鏡越しの世界

 

 

 現地に入り、奇策を考えた秀吉は、が想像した通り北条攻めの為に一夜城を築いた。
あのてるてる坊主の効果があったのかどうか、定かではない。定かではないが、おりしも現地では雨模様が続いて、建築に追われる秀吉達を大層苦しめた。
 ただ、その雨が幕のような役割を果たしたという感は否めない。
続きに続いた集中豪雨に耐え忍んで完成させた一夜城。
まるで天意が味方するかのように、完成と同時に雨は止んだ。
快晴の中で突如として出現した一夜城に、北条陣営には激震が走ったという。
 その話と共に救援要請を受けたは、願ったり適ったりだと、密かに握り拳を作った。
準備万端とばかりに構えていた慶次、幸村、家康、政宗、長政を援軍としてすぐに差し向ける。
 現地では、元々人心が離れていたせいもあってか、義勇兵の参戦や密告が度々起こった。
それらを巧みに利用することによって、秀吉は自軍への被害は最小限に抑え、敵軍を粉微塵に打ち砕いた。
六日六晩続いた戦いは、ついに七日目の昼に決着した。
勿論、北条一門が住まう城は落城。北条領は全て領へと帰依した。
北条三兄弟を始め北条一門が散り散りに野に下り落ち延びて、その後の行方が分からない事だけが難点ではあった。
だが全体的に見れば、当面の憂いはなくなったわけで、まずまずの戦果だった。

「「なんじゃこりゃーっ!?!!?」」

 凱旋を果たした時、領に戻ってきた左近と秀吉は、城の情景を見て思わず絶叫した。
辛うじて絶叫しなかった三成も見ると同時に意識を失いかけたくらいだったから、インパクトとしては相当だったに違いない。
 そう、城の城内と城下町はどこもかしも逆さ吊りのてるてる坊主に侵略されていた。
それだけではない。天守閣から吊るされた巨大なてるてる坊主は、芸術と呼ぶにはあまりにもシュール過ぎた。
緩々とした顔には和むが、何せ逆さ吊りだ。どうしたって見ている者の背には寒気が走る。
 いまいち用途が定まらず、必要性の理解も出来ないまま城のシンボル扱いを受けている超巨大な逆さ吊りてるてる坊主。それを眺める人々が、なんとなくノリだけで拝んでいる姿が、また怖い。

「…あんた方……なんであんなもん拝んでんですか」

「なんじゃ、お武家様方は知らんのか。姫様が毎日毎日、拝んどるそうじゃ」

「きっと有り難いもんなんじゃて」

「そうじゃ、そうじゃ。人格者の姫様がおがんどるんだからのぅ」

 民から聞いた実情に、左近、三成、秀吉の三人が揃って頭を抱えた。

「左近……俺は………俺は、今度こそ、あの女を本気で殴ってしまうかもしれない…」

「止めて下さい、殿。後生ですから」

「…わしがいない間に邪教にでも乗っ取られたんじゃろうか…」

 劣勢を巻き返しての大勝利だったはずなのに、彼らの中にあった勝利の余韻は、風に揺れてくるくると回るシュールな超巨大逆さ吊りてるてる坊主の前で儚くも砕け散った。

「…はぁ…」

 盛大な溜息を吐きながら門扉をくぐれば、が一番に駆け出してきた。
本当に心配していたのか、目の下にクマを作ってやつれた状態だ。
 は秀吉の姿を確認すると、周囲の目も気にせずに秀吉へと抱きついた。

「良かった、生きてて本当に本当に、良かったーッ!! お帰りなさいーっ!! 秀吉様〜!!」

 受け止めた秀吉の顔に何度も何度も触れて、彼の生を確かめ、は喜ぶ。

「あ、もういいや。半蔵さーん、外してー」

 それからすぐに天守閣に向い叫んだ。
すると天守閣の屋根にいた半蔵が鎌を奮った。
ぶつりと切れて、その場に崩れ落ちる超巨大シンボル。軽めに作られていると言っても、でかさがでかさだ。
それに押し潰された警備兵があちこちでパニックを起こし叫んでいる。そこに「義」だの「愛」がどうのという声が混じっていた事から考えても、兼続がこの大惨事に巻き込まれてたとみてほぼ間違いはないだろう。
 目にした瞬間はあまりにもシュールで度肝を抜かれた。
そして自らが始めた事だと聞いた時は、常軌を逸した行動力だと思わずにはいられなかった。
けれども、これが自分達の戦に対する願掛けの一部だったと知ってしまうと、皆一様に言葉を失った。
 帰還した秀吉率いる豊臣一門は、肩を落としながら次の瞬間には笑っていた。
皆、呆れ、喜び、くすぐったさ、冷や汗といった幾つもの感情を混ぜ合わせた泣き笑いだった。

『全く…わしらの姫様は無茶苦茶じゃ。無理難題は言う、平和主義で戦は嫌い、意味不明な行動は多い。
 ……じゃが、こんなにも愛情に溢れとる……ほんに、可愛らしいお人じゃな 』

 長雨と、返り血と、泥とで汚れて全身どろどろの自分の姿にも気を止めない。は心の赴くままだ。
煌びやかな着物で、感動のまま汚れきった自分へと抱きついてきて「生きている」と喜び、わぁわぁと泣き続けている。古今東西探しても、自分の部下の生還をこうも喜んでくれる者がいるだろうか。
まして自分は先に膝を折ったばかりで、信も薄ければ功の一つも立ててはいない者だというのに。

『あの方は新旧隔てるような事はなさいませぬ』

 家康の言葉がふと、脳裏に蘇る。

『そうじゃな、その通りじゃ』

「怪我はない? どこも痛くしてない?」

 生還はしたものの、どこか深手を負ってはいないかと、心配そうに秀吉に問いかける。
己の目で、指先で秀吉の無事を知れば、今度は後方の三成や左近を見て心配する。
そんなを見ていれば、言葉にし難い愛情が止め処なく湧き上がって来た。
 秀吉はを自ら引き離すと、その場に膝をついた。
続いて左近が膝を折り、三成が折れば、凱旋した兵が連なるように膝を折った。

様、豊臣秀吉、今戻りましたわ。首尾は全て上々にて…お言葉を賜りたく」

 ちらりと目で見れば、は気がついたようにこくこくと頷いた。
胸一杯、胸に空気を吸い込んで、

「骨折りッ!!」

 叫んだ。
帰還した豊臣一門が立ち上がり兜を天に向けて放り投げて、口々に勝鬨を上げる。
勝者の咆哮を聞きながら満足そうに笑うを見た三成は、眩しいものでも見るように目を細めた。

「…降参だ…」

「殿?!」

 彼の呟きを耳にした左近が、恐れていた事が現実味を帯びたと、顔に悲壮感を貼り付けたのも束の間。
三成はずんずんと進んで行くと、の額を己の扇で軽く叩いた。

「お前はどこまでバカなんだっ!! 財を無駄に使い、しかもこんな異様なモンを城から吊るしおって!!
 世間の笑いものになるだろうがッ!!」

「何よ、帰ってきた途端ッ!! こんなに心配してあげたのにッ!!」

「やかましいっ!! 今回という今回はもう許さん!
 お前の事はこれから俺がビシビシ躾けてやるから覚悟しろッ!!」

「絶対にイヤーッ!!」

 怒鳴った三成の目には柔らかく甘い光。
彼の中で燻っていた春は、自覚と言う名とともに、今開花した。

 

 

 北条を制圧し、自領を増やした日の夜。
名立たる将は祝勝会の中にあって、上げた戦果の余韻に浸っていた。
最初の内はの姿もそこにあって、無礼講という様相を呈していた。
武人としてではなく一人の人間として感情のままに喜ぶ将兵の姿を見て、微笑んでいたわけだ。

「どうしたんです、こんな所で」

 宴もたけなわ。数多の将兵が酒に潰れた頃、は一人席を立った。
「風に当たりたい」といって中庭へと出れば、の離席に気がついた左近が後を追ってきた。

「ごめんなさい、楽しんでたのに」

「まさか。野郎ばかりの席で楽しいって事もないでしょう」

 左近らしい言葉には笑った。
縁側へと腰を降ろして、満点に輝く星空を眺めて小さく溜息をつく。

「本当に、どうしたんですか。相談なら乗りますよ。左近は姫の軍師ですから」

「…うん……そうだね、左近さんにまず聞いて貰おうかな」

「と、その前に……風邪を引くと困りますからね、着て下さい」

 彼の羽織を背中から掛けられて礼を言った。
縁側に寄り添う二人の姿は、傍から見ればなかなかのものだった。

「あのね」

 ずっと考えていた事を吐き出そうとは口を開いた。
声が上擦り、緊張する。手には自然と汗が浮き上がった。

「おやおや、抜け駆けかい? 感心しないねぇ」

 そこで頭上から降ってきた声に左近は顔を顰めて、は目を丸くした。
声のした方を振り返れば、そこに慶次と幸村が立っていた。

「場の空気読んで下さいよ、二人とも」

 左近が言えば、冗談じゃないとばかりに幸村が眉間に皺を刻み、慶次が空いているの隣へと滑り込むように座った。

「場の空気を読んだから、ついて来たのさ」

 慶次の言葉に左近は顰め面のままだが、は苦笑いだった。

「そっか、そうだよね。二人は左近さんと一緒で、私の最初の理解者だものね。
 誰か一人に話すのは、ずるいか……ごめんね、二人とも」

「いいえ、様のお考えであれば」

 そういった幸村の顔には微かな寂しさが見え隠れしている。
それを見て、は首を横へと振った。

「今回二人を呼ばずに話そうかな? って思ったのは、左近さんが軍師さんだからなの。
 別に深い意味はないからね、気にしないでね」

 さらりと痛い所を突いてくるに、三人は苦笑する。
そうだ、この人は何時如何なる時も、自分の事は二の次で、疎い人だ。
もう少し自覚させた方がいいだろうか? と、三人が視線で会話する。
その事実にさえ気がつかず、は再び天を仰いだ。

「…あのさ、私、時々考えるんだけどね……を、誰かに譲れないかな」

 唐突に飛び出した単語に、三人は瞬時に顔色を変えた。

「弱音に聞こえたら、ごめんね。でもこの前の話で痛感したの。
 三成や家康様、兼続さんが言った通り…なんだよね。私、すごく身近な事しか見えていなくて……。
 でもそれじゃ、沢山の人の命を預かれないし…守る事なんて出来ないって、思うの」

「…様…」

「だから、譲るってのかい?」

 こくりと一つ頷いて、は肩を落とした。

「…正直、重いし…しんどい」

 小さく小さく丸まった背を見れば、が胸に内包している何かに疲れ果てているのは一目瞭然だった。

「導き手といわれてここへ着いて、命を拾って…契約であり、恩返しでもあるような気がしてた。
 でも、気がついちゃった…」

「何に、ですか?」

 探るように問われて、は自嘲の笑みを漏らす。

「この契約、先がない」

 この人は何時から、こんなに悲しい目をして笑うようになったのだろうか。
今までは一度もこんな風に笑う事はなかったのに、どうしてこんな風に? 湧き上がった疑問と共に胸が痛んだ。

「…先がないんだよね……何時まで頑張ればいいとか、何をどこまで頑張ればいいとか、見えなさ過ぎて……重たい」

 はぽそぽそと呟くように話し続ける。

「天下を統一すればいい、それで契約が終わるというのなら…それは私の仕事じゃない気がするの。
 だって私……なりゆきで君主になっただけよ? 人を導ける程、強くもないし、しっかりしてもいない、
 特別頭がいいってわけでもない。皆は支えてくれるというけれど……もしかしたら私なんかよりも
 もっと適任者がいるんじゃないかって、そう思う…」

「それはどうかねぇ」

「押し付けるつもりはありませんが、左近はこう思いますよ。
 兼続や政宗が膝を折ったのは姫だからだ。他の者に譲ったところで、彼らは従わない」

 左近の言葉にが困ったような顔をすれば、幸村もまた左近と同意見だとばかりに口を開いた。

様は気がついておいでか分かりませんが…秀吉殿と家康殿もそうです。
 お二人同士はとても仲が宜しい。しかし彼らの家臣までがそうとは言えない気がします」

「…あ、う、うん…」

 思い当たる節はあると、の視線は微かに揺れた。
考えてみれば、の配下には今や伊達勢、徳川勢、豊臣勢と、大きく別けて三つの派閥が存在している。
その内誰に任せても成り立たないだろうし、どこにも預けずに第三者を連れてきても、纏まる事はないだろう。
 そう気がついてしまえば、自分が今口にしている事は一時の気の迷いにするしかないのだと痛感する。

さん、重たいかもしれないが…さんだからまとまってんのさ。
 あんたを失えば、皆迷走するぜ」

 敏いなら、もうそこに気がついているだろうと判じながら、慶次は言う。
彼にしては珍しく落ち着いた口調だった。
彼は話しながら、慰め労うようにの後頭部を撫でた。

「でもな、どうしても逃げたくなったら言いなよ。この俺が、松風で地の果てまで連れて逃げてやる。
 あんたが安心して暮らせる場所へ、命張って連れてってやるよ」

「慶次さん」

「そうです、私もお供します。どこまでも。
 様、何もかも、ご自分一人で背負うのはお止め下さい。そのような事、どのような武士とてしませぬ」

「幸村さん」

「姫、俺はね…俺の軍略は…姫の為だから揮ってんです。
 こう言っちゃなんだがこの左近、軍略も、戦の腕もそれなりだ。
 自分の身を守り生きるだけなら、わざわざ誰かの軍師になんかなる必要はないんですよ」

「さ、左近さん?!」

 左近の爆弾発言に仰天して彼を見れば、彼は不適に笑った。

「でも、俺は軍師になった。やっぱりそれは姫に惹かれたからだ。
 気弱になるのもいいですけどね、あまり自分を過小評価されちゃ困りますよ」

 三人の言葉に胸を打たれたのか、が微かに涙ぐむ。
そんなを見兼ねたのか、慶次が言う。

「なぁ、さん。そんなに辛いなら、そろそろ降ろしなよ」

「降ろす?」

「ああ。抱えてるもん、全部。一切合財、俺達のところへ一度降ろしな。引き受けてやるさ」

 三人の言葉には震えながら言葉を捜す。
まだ彼女は迷っている。何かを恐れている。

「どのような事を聞かされても……我々は貴方を裏切ったりはしません。
 忘れないで下さい、我々は、貴方の臣です」

 幸村の真っ直ぐな視線を受けて、はこくりと小さく頷いた。

「……やっぱり、話さなきゃ…いけないかな……話した方が…いいのかな?
 本当に、話してしまってもいい事なの?」

 自問自答を繰り返すを見て三人は同時に言った。

「聞かせた後で、まずかったと思えば"忘れろ"といやーいいんですよ」

「そうさ、忘れるさ」

様がそう望むのであれば」

 軽い調子で返されたは、目を丸くしてから苦笑した。

「そっか、なら……話して…みようかな…明日、皆を集めてくれる?」

 

 

 翌日、二日酔いが微かに残る名立たる将兵は評議場へと呼び集められた。
大きな戦でもないのに各々がこのように集められる事は最近となっては珍しい事で、呼び集められた将兵の顔には少なからず緊張が見て取れた。
 結果だけを見るならば、時間厳守で集められ始められた臨時会議がその日の内に本来の目的を達成する事はなかった。前触れもなく訪れた異国の商人が交易品を売りに来たからだ。
彼はの指示を受けて事前調査に奔走した秀吉を頼りに、の前へと品物を売りに来た。
本来の議題が長くかかりそうだと踏んだはその商人との商談を優先させた。それが仇となった。

「今日持ッテキタ品物ハコレデース」

 胡散臭い片言の日本語で差し出された円筒の包みを開いて中を検分したは顔面を蒼白にすると、その場にするずると座りこんだ。

「どうしました?!」

 慌てて支えてくれた幸村の腕の中から左近を見て、商人に指定の金額を払い、商品を買い上げる。
いい商いが出来たと商人は満面の笑みで帰って行ったが、到底喜べないとは思った。

「あ、あの、これ……あの、これって…どういう…」

 混乱と動揺を露に、今手にしたばかりの交易品を指し示す。
広げられた羊皮紙には精巧に書かれた世界地図。
ただそれは、の知っている形ではなかった。
 現代で言うところの日本、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、ロシアとの知る国々の地形がしっかりと
書かれている点に変わりはないのだが、一つだけ決定的な違いがあった。

『……どうして? なんで? なんでこれ……逆になってんの?!』

 手に入れた地図はの世界を鏡に映したような分布図で構成されていた。

「どこか変ですか?」

「こりゃすごい。随分と精巧に…いやぁ、いい品を手に入れましたな」

 口々に感嘆を漏らす諸将を前にすれば、いやと言うほど思い知る。
自分がおかしいのではなく、本当に、これがこの世界のありのままなのだ、と。

「あ、ご、ごめん……少し……というか、大幅に事情が変わったから……今日の会議、ナシの方向で…」

「え?!」

「ハァ!?」

 目を丸くする全員の前で、腰が抜けたとばかりにへたり込むは、そう告げるのだけで精一杯だった。

 

 

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彼女が辿りついた世界は、ある種のパラレルワールド。(08.05.24.up)