傍にいるということ - 風魔編

 

 

「ですから、誤解です。ただの挑発です」

 無軌道な風魔が引き起こした騒動は、慶次が彼の本体を打ち負かす事で辛うじて終結させる事が出来た。
激闘に参加しなかった諸将を軸としたお片付け班が階下から上がって来て作業に従事し始める頃、は騒ぎに加担した将兵全てを掻き集めて、評議場へと降りていた。
珍しい事もあったもので、今日はが皆を正座させて説教していた。

「確かに服は破かれました。深夜に外に連れ出されもしました。
 でも、それは背中の傷に薬を塗ってくれただけなのよ。
 風魔が言ったような、いかがわしい事は一切ありません」

「…しかし…腰が…」

 誰からともなく出た言葉に、は理路整然と答えた。

「だって城から連れ出された後で落とされたんだもん。想像してみてよ、慶次さんと同じ身長なのよ?
 胸元に抱っこされてて突然手を離されたらどうなると思う? そりゃ腰からいくでしょうよ」

 評議場の中をうろうろと歩き回りながら、は仏頂面だ。

「いい? 私の貞操の心配をしてくれる事はとてつもなく有難いんだけど。有り得ないから」

「ならば痣はどう説明する」

 三成の棘々した問いかけをはすっぱりと切り捨てた。

「被れたんでしょ」

「薬にか?」

「うん、それか、その時多少揉めたから植物かなんかで」

「そうか、本当に、本ッッッッ当に、何もなかったんだな?!」

「ないわよ、しつこい!! ってゆーか、そういう濡れ衣かけられること自体が腹立たしいんだけど!!」

 珍しく瞳に真剣な怒りをまといつかせて、は叫ぶ。

「大体ね、皆私の貞操ネタで煽られ過ぎ!! だから風魔が味をしめるんでしょうが!!」

 そんな事を言っても、この面子にそこを堪えろと言うのは酷ではないかと、顔を歪ませるのは政宗を始めとした恋愛レースに直接関わりのない面々だ。
だがそんな一途な男達の思惑など知ったこっちゃないとばかりには激怒する。

「特に慶次さん、左近さん、三成、幸村さん、孫市さん、貴方方は引っかかり過ぎです!!
 いい加減気が付いて下さい!! 風魔はね、マジでぶつかれる仲間ってゆーか友達が欲しいのよ。
 だから、私に絡むの。そうすれば、皆がマジで相手するでしょう?
 そこが狙いなのよ。なんで分かんないかなぁ…」

 それからはきょろきょろと辺りを見回したかと思えば、天井を見上げた。

「それからね、風魔!! きっと聞いてんでしょーから、よく聞いて!!
 今後私の貞操ネタ振ってきたら、金輪際口きいてあげないからね!!
 本当に、本ッッッッ当に嫌なのよ、そういうの!!

 セクシャルハラスメントって言って、私の世界じゃ立派な犯罪よッ!! マジ、止めてッ!!」

 途中で窓を見たりしていた事から考えても、は風魔の気配に見当がつけられなかったらしい。
「全く…」と小さく毒づくと、は再び一同にへと視線を向けた。

「とにかく、これだけ派手に暴れて血祭りに上げられず、
 天守閣を半壊させた責任は取ってもらいますのでそのつもりで」

 「解散」と掌を打って場を切り上げたは、一人で延々と愚痴を漏らし続けた。

「全く、民の血税なんだと思ってんのよ? こんなにボコボコボコ壊されちゃ堪んないわ。
 一体何枚瓦踏み割れば気が済むの?! 土壁にだってあんなに大きな穴開けて……
 冬になったら風が吹き込んで寒い事この上なくなるじゃないのよ!!」

 財政的やりくりに支障が出る、とヒステリーを起こすが評議場から出て行く。
そんなの背を見送りながら、慶次、左近、三成、幸村、孫市は一先ずは大丈夫そうだと肩で息を吐いた。

「怒らせちまったな」

「…ええ…そのようですね…」

「…しかしあの乱破、どうにかしないと…姫の貞操問題、もしかするともしかするぜ」

「あいつ、本当に性質悪いよなぁ。半蔵がいない時を見計らって来てるだろ?」

「雑賀衆でどうにかならないのか?」

「無茶言うなよ。俺達は傭兵、忍者じゃないんだぜ?」

「使えんな」

「そういう事言うならお前がどうにかしろよ。ま、その細腕で出来る事は限られそうだけどな」

「何だと?!」

「なんだよ、やるのか?」

 無表情の鬼対自称色男の戦いが勃発する寸前、廊下からの怒声が上がった。

「三成、孫市さん、ちゃんと懲りてるのッ?!」

 顔を覗かせたの額には深い皺と血管が浮き上がっていた。
孫市は慌てて取り繕い、三成はしらをきるようにそっぽを向いた。

「全く…本当に皆、血の気が多いんだから。どーしてこう男ってすぐに力で解決しようとするのよ」

 そうは言っても水面下に抱える事情が事情だけに仕方がない。
だが自分のこととなるととことん鈍く、能天気なにそれが分かるはずがない。

「今度くだらない事でケンカして何か破損したら……皆、減俸だからね!!」

 ドスドスと激しい足音を上げつつ遠のいてゆくの姿を、風魔は天井裏から気配を殺して盗み見る。
どういうわけか、彼だけが楽し気だった。

 

 

 その日の夜、三度風魔はの寝室へと現れた。無論、治療が最大の目的だった。

「風魔…あんたさぁ…もう、本当、頼むから…ああいう冗談とか挑発は止めてよね。
 うちの将兵は皆生真面目なんだから。
 大体ね、あの慶次さんがマジギレって、あんたの挑発相当性質が悪いわよ? 少しは考えてよ。

 皆のストッパーになりそうな人、本気で怒らせたりしたら、収拾つけられなくなるじゃないよ。
 それとも何、あんたは私に命がけで慶次さんを止めろって、そういうわけ?」

 は自ら着物を緩めて背に付いた傷口の治療を任せながら、うんざりとした口ぶりで言った。
風魔は傷口に薬を塗りながら楽しげに笑うばかりで、の願いを聞いているのかいないのか、定かではない。

「それにね、はなんだかんだいって、まだまだ貧乏なのよ。
 そう何度も襲撃されて、その度にあちこち壊されちゃ、国が続いてゆかなくなるじゃないよ。
 皆一生懸命年貢を納めたりしてくれてんだから、無駄遣いさせるような真似は止めてよね。分かった?」

「どの道、近々引っ越すのだろう。気にするな」

「するわよっ!! 私が引っ越したって、ここ誰かに任せてく事になるのよ?!
 その人が住みにくくなるじゃない、バカ!!」

「達者な口だ……塞いでやろうか?」

「だから…またそんな事して揉め事の種を撒き散らさないでよ。
 どうせ今日の嘘も、あんたが吹き込んだんでしょ?」

「察しが良くなったな」

「他に思いつきゃしないっての」

 吐き捨てるように答えて、それからはふと気が付く。
昨日、一昨日と違い、いやに丁寧に薬を塗られている。これは一体どうしたことなのだろうか?
酷い痛みや熱っぽさはないが、まさか悪化でもしているのか? と不安になってくる。

「…ねぇ、風魔」

「なんだ」

「傷口、そんなに酷い?」

 先程まで真剣に怒っていたかと思えば、今度は不安そうな声。
本当にこの女は喜怒哀楽が激しい。見ていて飽きることがないと風魔は薄く笑う。

「言ったはず、三度夜を越えれば消える。現に痛みは和らいでいるだろう?」

「え? あ、うん。そうなんだけど……なんか、初日よりも薬塗ってる時間が長いから…」

 掛け布団と着物で胸元を隠し、背中を晒しているは、確かに官能的ではあった。
羞恥があるのか、俄かに震えている姿も扇情的だ。
 差し込む月明かりに照らし出された青白い背中は、陶器のように滑らかで眩しい。
普通の男ならこの肌を欲して、恋に狂い身を焦がすのだろう。

『…くだらぬ…くだらぬな……』

 だがそれを目にして触れている風魔には、到底そんな気持ちは持てなかった。
何故なら彼は知っているのだ。
この陶器のように美しい肌を持つ女の心には、その美しさとはまるで逆の感情が渦巻いていることを。

『…一時の快楽では、消せぬ…』

 特にここ最近のは、何か目に見えぬものに追い詰められ、疲弊しきっている。
喜怒哀楽がくるくると移り変わった顔が、一人でいる時には悲しみに満たされて、時として三成以上に無表情になる。
何かを見据えて、何かに悩む時にやってくるそれは、徐々に頻度を増やしていっている。

 

"らしさの欠如"

 

 無意識に続くそれは、の中の何かが壊れて行っている証拠に他ならない。

『…つまらぬ……それでは……つまらぬな…』

 その表情を見たくはなくて、見せられるのが苛立たしくて堪らない。
そう感じるようになってからというもの、彼は事ある毎ににちょっかいを出すようになった。

『…忘れろ……思い出すな…考えるな……』

 その事を考えるから、心が壊れる。体が疲れる。
ならば、考えなければいい。向き合う時間を彼女から奪ってしまえばいい。

『…それは、うぬには必要ない…』

 少なくとも風魔の認識の中では、自分が傍にいる間は、の顔には怒りが貼り付く。
彼女の心を覆う影に思いを巡らせる余裕もないという体だ。
ならば、それを利用しない手はない。
 自分の事を子供扱いしているきらいがあるのは腹立たしい。
だがあんな生きた屍のような姿を見せられるくらいならば、これでいい。
何故だか、そう思えてならない。

「…傷は消える…」

 気持ち沈んだ声で風魔は言う。珍しく何かを考えていることが分かる声色だ。

「風魔?」

 声を発するの背を見る風魔の瞳はどこか寂し気だった。
背を向けたままのがそれに気がつくことはない。

「案ずるな、傷は消える」

 淡々と言いながら、薬を塗り続けながら、風魔は僅かに顔を強張らせた。
独白のように、同じ言葉だけを繰り返し続ける。

「傷は…消える」

 では、次からは何を理由に彼女に触れればいいのだろう?
強引に手を出せば、叱られる。
それでは本当に欲しい物は手に入れられないと、は断言し嫌悪する。
の言葉を信じるつもりはない、それを守る事で得られるものがあるという確証もない。
 けれども彼女が本気で嫌がることをして、その結果、ここ数日続くような悪夢を再び見るとしたら? 
それはそれで面白くない。

「………うぬは…我が座興…」

 自身の中に芽生えた感情に素直すぎる反面、こうした霞みがかった感情と向き合うのは苦手なのかもしれない。
風魔は沸々と湧き上がってきたらしい苛立ちを顔面に貼り付けた。

「……それだけのことよ……」

「え?」

 独白の中に潜む真意が計れずに、が怪訝そうに顔を歪める。

「忘れるな、うぬは我が座興………我は何時如何なる時もうぬを見ているぞ」

 振り返らないことをいい事に、風魔は己の指先に唇を落とし、その指での傷口付近をなぞった。
擬似的な接吻だ。

「あのねぇ、風魔……それはストーカーと言って…」

 はいいかけて、背にあった気配が消えた事に気が付き振り返った。
思った通り、風魔の姿はもうそこにはない。

「…もう…本当に困った人ね…」

 は「お茶くらい出してあげたのに」と呟くと、放置されていた包帯を自らの手で巻いて、着崩していた夜着を整えた。

「…有り難うね、風魔…」

 呟くように柔らかい声で言って、それからすぐに横になり、瞼を閉じる。
程無くは、ゆっくりとゆっくりと、眠りに落ちて行く。
天井裏に身を潜めた風魔は、横になったを静かに見守る。
眠るの顔には疲れはあるが、悪夢に魘される様子はない。

「…それでいい…。うぬは我が座興…………さぁ、次は何を仕掛けようか…」

 風魔は満足気に薄く笑い、低い声で呟いた。
それは、彼の無自覚の恋の始まり。

 

 

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特別が欲しいわけじゃない。ただ貴方がもう特別なんだ。それに気が付いていないだけなんだ。(08.09.11.)