鏡越しの世界

 

 

「姫、大殿の提案じゃありませんがね。
 はもう俺達だけの手じゃ足りなくなってます、今まで以上に人材も土地も、財も必要です。
 それらを得る為にはそれに見合う姿、行動、でもって時期ってのがあります、分かりますかね?」

「う、うん……分かった……ごめんなさい。これからは気をつける」

 が小さく頭を下げたを事にほっと一同は安堵する。ほんの少し場の空気が緩んだ。
だが緩んだばかりの空気は、の言葉で再び張り詰めた。

「でもさ……だからといって、戦争するの? 私は、それには反対なんだけど」

さん。気持ちは分かるが、一度巡って来た時節を逃せば次はない。それが乱世だ」

「それは、そうかもしれない…。でも、人を傷つけるのは、やっぱり良くないよ。
 乱世って言葉で、全部片付けられないし、私には出来ない」

「あの……宜しいですか?」

 慶次の巨体に隠れていただけで、一連の会話をずっと聞いていたらしい。
おずおずと上がった声の出所を視線で追いかければ、そこにはがいた。
が縋るようにを見れば、が全く見ていなかった一つの現実を示唆した。

「…北条から、様は怨まれていますよね」

「うん、でも仕方ないよね。向こうから民が逃げ出して、こっちに来て、私はそれを保護しちゃってるし」

「でもそれは、政が酷いから、皆さん逃げるんですよね」

「らしいね」

「という事は、このまま放っておいたら逃げ出せない方は、どうなってしまうのでしょう?
 ずっとずっと、悪政に苦しむ事になるのでは…ありませんか?」

「…あ……」

「私、難しい事はあまり良くは分からないのですけれど……。
 逃げ出す方々がいらっしゃるのなら、逃げ出さないで済むように、その国をよき政をする方が
 治めれば良いと思います……これは、だめな考え方でしょうか??」

 周囲に視線を走らせるの後衛となったのは、意外にも三成だった。
彼は猫のように摘んでいたをその場に降ろした。

「いや、間違っていない。寧ろそこを無視するとすれば、それこそが不義だろう」

 兼続みたいな事をいうものだと思い視線を向ければ、彼は平然と言った。

「俺も秀吉様もあの地には慣れている。必要であれば、何時でも出れるぞ」

「あ、あのね…ちゃんの意見も、皆の意見も一理あると思うの。
 でも、他所の国の事をこっちが口出すのはあまりいい事じゃないんじゃないかな…って…思って…」

 現代で見てきた現実を思い描いて口にすれば、左近が珍しく冷徹に言った。

「ならば、最初に逃げ込んできた民を追い返すべきでしたな」

「え?」

「いいですか、姫。逃げて来た者を一度でも受け入れれば、それはもう口出してるのと一緒ですよ。
 逃げ出された国にすりゃ面白くはないだろうし、逃げる連中からすれば、救いの手がそこにあると
 思わせちまってる訳ですからね」

さん。物事には順序ってものがある、それは分かるね?」

「え、ええ」

「一度受け入れたら、受け入れ続けなきゃならない。
 勿論、時として突っぱねる事も大事だぜ? けどな、それにだって時節ってのはある。
 残念だが、この件に関しちゃ突っ撥ねる時期はとおに過ぎちまってる。となりゃ、受け入れるしかない。
 だが受け入れ続けるには相応の器がいるんだよ」

「でも…その器は、もうここにはない……そういう事?」

 幸村と視線があった。彼は小さく頷いて、肯定した。

「…今更だが、追い出すか? 今まで受け入れた民を」

 兼続の問いには首を横へと振った。

「それは、だめ!! そんな無責任な事は……。
 でも、人は逃げてくる……受け入れなきゃならない……だけど、これ以上はもう無理………。
 …どうしよう……どうして、こんなことになっちゃうの? 私そんなつもりじゃ…」

 しゅんとが肩を落とした。目に見えて分かる葛藤と落胆だ。
そこまで落ち込まれると思っていなかったらしい諸将は、皆困ったように顔を顰めた。
 そこで今戻ったばかりの男の朗らかな声が、への助け舟を出した。

「なんじゃなんじゃ皆して様をいじめおって」

「秀吉様」

 ずんずんずんっと進んできて、彼はを両手で抱かかえて庇った。

「苛めてる訳じゃありません、秀吉様。
 前後関係は不明ですが、いい機会に変わりはないので北条攻めについて、上奏しているところです」

「ああ、そうだったんか」

 ちらりと自分の手の中のを見て、秀吉は人懐っこい笑みを向ける。

「…なぁ、様」

「はい」

「わしにやらせてくれんか」

「でも…侵略は…人が死んじゃうし…遺恨だって残すし…」

「全く、どこまでお前は馬鹿なんだ」

「なっ!」

 カチンと来て三成を見れば、彼は冷淡な顔をして言う。

「力の差を見せ、投降させればいいだろう。戦は何も殺し合いだけでするのではない。
 兵力を殺ぎ、士気を下げ、その上で交渉するという法もある」

「あ……うん。そうだね、それならなんとか」

 安堵の笑みを口元に浮かべたを直視して、三成は口の端をひん曲げるとそっぽを向いた。
幸村に問い掛けて得られなかった答えの一部を、彼は今、自分の目で見て納得してしまったのだ。
それが悔しくもあり、気恥ずかしくもあったのだろう。

「悪かったわね、どうせ私が笑うのは気持ち悪いってんでしょ!!」

 ばふっ!! と音を立てて、三成の頭に自分が羽織っていた着物を叩きつける。
それからすぐには踵を返した。

「ああ、そうだ。秀吉様、ちょっと大事なお話があるので、家康様と一緒に来て下さい」

「はは、ただいまっ!!」

 肩で風を切るようにして歩き出したの背を見た三成は、の着物を床へと叩きつけながら、一人心で怒鳴った。

『俺は可愛いなどとは思っていないッ!! 断じて!! 見直してなんかもいないからなッ!!』

 

 

 室に戻ったは、家康立会いの元で秀吉から北条での待遇について問い掛けた。
秀吉の話を総合した結果、領への侵攻が成功すれば、そこでようやく彼の立身出世は幕を上げるという話だった。

『そうか……全ッッッッ然、だめなんだ……足りないってのは、きっとこれなんだな…』

 は聞いていて思わず目頭を抑え、吐き捨てた。

「…北条の野郎……なんて…バカなんだ……」

様?」

「あ、いいえ、なんでもないの。ごめんなさい」

 独り言をそこで止めて、は考え事でもしているように押し黙る。

「あ、あの……秀吉…様」

「はぁ…なんじゃろう?」

「北条攻めなんですけど……」

「やってええんか?!」

 円らな目をきらきらと輝かせる秀吉に、は緊張の面持ちで言った。

「い、」

「はい?」

「一週間で、済ませて下さい」

「………ハィ?」

「期限は、一週間です。出来ますか」

 伺うように聞いたら、秀吉は顔面を真っ青にして、更には大粒の汗を流した。

「…どうしてもこの戦は、秀吉様で一週間で済ませてもらわないと困るんです」

 いやに強調された言葉に、自分が望んでいたこととはいえ、背筋が凍る。
今でこそ対等になっているとはいえ、北条領は元々石高も高く、人材とてそれなりに揃っている。
急激に大きくなって行くを攻める際、尖兵に選ばれたのは、失っても惜しくない存在だと思われていたからだ。
秀吉率いる豊臣一門と三成が抜けたところで、今の北条にはさしたる痛手にもなっていないはずだ。
散々進言したのは、の豊富な人材と、物量を使えると踏んでいたからこそなのに、目の前に座す平和主義の君主は、今、なんと言った? いくら戦が嫌いだからとって、一週間で終わらせろとは無理難題だ。
ここでも自分への待遇は北条と変わらない、それどころか一層悪くなったのかもしれない。
朗らかな顔で柔らかい物腰を持つから、胸にほのかな期待を抱いたが、それは間違いだったのだろうか。

「…わ、分かりましたわ。サルにお任せあれ。では早速掛かりまする!!」

 だとしても、道は自分で切り開かねばならないと、秀吉は自分を叱咤し、項垂れそうになる顔を引き締めた。
引き攣った笑みを顔面に貼りつけて秀吉が立ち上がれば、は彼を呼び止めた。

「う、うんっ!! あ、後ね」

 今度はなんだとばかりに全身を固くする秀吉に、は泣きそうな顔をして言った。

「…兵は…豊臣一門だけで……頼みます」

 二人の間に、重苦しい鐘が鳴り響いたような気がしたのは気のせいではない。
中間に居る家康がどちらに気を使えばいいのかと慌てている。
は断腸の思いとばかりに自分の胃を抑えて、呟くように言った。

「……左近さん…連れてっていいです……きっと、それくらいの優遇は有りだと思います……から」

「は、はぁ、お任せあれ」

 部屋から飛び出して行った秀吉の背を見ながらは直後に家康の腕へと齧り付いた。

「死なないよね、死なないよね?!」

「…だ、大丈夫でしょう。秀吉殿は知恵者ですから」

「家康様………………お願いですから、私の目を見て言って下さい!!!」

「申し訳ありませぬ」

 

 

「ハァ!? 一週間で、豊臣だけで北条を攻めろッ?!」

「そうなんじゃー」

 私室へ戻った秀吉は、弟豊臣秀長を始め、石田三成、蜂須賀小六、竹中半兵衛といった豊臣一派と呼ばれる自分の部下だけを集めて、彼らを前に頭を抱えていた。

「あの女、俺達に死ねと言うのか」

 事前調査で把握している兵力差を記した資料を前に三成が唸れば、秀吉が首を横へと振った。

「いや、それがそーでもなさそうじゃ」

 視線で問い掛ける三成に、秀吉は言う。

「どうも"わしが一週間で落とす"というところに意味があるらしい」

「つまり他所から手が入ってはならないと?」

「ああ、部屋を辞した時、叫んどった。『死なないよね?』と。
 わしに信を置かず、わしらが気に入らんで死を賜るというなら、ンな事は言わん」

「そうですか」

 秀吉は大きく一つ頷いた。
会見している間に抱えた疑念は部屋を辞した時に聞いたの金切り声であっという間に消えた。
彼女は、何か意味があって自分へとこの試練を課したのだと気がついたからだ。
この試練は、いわば天が与えたもうたもの。ならばその試練を越えて、ものにしてみせる。
そのつもりで北条に居た時もへの尖兵へ志願したのだ。
今更何を躊躇う必要があるというのか、ただ単に、刃を向ける相手が変わっただけだ。

「…それに、今の姫様の方が、面白いしええお人じゃしな」

「秀吉様?」

「皆、わしに力かしてくれ。豊臣の力を示す好機なんじゃ。なんとかして、やり遂げんとなぁ!!」

 鼻息荒く宣誓した秀吉の顔には、もう迷いはなかった。
 それから日を置かずに豊臣秀吉、石田三成、島左近率いる豊臣一門は領を出立した。
城に残ったは、何を思ったのかに言いつけて大量に白い布を用意するとその布で変わった飾りを作り始めた。
常日頃からこなしている仕事をそっちのけにして、一心不乱に打ち込んでいる。

「何してんだい? さん」

「てるてる坊主作ってんの」

 護衛役の為にの執務室に寝転がっている慶次が問えば、視線すら合わせることなく、は答えた。

「てるてる坊主??」

「うん」

「これを飾ると、晴れになる…って言われてるの。でも今回は晴れちゃ困るから、逆さに吊るそうと思って。
 慶次さんも暇なら、作るの手伝って。今度の戦は天気が勝敗を決めるの。
 何が何でも雨になってもらわなくちゃ困るのよ」

 彼女がそんな物を作り出した理由が、秀吉の北条攻めに関係していると知った瞬間、慶次は呆れて顔を崩した。
彼だけではない、からの採決待ちで帳簿や書簡をとりに来た諸将も、あらかた同じ反応だった。
そこまで心配ならば後衛になるぞと慶次や幸村は言ったが、はこれを泣く泣く退けた。
中でも幸村があまりにもしつこく言うものだから、最後にははキレてしまったくらいだ。
作りかけの秀吉と同じくらいの大きさのてるてる坊主を彼に叩きつけて、泣き出してしまった。

「私だって好きでンな事言う訳ないでしょッ!!
 本当は行きたいわよ、今すぐにだって、行って手伝える事があるなら、手伝いたいのよ!!
 でもこれは秀吉様の立身出世の第一歩なのッ!! 横槍入れたら本当に収拾つかなくなっちゃう
 かもしんないのよっ!! なんで分かってくんないのよ、幸村さんのバカーッ!!」

 懐にくっついてわぁわぁと泣くの背を慶次が優しく撫でれば、幸村は大層落ち込んだ。
そんな幸村のフォローは、相変わらず政宗と兼続の仕事だった。

 

 

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