鏡越しの世界 |
現地に入り、奇策を考えた秀吉は、が想像した通り北条攻めの為に一夜城を築いた。 「「なんじゃこりゃーっ!?!!?」」 凱旋を果たした時、領に戻ってきた左近と秀吉は、城の情景を見て思わず絶叫した。 「…あんた方……なんであんなもん拝んでんですか」 「なんじゃ、お武家様方は知らんのか。姫様が毎日毎日、拝んどるそうじゃ」 「きっと有り難いもんなんじゃて」 「そうじゃ、そうじゃ。人格者の姫様がおがんどるんだからのぅ」 民から聞いた実情に、左近、三成、秀吉の三人が揃って頭を抱えた。 「左近……俺は………俺は、今度こそ、あの女を本気で殴ってしまうかもしれない…」 「止めて下さい、殿。後生ですから」 「…わしがいない間に邪教にでも乗っ取られたんじゃろうか…」 劣勢を巻き返しての大勝利だったはずなのに、彼らの中にあった勝利の余韻は、風に揺れてくるくると回るシュールな超巨大逆さ吊りてるてる坊主の前で儚くも砕け散った。 「…はぁ…」 盛大な溜息を吐きながら門扉をくぐれば、が一番に駆け出してきた。 「良かった、生きてて本当に本当に、良かったーッ!! お帰りなさいーっ!! 秀吉様〜!!」 受け止めた秀吉の顔に何度も何度も触れて、彼の生を確かめ、は喜ぶ。 「あ、もういいや。半蔵さーん、外してー」 それからすぐに天守閣に向い叫んだ。
『全く…わしらの姫様は無茶苦茶じゃ。無理難題は言う、平和主義で戦は嫌い、意味不明な行動は多い。
長雨と、返り血と、泥とで汚れて全身どろどろの自分の姿にも気を止めない。は心の赴くままだ。 『あの方は新旧隔てるような事はなさいませぬ』 家康の言葉がふと、脳裏に蘇る。 『そうじゃな、その通りじゃ』 「怪我はない? どこも痛くしてない?」
生還はしたものの、どこか深手を負ってはいないかと、心配そうに秀吉に問いかける。 「様、豊臣秀吉、今戻りましたわ。首尾は全て上々にて…お言葉を賜りたく」 ちらりと目で見れば、は気がついたようにこくこくと頷いた。 「骨折りッ!!」 叫んだ。 「…降参だ…」 「殿?!」
彼の呟きを耳にした左近が、恐れていた事が現実味を帯びたと、顔に悲壮感を貼り付けたのも束の間。
「お前はどこまでバカなんだっ!! 財を無駄に使い、しかもこんな異様なモンを城から吊るしおって!! 「何よ、帰ってきた途端ッ!! こんなに心配してあげたのにッ!!」 「やかましいっ!! 今回という今回はもう許さん! 「絶対にイヤーッ!!」 怒鳴った三成の目には柔らかく甘い光。
北条を制圧し、自領を増やした日の夜。 「どうしたんです、こんな所で」 宴もたけなわ。数多の将兵が酒に潰れた頃、は一人席を立った。 「ごめんなさい、楽しんでたのに」 「まさか。野郎ばかりの席で楽しいって事もないでしょう」 左近らしい言葉には笑った。 「本当に、どうしたんですか。相談なら乗りますよ。左近は姫の軍師ですから」 「…うん……そうだね、左近さんにまず聞いて貰おうかな」 「と、その前に……風邪を引くと困りますからね、着て下さい」 彼の羽織を背中から掛けられて礼を言った。 「あのね」 ずっと考えていた事を吐き出そうとは口を開いた。 「おやおや、抜け駆けかい? 感心しないねぇ」 そこで頭上から降ってきた声に左近は顔を顰めて、は目を丸くした。 「場の空気読んで下さいよ、二人とも」 左近が言えば、冗談じゃないとばかりに幸村が眉間に皺を刻み、慶次が空いているの隣へと滑り込むように座った。 「場の空気を読んだから、ついて来たのさ」 慶次の言葉に左近は顰め面のままだが、は苦笑いだった。
「そっか、そうだよね。二人は左近さんと一緒で、私の最初の理解者だものね。 「いいえ、様のお考えであれば」 そういった幸村の顔には微かな寂しさが見え隠れしている。
「今回二人を呼ばずに話そうかな? って思ったのは、左近さんが軍師さんだからなの。 さらりと痛い所を突いてくるに、三人は苦笑する。 「…あのさ、私、時々考えるんだけどね……を、誰かに譲れないかな」 唐突に飛び出した単語に、三人は瞬時に顔色を変えた。 「弱音に聞こえたら、ごめんね。でもこの前の話で痛感したの。 「…様…」 「だから、譲るってのかい?」 こくりと一つ頷いて、は肩を落とした。 「…正直、重いし…しんどい」 小さく小さく丸まった背を見れば、が胸に内包している何かに疲れ果てているのは一目瞭然だった。
「導き手といわれてここへ着いて、命を拾って…契約であり、恩返しでもあるような気がしてた。 「何に、ですか?」 探るように問われて、は自嘲の笑みを漏らす。 「この契約、先がない」 この人は何時から、こんなに悲しい目をして笑うようになったのだろうか。 「…先がないんだよね……何時まで頑張ればいいとか、何をどこまで頑張ればいいとか、見えなさ過ぎて……重たい」 はぽそぽそと呟くように話し続ける。
「天下を統一すればいい、それで契約が終わるというのなら…それは私の仕事じゃない気がするの。 「それはどうかねぇ」 「押し付けるつもりはありませんが、左近はこう思いますよ。 左近の言葉にが困ったような顔をすれば、幸村もまた左近と同意見だとばかりに口を開いた。 「様は気がついておいでか分かりませんが…秀吉殿と家康殿もそうです。 「…あ、う、うん…」 思い当たる節はあると、の視線は微かに揺れた。 「さん、重たいかもしれないが…はさんだからまとまってんのさ。 敏いなら、もうそこに気がついているだろうと判じながら、慶次は言う。
「でもな、どうしても逃げたくなったら言いなよ。この俺が、松風で地の果てまで連れて逃げてやる。 「慶次さん」 「そうです、私もお供します。どこまでも。 「幸村さん」 「姫、俺はね…俺の軍略は…姫の為だから揮ってんです。 「さ、左近さん?!」 左近の爆弾発言に仰天して彼を見れば、彼は不適に笑った。 「でも、俺は軍師になった。やっぱりそれは姫に惹かれたからだ。 三人の言葉に胸を打たれたのか、が微かに涙ぐむ。 「なぁ、さん。そんなに辛いなら、そろそろ降ろしなよ」 「降ろす?」 「ああ。抱えてるもん、全部。一切合財、俺達のところへ一度降ろしな。引き受けてやるさ」 三人の言葉には震えながら言葉を捜す。 「どのような事を聞かされても……我々は貴方を裏切ったりはしません。 幸村の真っ直ぐな視線を受けて、はこくりと小さく頷いた。 「……やっぱり、話さなきゃ…いけないかな……話した方が…いいのかな? 自問自答を繰り返すを見て三人は同時に言った。 「聞かせた後で、まずかったと思えば"忘れろ"といやーいいんですよ」 「そうさ、忘れるさ」 「様がそう望むのであれば」 軽い調子で返されたは、目を丸くしてから苦笑した。 「そっか、なら……話して…みようかな…明日、皆を集めてくれる?」
翌日、二日酔いが微かに残る名立たる将兵は評議場へと呼び集められた。 「今日持ッテキタ品物ハコレデース」 胡散臭い片言の日本語で差し出された円筒の包みを開いて中を検分したは顔面を蒼白にすると、その場にするずると座りこんだ。 「どうしました?!」
慌てて支えてくれた幸村の腕の中から左近を見て、商人に指定の金額を払い、商品を買い上げる。 「あ、あの、これ……あの、これって…どういう…」 混乱と動揺を露に、今手にしたばかりの交易品を指し示す。 『……どうして? なんで? なんでこれ……逆になってんの?!』 手に入れた地図はの世界を鏡に映したような分布図で構成されていた。 「どこか変ですか?」 「こりゃすごい。随分と精巧に…いやぁ、いい品を手に入れましたな」 口々に感嘆を漏らす諸将を前にすれば、いやと言うほど思い知る。 「あ、ご、ごめん……少し……というか、大幅に事情が変わったから……今日の会議、ナシの方向で…」 「え?!」 「ハァ!?」 目を丸くする全員の前で、腰が抜けたとばかりにへたり込むは、そう告げるのだけで精一杯だった。
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彼女が辿りついた世界は、ある種のパラレルワールド。(08.05.24.up) |