遠い世界からの神託

 

 

『待って下さい!! そんな事言われても、不安です!! はいそうですか、なんて思えません!!
 自分の選択が遠い未来を左右するんですよ?! 確証もないのに…動けだなんて、酷いわ!!
 貴方方は私の選択がこの世界の平穏に繋がるというけれど、本当にそうなのですか?
 本当は私が乱しているのかもしれないじゃないですか!!』

『焦るな、鍵を握る者よ。少なくとも、お前の干渉で大地に緑は戻り、天も太陽を取り戻した。
 これでは確証にならぬのか』

 そう言った女は静かに瞼を閉じた。
その時の女の表情を見て、は悟った。
丸投げされているのではなく、この人は諦めているのだということを。
救いを願いながら、導きながら、同時に眺め続けてきた多くの失敗に傷つき、疲れ果てている。
だからこんなにも悲しそうな顔をするのだと気がついてしまった。

『………完全なものなどこの世にありはしない……お前は、ただただ気負わずに自分の信じた通りに進めばよい。
 未来が重いというのならば、もっと簡単に考えればいい。未来を取り戻す事で、自分の世界への道を開くとか……
 そうだな、今お前がいる時代の大切な者の為に…とかな。理由は、なんでもいいのだ。
 お前が選択を積み重ねる事こそが大事なのだから』

 女の言葉が胸に刺さり、はぐっと息を呑む。
胸に湧き上がってくる数多の感情が抑えきれず、目頭が熱くなった。

『ただ、これだけは忘れないで欲しい。迷ってはならない、止まってはならない。
 未来はまだ朧だ。何時如何なる時も安定を持たぬ。お前が立ち止まる間に、未来の崩壊は近付くのだ』

 は諦めたように小さく息を吐くと、もう一つ問い掛けた。

『分かり……ました……考えます、もっともっと色んな事……。
 あの…もう一つ、いいですか。今回は携帯端末でしたよね?
 こういう形で、また何か届けられる事があるのですか?』

『それは我の知るところではない』

『え?』

『言ったはず……数多の者が過去へ送られた、と』

『は、はい』

『お前の起こした変化で生を繋いだ別の時代の同士が、お前を見つけ出したのだろう。
 そしてお前の手助けをするべく送ったのではないか』

 その言葉で、一瞬の内に胸に安堵が広がった。
姿形の見えぬ存在であっても、純粋に嬉しかった。
自分一人の肩に掛かった重みが微かに軽くなった気がした。

『お願いだ、鍵を握る者よ………この世界を、そなたの世界のように平穏に……』

 光が薄れて女の声が遠くなる。タイムリミットが来たのだとは悟った。
が右手に残る温もりへ意識を向けようと視線を流した瞬間、それは起きた。
 突然大地が揺れて、裂けた地からマグマが吹き出す。
芽吹いたばかりの緑が風の中に散って消えてゆく。
溢れ続けるマグマは、まるで世界が流す涙のように見えた。
 束の間の平穏を取り戻したはずの世界が、あっという間に破壊の影に覆い尽くされてゆく。

「なっ!! どうして?! だめっ!! 止めて、よしてッ!!」

 叫んで世界を見回せば、あちこちに暗雲が広がり始める。

「あ…ああ……だめ……こんなの……だめ………折角……戻したのに……戻ったはずだったのに…」

 失われてゆく穏やかな世界を見続ける事しか出来ない無力感に呑まれて胸が痛んだ。
溢れだした涙が止まらず悲鳴を上げた。

「止めて……止めて…もう、壊さないでっ!!」

 強い力に引かれて体がぐらつくと同時に、腕だけではなく全身に温もりを感じた。
急に目に映る世界が入れ替わり、意識は混濁する。
それと同時に、強い疲労が全身に襲いかかって来た。
 発熱でもしたのだろうか、背筋や額には玉粒のような汗が噴出していた。
あの時空で抱いた拒絶反応が、現世に残る体に過剰負担をかけていた事は明白だった。
 は引き戻された現世で、必死で辺りを見回して現状把握に努めた。
腕を引いて抱きとめているのは、家康。
漆塗りの箱を扇で弾き飛ばしたのは、三成。
彼ら二人は現世で起きたの変化を見かねて、強制的にの事を呼び戻したのだ。

「何があった?」

 問われてもすぐに答える事は出来なくて、は家康の腕の中で泣き続けた。
全てのきっかけとなった老人との決別。
新たな使者が紡いだ真実。
その中で見た、歴史の変化。
何もかもが、の肩に重く圧し掛かり、心を締め付けた。

「また……壊れてしまった………どうして? 直したはずなのに……なんで、どうして壊すのッ!!」

 溢れ出る感情のまま叫べば、意図を汲めぬ諸将は困惑を示すばかりだった。

「壊さないで………作るのは、大変なのよ!! 維持するのだって、大変なの!!
 壊れて失ってしまった物の代わりになるものなんて、どこにもないのにっ!!」

 感情の抑制が効かなくなっている事を悟って、三成は溜息を吐いた。

「…壊さないで…………あんな酷いこと……もう…止めて………もう……こんな事……」

 子供のように泣きじゃくるを家康が無言のまま介抱した。
やがて安堵を得たは、肉体的な疲労に促されるまま深い闇の中へと意識を落とした。
家康は最後まで繋いだ手を離しはしなかった。

 

 

「いや〜、驚いたわ。あんなんが何度も続いてるんか」

 を自室へと戻した後の評議室で呟いたのは秀吉だった。
三成も一度は片鱗を見ているが、これほど大きな影響が出たのを見たのは初めてだ。
歯痒さと苛立たしさを顔面に貼り付けていた。

「御労しいの〜、折角の可愛い顔が見る影もなかった…わしらに出来る事があるといいんじゃがの〜」

 何度か見舞いに行っては、泣き出しそうなに謝られて、閉められた襖の前で秀吉は肩を落とし続けた。
今までの流れを繰り返すようにの体調は大きく崩れた。
今回の影響は今までの中でも最大級で、はそれからきっちり三日間、深い眠りの中に虜となった。
四日が経ってようやく目覚めた時、の顔には、深い悲しみと焦燥しかなかった。

「…ご心配をお掛けしました。それで早速なんですけれど……今結んでいる同盟を全て見直そうと思います」

「え…?」

「対話は大事です、でもずっとこのままという訳にもゆきません。併合できるところから、併合しようと思います」

 評議場に現れたは暗い眼差しで、命を下した。

『まるで人が変わったようだ』

 誰もがそう思った瞬間だった。

「その前に、話すべき事があったんじゃないのか」

 三成の問いかけに、の反応は鈍い。

「……話すこと? 話して、どうなるの? 話した所で……何も変わらない……」

「何?」

「貴方方じゃ、だめなの……私が、選ばなきゃ……だめなの」

 抑揚を失った低い声で話し続けるは、泣いているようにしか見えなかった。

「いう事を聞いて。貴方、私の臣なのでしょう?」

 三成を見上げた眼差しには突き放すような物言いとは裏腹に、救いを求める光が色濃く溢れていた。
息を呑んで、動揺する三成の背後から、秀吉が進み出る。

「サルめがどうにかしましょう、様」

「…秀吉様……いいえ、貴方はだめ…」

「ありゃりゃ、そりゃまたどうして??」

「貴方には、財源の削減をお願いします。今掛かっている経費、全部半額にしてください。期間は一ヶ月です。
 今すぐとりかかって下さい」

 一夜城の時と同じだ。この女は自分が成功する事を知っていて、命を出している。
そう悟った秀吉は、その場は大人しく引き下がった。

「…併合出来そうな弱小勢力を見積もって……そうですね、左近さんと政宗さんで話を纏めて下さい」

 返事は聞かぬとばかりにはつらつらと話し続けた。

「それと…家康様…」

「ハッ」

 姿勢を正した家康を見向きもせず、は言った。

「すみません……一度、死んで下さい」

 完全に場の空気が凍りついた。

「確か、南に毛利が抑える土地がありますよね?
 あそこに……ああ、そうだ…まずいな…今ここに忠勝さん、いないんだ。

 ……ええと、うん…そうだ…慶次さんと兼続さんと…三成もつけます。
 彼らと一緒に、ちょっかい出して来て下さい。勝たなくていいです……敗戦でいいので…
 峠を越えて帰ってきて下さい……大丈夫、後方支援に半蔵さんもつけますから……」

 虚ろな眼差しのまま話し続けるには、感情自体がなくなってしまっている。
そんなを見ていれば、諸将の間に動揺が生まれるのは当然だった。
評議場の中に蔓延した緊張が弾ける前に、幸村が立ち上がった。

「…ごめん」

 意を決したような面持ちの幸村は、無言での前へと進み出てくる。
怪訝な顔をしてが幸村を見上げれば、彼はの頬を掌で打った。
畳の上へと崩れたを抱き起こし、幸村は両手で強く抱きしめた。彼の声は震えていた。

「どうされたのですか、一体……何があったと言うのです、様!!」

 幸村の温もりが、の心に切々と訴えかける。

「私の敬愛する貴方は、決してそのような事を言いません。
 戦いが嫌いで、臆病で、滅茶苦茶な事ばかり考えて、無茶ばかりします。
 ですが、決してそのような事を口にする方ではない!! 様、どうか目を覚まして下さい!!」

 顔をしゃくりあげて、真っ直ぐにの瞳を幸村は見つめた。

「今の言葉を、もう一度、家康殿の顔を見て、言えますか??」

 ぐっと、息を詰まらせて、は大粒の涙を流す。

「貴方を信じ、貴方に下った男です!!
 貴方が苦しむ時に、何時も貴方の"父"として貴方を支えた、心配した男です!!
 そんな男に、貴方は今なんと言いましたか?! 死ねと、そう仰ったのですよっ?!」

「…だって……だって、そうしないと……そうしないと………壊れたままだから……」

 両手で頭を抱えて声を殺して、は泣き続けた。

「何が壊れたというのです、何も、何一つ壊れてなどおりません!!」

「それは、今、この瞬間だから!!」

様!! 何かを守る為に、何かを犠牲にする事は時として必要です。
 けれど私の知っている貴方は、それが出来ないお方だ。何もかもを守る方法を探す人です」

 幸村の目に熱いものが込み上げて、微かに歪んでいる事を悟って、は息を深く吸い込んだ。
何かを飲み込もうとしているのか、深呼吸を何度も何度も繰り返した。

「目をお覚まし下さい、様」

 ひゅうひゅうと音を立てて胸で息を吐くを見て、慶次が立ち上がった。
幸村とを引き離して、大きな掌で背を撫でる。

「吐いちまえ、さん。あんたが腹におさめてるもんは、毒だ。あんたを壊しちまう」

 体を縮めたの口元から漏れるのは苦しげな呼吸。

「それも出来ないっていうなら……いっそ、逃げちまうかい?」

 瞳を大きく見開いて、慶次を見上げれば、彼は全てを許容する笑みで見下ろしていた。

「約束したろ? 耐えられなくなったら、地の果てまで連れて逃げてやるってな」

 首を振ってそれは出来ないと辛うじて訴えるの頬を慶次が撫でる。

「いいんだぜ、もう…充分だ。俺からしたら、さんが笑えない天下じゃ、意味はない」

「…やだ……やだぁ……こんなの…やだ…」

「ああ、そうだな。らしくないことしてるよな」

 子供のように繰り返すは、まだ一人で何かを背負おうとし続ける。
そんなの背に、一人の男が立った。

「いいでしょう、死にましょう」

「!」

 脅えたような眼差しで振り返れば、家康が緊張を隠そうとして無理に笑っていた。

様が必要と言うならば、必要なのでしょうな。うむ、三河武士の」

「だめぇ!! やっぱり、だめ、なしっ!! 今のは、なしっ!!」

 両手を伸ばして家康にかじりついては首を大きく横へと振る。

「……助けて……家康公……怖い……苦しいよ…………もう、何が正しくて…必要なのかが…分からない…」

様?」

 膝を折って手を取れば、あの発作に近い症状が出始めていた。

「……救わなくちゃ、いけないの…」

「誰をです?」

 秀吉がここぞとばかりに進み出てきて顔を覗き込んだ。
は言葉を失い辛うじて、空いている方の手を上げて天を指し示した。

「天? 天下ですか?」

 ふるふると首を横に振って口を開こうとするが、声が出なかった。
ついに彼女を包み込むストレスが振り切ったのだ。

様?」

 顔色を変えて、秀吉がの手を取った。
瞬間、秀吉はその場に膝から崩れた。
目を大きく見開き、畳の上へと横たわるの事を見る。

「秀吉様?! どうされました?!」

 三成が駆け寄れば、秀吉の額にはと同じように汗が噴出してきた。

「おいおいおい、なんじゃこりゃ……一体、どうなっとるんじゃ…?」

 秀吉は独白し、すぐに家康を見上げた。

「見えとるか? 家康殿」

「いいえ、儂にはさっぱり…」

「そ、そうか……わしだけか…わしにしか見えとらんのじゃな…。
 なんちゅーこっちゃ、様…こんなもんを抱えとったんか…そりゃ、声を失う……心を壊すわ」

 秀吉はゆっくりとの掌を両手で包み込み、撫でた。

様、大丈夫じゃ。わしが引き受けた。もう大丈夫じゃ」

 視線で問い掛けるに秀吉は笑って頷く。

「きっと大丈夫じゃ。いい方法がある。わしゃ、猿知恵だけじゃ誰にも負けんのさ!! 任せてちょ!!」

 

 

- 目次 -