任だから」 しゅんと意気消沈するの肩に、背後から大きな掌が乗った。左近だった。 「人が悪いですよ、秀吉殿。先に攻め寄せたのはそちらだ。 「おみゃーさんが出てきたら問答では分が悪いな」 肩を竦めた秀吉が、の顔を覗きこむ。 「おみゃーさんは、何の為に世を平らげるんじゃ?」
「平らげたくなんかありません。私に出来る偉業だとは思っていないから…でも…自分を信じてくれる人は守りたい。 「あるべき形?」 秀吉から視線を外して、は天を仰いだ。 「ええ、平和な世界に」
その顔は、成し得ぬ夢を追い求める者のする顔ではなかった。本当に"平和しか知らない者"がする顔だった。 「…秀吉は、あんたに下ろう」 秀吉は小さく独白し、それからにんまりと笑った。 「え?」 我に返ったに、彼ははっきりと言う。 「決めたんさ!! 今日からはあんたが、わしの殿様じゃ! なんなりと、申しつけて下され!!」 「大殿、女性相手に"殿"はないでしょう、"殿"は」 「違いないな」 左近に混ぜっ返されて、秀吉は軽快に笑った。 「秀吉様……有り難うございます、これから宜しくお願いしますね」 念願が叶ったと、もまた嬉しそうに微笑んだ。
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