素敵な背中

 

 

「えーと、じゃあ、話が綺麗にまとまったところで、帰ろうか?」

 秀吉が腹を決めた事で、豊臣一門の殆どが投降の道を選んだ。
無暗に人を斬る事を嫌うにとってはこの結果は喜ばしいものでほくほく顔だ。

「…ちょっと待て……」

 脱いだ陣羽織を背後から慶次に掛けられているに、評議机の上へと放り出されたままの男が声を掛ける。
わなわなと震える声は、地の底から這い上がってくるかのように、低く重たい。

「あ、そういえば、忘れてた」

 陣羽織を羽織りなおしながら、は幸村を見る。

「足の縄も解いてあげて」

「はい」

 自由の身を取り戻し、脱がされた陣羽織を黙々と直す三成の背に向かい、は言う。

「帰っていいよ?」

「アァ?!」

 据わった目で睨まれた。当然と言えば当然だ。
秀吉腹心の部下だと言うのに、声すらかけられず、挙句こんなところで羞恥塗れの公開処刑だ。
堪忍袋の緒が切れていておかしくはない。

「いや、だから別に命までとろうとか思ってないし。投降が嫌なら、帰っていいって言ってるんだけど…?」

 のほほーんと言うに、慌てて秀吉と左近とが上奏した。

「姫、その……この方は、元々は左近が殿と仰いだお方なんですよ」

「わしの愛弟子なんじゃ」

「え、そうなの?? ごめんなさい。私、秀吉様の周りって弟さんとか、小六さんとか、半兵衛さんとか、
 官兵衛さんくらいしかピンと来てなくて…」

「いやいや、ええんじゃよ…ってそんな事よりも、じゃからね、三成もな、な? ええじゃろ?? な?」

「うーん、どうしようかな…」

 本人の意志を無視したところで、話は勝手に進んで行く。
だがで、誰もが想像を絶する理由で葛藤しているようだった。

「でもさ……きっとこの人、この雰囲気だと、放り出したら、またどっかで挙兵して攻めて来るよね?」

「ええ、まぁ…有り得ますね」

「そっかー、なら放逐で」

「だからなんでじゃ!!」

 がしっ!! との肩を掴んだ秀吉と、固唾を呑む家臣の前で、は頓珍漢な理由を堂々と言ってのけた。

「たって、そうしたらまた捕縛して、バッキバキに凝った背中揉み解せると思ったから」

「ハイ?」

 そこなの? 判断基準。
それなの? 放逐理由。
言わずもがな、周囲は全員、ドン引きだ。
 数分の間沈黙が辺りを支配した。一早く我を取り戻した秀吉が慌てて食い下がる。

「いや、待て待て待て、待って下され。ちゅーか、考えてみりゃーせ。
 このまま連れて帰って、専属にして無理難題で疲れ果てさせてバッキボキになったとこを揉み解してもええよ。
 わし、普通に手伝うし!!」

「あ、そうか。その手もありますね」

 ぽん! と手を打ち鳴らして納得するの元へと、机から降りた三成が無言のまま突き進んでくる。
彼は振り上げた掌で躊躇うことなく、の額を叩いた。

「った!!」

 両手ではたかれた部位を庇うを見て、秀吉は慌てる。

「こ、こりゃ!! 三成、何するんじゃっ!!」

「秀吉様、正気ですか!! こんな女に下るなんてっ!!」

「正気じゃよ、正気も正気、大正気じゃ!!」

 これ以上が三成に殴られぬようにと、秀吉は両手での体を抱いて自分の腕の中へと庇った。

「第一、おみゃーさん、体はどうじゃ」

「え?」

「動かしてみい」

 言われるまま、返された扇を広げたり振り回してみれば、こんなにも軽かったのか? と愕く。

「ほれ見い。礼こそいえ、殴るなんてもっての外じゃ!! 様はおみゃーさんの体、治してくれたんじゃ」

 「え、そうなの?」と、三成だけでなく周囲の視線が言っていた。

「そうなのか?」

 ギロリと見下ろされて、秀吉の腕の中からは済まなさそうに答える。

「だって、我慢出来なかったんだもん……。
 遠目に見ても不摂生と凝りが限界まで来たガッチガチのパンパンのビッキビキの体で走り回ってるしさ……」

「悪かったな、凝り固まった体で。そんなに揉みたいなら自分の部下を揉んだらどうだ」

「……だって、だって、慶次さんとか左近さんとか、うちに居る人みんな全然凝ってないんだもん!!
 そりゃ最初は期待したのよ? あんな大きな武器振り回してるくらいだし、絶対に凝ってると思ったの!!
 でも、でも!!!! よくよく見たらちゃんと鍛錬してるらしくて、全ッッッッ然凝ってなんかいなかったし!!」

 今にも泣き出しそうな凹みっぷりで項垂れるに、三成の詰問は容赦がない。

「だからってなんで俺なんだ!! そもそもお前と俺は敵同士だろう」

「だから、もう居ても立ってもいられなくなっちゃったのよ……。
 こっちに来てからというもの、全然してなかったからね、もうね禁断症状でさ…」

 は三成の機嫌を伺うようにちらちらと彼を見上げては言った。
無意識にそうなるのか、彼女の拳は開いたり閉じたりと忙しなかった。

「…そりゃ、悪いとは思ったんだけどさ。低血圧なのが一目で分かる顔色だし、目まで血走ってたし……。
 ねぇ、貴方さ、夜、肩や背中が痛くてなかなか眠れない事とかあったんじゃないの??」

 心当たりがあるが故に、押し黙っていると、はやっぱりだと頷いている。

「それって結構酷い状態なんだよ。治さないと本当に体がガタガタになっちゃう」

「俺の体などどうでもいい。それよりも貴様、一体なんなのだ。家の当主ではないのか?」

 やり難い相手だとばかりに、三成が問いかければ、はぽむ! と一つ手を打った。

「ああ、そういえば、言ってなかったね」

 今頃気がついたらしい。
は秀吉の手から一度逃れると、皆の前へと進み出て、手を上げた。

「申し遅れました。、現在君主やってますが、本来は鍼灸師です」

 満面の笑みを見せたの声を聞いて、その場に居合わせた皆が同時に、

 「あー、なるほど。そういうことね」

  と納得した。

「…なんでこんな奴に……」

 はーっと音にまでして深い溜息を吐いて、目頭を抑えたのは三成だ。
もうどうしたら、どう言ったらこの女をぎゃふんと言わせられるのかが分からない。
けれどもそんな女に、自分が師と仰ぐ秀吉は下ってしまった。そしてそれを今更覆せるはずもない。

「もういい………………下ってやる。下ってやるから、俺を見事使いこなしてみろ」

 投げやりに三成は言った。
内政官が心許無いにとっては、彼の帰順もまた思った以上の戦果になっているに違いない。
こうして家は豊臣勢を併呑し、更に強固な軍へと進化した。

 

 

「おい、お前…この城は一体どうなってるんだ!!」

 その日の内に城へと帰還して戦果を検分して、併呑した将兵の扱いを決め終わった時。
三成は額に血管を浮き上がらせて、へと詰め寄っていた。
 風呂上りの為に片や桜色の浴衣、片や小豆色の浴衣だ。
会話の内容さえ聞かなければ、ちょっとは絵になる構図ではある。

「どうって……なんか変?」

 きょろきょろと周囲を見回すに自覚はないらしい。

「襖はどこだ、襖は」

「えー、三成さんも襖に拘るのー? もー、別にいいじゃん、暖簾で〜」

 左近が殿と仰ぐだけあって、この人も襖必要派なのかと、は渋い顔をする。
そんなを前に、三成の機嫌は底抜けに悪くなり続けた。

「よくない」

「はいはい、分かったよ、分かりましたよ。じぁ、来月もう四枚買い戻そうね。それでいいでしょ?」

「なんで、四枚なんだ!! ちゃんと各階に揃えろ!!」

「えー、お金かかるじゃん〜。もういいよー、暖簾で〜」

 四つの地域を平定していると聞いていたから相応に潤っていると思っていたのに、それは間違いだった。
赤字国家から脱却しても、所詮は脱却しただけ。家の質素さは健在だった。
辛うじて売り飛ばした襖を買い戻したが、それも数が揃っているとは言い難い数量だ。
見た目からして侘しい事この上ない。
 この城において一番の誉れがあるとすれば、それは無駄に人材が豊富且つ有能である事。
それのみなのではないかと、そんな錯覚を呼び起こした。

「大体さ…襖なんか別になくても生活出来るじゃん?
 敵に襲撃された時にそれこそ破かれでもしたら、修繕費バカにならないし。
 それとも何? 誰かが侵入して暴れて襖を壊す度に敵の城に半蔵さんを送り込んで、相手ンとこの襖も二倍ほど
 破いて来いっていうの?!」

「誰もそんな事は言ってない。第一それはただの嫌がらせだ」

「だからさ、そういう無駄を省く意味でも……もうこれでいいじゃん、暖簾」

「お前は、俺に湯と書かれた暖簾の下で働けと、そういうんだな?」

「私の執務室もそうだし、評議場もそうだよ? この前洗濯するんで飯処に変えたけど。
 大丈夫だよ、すぐ慣れるって」

 わなわなと三成の拳が震える。
彼は無言のまま腕を振り上げて、の額を殴った。

「いたっ! 痛いっ!! 痛いよ、三成さん!!」

「公開処刑の時は、俺はもっと痛かった」

「なっ!! そんな不摂生は自業自得じゃんっ!!」

 途中で振り上げていた腕を降ろして、三成はの顎をしゃくり上げた。

「これだけの土地を抑えているんだ、もっと収入はあるはずだぞ。一体何に使ってるんだ、その金を!!
 俺の目を見て理路整然と言ってみろ!!」

 逃れようとしたは後退し続けて、ついには壁際まで追い詰められた。
逃げ道を塞ぐように顔の横の壁を手で押さえられ、腕の中に囲い込まれる。
その上、眼を見て話せとばかりに、今度こそ、完全に顎をしゃくり上げられた。

「で、何に使った?!」

 奪える限りの逃げ場という逃げ場奪って、三成はにじり寄る。勿論は脅えまくりだ。

「ほ、本当だよ? 別に変なものは買ってないってば。
 城壁を整えたり、備蓄米を作ったり、街道を整備したりしてるのっ!! 無駄遣いなんかしてないってば!!」

「で、内政充実の為に一国の象徴たる城が後手に回っていると、お前はそう言うのか?」

「う、うん…」

「ほほぅ」

「な、何? 怖いよ、三成さん」

「俺には貴様の感覚の方がよっぽど怖いわ!!」

 一喝されてたの唇から、可愛らしい悲鳴が上がる。

「それよりも、殿。……ちょいと宜しいですか」

 二人は今、城の財政についての問答を繰り広げている。
それは分かっている。こうして目の当たりにしているから充分知っているのだが。
なんでそういう構図にならなくてはならないんだと、見守る一部の将の額に血管が浮き上がる。

「アァ?」

 背筋に凄まじい殺気と寒気を覚えて振り返れば、左近、慶次、幸村が嫉妬に狂った眼差しで彼を見ていた。

「な、なんだ、左近」

「ちょっとこっちで話しましょうや」

 暗に蔵の裏へと呼び出されている気がしたが、それは誤解ではなかったようだ。
触らぬ神に祟り無しとばかりに、同じ部屋にいながら、誰一人としてこちらを見ない。
特に部屋の隅では湯飲みを持った家康、長政、市が円陣を組んでいて、今日の戦の話に花を咲かせている。
そこにあの犬猿コンビまでが平然と加わって和気藹々としているのだから、我が目を疑わずにはいられない。

「何?! 公開処刑?!」

 政宗が上げた声を受けて、部屋の中にいた全員が一度三成をちらりと見て、瞬時に視線を逸らした。

「それでお三方は面白くないのですか」

 市が遠慮がちに声を殺すが、少しも殺しきれていない。丸聞こえだ。

「実は朝、幸村や私達は論外と呟かれたばかりなのだ。今までの有力候補は慶次と左近だったらしいのだが」

 兼続の薀蓄は、この段階では非常に余計だった。
びくりと幸村の体が反応して、次の瞬間には陰鬱な空気をまとう。

「それも思った程ではなかったと落胆されていたようで…」

 家康の声に、

「いくら初心で鈍いとは言え、あれだけ尽くしているのに相手にされないばかりか、戦場で見初めた三成殿に初対面で
 そのまま襲いかかった訳ですからね」

 長政の声が重なり、

「そりゃ、腹も立ちますよ。いきなり上半身裸にして」

「陣羽織まで脱ぎ捨てて」

様自らの手で喘がせた訳でしょう?」

 片倉小十郎を始めとした伊達三傑の声までが混じり、

「わしだったら殺すな。手も握れない相手なんじゃよ? 
 なのに直にあちこち触れてんの見るっちゅーんは、辛い!! 痛い!! 傷心じゃー」

 秀吉の声までが混ざっている。

「……なんなんだ、あんたら…」

 イジメか? これは新手のイジメなのか?
三成の前からの手を引いて保護をして、左近は言う。

「姫、夜も更けました。そろそろ床へお付下さい。
 感謝もされないのにあれだけ固いもの揉み解したんだ、お疲れでしょう?」

 さり気ない嫌味に冷や汗を流し引き攣れば、

「いいですね、三成殿は」

 今度は地の底を這うような声で、嫉妬された。
とどめはなんだと2mの巨体へと視線を流せば、彼だけがまだ余裕があるように見えた。

「まぁ、なんだ、泣かせないようにしてくれや。破天荒ではあるが、女なんだぜ

 前言撤回。
語尾にやたらと力を込める辺り、彼も敵のようだ。
 ん? 敵? 誰の? 何の為の??
一瞬頭に過ぎった疑問に向き合う前に、意識は別の所へと移った。
部屋から出て行くに声をかけられたのだ。

「それじゃ、皆さんおやすみなさい。三成さんも、早く寝てねー。指圧の意味なくなっちゃうからねー」

「ん? ああ、分かった」

 彼は無意識のようだが、答えた時の視線の動きで秀吉は勘付いたようだ。

『まぁ、あれだけ丁寧に癒されちゃ、しゃーないか』

 純朴そうなを取り巻いて張り巡らされ始めた恋の糸。
その存在に彼女が気がつくのは一体何時の事になるのだろう。
それを思えば思わず笑いがこみ上げて、

「こりゃ、なかなか見物じゃな」

 秀吉は一人呟いた。

 

 

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第二部スタートです。豊臣勢併合で、益々お城は賑やかになる模様。(08.04.13.up)