傍にいるということ - 孫市編

 

 

「で、どうしたんだ?」

「どうもこうもしません。貴方のせいで盛大に悩んでます」

「恋の悩み?」

「ええ、大きく分類するなら、そうなるんだと思いますよ。私は今のままで充分なのに、だめなんて。
 大体ね、秀吉様は私の事を貴方がよく見てるからそんな事を言い出したんだなんて言ったけど、何時見たの?
 どう見ているというの? 昨夜の話にもあったように私達、知り合って間もないのよ?
 早々理解できるものでもないでしょう」

「どうかな、傍から見て貴方は随分無理してると思うぜ? 
 何が理由かは知らないが声を失い、治ったかと思えば今度は故郷で死亡説が定着したと言う。
 今にも泣き崩れそうな顔をして慰め会だなんだと言い出したかと思えば、たった一晩騒いだだけで、
 翌日にはもう立ち直りました、だぜ? 有り得ないだろ、普通に。
 他人ならいざ知らず、自分の生死だぜ? それのどこが無理じゃないって言える?」

「それは…そうかもしれないけど、でも、どうしょうもならない事を抱え続けていても仕方ないでしょう。
 私は、命を落としかけたところをこの世界を導くという条件で救われてしまったんです。
 なら、出来る限りのことをしなくちゃ」

「ご大層な契約だな。で、その契約の規約事項の中には、貴方は骨身を削って、自我を壊す程の無理をしなくちゃ
 ならないっていう一文でもあるのか?」

「ないわよ、そんなの!!」

「でも、そこを選ぶ? 馬鹿気てるな」

「悪かったわね」

「性分なんだろうが、自分に厳しすぎるのは考えもんだぜ」

「だから、無理なんかしてません。皆がいて支えてくれてる、護ってくれてもいる、本当に大丈夫よ!!」

「またそうやって強がる」

「どうしたら信じてくれるのよ?! 本人がそう言ってるのに!」

 激しい言葉の応酬が続いて、最後にが「くどい」と吐き捨て顔を強張らせれば、孫市は顔を顰めた。

「頑な過ぎるからさ、逃げて逃げおせているならまだいい。
 けど貴方はそれすら成功させてない。だから信じられない。

 第一、本当に平気なら、どうして俺如きの言葉でそこまで揺さぶられる?
 貴方が考えているように、俺は新参者だぜ?」

 ぐっと息を呑めば、孫市は薄く笑った。

「っと、今のは少し意地が悪過ぎたか? 悪いな。でも、そういう事だろ?」

 鋭く切り込んだかと思えば、今度は愛情をたっぷり含んだ眼差しで愛でられる。
急激に変わる彼のまとう空気について行けなくて、は額を抱え込んだ。

「どーしてそう核心を突いたかと思えば、優しく手を差し伸べて見せて……コロコロコロ変わるの?」

「知りたい?」

「ええ、でないと身が持たない」

「疲れさせたいからさ」

「ハァ?」

 怪訝な眼差しを向ければ、孫市は今度は真剣な眼差しだ。

「貴方は疲れなきゃ本心を口にしない。だから俺は貴方を振り回して疲れさせなきゃ、話すら出来ない」

「…孫市さん、大きなお世話って言葉、知ってます?」

 「分かってる」と頷いた孫市は、しれとした顔で追随も忘れなかった。

「だがほったらかしで貴方が壊れるよりはいい」

「壊れてなんかいません」

「声を失ってたのはどこの誰だ?」

「…それは…その…」

 言葉に詰まるとの距離を詰めて、孫市はの手を取る。

「辛かったんだろう? それに今だって辛いはずだ。何一つ、解決しちゃいないんだからな。
 俺、ここに来てから良く思うんだぜ?
 あの時、既に俺が傍にいたら、貴方に声を失わせたりはしなかったのになってな」

「…人の心臓の上に銃口つきつけてた人間の言葉とは思えないんですけど」

 ぺちと掌を叩いて振り払う。
孫市は甘んじて受けてからきり返す。

「だが俺の言葉も一理あるだろう? あの時いた連中は、貴方が声を失う程追い詰められているのに、
 貴方の心から重荷を取り除く事が出来なかった」

「皆を悪く言わないで、あれは私が拒絶してただけ」

「そう、拒絶するほど信がない」

「そんなことない!」

「あるさ、家臣として信じていても、男として信じられないから、私的な事は何一つ吐露出来ない」

 伸ばした手で抱き寄せて、孫市は耳元で言う。

「誰かと心を重ねていれば貴方はこんなに疲弊していないはずだ」

「孫市さん…お願い、揺さぶらないで。私は、恋愛する為にここにいるわけじゃないし、したいとも思ってない」

「道理だな、恋はしようと思って出来るものじゃない。
 けど逆にしたくないと思っても落ちちまったら逆らえない。それが恋だ」

 分かるか? と視線で問えば、は孫市を振り払おうと、両手で孫市を押しやる。

「それが自分だとでも言うつもりですか」

「まぁね。俺としては、もう一つ言いたくてね」

「何を?」

 の力ではびくとも動かない孫市の体が傾いて、の顔に近付いた。

「貴方に次が来ちゃ困る。その為にも頑なな心を開いてほしい」

「次?」

「ああ、また深い苦しみを味わう事になるんだろう?
 何が起きて、どうしてそうなるのかは俺は知らない。
 だがここの連中の様子を見てりゃよく分かる。きっと壮絶なんだろうさ。
 貴方を取り巻く元凶は、少しも緩和されてない……なら、次もあるはずだ」

 薄々自分でも感づいているあの衝動の飛来を指摘された事での体が強張った。
それを解すように孫市はの背を撫でる。

「俺の思いも察してくれ。愛する人が、一人で大きな重責を背負わされて苦しんでる。
 何もしてやれない悔しさ、助けてやれない痛さがどんなものか…貴方は想像出来るか?
 代われるものなら、俺が代わるのに」

 その言葉を聞いた瞬間、の脳裏に常に忘れたいと願い続けそれでもままならなかった言葉が、現世において来た思い出の数々とともに蘇った。
全身に火が灯ったような熱さを覚えて、激情が腹の中から湧き上がってくる。
その灼熱のような感情を制御する事は、今のには困難だったようだ。彼女は心のまま叫んだ。

「嘘つき!!」

 言葉と同時に、孫市の頬へと平手打ちを見舞った。
ぶるぶると震えるの瞳からは大粒の涙が一粒、落ちた。

「そんな事言って、肝心な時に、いないじゃない!!
 男って何時もそう、口先で落とす前までは甘い事を言うのよ!!

 リップサービスだとでも思ってる?! 馬鹿にしないで!! そんな言葉を簡単に口にして、信じる方が
 馬鹿だって分かってるけど、信じて裏切られた方の気持ちも知らないで、そんな事、よく言うわっ!!」

 掠れる声で吐き出して、滾る感情を心のままに叩きつける。

「貴方には遊びでも、ちょっと粉かけた程度のつもりでも!! それでも!!
 私は、あの時、信じて待って…た………」

 勢い任せに口走って、途中で我に返って息を呑む。
頬を打たれた男は真摯な眼差しでを見下ろしていた。
彼には怒りはなく、悲しさも、寂しさも、後悔もなかった。
そこにあったのは、六年前に置いてきた、欲しいと願いながら諦めた眼差しそのものだった。

「…ようやく、一つ吐き出したな……」

 頬を打った掌から広がった熱が全身を覆う。
どうしようかと息を呑むをあやすように孫市は頭を撫でた。

「いいんだぜ、全部吐き出して。誰が貴方を裏切った? その時どう思った?
 自分の中に閉じ込めておくのは、辛いだろ?

 俺は貴方のそういう部分も一切合財ひっくるめて、受け止めるつもりだ。遠慮なくぶつけてくれ」

"代われるものなら、変わるのに"

"君の力になりたいんだ"

 同じ言葉を使われただけで、忘れたはず、置いてきたはずだと思っていた衝動に火がついた。
単純な自分の思考を恨んだが、そんなものはこうなってしまえば後の祭りだ。
は掠れた声で、孫市へと謝った。

「ご、ごめんなさ……私…私……叩くつもりなんか…本当はなくて…」

「いいんだって、気にするなよ。""に触れられて、俺は嬉しいんだって」

「でも、でも…!! 孫市さん、心配してくれただけなのに……何も悪い事はしてないのに…」

「だから気にするなって。それよりも、聞かせろよ。なんでそこまで怖がる? 嫌がるんだ?」

「それは……」

 そこで急に孫市とは引き離された。

「そんな事はどうでもいい」

「孫市殿!!」

「あんた、油断も隙もあったもんじゃないな」

「孫市、白昼堂々やってくれるじゃないか」

「いてててて、お前ら、髪は止せ、髪は!! だからって肩掴むな、三成! 爪食い込んでるって!!」

 先程のの悲鳴を聞きつけて飛んできた三成、幸村、左近、慶次の横槍が入った形だった。
彼らは目に底冷えする敵意を含み、フォロー役に兼続をその場に残すと孫市を引き摺って出て行った。

「え…あ……あの、別に、孫市さんは…悪いわけじゃ…」

殿、これも愛だ」

「ハイ?」

「諦めろ」

「…はぁ……」

 

 

 あの横槍には正直驚いた。
けれどもそれのお陰で、高ぶっていた感情を整理する余裕が作れたのも、また事実だった。
 は頃合を見計らって、孫市の元を訪ねた。
情報収集と同時に武器開発等や工業向上を任せている兼ね合いから、彼は大抵城の外にいる。
本来であれば探すのは難儀だが、今日は運に恵まれていた。
午前中に処理した書簡の中に彼が受け持つ部門の物が含まれていた為、居所に見当をつけやすかったのだ。

 孫市を警戒して付いて来そうになった面々も、を連れて茶店に出向くと言えば簡単に煙に巻けた。
実際に茶店には立ち寄ったし、半蔵が傍に伏している事もあるから身辺警護の面でも不安はなかった。

「…まぁ、屁理屈だって言われたらそれまでなんだけどね…」

 ぽりぽりと頬を掻きながら呟いた。
隣を歩くが不思議そうな顔をする。慌てて取り繕って道を急いだ。
 二人で孫市が出向いている工業区の詰め所へと顔を出せば、孫市は複雑な顔をして見せた。

「なんですか、その顔は」

「いや、嬉しいことは嬉しいんだがね。華美な女神達が自ら出向くような場所じゃないからな」

「…いちいち、歯の浮く台詞を言わなくていいですから」

「冷たいね」

 彼は広げていた図面や帳簿をしまい、工具を手に仕事に打ち込む職人達へと声を掛ける。

「悪いな、今日は先に上がるぜ。何かあったら城に頼む」

 返事を待たずにその場を離れた孫市はの肩を抱きながら、外へと促した。

「お送りしましょう、俺の女神」

「だから、気持ち悪いんだって。そういう台詞」

 げんなりすると顔全体で訴えるの思惑を余所にが楽しそうに微笑む。
彼女は気を利かせたのか、数歩下がって後を付いてくる。
少し悪いことをしてるかな? と思ったのは束の間だった。
で自分の傍に半蔵がいることを気配で感じ取っているようで、楽しそうだ。
 ならば本来の用件をさっさと済まそうと、は歩きながら孫市へと言った。

「あれから少し考えました。貴方の言う通り、私は多分恋には臆病です」

「お、素直だね」

「でも分かって欲しい。色んな事を抱えて身動きがとれないのも事実。
 けどだからこそ、色恋に感けて余計に疲弊したくない」

「恋は負担か」

「ええ、少なくとも今は」

「分かった、今は待とう」

 視線だけで孫市を見上げれば、彼は自分にしか見せないと言った顔をしていた。

「ただ忘れないで欲しいな。俺の思いは、絶対に変わらない。貴方を必ず救う。貴方の受けた傷も癒してみせる」

「頼んでません」

「確かにな、でも俺がしたいんだ。誰かを好きでい続けることは罪じゃないだろ?」

「……時として負担になりますよ、そういうの…」

「安心しなよ、貴方からの見返りは求めてない。俺が欲しいのは、貴方の笑顔だ」

 「忘れたのか?」と低い声で問われて、が怪訝な顔をすれば、孫市は寂し気に笑った。

「あの時、言っただろう? "微笑む貴方が見たかった"ってな」

 その時の孫市の声と顔色が、いやに胸に響いては視線を伏せた。

「私は、そんなに上手く笑えていませんか」

「今はな。でも安心しな、俺がすぐに解き放ってやるからさ」

 ぽんぽんと肩を軽く叩かれて顔を上げた。
その時に見た孫市の面差しは、何時もの軽薄な男のそれで、戸惑う。
けれどもはすぐに気が付いた。
軽薄を装う彼の眼差しの奥に、自分にしか見せぬと言った色が強く揺らいでいることを。
自分が望んだからこそ、自分の為だけに、彼が下した選択。その結果が、この表情。
そうと分かってしまえば、到底責める気にはなれない。
 は、彼には適わないのかもしれないと痛感して、小さく呟いた。

「……あの時……貴方が私の恋人だったなら……ちょっとは違ったのかな……」

 それは叶えられるはずもない願い。けれども、作り出す事は可能な願い。
そこに気が付かぬの横顔を眺めて、孫市はまずは満足だと目を細めて小さく笑った。

 

 

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外から来たからこそ、見えるものもある。(08.08.29.)