素敵な背中

 

 

 弓兵が配置されている砦の端まで吹っ飛ばされて意識を失った三成が目を覚ました時、雌雄は決した後だった。
結果は、攻め寄せた北条勢の惨敗。奮戦していた豊臣一門はほぼ捕縛。
敵本陣付近に展開していた北条の将とその部隊は、仲間を見捨てて撤退を終えた後だった。
 縄を打たれて、死を覚悟し、隣に居る秀吉を見上げた。
彼はこの期に及んでも生き残る方法を模索しているような顔をしていた。

『…流石だ、俺も見習わねばな…』

 気を引き締めて、顔を上げた。
眼前では、左近とあの女が何やら問答を繰り広げていた。
敵の首級が女であるとは聞き及んでいたが、どうにも納得がいかなかった。
こんな女の元に、何故これ程の将が集っているのかが、解せないのだ。
それ程の将器を持ち合わせているようには見えないのだが。

「いいですか、姫!! 戦場は、遊び場じゃないんです!! 左近の指示、ちゃんと聞いてもらわないと困ります!!
 怪我がなかったから良かったものの、何かあったらどうするんです? もう金輪際こういう事は…」

 くどくどと繰り返される左近の説教を正座で聞いて、ただただひたすら素直に頭を下げている女には、威厳も何もあったものではない。益々疑念が募る。

「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい!! つい出来心で……そうだよね、皆これに命はってるんだものね」

 縮こまる小さな背中を見て段々と不憫になって来たのか、左近との間に幸村が進み出る。

「ま、まぁ、まぁ…もうそのくらいで…」

「いいや、待てませんね。どいて下さい、幸村さん。
 大体ね、三成さんの背中見て理想の背中ってなんですか、理想って!!

 段々おかしな方向に話がふれ始めた。

「え、だって…あの人の背な…か…」

 言いかけて、すぐには口を噤んだ。
自分を庇ってくれていたはずの幸村が、何故かこの瞬間から左近側へと寝返ったのだ。
彼は凍りついた眼差しでを見下ろしていた。

「どういう事ですか、様。それは初耳です」

「いや、だから…ええと、その…」

 、もう泣きそうだ。

「背中なら、左近の背中を好きなだけ貸して差し上げます。
 あんなガリガリの背中に見惚れて絶叫なんて、冗談じゃありませんよ! それも戦場で!!」

その通りです、背中なら私の背をお使い下さいっ!!」

 なんかさり気なく酷い事を言われている気がすると、三成は顔を顰めた。
それだけではない。この意味不明な説教は、戦場とは無関係な場所へと向い始め、

「何どさくさに紛れて自己主張してんですか、こういう事は左近に任せて引っ込んでて下さいよ」

「そうはいきません、私は様の臣。様の願いを支えてこそですっ!!」

 ついには双方への問答へと発展した。

「…あのー」

様はしばしお黙りくだされ」

「姫、だまらっしゃい」

「…はい」

 またもやしゅんと頭を垂れたの隣へ慶次が歩み寄って、腰を降ろす。

「まぁ、今後しなきゃ、それでいいさ」

 彼が頭を撫でれば、は素直に「ごめんなさい」と言ってから頷いた。
目元からは堪えていた涙が数粒零れ落ちる。

「ああっ!!」

「あんたどさくさに紛れて何してんだ!!」

 揉めまくっている二人の矛先が、今度は慶次へと向かう。
そこで見兼ねた半蔵が動いた。

「滅」

 左近と幸村相手に、後方から電撃を見舞ったのだ。彼の目には、主君の涙への報復と、城で待つ愛妻・の元へ
帰る為の邪魔をするなという怒りがありありと滲んでいた。

 この一連のやり取りを眺め続けねばならない長政、家康はおろおろするばかりで役に立ちそうもない。
ならばここは自分が一肌脱ぐしかあるまいと、兼続は咳払いを一つした。

「そろそろ評定に移りたいのだが」

「あ、ご、ごめ…そうだよね」

 足が痺れるくらい長い間正座させられていたのか、はすぐには立てなくて、よろよろと前のめりになった。
陣羽織の重さも相俟って、そのまま大地へと突っ伏す。

「だ、大丈夫ですかっ!!」

 慌てて手を貸してくれた長政に礼を言って、起き上がると陣羽織についた砂埃を払ってから、捕縛された兵の前へ。
ここで懲りていたはずのの中の衝動が、ついに抑えられなくなって爆発した。

「な、なんだ?!」

 反骨精神を丸出しにした美丈夫に睨まれているのに、は怯んだりはしなかった。
わなわなと震えだしたかと思えば、次の瞬間には絶叫したくらいだ。

「か、か、兼続さん……慶次さん……」

「どうした?」

「なんだい? さん」

「この人の両手足縛ってすぐに机の上に寝かせてっ!!」

 配下部将だけでなく、捕縛された兵全員が「ハァ?」という色を顔に貼り付ける中、の目はらんらんと輝く。

「早くっ!!」

 きっ!! っと、向けられた眼差しは、間違いなくあの視線。危険人物像丸出しの、獰猛な野獣の目だ。

「お、おう、ちょっと待ちな」

「わ、分かった…手伝おう」

 慶次は多少引いていたが、矛先が自分にないだけあってお気楽なものだった。
一方で兼続は自身も経験してることから、脅えが半分だ。

「止めろ、放せっ!! 触るなっ!! おいっ!!」

 の下した指示通り手足を縛られた美丈夫はそのまま机の上へと投げ出された。
は迷うことなく彼へと突き進み、彼の陣羽織を掴むと左右に押し広げた。
当然、彼の胸元が公共の面前で露になる。

「ひっ!!!!」

 一体何の意味がある公開処刑だと、勝ち戦なのに何の意図がある拷問なんだと。
己以上に高い位置にある秀吉ならまだしも、何故自分だけに一直線なのかと。
標的にされている美丈夫は絶句し、また恐怖する。
 こうしたの奇行、発想に慣れられず、固まっているのは家康、長政、左近、幸村だ。

「すまない、すまない、友よ…三成よ…非力な私を許してくれ……」

 兼続は呟きながらもと視線を合わせたくないとばかりに足を抑えたままそっぽを向くし、腕は面白がっている
慶次にがっちりと捕らえられている。これ以上の抵抗は絶対に出来ない。

「よいしょ…っと」

 皆が見ている前で、自分の陣羽織まで脱いで、薄手の着物になったに、幸村は今にも卒倒しそうだった。

「ちょ、ちょっと姫ーっ!!!!」

「何してんですかーーっ!!」

 混乱する全員の心配などなんのその。
はらんらんと目を輝かせて、バキボキと腕を鳴らす。

「…あっ…あ……寄るな、寄るな……止めろぉ!!!」

 にじり寄られて声が擦れた。
据わった目の女に力ずくで上半身だけを丸裸にされて、今度はうつぶせに。
次の瞬間には、腰の上へと誰かが圧し掛かるのを感じて、全身に鳥肌が立った。
今や額には大粒の冷や汗が滲み出ている。
 そんな相手の心境を知ってか知らずか、は陣羽織の中に入れていた牛皮の包みを取り出して机の上へと広げる。
包みの中には、細い銀色の針と小ぶりな瓶が一つ。

「水、誰か水ちょうだい」

「あ、た、ただいま」

 家康が自分用の水筒を差し出すと、腕まくりをしたはその水で手を洗い、手拭でよく水を拭き取った。
次に小瓶を取り上げて、開封する。
中で揺らめく液体を混乱し恐怖している彼の背へと落とし、自分の掌にもたっぷりと落とす。

「じゃ、参りますっ!!」

 勢いよく叫んだの手は、そのまますぐに三成の背中で這い回り始めた。

「止めろ、貴様、触るなっ!! ひっ、そこはよせっ!!」

「あー、ほら、やっぱり……こんなに凝って……」

「うっ、ううう、いたたたたた!! 痛い!! 痛いっ!!」

「もー、痛いのは分かってるんだって。でなきゃこんなにならないし。
 大体ねー、こんなにパンパンじゃ、その内手が上がらなくなるよ? ちゃんと運動して解さなきゃ〜」

 叫び散らす三成の罵倒や悪態には全く無反応。
へらへらと笑い、悦に浸りきった面持ちで、の奇行は続く。

「顔も青白いし……こうしてちゃんと血管の流れを促進しないと……」

「くっ…うっ…うぁ……!!」

「んー、やっぱり、ニ、三本打たないとだめかもね」

「ああ…よせ……止めろ……止めてくれぇ…」

 言葉とは裏腹に、三成は顔には紅がさして、吊り上がっていた眉が八の字に曲がる。

「ほら、ここ押すと痛いでしょ?」

「ひぐうっ!!」

 両目を閉じれば、三成の目尻には薄らと涙が浮かんだ。

「いい? 分かる? ここにね、血液が溜まってるの。これを今から解すからね、ちょっとだけ我慢してね」

 そう言いながら慣れた手つきで銀色の細い針を取り上げると三成の背へと打った。

「暫くそうしていてね」

 そう言いおいて、慶次へと次の命令を出した。

「手放して、代わりに肩押さえてくれる?」

「はいよ」

 精神的打撃が強過ぎたのか、虚脱して抵抗する事すら忘れた腕へと、は己の掌を重ね合わせた。

「血流の促進がこれで少しでも良くなるといいね。きっとすごく体が軽くなるよ」

『怖い………俺は……この女が、恐ろしい…』

 されている事が何なのかが分からなくて怖い。
自分の体なのに、自分の意志に反して、この女の思い通りにされている現実が怖い。
なによりも、こんな場所で恥辱されているはずなのに、この女の声と掌が優しく、温かく、心地よい。
時折酷い痛みが走るが、それすらも甘美な痛みに思えてしまう自分が、一番恐ろしい。

「貴方さ、あまり外に出ないでしょう? この白さだと、本の虫ってところかな?
 でもね、目を使い過ぎると肩にも相応の負担が掛かるんだよ。
 だからこれからは本を読むだけでなく、適度な運動もしてね」

 呆然との姿を眺め、灰になって行く一同。
そんな中秀吉だけがのしていることに気がついて、ほっとしたように表情を柔らかくする。

「慶次さん、兼続さん、引っくり返して。でも針があるから、寝かさないようにね」

「これでいいかい?」

「うん、ありがとう」

 もう無言で従うしかない兼続が哀れだ。
彼の目には、今、親友はどう映っているのだろう。
いや、前回の標的が自分であった事を考えれば、ちょっとしたフラッシュ・バックに陥っている可能性だって否めない。

「ちょっと、動くと危ないから。あんまり暴れないの」

 身を起こされて、腕にまで針を打たれた。

「あーあ、もう足までパンパンだよ、この人。全く……不摂生もいい所じゃない。その内本当に体、壊すよ?」

「ぐうっ!! うっ、ああっ!! く〜っ!!」

 具足を外されて、足の裏を掴まれ、揉みしだかれた。
走る痛みに合わせてのたうち回りそうになるが、それを阻むように慶次と兼続ががっちりと押さえつける。

「いっ!!! 痛い、痛いっ!! 離せ、止めろッ!! ぐわぁっ!!!」

「もー、そんなに叫ばないの。男でしょ? 本っっ当、往生際が悪いんだから…」

 そういいながら、の目はとても優しい。
真剣に、三成の体と向き合っている。
そうと分かるから、この異様な光景が、秀吉には不思議とくすぐったかった。

「ひっ……ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 腕に続いて、足も徹底的に解されて、打った針を抜く為にまたうつ伏せにされた。
その際に仕上げとばかりに再度、体のあちこちを撫で回された。
ツボと言うツボを親指で押し込まれて、一時間後。
夕暮れの評議机の上には、魂の抜け落ちた亡骸のような状態の三成の姿があった。

 

 

「はい、お疲れ様。今夜はゆっくりお風呂に入って早めに寝てね」

 家康の水筒から再度水を拝借して、手を洗い、針を洗う。
丁寧に針のケアを済ませて、牛皮の包みにしまってから、押し倒していた三成の上から降りた。
兼続が彼の背中に脱がされていた陣羽織を無言のまま掛ける。
 一方は、鬱積の腫れた表情で、大地に胡坐をかいている秀吉の前へと向かった。

「縄解いて下さい」

 茫然自失だった長政は、命じられてようやく我に返った。素直に従い秀吉にかけていた縄を解く。

「お待たせしました。そして初めましてです、秀吉様」

 人懐っこい笑顔を見せる秀吉にもまた、はにかんだ笑みを持って答えた。

「出来れば、争いたくはありません。そして、本当に出来れば…なんですけど、貴方には私と一緒に来て欲しい」

「わしの知恵が必要かね?」

「はい、必要です。その、ずるい言い方かもしれませんが、今の貴方の君主より、貴方の働きに報いれると思います。
 必ずそうなるように努力します」

「わしなんかを相手に熱心じゃね。じゃが、なんでじゃ? わしは元は農民…あんたよりも」

「知ってます、全て、知っていて言っています」

 何かを測るように押し黙った秀吉をまっすぐに見詰めて、は言う。

「……もしもの話だけど…私がそちらの本陣に居たら、街道の二将が動いた時点で、街道に兵を進めてたと思います」

「!」

「貴方方を捨て置いて、逃げたりもしなかったと思います」

 先程の戦いを見直すように言った。
この言葉で秀吉はがお飾りではない事を感じ取る。

「…負け戦はそんなもんじゃ」

「そうかもしれない、でも……兵も民も、皆人です。生きてます。
 軽んじられる命は、あってはならない…そう思います」

「…さっきの戦、あんたの指示で、あんたの兵に討たれた者もいるはずじゃよ、詭弁だとは思わんのか」

「そう…ですね……詭弁ですね…」

 そう言ったの手が僅かに震えているのを見て秀吉は驚いた。

「でも……私は……いいえ、なんでもないです」

「どうした? 言い返さんのか」

 ふるふると首を横に振り、は呟いた。

「全てを乱世のせいには出来ないから。選んでしまった道の結果も…やっぱり、自分の責任だから」

 しゅんと意気消沈するの肩に、背後から大きな掌が乗った。左近だった。

「人が悪いですよ、秀吉殿。先に攻め寄せたのはそちらだ。
 応戦しなくてはこっちが蹂躙されていた。違いますかね?」

「おみゃーさんが出てきたら問答では分が悪いな」

 肩を竦めた秀吉が、の顔を覗きこむ。

「おみゃーさんは、何の為に世を平らげるんじゃ?」

「平らげたくなんかありません。私に出来る偉業だとは思っていないから…でも…自分を信じてくれる人は守りたい。
 それに………私は、出来れば……あるべき形に…戻したい」

「あるべき形?」

 秀吉から視線を外して、は天を仰いだ。

「ええ、平和な世界に」

 その顔は、成し得ぬ夢を追い求める者のする顔ではなかった。本当に"平和しか知らない者"がする顔だった。
その顔に見惚れて、焦がれて、一歩でもいいから近付きたいと思った。
彼女と歩みを共にする事で、もしかしたらそれが叶うのではないか。
先の見えなかった己の夢もまた、果たせるのではないかと、胸の奥底から熱い衝動が湧き上がってきた。
 そうとなれば、話は早い。幸い相手は自分に好意的なのだから、その衝動に従うのみだ。

「…秀吉は、あんたに下ろう」

 秀吉は小さく独白し、それからにんまりと笑った。
人懐っこい眼差しで目の前に立つを見つめる。

「え?」

 我に返ったに、彼ははっきりと言う。

「決めたんさ!! 今日からはあんたが、わしの殿様じゃ! なんなりと、申しつけて下され!!」

「大殿、女性相手に"殿"はないでしょう、"殿"は」

「違いないな」

 左近に混ぜっ返されて、秀吉は軽快に笑った。

「秀吉様……有り難うございます、これから宜しくお願いしますね」

 念願が叶ったと、もまた嬉しそうに微笑んだ。

 

 

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